創世記 41章1−24節
週末、懐かしい方々との再会が続きました。時間の進みが速いように思える経験を……。美味しいものもたくさんいただきました。そして、親しい人との会話はご馳走なのですね。
この箇所は「それから二年後」ということばに始まります。何が起こってから二年後なのかは、すぐ前に何が起こったかで確かめることができます。牢の中でヨセフは、ファラオのそばにいる献酌官長と料理官長の夢を解き明かしたところ、そのとおりのことが起こり、献酌官長は再びファラオの側近として仕えることができました。
その際、献酌官長はヨセフから、「あなたが幸せになったときには、私を思い出してください」とのことばを聞いていたのですが、ヨセフのことをすっかり忘れてしまったのです。ですから、二年後とは献酌官長がヨセフのことを思い出すまでの期間なのです。
この二年間は、ヨセフにとって大切な訓練の時でした。と、このように書くのは簡単なのですが、さて自分はそんなふうに存在を忘れられてしまったら、2年間待つことができるのだろうかと考えるのです。もしかしたらふてくされてしまうか、または希望を捨ててしまうかもしれません。
土曜日に美味しいうどんをいただきました。お店の方に水のお替わりをお願いしたのですが、忙しいので忘れられてしまいました。そんな時、自分には忍耐が欠けているとつくづく思うのです。
ヨセフがファラオの前に連れて来られた時に、ファラオの求めに即座に答えることができたのは、ヨセフはまち続けることができたからではないでしょうか。ここでヨセフは、神からの良き訓練を受けています。