みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

知恵と創造

2023年11月20日 | 創世記

箴言 8章22−36節

 私のIPadの画面の壁紙を、自分で撮った自然の写真に替えました。「美しい! だれが撮ったのだろう?」と疑うほどの出来栄え。オリジナルの写真を見栄えが良くなるように補正しているようです。それにしてもきれいな風景です。

 8章後半は、神の創造における知恵の役割を歌っています。まず、神はご自分の働きの最初に知恵を得ておられたのだということばに目が留まります。よく考えるとうなずけます。もしも知恵が神による創造によるものならば、創造される前の神には知恵はなかったということになります。知恵は神によって創造されたものではなくて、神ご自身がもともと持っておられたもの、得ておられたものだということをここから考えることができます。

  このことばは、「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方」という、コロサイ人への手紙1章15節のことばと重なります。

 30節での「わたし」(知恵)の働きにも目が留まります。「わたしは絶えず神の傍らに」いて、天地創造の働きに従事していたと、ここから読むことができます。今日の「みことばの光」が書くように、このことばは新約聖書コロサイ人への手紙1章16−17節を思わせます。

 「天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。」

 神の知恵が創造のみわざに携わっていた、だからわたしの呼びかけに人は答えなければならないのだと、知恵は訴えます。この章後半の知恵の呼びかけと約束は、神のことばとしてお出でになったお方の呼びかけと約束に通じます。だからこそ、だれに聞くのかが大切なのです。いい加減なことをもっともらしく語るこの世のさまざまな声に呑み込まれてしまわないようにと、ここから教えられてます。


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