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巌流はだれ?

2013年07月19日 | しっちょる岩国
            

佐々木小次郎、およそ400年前、巌流島において宮本武蔵と決闘(写真はネットより拝借)し敗れた剣豪。その一瞬の勝負の様は吉川英治作「宮本武蔵」を読んで知っているだけ。物語で佐々木小次郎は、周防岩国の生まれで、錦帯橋畔でツバメ返しをあみだした、となっている。

 その巌流島での決闘、剣聖と呼ばれ二刀流の達人と呼ばれた宮本武蔵は、遅刻して相手をいらだたせ、勝ちを収めた、となっている。そしてこれが武蔵最後の決闘でもあった。勿論、小次郎は再び剣を握ることはできなかった。

 先日、朝日新聞デジタル版に「遅刻しなかった?武蔵」 という興味あるタイトルが載っていた。それによると、「武蔵の死後9年目に、養子の宮本伊織が建立した顕彰碑(小倉碑文)には『両雄同時に相会し』とあって、武蔵が遅刻したのではないらしい」とある。また、武蔵は舟のの櫂を木刀に仕上げたといううが、晩年に武蔵が作ったという4尺余りの木刀が熊本の旧家老宅に伝わるという。櫂ではなかったようだ。「新史料に基づき、生年や生地についても見直しが進む」と今後に興味の残る記述になっていた。

 さらに顕彰碑には武蔵の相手は「岩流(巌流)」とだけあり、その姓名は書かれていないという。はてさて、錦帯橋畔でツバメ返しをあみだし、武蔵と決闘したという武芸者と顕彰碑の巌流は同一人物なのか別人なのか、本当はいったい誰なのか、事実は小説よりも奇なりという。解明を待ちたいが、錦帯橋畔の住民としてはとしてはやはりここ岩国生まれの「佐々木小次郎」であった欲しい。
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