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役割は「期待」から生まれる

『ウェブ社会のゆくえ』より ウェブ社会での親密性 役割空間の混乱

役割という言葉そのものは、日常でもよく用いられる。だがその使われ方は意外に複雑だ。たとえば、「教師の役割は、教え子を一人前の人間にすることだ」というとき、役割という言葉には、個人に課される義務や達成目標という含意がある。一方で、「夫が早くに亡くなったので、私はこの子の父親という役割も負わなければなりませんでした」というときには、子どもとの関係の中で生じた振る舞いや自覚といった意味がある。’つまり、ひとくちに役割といっても、「社会的な地位に付随して求められる行動や思考のパターン」という場合と、「特定の社会関係の中で選択される行動や思考のパターン」という場合があるのだ。

社会学の研究の中では、どちらの見方も一九三〇年代になって登場したと説明される。社会から見た役割という概念を強調したのは、文化人類学者のラルフーリントンだ。彼に従えば、役割というものは社会や集団から割りあてられた「地位」によって決まる。一族の長であるとか、男性であるとか、教師であるとか、そうした社会的な地位が、人の行動パターンを左右するのである。

こうした見方は、一九五〇年代頃までは「構造機能主義」と呼ばれる潮流の中で、「いかにして人は社会に求められる役割に同調していくか」という問題意識をともなって発展していった。しかし一九六〇年代に入ると、当時の学生運動などの影響もあって、この考え方は「個人が自由に振る舞う可能性を否定している」として、次第に批判の対象になっていく。代わって社会学の中で主流の考え方になったのは、個人が互いの関係の中で役割を取得していく「相互作用的役割理論」と呼ばれる考え方だった。

その代表格である、前の章でも紹介したミードの説によると、私たちは自分の役割を他者からの期待(予期)によって獲得していくのだという。ここで期待というのは、何かをして欲しいと積極的に願うことだけでなく、振る舞いや態度に関する漠然とした、あまり意識されないレペルでの予想までを含んでいる。この期待に応じて求められる振る舞いの集合、すなわちピーター・バーガーの言葉を借りれば、「類型化された期待に対する類型化された反応」が役割である。

この役割は「他者からの役割取得」という過程を経て、個々人の中に内面化されるのだとミードは言う。役割取得の第一段階で行われるのは、親やきょうだい、友だちなどの親密な相手の行動を真似て、それぞれの役割の中身を知ること、つまり「母親らしさ」や「お兄ちゃんらしさ」の学習である。特にその学習機会になるのが「ごっこ遊び(プレイ)」だ。

しかしながら「ごっこ遊び」で取得された役割は、あくまで自分の知っている「○○らしさ」の類型をコピーして演じているものにすぎない。より広い社会で生きていくためには、未知の他者がどのような期待を抱いているかについて予期できるようになることが求められる。バーガーによるミードの解説を見てみよう。

子供は、まず彼の「重要な他者たち](ミード)との関連で生じてくる役割を引き受ける。「重要な他者たち」とは、子供と親密に接触し、その態度が子供自身の自画像を形成する上で決定的な立場にいる人々のことである。後になると、子供は、自分が演じる役割はこの親密な集団にだけ関連があるのではなく、社会一般の人々が彼に向ける期待に関係していることを学び知る。こうした、社会的反応に見られる、より高度の抽象化レペルを、ミードは「一般化された他者」の発見と呼んでいる。つまり、いい子で清潔で正直な子を自分に期待しているのは母親だけではないということ、社会一般の人々もそれを期待しているということ--社会についてのこのような漠然とした考えが生まれる時にのみ、子供は、自己自身に関する明晰な考えをうみだすことができるようになる。子供の体験においては、「自己」と「社会」とは同じコインの裏と表なのである。

言いかえれば、アイデンティティとは何らかの「所与」ではなく、社会的承認という行為によって付与されるものなのである。

この「重要な他者(有意味な他者)」から「一般化された他者」へ基準となる視点を移すことで可能になるのは、「プレイからゲームヘの移行」だとミードは述べる。たとえば野球やサッカーのようなルールのあるゲームにおいては、自分に期待された役割を遂行するためには、他のチームメイトや敵チームのメンバーがどのように行動するかを予期し、それらを関係付けなければならない。野球であれば、バッターは「バットを振ってボールに当てる」ことが期待されているわけでなく、外野が前進守備であることを意識しながら三塁ランナーを帰すバッティングをするといった高度な役割までが期待されることすらあるのだ。

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中国 対外戦争が連続しても火がつかない

『愛国・革命・民主』より 科挙体制からの出発-中国

ナショナリズムの形成の基本モデルとして、私は外部との相互作用が大事だと強調し、日本についてその具体像を示しました。しかし、中国の場合は、このモデルも万能ではありません。外部との相互作用がとてもきつかったのに、なかなかナショナリズムの火がつかなかった。アヘン戦争から日清戦争までに大きな戦争が五回もあったのに、です。

日本の場合は、関門海峡や鹿児島でちょっとドンパチやったぐらい。いずれも小規模の戦いで、その程度の軍事衝突だけであっという間にナショナリズムができてしまったのですが、中国の場合は、大戦争を五回もやってやっと生まれた。非常に長い時間がかかったわけです。

アヘン戦争は、最初の戦争とアロー戦争と呼ばれる二度目のものとがありましたが、それで統治エリートの考えが変わらなかったかというと、少しは変わりました。西洋が優越する軍事技術、またそれを支える工業技術を導入すべきだという考えです。当時「洋務」と呼ばれましたが、幕末日本とほぼ同時代に、中国でも技術的対応が始まったわけです。

しかし、中国は日本と違って、この改革は技術導入から進んで政治体制を変えるレヴェルまではゆかなかった。しかも、現実に中国で起きたことは、北京の中央政府に権力を集中して、外国と対抗することではなくて、むしろ分権化でした。明朝以後にはタブーとなっていた地方勢力による軍隊の組織まで許しています。

これはかつて同僚だった故並木頼寿さんに教えていただいたことですが、対外関係より国内の問題がはるかに重視された。太平天国、一度目のアヘン戦争の直後に中国南部に発生し、経済先進地帯の長江流域に及んだ大反乱で、一時は南京に都を置きましたが、同時に北部では捻軍というやはり大規模な民衆反乱が起きました。それらを克服するために、清朝は、曾国藩や李鴻章などの漢民族の大官たちに、出身地で私的な軍隊を組織することを許すという緊急措置を取りました。

また、そういう上からの動きだけではなくて、基層社会の人々も自ら軍隊を組織し、自分の町や村を守ることを始めました。そういうわけで、対外的に深刻な問題が発生したにもかかわらず、二度も戦争をし、二度目は首都北京にまで攻め込まれて英・仏から酷い目に遭わされたにもかかわらず、それよりは民衆による内乱の方がずっと深刻な問題だと統治エリートは判断していたのです。

対外危機に対処するには集権化する方が効率が良かったはずですが、この時は逆に、分権化が進んでしまった。

対外戦争は英仏だけが相手ではありません。ロシアも強敵だった。二番目のアヘン戦争の時に、ロシアは清朝の故地満洲に属する広大な土地を奪い取り、沿海州と名づけました。その後、西北の奥地、いま新疆ウイグル自治区と呼ばれている地方にも、勢力を伸ばします。ロシアはその西側にある中央アジアの国々を次々と征服し、そうした状勢で新疆には独立政権が生まれました。一八七〇年代にはさらに東南部でも問題が起きます。日本が台湾に出兵したのです。清朝はニカ所、腹背で同時に、外国との軍事紛争、大規模ではなかったものの、無視しえない紛争を経験します。その後、日本は琉球を併合し、さらにフランスが清仏戦争を経てベトナムを植民地にしました。中国は琉球やベトナムという身近な朝貢国を失ったのです。

こういう状況では、知識人の中から中国の一体性を強めるべしというナショナリズムの声があがってよさそうなものです。

実際、清朝は、ロシアと紛争が起きた新疆に初めて中央政府が直轄する省を立て、そこに北京から官僚を派遣して統治を始めました。また、台湾についても同様の措置をとりました。辺境地帯に初めて中央政府が直轄する省を創ったのです。また満洲にも、支配民族の満洲族の故郷だったため漢民族の立ち入りを禁じていた、いまの中国の東北部にもやはり省を置きます。黒竜江省、吉林省、遼寧省、三つの省を創り、中国本体と同じ形の統治を実行することにしました。ロシアや日本との紛争をきっかけに、辺境に対する統治を強化したのです。
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ずっと、数学をやっている

ずっと、数学をやっている

 研究開発部署の時に、システム開発を通じて、数学をやっていた。副所長から、最後に、「数学をやっていたでしょう」と言われた。分かる人には分かるものです。それと同様に、未唯空間での店舗コミュニティの情報共有も、数学そのものです。

 数学をやっているというのを、どう説明しようか。

 地域コミュニティは近傍系です。個人が要素とした時に、その近傍系が成り立ちます。近傍系で、全体をカバーすることは、トポロジーそのものです。トポロジーが全体をカバーすることを保証します。

 存在と無はトポロジーで考えると、トーラスになっている。この空間をどう作っていくのか。

 未唯空間の位相化で、キーワードの抽出を行っている。かなりのキーワードが数学になっています。キーワードをつなげたところは一つの体系になります。

 ローカルとグローバルが二項対立ではなく、完全に循環になっている。ローカルから出てきたものを、グローバルがどう支援するのか。これ自体がトポロジーの空間配置そのものです。

 情報共有そのものは、近傍系に対するファンクション、つまり、チェーンです。コミュニティという近傍系を位相空間にするものです。近傍の端まで行って、その点から近傍を作り、つなげていく。その結果として、特異点を回避した、サブ空間が自動的にでき上る。

 よく分からない空間に対して、インバリアントで、よく知られた空間にマッピングします。座標系で考えられます。マッピングが1対1で、連続ならば、それは同値になります。それで疑似空間ができ、挙動解析でsきる。

 その空間を多層化して、全体の空間をカバーリングする。特異点は特異点同士で別の空間になります。それらの空間同士を点とみなして、全体の空間を定義します。これは社会モデルそのものを意味します。

 今までの組織論とか中央集権的な考え方を超えるものが出来上がる。モデルである以上は、細かい部分もすべて、考えることができる。未唯空間の位相化は、それをしようとするものです。キーワードを探してきて、同一位相のものをつなげていくことで、どれだけのレイアで出来ているかが見えてきます。足りない部分が分かります。

パートナーは希望の星です

 昨日は5時から、資料の相談に乗っていた。答えを作るのではなく、答えを合わせるのではない。答えは誰も持っていない。だから、問題を作ることです。私はずっと、問題を作ってきた。

 自分のミッションに対して、問題意識をハッキリさせようとしている。Gは枠に抑え込もうとしている。パートナーが今やっていることは、非常に意味のあることです。この会社にとって、希望の星です。

個人の分化へのアプローチ

 ソーシャルメディアにおける、単チャネルと複チャネルとの格差。単チャネルの場合は、拡がらないけど、複チャネルの場合は拡がっていく。個人が分化することで、複チャネルとなることで、一種のハブになる。

 排他的な中心としての人格を認める。複数の人格を持つ、脱中心化したネットワークを認めていく。これは、多くの人が生きていくために必要な構造です。

コペルニクス的転回

 カントは、伝承は対象によってもたらされるわけではなく、アプリオリや認識形式によって、構成される。いわゆる、コペルニクス的転回です。トポロジーでは当たり前の世界です。

 本来的なことをするという、主観主義は、自閉症スペクトラムの認知の中に貫徹された。ヘーゲルにおける、純粋な存在と純粋な無の同一視は、私が持っている、存在と無の感覚に沿っている気がします。

 哲学からは、言葉をもらいましょう。

哲学のフォルダー

 哲学は別のフォルダーにします。雑記帳の他のものと同等レベルでは読み切れません。
 
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