日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

岩国駅 その3

2017年12月17日 | 回想

 大きな駅は町を分断する、故意ではないだろうがそういわれる。最近、南北を結ぶ自由通路か近代的になったことで広島駅がこの難題を大きく改善し話題になった。岩国駅もそうなった。行き来できる地下道や線路上に掛かる跨橋(こせんきょう)はあったが暗く不便だったりした。橋上駅となり長さ110㍍ほどの自由通路が完成した。眺めも良く明るい、地元の人はもとより通勤通学の人にも喜ばれるだろう。

 新幹線が開通するまで東京出張には夜行寝台特急「あさかぜ」を多く利用した。昼は通常通り勤務、夕食を済ませ夜9時ころ岩国駅から乗車し座席兼用のベッドで寝る。浜松あたりでベッドから出て食堂車で朝食。仕事を済ませると下りの「あさかぜ」に乗ると翌朝7時ころ岩国駅に着く。一旦帰宅して出社する。こんな繰り返しの出張だった。新幹線が開通すると東京出張は日帰りに変わる。あさかぜ引退の時にはさみしい気持ちがした。

 会社の規模拡大で関東地区に新工場建設が計画された。建設が始まると連日のように新工場へ転勤する同僚や知人、役職の人らも含め見送った。その多くは「あさかぜ」を利用した。時には墨痕鮮やかに「武運長久を祈る」と模造紙に記した見送りもあった。当初は単身赴任も多くしばしの別れだが、動き出したあさかぜを追っかけた男の子の姿を今も記憶している。

 新幹線が通り、最近は岩国ー羽田間を民間機が飛び、広島市中心部への直行バスもあり、私が心配することではないが岩国駅の利用者はどう推移しているのだろう。駅は地域の顔、地域の玄関というが陸の玄関として橋上駅は発展して欲しい。
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