子どものころ石垣は珍しいものではなかったがそこに違いはあった。金持ちの家のそれは四角い石が隙間なく築かれ、遊びの対象にならなかった。形ちも色も大きさも思いのままの石を集めて積み上げた石垣は面白かった。
遊びの山野には高低いろんな石垣があった。それを飛び降りたり登ったりした。背丈くらいの高さがあると石垣登りをした。石と石の間には隙間がある。摑まるところ、足を掛けるところを探しながら登る。いまでいう山岳競技のクライミングに似ているかも知れない。
そこは蛇やトカケの棲みかでもあった。尻尾を切られたトカケはすぐに逃げ込む。蛇の頭は見えるが出ては来ない。棒切れで突くと奥へ引っ込む。ただそれだけの遊びが面白かった。
小川の岸も石垣。川ウナギもなまずも大小かまわず石の間に潜んでいた。近づくと川底の土を巻き上げて身を隠す。体の割りに逃げ足は速かった。そこにはふなもメダカもごりもいた。今は道路の下になり偲ぶものもない。
「石垣作り」とは、南に面した斜面などに築いた石垣の石の間に作物を植え、石の蓄えた太陽熱により促成栽培する方法をいう、とある。これはイチゴ栽培によくもちいられるそうだ。静岡県の美味しいイチゴの栽培を紹介する番組で見た。石垣の傾斜度は太陽エネルギーを最も良く受けるよう工夫している、と農家の人の話を記憶している。
政権が変わりコンクリートから人へ変わろうとしている。昔ながらの川岸や護岸のよさがもう1度お目見えするのだろうか。
(写真:苔むした石の奥には何がいるだろうか)
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