水村美苗の『本格小説』の上巻を読んだ。
この小説は、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』と同じように(といってずいぶん前に読んだのであまり覚えてはいないのだが)、語りが重層的になっていて、ある語り手が別の人物の話を聞き、その話の中で別の語り手の話があり、という構成になっている。
はじめに作者の水村美苗が語り、アメリカで日本人の元編集者(たぶん新潮社と思われるが)の加藤祐介に出会い、かつての知人である東太郎の話を聞かされる。加藤祐介は信州で出会った土屋冨美子から東太郎の話を聞かされたということになっている。
つまり、
水村美苗(一人称)→加藤祐介(三人称)→土屋冨美子(一人称)
の順に話が進んでいく。
いまは土屋冨美子の一人称の語りで、かつて東太郎がどれだけ貧乏だったか、そしてそのまわりにはどのようなお金持ちがいたか、という話をしている。お金持ちの話はどうしてもプルーストを思い出させる。
結局、語りをわくわくさせながら読ませるのが小説の醍醐味なのだなと思わせる。語り手をどんどん変えるが、たまねぎの皮をめくっているのと同じで最終的に何か世界の真理に近づいているというわけではなく、たまねぎの皮がめくれること自体が楽しいのだ。
女中が語り手の小説というものに興味を持って、中島京子『小さいおうち』と幸田文『流れる』を続けて読むのもおもしろいかもしれないと思っている。
この小説は、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』と同じように(といってずいぶん前に読んだのであまり覚えてはいないのだが)、語りが重層的になっていて、ある語り手が別の人物の話を聞き、その話の中で別の語り手の話があり、という構成になっている。
はじめに作者の水村美苗が語り、アメリカで日本人の元編集者(たぶん新潮社と思われるが)の加藤祐介に出会い、かつての知人である東太郎の話を聞かされる。加藤祐介は信州で出会った土屋冨美子から東太郎の話を聞かされたということになっている。
つまり、
水村美苗(一人称)→加藤祐介(三人称)→土屋冨美子(一人称)
の順に話が進んでいく。
いまは土屋冨美子の一人称の語りで、かつて東太郎がどれだけ貧乏だったか、そしてそのまわりにはどのようなお金持ちがいたか、という話をしている。お金持ちの話はどうしてもプルーストを思い出させる。
結局、語りをわくわくさせながら読ませるのが小説の醍醐味なのだなと思わせる。語り手をどんどん変えるが、たまねぎの皮をめくっているのと同じで最終的に何か世界の真理に近づいているというわけではなく、たまねぎの皮がめくれること自体が楽しいのだ。
女中が語り手の小説というものに興味を持って、中島京子『小さいおうち』と幸田文『流れる』を続けて読むのもおもしろいかもしれないと思っている。
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