錦帯橋畔や吉香公園の桜が一気に咲き始めみごろとなった。地元TV局が錦帯橋傍のホテルに設置したカメラが朝夕錦帯橋畔を映し出す。カメラアングルも良く、地上の花見では見れない俯瞰風景を楽しんでいる。そんな錦帯橋畔から数分のところに、静かな木立に囲まれた「吉香茶室」がある。1892(明治25)年に旧藩主吉川家が本宅を建築した際に設けられた離れ。1951年に岩国市に寄付され市民の茶室として利用されている。
この茶室が耐震化などで補修されるという。日ごろは雨戸が閉まっており茶心もないので室内を未だ見たことはない。そんな茶室の庭には歴史に名を打つものがある。それは「キリシタン灯籠」と「誰が袖(たがそで)の手水鉢」の二つ。茂みに囲まれひと目見では分かりにくいが、庭に入ると右に灯籠、左に手水鉢が見られる。
灯籠は旧吉川家茶室近くに立てられていた。茶の湯ではこの様な形式の灯籠を織部灯籠と呼びキリシタン灯籠の一種と言われる。灯籠の下部には仏像が彫られている。隠れキリシタンが密かに礼拝の対象にしていたと言われている。市内には松巌院、普済寺山などにみられ、個人の家など何カ所かにあると記されている。吉川家と隠れキリシタンの謎があるのだろうか。
手水鉢は小堀遠州の作といわれ、形が着物の袖に似ていることから「誰が袖の手水鉢」と呼ばれる。吉川藩12代藩主・経幹に姉の夫が贈ったものであるが、後に毛利家と仲直りの際、毛利慶親に贈った。現在、吉川家墓所にあるのはその写しを置いている。それと同形の手水鉢が何故か茶室の庭にある。そのいきさつは目にしていない。茶室に待まつわる二つの不思議なお話でした。
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