
わしらの時代は、都会へ出て親に心配かけず勤めおえたら生まれた故郷に帰り自然の美しい景色の中でのんびり暮らすことは普通の話だった。
その故郷はいつの間にか住む人が年ごとに少なくなり、山は獣道まで失い、田畑には何種類もの雑草雑木が隙間無く我が物顔に茂り、そこに入ることを拒まれるようで、昔と立場が逆転した。
住んでいるのは高齢者だけ。どうにか守ってきた集落の行事、思いはあっても続けられなくなった。こんなところへ子どもらに「帰って来い、帰って欲しい」とはとうてい言えない。
山も畑も伝統の行事も残して伝えていけなくなり、ひとつの集落の長い長い歴史が終わるのでしょうかのう。ある会場で前席の人の会話が聞こえた。周囲を気づかい小声での会話だけにその中味の深刻さが増す。
「老後は故郷に引きこもって花鳥風月をめでて、のんびり暮らしたい」、そんな贅沢で優雅な願いで無くても、育ててくれた故郷に帰りたい、住んで見たい、そんな故郷再生策はないものだろうか。
(写真:梢からは集落がどんな姿に見えるのだろう)
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