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「政治嫌い」から「政治」を考える

『批評キーワード辞典』より 「政治」

二〇一一年は、ある意味、デモの年であった。ヨーロッパでは年明けにイギリスから始まり、年の終わりには債務危機と関連して複数の国で行われ、アラブ諸国ではアラブの春と呼ばれて実際の政権交代に至り、アメリカではウォール・ストリートでのオキュパイ運動が全国に拡散するかたちで多くのデモが行われた。アラブの春がフェイスブック革命あるいはツイッター革命と呼ばれたことが示すように、この年のデモは、新しいメディアの利用による、動員の組織論の新しさ、そして、その結果として、参加者の年齢の若さや(既存のデモには参加しない層からの参加による)多様さが注目された。

日本の場合、二〇一一年から盛んに行われたデモは、大震災とそれ以降の原発事故と関連しているので文脈は異なるわけだが、それでも、これまで政治に興味がなかった若者が多数参加し、デモを構成する組織論がこれまでとは大きく変わったという点では、各国で行われたものと特徴を共有している。私の周囲にも、生まれて初めてデモに参加したという学生が多数いる。

私が勤めている大学院は、人文学系の、いわゆる文学部と同じような対象を専門とするが、一応これまでの文学部とは少し違ったことをやるとされているところである。そのことと関連して、学生のほとんどが、いわゆる政治的な批評をやりたいと考えている。マイノリティの表象と文化、ポストコロニアリズム、それから、フェミニズムやクィア理論というのがその内実であり、また、これまでの文学研究のなかに含まれる作品を扱う場合であっても、それを単に名作として分析するのではなく、現在のアクチュアルな文脈において、その作品の政治的な意味合いを分析したいと言う人が多い。もちろん、ここで彼らがやりたいと言う政治的批評とは、左翼的な政治という意味であるI実際そうなっているかどうかはともかく。ときに学生は、大学院でやるテキストの分析は、目標をかなえるための単なる手段にすぎず、本当の目標は、(そのような分析を通じて最終的に)社会を変えていくことだとも言ったりする。乱暴に単純化すると、このような人たちが、二〇一一年のデモに参加したわけである。

もちろん彼らの「政治的関心」は素晴らしいことで、何も、「政治的批評よりも精読のほうが大切だから、大きなことを言う前に(たとえば)英語力をしっかりつけなさい」などと言うつもりはない。私がときに口にするのは、本当の目標が社会を解放的に変えていくことならば、つまり本当の目標が表象分析ではなくて政治であるなら、大学院に入らないで、政治家になったほうが良いんじゃないか? という提言である。すると、学生も私も笑い出す。じつは、政治的批評をしたいと考える人々(そこには、だから、私も含まれているのだが)に共有されるもう一つの特徴は、「政治」が嫌いだということだ。政治的批評をする者は、実際の「政治」にはけっして関わりたくない。「政治」が嫌いな者が政治的な批評を好むのである。

この奇妙な政治嫌いは、ある種の文科系大学生、大学院生にかなりの程度で共有されている感情構造だと思う。しかし、おそらく、文化系大学生、大学院生だけの問題ではあるまい。おそらくこれは、私たちみなの問題である。つまり、二〇一一年のデモは、左翼的な政治的関心の表現であると同時に、ある種の政治嫌いの表現でもあるはずなのだI端的には、投票の代わりにデモに参加するというような意味において。
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持ってるAKB48

『批評キーワード辞典』より 「持つ」

実際、つぎのように考える読者もいるだろう。大いに結構。「本当の自分」なんか存在しないし、「あること」と「持つこと」の区別なんかもともと存在しないんだから、そんなものを追い求めるのはやめにしよう。「本来的に非本来的な生」を楽しもうじゃないか、と。「あること」が本来的だという感情は、過去のものになりつつあるかもしれない。

じつのところ、最近の「持つ」という言葉の用法を見ると、「あること」と「持つこと」がないまぜになった用法が目につく。たとえば、スポーツ選手が使う「持ってる」という表現だ。これは二〇〇九年のワールド・ベースボール・クラッシックで、イチロー選手が決勝タイムリーを放った際に使ったのが最初の用法らしい。Yahoo!辞書の「新語探検」によると、この用法の意味は次のようなものである。ある人が秘めて持っている才能、天性の運といった意味。どうしても必要な時にその天性の才能を発揮し、周囲の人や観客などに驚きを与えるような力イチロー選手や、サッカーの本田圭佑選手が千載一遇のチャンスをものにして「持ってる」と言うとき、そこには、苦労して獲得した自分のスポーツ選手としての実力(持つこと)よりも、苦労せずにもともと備わっている強運(あること)に力点がおかれている。しかし興味深いのは、それがほかならぬ「持ってる」という言葉で表現されることであろう。

「持ってる」と口にするスポーツ選手は、汗水たらした努力は軽々とこなす風を装い、むしろスポーツ選手として重要なのは「天性の運」「天性の才能」の方であると強調する。言い換えれば、練習という名の労働のおよばないところにこそ、彼らの真の力はある。しかし逆説的にも、彼らの成功は純粋な運であってはならない(それだと誰にでもできることになるから)。汗みずくの努力は前提として行わなければならない。「持つこと(努力)」+「あること(天性の才)」=「持ってる」である。

同じことをより痛々しい(?)かたちで演出してみせるのが、アイドルグループのAKB48である。錦織史朗が論じるように、AKB48は少女たちが努力してアイドルとして成長をする姿によって感動を呼ぶという構図を基本としている。そこに、グループ内での熾烈な競争が加えられ、その競争そのものをファンは鑑賞し、人気投票というかたちでそこに参加する。AKB48のアイドルたちはポストフォーディズム労働を強いられる。つまり、歌と踊りという「本業」はある意味でどうでもよく、グループ内で「キャラ立ち」してファンに「推し」てもらうために、彼女たちは個人ブログの頻繁な更新をし、休日もすべてブログのためのネタ探しに費やされることになるのだ。労働と労働以外の生活の区分が融解するどころか、むしろ労働(歌と踊り)以外のところでどれだけコミュニケーション活動をがんばれるかによって彼女たちの命運は決まる。(あるメンバーはたった二日ブログを更新しなかっただけで、「さぼってる」とファンに叩かれた。)

さらに衝撃的なのは、二〇一〇年一〇月以降の「じゃんけん大会」であろう。これは、シングル曲の選抜メンバーを、ファン投票ではなく単なる「じゃんけん」で決めてしまうという企画である。じゃんけん、つまりは純然たる「運」である。ポストフォーディズム的な努力をひたすらにつづける彼女たちに、純粋な「運」という要素を持ち込むことの意味は何だろうか。それは上記の「持ってる」と同じことである。彼女たちは生のすべてをつぎ込んだ努力を求められるが、それだけでは十分ではない。強運を引きつける天賦の才能も「持って」いなくてはならない。その強運に恵まれるための前提条件として、やはり最大限の努力はつづけなければならないのだが。まさに、「持ってる」ことが求められるのだ。

以上のようなマスメディア上の現象は、私たちの労働と生のありさまを映し出していると考えるべきだろう。「持つこと/あること」を区別しようとする労働者は、労働者失格である。つまり、非本来的な「仕事」と、本来の自分に戻る「余暇」を区別するような労働者は失格なのである。必ずしも「二四時間戦う」という意味ではなく、「余暇」において涵養される人間的資質でさえも、労働のための資源となるということだ。たとえば上記の錦織が指摘しているが、「シューカツ」を考えてみてほしい。就職活動を勝ち抜くには、「何を持っているか」(つまり学歴や資格、技能など)だけでは話にならない。そこではむしろ、コミュニケーション能力を中心とする人格が問われる。「持つこと」と「あること」が一体化した意昧での「持ってる」ことが求められるのだ。

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地域活性化の仕掛け

地域活性化の仕掛け

 水族館にしても、地域活性化に関係します。そこでプロヂュースしている人の意識は、地域をどう生かすかで行っている。

 博物館も同様な観点にある。図書館に似ているけど、博物館は馴染みがない。図書館は借りられるけど、博物館は借りられない。デジタルコンテンツで身近にする努力がなされている。

 『ぼくは、図書館がすき』という本は楽しい。市民と司書が楽しそうに写っている。僕も図書館が好きです。ヘルシンキ市立図書館で写真を撮った時に、市民から睨まれた。一応、司書に承諾をとったけど、市民に説明はできなかった。

 ロバニエミ図書館の時は、絵葉書で対応した。本当は、市民の姿が撮りたかったけど、目に焼き付けただけにした。図書館の風景は本当に安心します。未来が見えます。

個人が分化した先

 個人が分化した先を考えていかないといけない。『ウェブ社会のゆくえ』も結局、あたりさわりがない内容だった。ゲーム化からコミュニティ化を行い、社会を変革する姿を描いてほしい。

 読むから書くへ、そして発信へ。それから何が変わるのか。考え始めたら、そのために起こることは、全て、自分のために起こることです。これは正しい。このスタンスを持ったら、いくらでも広がります。それと同時に、エネルギーになります。怒りも笑いも。

学校図書館

 『学校経営と学校図書館』。図書室ではなく、図書館なんですね。学校図書館法というものがある。司書も配置されています。本はまだまだ、足りない。これをどう持って行くかです。肝心な本を読む人と画期的に増やすにはどうするかです。

一神教の功罪

 『一神教の起源』ローマを助けたのは、一神教です。それでアレキサンドリア図書館は破壊された。キリスト教徒は、文化を壊した。

 しかし、ムスリムも一神教です。だけど、彼らは、破壊してまでの宗教弾圧はしなかった。税金さえ払ってくれれば、許すというスタンスです。それで一気に拡大していった。

 『都市の誕生』には、知の都市として、アレキサンドリア図書館が書かれています。私にとっては、原点みたいですね。330年頃の世界を見たい。映画だけで我慢しています。

30冊中、12冊をOCR

 30冊、本を借りた。引っ掛かる本が多いです。12冊をOCR化しています。未唯空間を位相化することで、テーマが拡大したためでしょう。

OCR化した、12冊

 『批評キーワード辞典』

 抜き出したキーワードは「依存」「社会」「持つ」「コミュニティ」「世界」「コミュニケーション」「革命」です

 『一神教の起源』

 三つの一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教);地球上の二人に一人以上が一神教徒、「常識」を覆す最近の研究動向、一神教は不寛容で攻撃的か?

 『都市の誕生』

 タハリール広場とアラブの春、知の都市(アッシュールバニパル王立図書館、アレクサンドリア図書館;廃墟;アメリカ版アクロポリス(デトロイト市)

 『微笑みのたくらみ』

 笑顔を伴うサービス;戦略的な笑顔;笑顔の価値パフォーマンスの笑顔;愛想よくふるまうことにかかるコスト;快活なサービスができるのは生まれつきか

 『学校経営と学校図書館』

 学校図書館メディアの選択と管理,提供(2)-視聴覚メディアおよび電子メディアを中心に-;図書館協力とネットワーク;研究および課題と展望

 『水族館に奇跡が起こる7つのヒミツ』

 480.76ナカ『水族館に奇跡が起こる7つのヒミツ』 2013/09/15 9:23 午後

  なぜ、地域まで活気付くのか?;まちの魅力を水族館から発信する;魔法の温泉水;まちの話題を水族館で展示する;凍る日を待ちわびる人々;水族館の周囲への波及効果;水族館を核に地元が動いた;地域に人を呼び込むメディア効果;客層を広げる新たな水族館活用

 『愛国・革命・民主』

 科挙体制からの出発-中国;初期条件;対外戦争が連続しても火がつかない;日清戦争による創発;「中国」実体観と「支那」分裂;改革と敵の造型;抗日戦争

 『1日で学び直す哲学』

 哲学者 ピタゴラス--思考のラディカリズムのはじまり;哲学者 カント--感性の形式としての空間と時間;哲学者 ヘーゲル--作裂する存在;哲学者 ハイデッガ--存在と時間をめぐる思索

 『ウェブ社会のゆくえ』

 ウェブ社会での親密性;役割空間の混乱;一緒にいることの孤独;親密性と近接性が無関連化する

 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

 『「若者」とは誰か』

 多元的自己として生きること;多元的自己の広がりとそれへの評価;自己の多元化は生存を助けるか;自己の多元化は政治参加・社会参加を抑止するか;自己の多元化は倫理的たりえないのか;出発点としての多元的自己

 『ビギナーズ地域福祉』

 ボランティアとしての住民・当事者とコミュニティワーク;地域福祉の基盤整備と情報化
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