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スタバのようなクルマ

未唯へ

 ケータイで、話したものが文章になる。

 三日間で、キーワード抽出をしようとしたが、忘れてきたので、止めます。

パートナーの苦悩

 今週は何となく、パートナーを忘れることができそうです。10%を返す時かもしれない。あまりにも出来過ぎています。存在の力が感じられるのは、パートナーだけです。あとは、存在さえも見えない。

パーだけで勝てるのか

 最初に、チョキを出さないのは簡単です。相手がグーを出す可能性が高いと言っておけばいい。最初から、チョキを出す勇気はない。グーとグーであいこの時に、次にチョキを出すことはできないでしょう。

クラウドの世界

 コンテンツを支配するという、アマゾンの方が、アップルよりも先に行きます。クラウドはそういうものです。中央で管理する世界よりも、ピアtoピアで拡がっていく、近傍系の世界。iTuneは超国家的に存在すればいい。

スタバのようなクルマがほしい

 どんな車がお望みですか、と聞かれたときに、ないんです。スタバみたいなクルマがいい。それか、図書館みたいなクルマです。

 ナビが付いたとしても、見えないでしょうね。操作もできないし、面倒です。人工知能が付いたとしても、そうたいしてことはない。せめて、お帰りなさい、ぐらいは言ってほしい。お帰りと言ってくれる、クルマで、サードプレイスになる場所です。

 スタバのように、クルマ。そういう意味では、サード・プレイス。スタバは読書空間になります。ついでの飲み物とバリスタが欲しい。

 どっち道、歩き回る。動いている。スクリーンもある。最初のカローラはデートの場だった。それがコンセプトだった。

新しい自己中心

 7つの習慣を読んでも、そこにある、中心はどこにも当てはまらない。あえて、当てはめると、自己中心です。だけど、世の中の自己中とは異なります。私の中心が移ってしまった感じです。

 クルマに対しても同じです。クルマよりも、全てを知りたい。
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ジブラルタル紛争

『ニュースがわかる!「世界紛争地図」の読み方』より

◆ヨーロッパに残る最後のイギリス植民地

 ジブラルタルはヨーロッパの西の果て、イベリア半島の先端部分に位置する。地図を見れば、誰しもスペイン領だと思うだろうが、それは違う。イペリア半島にあっても、ジブラルタルはイギリス領、ヨーロッパに残る最後のイギリス植民地なのである。

 古来、ジブラルタルはヨーロッパとアフリカを結ぶ港として、また大西洋と地中海を結ぶ海上交通の要衝として栄えてきた。

 大航海時代はスペインの軍事拠点だったが、一八世紀初頭のスペイン継承戦争でイギリスに占領され、一七一三年のユトレヒト条約でイギリス領となった。一八六九年にはスエズ運河が開通したことでアジアヘの入り口となり、ますます栄えた。イギリスの国力が低下すると、スペインはあらゆる手段を駆使してジブラルタルの奪還を試みたが、ジブラルタルは軍事拠点として非常に優れており、スベインの奪還計画はすべて失敗に終わった。

◆ジブラルタル自治政府の登場でますます解決困難に

 それでもスペインは諦めず、二〇世紀後半、国際世論にジブラルタルの奪還を訴えた。しかし、イギリスがT几六七年にジブラルタルの住民に帰属の意思を問う住民投票を実施したところ、九割以上がイギリスヘの帰属を望んだ。政治経済とも不安定なスベインより、基地で潤うイギリス領のままでいたい、というわけである。

 これに憤慨したスペインは強行策に打って出る。ジブラルタルの国境を封鎖したのだ。国境封鎖は一〇年以上続いた。一九八二年に二国間交渉が行なわれ、二〇〇二年には両国共同統治の合意に達したが、ジブラルタル住民が猛反発して否決となった。

 その後、情勢は混迷の度を深めていく。スペインとイギリスだけでなく、ジブラルタル住民とジブラルタル総督からなるジブラルタル自治政府が交渉に加わったからだ。ジブラルタル自治政府の望みは独立国並みの自治権獲得。しかし、スベインの現政権もジブラルタル奪還の意向を強めており、混沌とした情勢になりつつある。
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シリア内戦

『ニュースがわかる!「世界紛争地図」の読み方』より

◆父子で四〇年以上独裁を続けるアサド一族

 二〇一〇年末から一一年にかけて、中東・北アフリカで起こった「アラブの春」はさまざまな国へと飛び火したが、その一連の民主化運動によって最も悲惨な状況に陥ったのがシリアである。

 シリアでは一九七〇年にハーフェズ・アサドが大統領に就任して以来、バアス党を中心とする政権が三〇年にわたって国政を牛耳り、二〇〇〇年にハーフェズが死去すると、今度は次男のバッシャールが後継者となって独裁を続けた。

 アサドー族は、イスラム教シーア派の分派アラウィ派の出身。国民の七割はイスラム教スンニ派で、アラウィ派は一割程度だが、一族の結束でシリアを支配してきた。

 こうした独裁体制にシリア国民の多くは不満を溜め込んでおり、周辺国で民主化運動が起こると、二〇一一年三月半ばから南部のダルアーなどで反政府運動を開始した。

 当初は暴力的な運動ではなかった。しかし、アサド大統領が戦車や戦闘機で容赦ない攻撃を加える戦略をとったため、デモ隊は武装組織に変貌。両者の対立は二〇一二年に入り、内戦へとエスカレートしていったのである。

◆日本人ジャーナリストも犠牲になった市街戦

 やがて内戦はシリア全土に拡大する。同年五月には首都ダマスカスで四〇〇人以上の死傷者を出す爆破テロが発生した。国際社会の仲介で何度か停戦が発効したものの、まったく守られず戦闘は次第に激化。同年八月には日本人ジャーナリスト山本美香さんが、取材中に銃撃を受けて死亡するという事件も起きている。

 内戦がこれほど激化したのは、反政府勢力側にも要因がある。反アサドを掲げる勢力は、在外シリア人中心の「シリア国民評議会」、政府軍から離脱した軍人による「自由シリア軍」、アルカイダ系のイスラム過激派「ヌスラ戦線」などたくさんあり、一枚岩になりきれなかったのだ。二〇一二年十一月、各派は国内外の反政府勢力を一つに束ね、シリア国民連合を設立して動きだしたが、時すでに遅しの感が否めない。

◆シーア派とスンニ派の代理戦争の様相を呈す

 シリア内戦による犠牲者は死者一〇万人以上、行方不明者一〇万人、さらに一〇〇万人を超える難民が周辺国へ逃れたと推計されている。もはやシリアは泥沼状態だ。

 そして最近、この内戦はシーア派とスンニ派の国際的な代理戦争の様相を呈している。アラウィ派のアサド政権を、シーア派大国であるイランが支援し、革命防衛隊と称する部隊がシリアに入って参戦。シーア派の多いイラク、レバノンのシーア派民兵組織「ヒズボラ」もアサド政権を支持している。さらにシリアに海軍基地があり、長くシリアを支援してきたロシアも武器や資金を送り込んでいる。

 一方、シリアの多数派であるスンニ派には、同じスンニ派のサウジアラビアやカタールが武器や資金を支援している。アメリカも反政府勢力に(イテク兵器を流しているといわれる。このように、シリア内戦はじつに複雑な構図になっているのだ。

 欧米諸国は、表向きは静観の姿勢を保っている。これだけ被害が拡大していれば人道的な介入をしても不思議ではないが、アサド政権が崩壊した場合、今度はシリアで反イスラエルの気運が盛り上がるのではないかと危惧しており、あからさまな軍事介入はできない。シリア内戦の出口はまったく見えなくなってしまったのである。
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