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笑顔の価値

『微笑みのたくらみ』より

質の高いサービスの提供は、民間企業においても、公的機関においても、明快な掛け声になっている。サービス部門は今やアメリカの最も大きな産業であり、労働省の予測では、少なくともあと一〇年は最も成長する産業であり続けることが示されている。ヨーロッパも同様に、サービス部門が拡大している。サービス関係の業種はさまざまで、たとえば、ファーストフードの店員、保険取次業者、ファイナンシャル・プランナー、銀行の窓口係、ヘルスーケアの職員、ウェイトレス、バーテンダー、第一線のホテル従業員、航空会社のスタッフ、受付係、個人専用秘書、代理人、ブローカー、顧客サービス代表、テクニカルサポート担当者、旅行添乗員などがある。

しかし、意図と行動との間にはギャップがあるようだ。二〇〇二年に、『タイム』誌は、一〇人のうち八人のアメリカ人が、セールスやサービス提供者による接客は不愉快なものが普通になっていると考えており、ほとんど半数近くの回答者が、雑で無愛想なサービスが原因で店を出たことがあるとレポートしている。実際に、悪いサービスは、顧客が店を変える主要な理由として挙げられていび。

ところで、笑顔を伴うサービスを提供しようとしている企業は、顧客がうれしいと思ったときに価値が付加されると考えている。しかし、そこに摩擦が生じる。笑顔がありさえすれば、つまり、従業員が常に笑顔で対応するように命令され、そうしていさえすれば価値は付加されるのだろうか。また、戦略的な笑顔はビジネスにはよいかもしれないが、労働者にとってはよいものなのだろうか。

ワシントンDCのジョージワシントン大学病院の新しいCEOであるフィリップーシャウエンゴールドは、病院を巡回したあとで、今後は必ず笑顔でサービスを提供するようにと発表した。一七〇〇人の病院の従業員全員が、お客様の立場を考えるための手順で訓練された。そして訓練の最後に、従業員は、笑顔であいさつするという条項を含む、洗練されたサービスを維持することに同意する誓約書へのサインを求められた。そうしなければ解雇されるのであった。また、中国では、笑顔を見せないという理由で逮捕されることさえあり、二〇〇八年の北京オリンピックの際に小売店主が逮捕された。

従業員の肯定的な表情は、実際に、セールスの最終的な成果に影響するのだろうか。非常に多くの人々が接客業にかかわっているので、これは些細な問題ではない。アメリカには、およそ三〇〇万人のウェイター、ウェイトレス、カウンター係、そしてバーテンダーがいて、客からのチップに依存している。チップは彼らの収入の八〇%にものぼり、笑顔を見せれば彼らの収入も上がるのである。

チップとは、レストランで食事をする客とサービスを提供する給仕係の間の、非公式の取引契約における、客の側の約束事である。客の側に立つと、よいウェイターやウエイトレスというのは食べ物や飲み物以上のもの、すなわち、ホスピタリティを提供してくれる。たとえば、メニューの選択をほめると客はよい気分になり、より大きなチップにつながる。彼らは笑顔が人々の気分をよくさせることを知っているので、そうするのである。たしかに、笑顔の大きさは、チップの大きさに影響を与えるようだ。ある実験では、研究者は、ウェイトレスを訓練して、ほかのことは同じようにこなしつつ、大小の笑顔を示すことができるようにさせた。このウェイトレスの協力で実験してみると、大きな笑顔で対応された客はチップをはずみ、小さな笑顔で対応された客は少額のチップを置いていったのである。

出勤の途中でカプチーノを買っていくというのは、多くの人たちにとって、歯を磨くのと同じように、朝のきまりごとの一部であろう。エスプレッソ・バーでも、大きな笑顔が大きな違いを生み出していることを示す研究がある。バリスタが、歯が見えるような大きな笑顔をすると、小さな社会的微笑の場合と比較して、顧客の満足度が有意に高かったのであび。さらに、研究者は、バリスタが大きな笑顔を見せると、客をより多く微笑ませることになり、このことが客の満足度を高めていることを示している。ここで重要なことは、大きな笑顔が完令に意図的なものであるということだが、それにもかかわらず、その表情は相手に伝わるのである。

商売では販売のために笑顔を交換している。商売をする側は、客に「よい」という認識を与えることで、客がより多く買ったり、より頻繁に来店してくれたりすることを期待している。社会科学者らは、この取り引きが、靴の販売から貯金まで、あらゆるものの販売で機能しているかどうかを調べている。たとえば、ある靴屋では、店員が客に対してどれくらい微笑んだかと、受け取られた笑顔がより多くの靴の販売につながったかどうかを観察し、記録しか。分析の結果、笑顔は靴の売り上げとは直接には関係しなかったが、客が再来店する可能性の高さや、客が友人に店を勧める可能性の高さとは関係していた。また、ホテルの受付では笑顔はある点までは機能する。すなわち、もしチェックインがスムーズに進むと、受付係の真の笑顔はより高い顧客の満足度につながるが、チェックインの手続きが遅いと、受付の肯定的な表情はほとんど役に立たず、客にやる気がないと評価されてしまうのである。

最後の例になるが、アメリカ南部地域のある主要銀行の三九支店において、窓口係と客とのやりとりが体系的に観察され心。今日では一般的になっている方法に従って、研究者は、窓口係が客に対して何回微笑んだのかを観察した。そして、客が銀行から帰るときに、銀行でのやりとりについて質問した。今となっては驚くことではないが、窓口係が客に微笑めば微笑むほど、客は彼らが受けたサービスの質をより肯定的に評価していたのである。
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知の都市 アッシュールバニパル王立図書館

『都市の誕生』より

今日、博物館、図書館、美術館は世界のどの都市にもある。だが、その起源となったものは古代都市の砂にまみれた遺跡のなかに埋もれている。たとえばワシントンDCには蔵書数二一○○万点以上という世界最大のリサーチセンター、アメリカ議会図書館がある。そういう大図書館の先駆的な存在だったのがアッシュールバニパル王立図書館である。アッシュールバニパルは紀元前六六八年から前六二七年までアッシリアを統治した王で、現在のイラクのモスルに近いティグリス川流域の都市エネヅエに図書館を建設した。このとき初めて、人類の知識の集積がひとつの建物に収められた。その後、アッシュールバニパル王の名前が忘れられてからも、この図書館の概念はずっと廃れることがなかった。

アッシュールバニパル王の図書館が大量に収蔵する粘土板や、蝋を塗った筆・記川の板には、メソポタミアのありとあらゆる文献が記されていた。襖形文字で記された『ギルガメシュ叙事詩』のような文学もあれば、占星学および天文学の論文や、預言書、祭儀書もあった。すぐれた知識の宝庫だったこの図書館は、残念ながら長くは存続せず、アッシュールバニパル王の死後に焼失してしまった。その残骸は十九世紀になってから見つかっている。今日までに約三万点にのぼる粘土板の断片が掘りだされ、目録の作成と翻訳が進められている。その作業にあたっているのは、それにふさわしいアッシュールバニパル王立図書館の末裔、大英博物館である。

古代の博物館および図書館でもっとも有名だったものは、エジプトの地中海に臨む都市、アレクサンドリアにあった。ナイル川河口の西岸に位置するアレクサンドリアは、巨大な国際都市としてもっとも古く、さまざまな文化と民族が入りまじった真の「るつぽ」だった。この都市の基礎は紀元前三三一年にアレクサンドロス大王が築いた。大王が初めて訪れたとき、その沿岸部には小さい漁村くらいしかなかった。残念ながら大王は、自ら構想した石造りの都を完成させる前に世を去った。砂漠のなかの都アレクサンドリアは、前三二三年にアレクサンドロスが没したのちエジプトの支配者となったプトレマイオス一世によって建設が引き継がれた。ロードスのディノクラテスによって設計されたこの都市には、ミレトスのヒッポダモスの都市計画に基づき、格子状の構造が用いられた。紀元前一世紀半ばには人口約三〇万人の港湾都市として大いに栄え、その後の一〇〇〇年近くのあいだプトレマイオス朝の首都でありっづけた。

アレクサンドリアの商船団は、はるか遠いインドやアフリカの都市とも取引をしていた。この国際都市で、ユダヤ人、ギリシャ人、バビロニア人、エジプト人は数百年にわたって平和に共存していた。ギリシャとは異なって女性も財産権を有し、政治家、詩人、建築家になることも自由だった。だが、この都市が際立っていた理由、ヘレニズム世界の知と文化の中心地だった理由は、素晴らしい博物館と図書館があったことに尽きる。アテナイの政治家で哲学者だったパレロンのデメトリオスの忠告にしたがい、プトレマイオス一世は都の中心の王宮--王国の権力の中枢--を博物館、すなわち「ムーサたち〔文芸を司る女神たち〕の場所」にし、知的権威の中心とした。ここに世界の人びとが集まり、知識の真の力を学んだ。それは思考を変える力、ひいては世界を変える力であった。

プトレマイオス一世はありとあらゆる文化を背景にする文献を収集したので--ちなみに、ヘブライ語の聖書がギリシャ語に翻訳された場所はアレクサンドリアだった--宮殿を増築する必要に迫られ、その際には学者たちが逗留し、研究するための施設を付け加えることにした。こうして研究所、天文台、動物園が設けられた「知の都市」ができあがった。当時この都市に移り住んだすぐれた知識人に、数学者のエウクレイデス(紀元前三二五年~前二六五年)、解剖学の草分けであるカルケドンのヘロピロス(前三三五年~前ニハ○年)などがいた。ギリシャでは人体の解剖は許されていなかったが、アレクサンドリアではそれが許され、ヘロピロスなどは解剖の公開実験を行なっている。そういう研究を重ねた結果、ヘロピロスは、思考する場所は心臓ではなく脳であることや、静脈と動脈には空気ではなく血液が流れていることを明らかにした。また、心臓と脈とのあいだに関連があることを把握し、それを病気の診断に利用した。これらのことは、病気をもたらすのは神々であると一般に信じられていたこの時代、人体を理解するうえでの大きな進歩だった。

プトレマイオス二世の治世(紀元前三〇八年~前二四六年)には海辺の図書館の隣に博物館が併設された。白大理石のファサードが輝くこの博物館は、図書館と同じように講堂、議事堂、天文台を備え、さまざまな種類の動植物の標本を収蔵していた。図書館につながる出入り口の上部には額が掲げられ、そこに「知の療養所」と記されていた。図書館の内部には一〇室が連なる続き部屋があって、それぞれの部屋は修辞学、数学、詩歌といった分野にあてられ、壁に設けられた棚にパピルスの巻物が収められていた。もっと小さい部屋もあって、そこで学者たちは書物を読み、その内容について議論した。プトレマイオス一世が思い描いた「知の都市」はみごと実現し、「世界初の総合科学研究所」となった。

ところが、アレクサンドリア図書館はニネヴエにあった図書館と同じ運命をたどることになる。ひとつだけ異なるのは、アッシュールバニパルの粘土板のほうがパピルスの巻物よりも火に強かったことだ。紀元前四八年、ユリウス・カエサルがアレクサンドリア港でクレオパトラの艦隊を焼き払ったとき、その炎が専吻棺に燃えうつった。ローマの歴史家のリウィウスによれば、当時この図書館および博物館には四〇万巻の文献が収められていたという(だが、これは誇張された数字であると考えられている)。何巻が燃え残ったかはわからないが、無事だった文献があったとしても、ほとんどは後日にキリスト教徒の支配者によって破壊されたと考えられる。キリスト教以前の知識は異端と見なされ、忌み嫌われたのだ。
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中央集権から地域主体にするには

クルマの未来

 クルマを未来は「自動運転」としています。あまりにも、想像力がない。そんなものは現在でも、出来上がっている。タクシーという名前での自動運転です。

 たまにしか運転しないのに、クルマを所有していることがなくなる方がはるかに分かり易い未来です。クルマの社会的費用は膨大です。移動することためのコストに、クルマを所有するコストとリスクを組み込めば、夢は変わってくるはずです。

 オランダなどの交通体系の方が現実的です。

中央集権から地域主体にするには

 ヨーロッパは、地方自治選挙によって、国民国家の内政の機能を自治体に移譲するとともに、維持可能なプログラムを進めている。

 日本で行う時に、地方自治体を市民は信用していない。もっと、広範な市民コミュニティに参画して、皆で優先順位を決めていけば、生活者が対応できる社会になる。

 明治維新も中央集権化することで、広範な人間に集約することで、一気に変わってきた。地方(藩)でクローズしていた才能を集約させた。東北なら、会津藩から、負のエネルギーが明治政府に集約させた。

 『日本の再生可能エネルギー』自然エネルギーとなれば、芭蕉が限られます。地域のエネルギーは地域の特性で作り上げるしかない。

 道州制で地方分権を本当にさせようとすると、地方自治への信頼性を上げないといけない。身近なところに権力を感じないだけでなう、どうしてもバカにする傾向にある。市民の存在の力を使って、コミュニティを地方自治はバックアップするカタチが望ましい。

 答えは、Think Globally, Act Locallyからつなげていくことです。中央で考えて、実際に行うのは地方です。実際は、逆に動きます。地方で行うことを政府が支援するカタチを取ります。

 中央に全ての権限を集めても、本来のフクシマの力は出ないです。原子力と自衛隊は政府がキッチリと抑えます。会津藩はあれほど、頑張れたのは、長年にわたって、藩の中で人と財産を築いてきたからです。

 中央集権にすることで、力を集めたのはいいけど、それを分配できなかった。元々、分配する能力は考えられなかった。国債を発行して、リニア新幹線と空港を作る力は地方はない。全体効率で国がやればいいことです。

 自分の町をどう生かすのかを地方で考えます。リニア新幹線ではなく、なるべく、人の異動を減らすことです。その決定権を地方が持ちます。要するに、仮想空間を作ればいい。クライシスの時に、Thinkを中央に集めてしまう。

 地方は地方で、やることをやります。フクシマはフライブルグを視察して、自分たちの復興イメージを作ったみたいです。環境社会までやり抜きます。地方なら、様々な実験ができます。

 デフレ不況、世界大恐慌、原発・エネルギー問題、領土などの軍事的安全保障、そして、大震災、これらの危機は、国家的次元で解決する。

 それ以前の問題、生活者レベルでの循環ができていない。国債も含めて、ハイパーインフレで、解決させようとする力への抵抗、当たり前の抵抗は地方の発想でしか、解決できない。

 国家の力量がこういうもので弱体化するのであれば、弱体化する方がいい。結局、個人のところには、回ってきません。より多くのエネルギーを使っていくための手段はバーチャルに作ればいい。

 西洋列強からの侵略に対応すべく、藩をなくして、徹底的な中央集権を図った。それを評価しているみたいです。その結果は、国民国家として、海外への侵略です。それが敗れ去った後には、310万人の犠牲以外はにないも出来ていない。国家というよりも、国民から離れた存在になっている。

 地方自治体そのものを地域コミュニティの後ろにしないといけない。これがややこしい。

どこでも、読書体制

 いつでも、キンドル・ペーパーを使えるようにするために、肩にかけるバックを無印で買ってきた。10月には4台目のキンドルが入ってきます。すべてを使える体制にします。

 ポケットにスッポリと収まった。胸のところに、ペーパーが来ます。

未唯空間からの発信

 未唯空間から正式に発信しましょう。そのために、未唯空間から考えることです。

イメージする力

 集中力と瞑想力。集中力とは、思考する力。瞑想力とは考えない力。集中すればするほど、得ることができ、瞑想すればするほど、与えることができます。

 瞑想は、イメージと見ればいいでしょう。それが見えてくれば、与えることができます。

 愛は見つめることで生まれる。見つめるとは、感じることです。見つめることで、相手の魅力や素晴らしさ、自分に欠けているもの、求めているもの、出会いを遠ざけていた、多くのことにあなたは気づく。
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