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出発点としての多元的自己

『「若者」とは誰か』より 多元的自己として生きること

本章では経済的、政治的、倫理的という三つの観点からなされてきた自己の多元性に対する否定的評価を再検討してきた。いずれの観点に立ってみた場合にも、否定的な評価には必ずしもしっかりした裏づけがあるわけではないように思われる。もちろん多元的自己が無条件に肯定されるべきであるということをそれは意味してはいないが、少なくとも性急な批判についてはもう少し慎重になるべきだとはいえるであろう。

そのことを確認した上で、本書の初発の問いに立ち戻ってみよう。

若者とは誰のことなのか。

個々の若者にとって、この問いはもう一つの問いによってのみ答えられることになる。そこで問われている「誰」とは、どのような関係におけるものなのか、と。若者たちが自分白身の自己を形成し、提示し、確認し、実感し、ときに調整したり再構成していくのは具体的な個々の関係に応じてのことだ。具体的なそれぞれの関係に応じて立ち上がる自己のあり方は、ときに食い違い、矛盾しさえするのだが、それでもそれなりに「ほんとうの自分」であると感じられてもいる。そのような自己についての問いとしてみたときに「あなたは誰なのか」という尋ね方は決定的に不十分なのである。そのような問いを差し向けられた若者はしばしばこのように感じることであろう。いったいそれはどのような関係にある自分のことを尋ねているのか。

大人の目に映る集団としての若者のアイデンティティについても同じことがいえる。若者とは誰のことかと問いかけたときに、答えとして返ってくるのはもう一つの問いであろう。いったいそれはどの若者について尋ねているのか、と。考えてみれば、ある時期まで若者をひとまとまりの集団として扱うことができていたのは、彼らのライフコースやライフスタイルが比較的似通った形に標準化されていたからではなかったか。どのように生きるのかという点で選択の余地が少ない状況にあっては、彼らをひとまとまりに扱っていてもあまり問題は生じまい。その意味で、若者というアイデンティティは戦後日本のある時期に成立し安定していた諸制度の相関物ということになるのかもしれない。

1980年代に進展した消費社会化は彼らのライフスタイルを多様化していき、1990年代に入る頃には「島宇宙化」とさえ形容されるほどにまでなった。ついで1990年代以降には社会経済的な状況の変動にともなって就職や結婚など人生の節目となる移行が従前のように滑らかには進まなくなるとともに、そのタイミングも人によってばらつきの大きいものとなる。このような状況にあっては若者をひとくくりにして扱うことは難しい。男性なのか女性なのか、大都市部に住んでいるのか地方に住んでいるのか、「正社員」なのかバイトなのか、等々、そういった違いが「若者」と一口に語ることを頓挫させてしまう。

このような変化の上に、さらに若者の振る舞い方の文脈ごとの変化が重なり合う。このことは若煮が何者であるのかについての見通しをさらに不透明にするであろう。そもそもどのような文脈を持っているのかという点で若者は一様ではない上に、文脈ごとの使い分けがどのように行なわれているのかについてもまた二様ではないからだ。若者とは誰のことか、という問いはここでもまた決定的に不十分なのである。 しかし大人たちはしばしばこの問いの不十分さを認識する代わりに、過去の残像を参照しながら多元性をアイデンティティの喪失として理解しようとしてきた。このような理解は二重の意味で誤っている。第一に、そこで失われたものとしてしばしば参照されるエリクソン的な意味で統合されたアイデンティティは過去にも存在していなかった。それは、何かが失われたという現在の痛切な実感が過去に向けて投射したある種の理想=仮想にすぎない。実際に失われたのは、文脈ごとの振る舞い方の違いを総体として見通し得るような「場」なのである。第二に、多元性とは統合の「喪失」なのではなく、統合がそうであったのと同じ程度には、現実の社会への積極的な適応形態であることを彼らは見落としている。もちろん多元化した自己のあり方についていろいろな問題点を指摘することはできるだろう。それは本章で見てきた通りだ。だが「場」に包摂されたアイデンティティ、あるいはエリクソン型のアイデンティティについても同じように問題点を指摘することはできる。要するにいくつかの問題を抱えながらも現在の社会に適応するための自己の様式であるという点でそれらは等価であるということだ。

念のためにいっておくが、自己が多元化すれば万事がうまくいくなどということをいいたいわけではないし、自己のあり方をめぐる現状をすべて肯定すべきだといいたいわけでもない。繰り返すが、社会への適応様式はつねに問題点をもともなうものであり、多元的自己も例外ではない。重要なことは、多元性によって適応することを求めてくるこの社会のあり方を批判する場合でさえ、現に多くの若者が採用している自己のあり方をまるごと否定するところからはじめるのは現実的でないということだ。新しい自己のあり方を模索するとしても、その模索の足場や可能性は現に存在するもののうちに見いだすべきではないだろうか。多元的自己だからよいのでも、多元的自己だからだめなのでもなく、より生きやすい生き方、より生きやすい社会を模索していく上での足場や手がかりとしてどれだけ有効に活かせるか、そこが重要だ。そのような足場や手がかりの所在を浮かび上がらせるためになるのであれば、若者とは誰のことかと問うてみることにもそれなりの意義があるはずだ。
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インディアスの破壊についての簡潔な報告

『インディアスの破壊についての簡潔な報告』より

インディアスの人びとは地上のどの民族より、明晰かつ何ものにも囚われない鋭い判断力を具え、あらゆる秀れた教えを理解し、守ることができる。彼らはわが聖なるカトリックの信仰を受け入れ、徳高い習慣を身につけるのに十分な能力をもちあわせている。すなわち、彼らは、神がこの世に創造されたあらゆる人間の中で、信仰へ導くのに障害となるものがとりわけ数少ない人たちである。インディアスの人びとは信仰に関する事柄を知るようになると、それを理解したり、教会の秘蹟や礼拝を実行したりするのに非常に熱心なので、聖職者は彼らの執拗な願いを引き受けるためには、実際、神から忍耐という特別な恵みを授かっていなければならないほどである。最後に、長年この土地に暮らしていた大勢のスペイン人、それも聖職者以外の人たちがよく口にした言葉を記しておこう。つまり、彼らは、インディアスの住民が生まれついて善良な人たちであることを否定できず、「確かに、この土地の住民は、神を知らなかったことを除くと、この世で誰よりも至福を得た民である」と話していたのである。

スベイン人は、創造主から先記のさまざまな素晴らしい性質を授かったこれら従順な羊の群れに出会うや、まるで何日も獲物にありつけず、飢えて猛り狂った虎狼やライオンのように、彼らに襲いかかった。スペイン人が四〇年前から今に至るまで、そして、今日現在もなお、行ないつづけているのは、かつて人が見たことも、本で読んだこともなければ、話に聞いたこともない残虐きわまりない手口を新しく次々と考え出して、ひたすらインディオを斬りきざみ、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやることなのである。例えば、われわれがはじめてエスパニョーラ島に上陸した時、島には約三〇〇万のインディオが暮らしていたが、今ではわずか二〇〇人しか生き残っていない有様である。私は以下にそれらの非道な行為についていくつか、ほんのわずかな例を記すことに。る。

クーバ島は全長がおよそバリャドリードからローマに至る距離に匹敵するぐらい大きな島だが、現在、島にはほとんど人がいない。サン・フアン島もハマイカ島、いずれも非常に大きな島で、豊饒で素晴らしいところであったが、今では荒れはてて見る影もない。エスパニョーフ島やキューバ島の北方に隣接して、ルカーヨ人の住む諸島があり、そこにはヒガンテと呼ばれる諸島をはじめ、大小さまざま合わせて六〇以上もの島々がある。その中で、いちばん貧しい島でも、王家がセビーリャに所有している果樹園よりはるかに豊かで美しく、また、その島は地上でもっとも快適な気候に恵まれたところでもある。ルカーヨ人の住むその島々には、かつては五〇万を超える人びとが暮らしていたが、今では住む人はひとりもいない。つまり、スペイン人はエスパニョーフ島の住民が絶滅したのを知ると、こんどはルカーヨ人をエスパニョーフ島へ連行してきては、また、その輸送途中で、全員を殺してしまったのである。そうして島々の住民がほとんど連れ去られたあと、あるひとりの立派なキリスト教徒が憐憫の情にうたれヽもし生きながらえている者がいれば、改宗させ、キリストの手に委ねようと思いたち、一隻の船に乗って三年間、島々を巡ったが、生き残っていたのはわずか一一名にすぎなかった。実は、私もその人たちに会ったことがある。

サン・フアン島の近くには三〇を超える島があるが、それらの島もルカーヨ人の島々と同じ原因で、人びとは全滅し、土地は荒れはててしまった。おそらくそれらの島を合わせると、全長二〇〇〇レグア以上にも及ぶと思われるが、今ではその島々もひとつ残らず、見るも無惨に荒れはて、人影もない。

広大な大陸方面に関して言えば、これは確信しているのだが、われわれの同胞であるスペイン人が残酷な仕打ちや邪悪な振る舞いでその地域の人びとを全員死へ追いやり、一帯を壊滅させた結果、現在、そこは荒れ野と化してしまっている。かつてその地域には、理性を具えた大勢の人びとがひしめきあって暮らし、アラゴン王国とポルトガル王国を加えたスペイン全土よりも広大な王国が数にして一〇以上も存在し、その全長は距離にして、セビーリャ・イェルサレム間の二倍以上、つまり、二〇〇〇レグア余りにも及んでいる。

したがって、われわれが確信し、正真正銘の事実だと判断しているところでは、この四〇年間に、男女、子ども合わせて二一〇〇万を超える人たちがキリスト教徒の行なった暴虐的かつ極悪無惨な所業の犠牲となって残虐非道にも生命を奪われたのである。それどころか、誤解を恐れずに言うなら、真実、その数は一五〇〇万を下らないであろう。

インディアスヘ渡った自称キリスト教徒がこの世からあの哀れな数々の民族を根絶し、抹殺するのに用いた手口はおもに二つあった。ひとつは不正かつ残酷で、血なまぐさい暴虐的な戦争を仕掛けるやりかたである。いまひとつは、自由な生活に憧れや望みを抱いたり、思いを馳せたり、あるいは、現在受けている苦しみから逃れることを考えたりするような首長や一人前の男性たちをおう殺しておいて、生き残った者たち(というのも、ふつうキリスト教徒は戦争では子どもや女性を殺さなかったからである)を、かつて人間が、いや、獣でさえ経験したことのないこの上なく苛酷で無慈悲な恐るべき奴隷状態に陥れて虐げることであった。それ以外にも、キリスト教徒は数えきれないほどさまざまな方法であの無数の人びとを殲滅したが、それらはいずれも上述した二つの極悪無惨で暴虐的な手口に集約されるのである。
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非本来的な存在

コンパクトにする意味

 コンパクトにすることで、やることが多面的になる。色々なアプローチができる。複雑なままだと、答えが相互作用で、どんどん、難しくなり、やることが分からなくなる。成果がつながってこない。

非本来的な存在

 ハイデッガーが非本来的と言った時に、世の中の人にはお説教になります。1933年にフライブルグで、非本来的ではない、ナチに憧れたのでしょう。

 ナチとは、結論が異なっているかもしれないけど、本来、ドイツをやるべきことを訴えて、それなりに、市民の共感を得たわけですから。カントも本来的ことは、考えるということで、生活をワンパターンにして、ひたすら考えた。

 その成果を出すことで、皆に考えるとはどういうことなのか、求めた。本というものは、本来、そういうものを伝えるためにあるのであり、影響がなければ、本ではない。著者にとっての本かもしれないけど、他の人にとっては、本ではない。

 その意味で、「見本」というのが本なんでしょう。それを見習ってどうするのか。

未唯空間の位相化の意味

 位相化に当っては、要約を単語にします。因数分解をハッキリさせます。二文字から五文字です。それを集合関係で、上の部分はインヘリタントですべて吸収します。そこから、空間とその関係を定義していきます。上に行くほど、単語を少なくするのもポイントだけど、まだ、慣れていないので、とりあえず、和集合で対応させます。

パートナーのオープンな発想

 朝一番で、パートナーの教育資料に対する、考え方を聞きました。よく、考えられています。まだまだ、考えを表現できていません。しっかり、聞くことに徹します。考えていることを求める、シナリオにしていくこと。

 周りの連中が、自己完結になっているところに、自分のミッションに従って、オープンな思考を分かってもらうかの境目です。
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