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リアルとバーチャルな世界

リアルとバーチャルな世界

 スマホには、インターネットへのアクセス、情報の表示、各種情報の入力デバイス、無線通信の高速化、クラウドにおけるビッグデータ技術の進化。いつでも、自分の置かれているリアルな世界とバーチャルの世界を連携できる。

 リアルを使った、バーチャル・リアリティ。プラグインにすれば、電化生活ができる。その意味では、内なる世界です。コーヒーはセブンイレブンから持って来ればいい。アパートの時に、フルートの練習をクルマの中で行っていた。

 クルマは移動には使ってはいない。週に1時間程度です。保管しておくための時間・場所を否定しないといけない。

 豊田市駅前にハーモを共有環境に置かれています。電気自動車よりもはるかに、イメージ的です。どう見ても、リアルとバーチャルの融合がケータイでやられています。それによって、生活が変わるとともに、共有の概念が起こることを期待している。

OCR化した9冊の本

 『シリア・レバロンを知るための64章』

  フェニキア人の地中海進出 地中海に乗り出した海洋民族の足跡

  シリアにおけるイスラーム王 初期イスラーム時代の繁栄と混迷

  スンナ派とシーア派 国が変れば立場も変わる

  半世紀に及ぶシリアのバアス党体制 アサド父子による支配

  シリアのムスリム同胞団 ハマー虐殺ナジロジ

  レバノンの抵抗運動 ヒズブッラーの伸張

  曖昧なシリア・レバノン宿境 浸透性が国際的にも問題に

  シリア・トルコの国境問題 劇的な変転

  「アラブ改民革命」とシリア・レバノン 負けに不思議の負けなし

  シリアスの生活に息づくイスラーム 試される信仰の実践

  インターネットをめぐるバッシャール政権のジレンマ インターネットは政権の味方なのか敵なのか?

 『ニュースがわかる! 「世界紛争地図」の読み方』

  シリア内戦

   父子で四〇年以上独裁を続けるアサドー族

   日本人ジャーナリストも犠牲になった市街戦

   シーア派とスンニ派の代理戦争の様相を呈す

  クルド人間題

   六カ国に離散した「国をもたない世界最大の民族」

   ユダヤ人と共通するクルド人の境遇

   各地域で存在感を増すクルド人の悲願は実現するか?

   「イスラムから国を守るため」に一人で七七人を殺害!

   「9・11」で悪化したヨーロッパ社会とイスラム移民の関係

   ドイツやフランスで台頭する極右勢力

  カフカス紛争

   カフカス地方のイスラム系民族共和国

   双方が多大な犠牲を払ったチェチェン紛争

   グルジアでも民族問題で武力衝突が勃発

   チェチェン武装勢力は消えていない

   アルカイダと連携する(?)「カフカス首長国」

  ジブラルタル紛争

   ヨーロッパに残る最後のイギリス植民地

   ジブラルタル自治政府の登場でますます解決困難に

 『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』

  休暇がストレスのドイツ人、有休を取らない日本人

  EUのドイツはアジアの日本の反面教師

 『アップルの破壊的イノベーション』

  アップルの破壊的戦略

  3つの新市場型破壊によるイノベーション

  統合化戦略とモジュール化戦略の有効性

  破壊的イノベーション推進による成長戦略

  破壊的イノベーションの罠

  競争優位となるアップルの新たなる事業戦略

  アップルの今後

 『たとえ明日世界が滅びようとも』

  リトアニアからの電話

 『スラヴの十字路』

  ウクライナ--自由と独立を求めて

  黒海とクリミア--平和と繁栄の海ヘ

  知られざる大国ポーランド

  ポーランド史に刻まれた蜂起と抵抗

  チェコ--街並みとビールに酔う

  スロヴァキア--魅カ的な中欧の小国

  中欧--復活した地域概念

  パン・スラヴ主義--果たせなかったスラヴ連帯の夢

  ハンガリ--東方からやって来た民族の国

  ブルガリア--バラの香りに包まれて

  セルビア人の民族的聖地でもあるコソヴォ

  ダルマツィア--イタリアの香り残るスラヴ地域

 『蔵書の苦しみ』

  「自炊」は蔵書問題を解決するか?

  図書館があれば蔵書はいらない?

 『都市のリアル』

  働くものの目線サービス産業化する都市の内側

  あるけど、ないコミュニティ

 『グローバル経済の誕生』

  ドラッグ文化の経済学
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スンナ派とシーア派 国が変れば立場も変わる

『シリア・レバロンを知るための64章』より

世界のイスラーム教徒の大多数を占めるスンナ派と、1から2割を占めると言われるシーア派との間の教義の違いやそれぞれの成立の歴史については、事典類の解説に譲り、本章では主にシリア・レバノンにおける両宗派の位置と今日の問題について扱う。ドルーズ派やアラウィー派、イスマーイール派など、シーア派からの分派とされる宗派については、それぞれの章をご覧いただきたい。

預言者ムハンマドの没後3年目の635年、初代正統カリフのアブ・バクルの時代にムスリム軍がダマスクスを占領し、それまでビザンツ帝国領だったこの地域のイスラーム化が始まった。661年からダマスクスに都をおいたウマイヤ朝は、現在の国で言えば東はパキスタンから西はスペイン、ポルトガルとモロッコに至るまでの大帝国を築いた。歴史地図帳を見ると、圧倒的な軍事力による「大征服」で、この広大な領域の住民が一気にイスラーム化したかのような印象を受けるかもしれないが、この時期、まだムスリムは少数派で、多数の異教徒を支配する形だった。一方、この段階ですでにウマイヤ家の支配の正統性を否定する一派が、今日私たちが「シーア派」と呼ぶ宗派として出現していた。

ウマイヤ朝は、750年にアッバース朝に取って代わられるまでの約90年間、「歴史的シリア」の中心都市ダマスクスを都として繁栄したのであるが、この歴史的事実はシリアの(特にスンナ派の)ムスリムたちにとって誇らしい、重要なよりどころとなる意識を植え付けたと言える。イスラームの共同体は、アラビア半島という生態的に厳しい環境に生まれ、世界中に拡大することになったが、最初に「歴史的シリア」という肥沃な農業地帯に多くの人口を擁する地域に政治的中心を移し、一挙に版図を広げたのである。

この当時からメッカヘの巡礼路には、イラン・イラク方面からアラビア半島の沙漠を縦断するルートや、エジプト方面から紅海を渡り沿岸を進むルートなどいろいろあったが、都のダマスクスから陸路南下してメッカに向かうルートが一番主要なものだった。これは時代が下ってオスマン帝国の時代になっても変わらなかった。都のイスタンブルをはじめアナトリア方面からメッカ巡礼する際、ダマスクスは陸上ルートの最後の拠点都市として位置づけられた。毎年巡礼月が近づくと、何千人もの巡礼者が各地から集まり、町は1ヵ月以上にわたり祝祭的な雰囲気に包まれた。出発の日には華々しく飾り立てられた千頭単位のラクダがキャラバンをなし、楽器が多数鳴らされるなか、ダマスクス総督が先頭に立ち、護衛の軍勢を従えて、長い列をなす巡礼団が賑々しく南に向かった。メッカまで40日弱の行程だった。

ダマスクスとアレッポという主要都市の中心の大モスクが、ウマイヤ朝期に建立された「ウマイヤ・モスク」であることは、以後今日に至るまで14世紀聞にわたりイスラームが絶えることなく生活に根付いてきたことを、常に思い起こさせる。ユダヤ教やキリスト教に比べれば新しい伝統ではあるものの、世界中のムスリム社会を眺望すると、シリア・レバノンのムスリム社会が最長の時間的伝統の上に成り立った地域の一つであることは明らかである。そして今日のシリアとレバノンの地域を総体で考えれば、ここで約8割の人口を占めているのがスンナ派であり、密度の差こそあれ、ほぼ全域に分布している。正統派の宗教として、地域全体に浸透・定着してきたことは疑いようがない。

ただし、この地域の地中海沿岸の山地に国境線を引いて、レバノンをシリアから切り離すと、そこではスンナ派がもはや多数派ではなく、あまたの宗派の合間に入って急にマイノリティになる。レバノン国内の分布は、ペイルートやトリポリ、シドンといった沿岸都市部とベカー高原の一部にほぽ限定され、山間部の町村にはほとんどプレゼンスがない。このためスンナ派は、レバノンという国を「レバノン山地」(アラビア語で「ジャバルールブナーン」)を基盤とする社会と認識する立場--マロン派とドルーズ派を中心とする--に対して明確に異を唱える傾向がある。全世界のスンナ派ムスリムの巨大な海の中にいつでも一体化できるのであり、より近くのアラブ地域のスンナ派とはそもそも自他を分かつ必要性はあまりなかったのである。これは独立前後の時期から、レバノンのスンナ派の多くをアラブ民族主義に向かわせる原動力となった。

シーア派も国境線が引かれることでその勢力図がガラリと変わる。現在のシリア・レバノンの地域全体からすれば、あくまでも少数派である。ざっくり言って、2700万人のうちの6パーセントくらいであろう。それがレバノンに限っては、400万人のうちの130万人、全体の3割ほどで、個別の宗派としては最大勢力となる。
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リトアニアからの電話

『たとえ明日世界が滅びようとも』より

昨日の夜、リトアニアにいる「みんなで決めよう『原発』国民投票」の今井事務局長から電話があった。

リトアニアでは日立製作所か受注したヴィサギナス新原発建設の是非を問う国民投票か実施されており、「みんなで決めよう原発国民投票」のスタッフ十名か現地リサーチに行っているらしい。

投票では建設反対が六二パーセント以上を占め、賛成の三四パーセントを大きく上回ったとのことで電話の彼の声も元気だった。

投票は建設を止める強制力はないか、建設反対の立場をとる野党か四年ぶりに政権に返り咲く見通しで、総事業費約四千億円ともされるヴィサギナスの原発計画封印か現実のものとなる可能性かある。

これまでリトアニアではエネルギー自給に向けて原発を推進してきたか、福島第一原発の事故を受けて世論か大きく原発反対に傾いたという。

日立の改良型沸騰水型原子炉建設の受注は福島第二尿発事故後、日本企業として初の受注案件とされるから、これか棚上げされるということは日本の原発産業のダメージは大きい。

それにしても大きな原発事故を起こし、いまだ収拾のつかない状態にあり、さらには四号機の恒常的な危機を抱えこんでいる国か海外で原発建設受注に躍起になっている姿は、滑稽というより日本の企業というものの無倫理、無節操を世界において白日のもとに曝ものだ。とくにトルコなど地震多発国に売りこむ神経はとうてい信じられないしているような

その無政江無節操によって原発令故、か起こったことを思えば、日立や東芝などメーカーの無節降に中市内j?わII川ド肋ゼ・線ドドある九いらべ八八宍∵犬

それにしても原発事故当事国より、遠い海の向こうの他国が福島の教訓を正面から受け止めているその光景に、西欧人の認知性バイアス度の高さ、この日本という国、あるいは国民の根拠なき正常性バイアス度の高さの対比か浮き彫りになっていると言える。

今日の午後連絡かあり、リトアニアで政権交代か実現とのこと。

集計結果によると、原発反対を唱える中道左派の野党・社会民主党か三十八議席を獲得し第一党となり、日立の原発建設プロジェクトを支持していたクビリウス首相率いる中道右派与党の祖国同盟・キリスト教民主党は三十三議席にとどまり、第二党に転落した。

それにしても日立、東芝のなりふり構わぬ髪振り乱しての原発売りこみは生業では食っていげず油断するとシャープ状態になるということだろうか、哀しいばかりだ。

そういう意味では日立本社はこの結果にがっかりしていることと思うか、海の向こうの話ではあるがこうして少しでも原発政策に風穴か空きっつあることは喜ばしいことだ。
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