朝食のとき「お父さんの年を20年超えたんですね」と妻が話す。父とは誕生月日が同じでその日が今日、私は76歳になる。父が56歳の現役で亡くなって今年は50年、昨年50回忌の法要を済ませた。1964年東京五輪の年に新築したが、わずか2年あまりの居住しかかなわなかった父。急逝だったのでいろいろ心残りはあっただろうが、病院のベットで「お母さんを頼む」という最期のひと言はしっかり受け止め、尽くしてきたと思う。
父の亡き後、結婚、子どもの誕生、弟妹の結婚で親代わり、母を看病しそして看取り、弟に姉妹、叔父叔母らの親元としてのつとめなど等、妻と一緒に努めた20年間は苦労もあったが今は思い出になっている。そのころ見かけの齢を随分多く言われ「苦労していますから」と半分本音で紛らわしたこともあった。
息子の大学入学以降は夫婦二人暮らし。卒業し就職後は関東・関西地区勤務は結婚後も続き、孫はすっかり京都の人らしくなっている。息子家族を見ていると、時代や社会の変化に地方に住む高齢者の一人としては、ややもすると置いて行かれそうになる。いや、遅れていることは折々に認識するが、元気に過ごすことを子どもは喜ぶと思い気負うことなく日々を過ごしている。
幸い適度な外出や同好会など閉じこもることもなく、この5年間大きな患いもなく過ごした。今は、孫が来春の大学入試準備で頑張っている。その成果が出て桜の下で笑えることを願っている。ブログを書き、短いエッセイなどを投稿しその掲載を待つ、思えば贅沢な日々かもしれないと感謝する。さて、今日の投稿は載るだろうか。