盆のころ、近所でいただいたホオズキ、花差しでひと夏を過ごした。提灯のように膨らんでいた姿が彼岸のころから痩せはじめた。そろそろ終わりのころかと、膨らんだ葉を開くと透き通るような艶の生きとした赤い実が出てきた。この実の中身をつま楊枝で丁寧に丁寧に皮が破れないように掻き出す。これは結構なスキルが求められた。皮だけになったものを膨らまし、口で空気を押し出し鳴らして遊んだのは大昔のこと。いい音ではなかったように思う。本当は女の子の遊び。
ホオズキの名前の由来は知らないが、子どもが頬を膨らませて鳴らして遊んだ様子を思えばその由来としてもおかしくない。こんな由来も紹介されている。ホウ虫(広くはカメムシと呼ぶ人が多い)がつきやすかったことからホウズキになった。漢字で表すと鬼灯や酸漿と難しい字になる。鬼の字の付いたいきさつは知らないが、大型になればそうかなと思わせる。
ホオズキは古事記に載っているというから神話の時代から日本にあったのだろう。一日詣でると四万六千日の功徳があるという浅草観音、ここでのホウズキ市の賑わいは映像で知っている。ホウズキにはどんな功徳がひそんでいるのだろう。
今年も残り3カ月。こうした文章や話し方は充実していない日々を過ごしたからだ、という人がいる。どう思われてもいいが、口出しするなら、自分の充実した姿を教えて欲しい。何をするにも、体調を考え整えながらの年に近づいている。身内や知人の入院などが発生するといちだんとその感を強くする。完熟したホウズキの姿を見ながらそう思う。