みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

その方は主だ

2024年06月19日 | サムエル記第一

サムエル記第一 3章

 火曜日は念願のドイツ鉄道交通博物館を見学しました。歴史を辿(たど)り、鉄道の功罪を考える貴重な時間でした。一列車に5000人を詰め込んで強制収容所に運んだのも、鉄道が果たしたことだったのです。

 3章は子どもたちへの話などでよく取り上げられるのですが、内容は深刻です。

 1節に「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」とあります。サムエルが産まれた頃は、イスラエルの暗黒時代だと言われています。約束の地カナンに定住をしたにもかかわらず、イスラエルの民は次々と周辺諸民族の侵入という苦難の時を通されます。しかし、神の民にとっての本当の闇とは、1節に書かれていることなのです。

 そのような中で神が個人的にことばを与えられたのは「少年サムエル」でした。それは、それほどこの民には神のことばを託される者がいなかったとともに、ようやく小さな明かり灯(とも)るという希望を覚えさせます。

 しかし、サムエルが神によって託されたことばの中身はあまりにも深刻。自分の師である祭司エリを神がさばかれるというのです。サムエルがエリにそのことを語るのを恐れたのはもっともです。その時エリは、「その方は主だ」、主が語られたのだからそのまま伝えるようにとサムエルを促します。

 エリはすでに自分の家を神がさばかれるというメッセージを、名前を知らない神の人から聞いていました。

 語るようにとのエリの促しは、サムエルの人生にとって大きな経験でした。彼は神が語られたことばを削ることなく、水増しすることなくまっすぐに語るという、まことの預言者のあり方を学ぶことができたのではないでしょうか。終わりに、「サムエルは成長した」という19節のことばに目を留めたいと思います。成長とは自分にとってはどのようなことなのだろうか…。


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