箴言 28章
久しぶりに行ったスーパーの精肉売り場で、「お試し」として美味しいクリームチーズをいただきました。ショーケースの前で食べたそうな表情をしていたのかもしれません。
箴言28章は、再び2行一まとまりの格言が連なります。ここには「貧しい」ということばが繰り返し出てきます。3節には「弱い者を虐げる貧しい者」、6節には「貧しくて、誠実に歩む者」とあります。どちらも貧しさという境遇の中に置かれています。しかしさらに弱い者を虐げる者もいれば、誠実に歩む者者もいるのです。
8節にも目が留まります。よくに目がくらみ高い利息を取って一時は金を儲けることができたとしても、やがてそのお金は貧しい人に恵むためのものとなるというのです。モーセの律法では、イスラエルは同胞から利息を取ることを禁じていました。
富はその人を賢そうに装わせてはくれるのですが、分別のある貧しい者がその人を「調べる」と11節にあります。持っているからといって自分が立派な者であると勘違いしないようにということでしょう。また、分別があるからといってその人が必ず豊かになるとは限らないということにも気づかせてくれることばです。
ここを読んで、パウロがピリピの教会に書いていることばを思いました。 「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。 私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」ピリピ人への手紙4章11−12節
持っているか持っていないかというのではないということ……。