みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

だれが外套をはぎ取るか

2011年11月30日 | ヨブ記
ヨブ記41章13-34節


 外套というと、オーバーコートやマントを連想し、重いという印象があります。
 でも、この頃の外套は、いまはアウターとか言うのでしょうか、ほんとうに軽そうですね。100グラム台という軽さを売りにしているものもあります。

 13-34節は、レビヤタンについての描写が続きます。
 「さあ、かかってこい」というばかりの姿形、形相です。もし、こんなものが目の前に現われたら、逃げることもできずに、腰を抜かしてしまうかも知れません。

 「みことばの光」の筆者が「レビヤタンにサタンの自我を見いだした」と書くように、ここにはただ1人を除いてだれも制御することのできない、やっかいな相手がいます。「だれも自分を倒せない」と豪語するサタンを、「わたしは抑えることができる」と、主はヨブに伝えようとしておられるのです。

 そうであれば、自我を砕いて人の心を変えることが主にはおできになると「みことばの光」にあるのは、もっともなことなのです。やっかいな相手が自分の外にいると、あの人をこの人を敵に回しながら、実はやっかいな相手は自分の内側であることに、案外気づかないものです。
 
 だれが、自我という外套をはぎ取るのでしょうか。
 自我との戦いに苦しみながらも、名陶の手にわが身をゆだねる粘土のように、主にゆだね祈るという道を持っているキリスト者の幸せを改めて思います。
 初めからキリストのかたちができているのではありません。

*昨日の記事をアップしないままにしておいたことを発見。本日2日分をアップしました。





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