箴言 16章1―15節
きょうから12月。「みことばの光」の表紙もいわゆるクリスマスカラー。デザイナーさんからいただいた時、「おおっ!」と思わず言ったことを覚えています。いつもはおすましして直立したり、よりかかったりしている「彼ら」が今月号では互いによりかかっています。一緒に救い主のお出でを喜んでいるようにも見えてきませんか。
この箇所の後半には王についての格言が並びます。ここに明らかにされているのは、自分を国の上に立ててくださった神の心を自分の心とし、行おうと努める王の姿です。現代ならばそれは、大統領、首相にも適用できます。果たしてどれだけの「王たち」がここにあるような姿勢を持っているだろうかと考えてしまいます。
国のために、民のために、正しく務めを貫くのは、簡単なことではありません。何よりも権力者としての欲望のようなものが立ちはだかると思います。その中で、10節の「王の唇には神々しさがある。さばくときに、その口は神の信頼を裏切らない」とあります。王が神々しいのではない、神を恐れるからこそ王のことばには力や慰めがあるのだと、ここを読んで考えました。良い時のソロモン王はこのようであったのかもしれないと、想像しています。
「ソロモンの箴言」で一貫しているのは、語ることばの大切さです。「神々しい唇」「正しい唇」、それは主を畏れることから出てくるのだと、改めて教えられます。