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☆遠藤周作「キリストの誕生」、内田樹「邪悪なものの鎮め方」

2010年05月09日 23時31分41秒 | 文学
遠藤周作の「イエスの生涯」に続き、その続編「キリストの誕生」を読んだ。
遠藤周作は読みやすくて、良い作家だと思う。あまり評価していなかったのだが、このところ読んでみてちょっと考えが変わった。「沈黙」や「侍」などもこれを機会に読んでみようかとも思った。(たぶん読まないけど。)
イエスが十字架に架けられたときに「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と言うことは知っていて、これは「主よ、主よ、なんぞ、我を見棄て給うや」という意味で、死ぬ前に神に恨みを言って死ぬのだと思っていた。が、遠藤周作によると、これは旧約聖書からの引用で、引用元は言葉が続き、決して神に恨みをぶつけているわけではないということらしい。
あとはパウロがどういうひとか多少わかった。
「キリストの誕生」よりも「イエスの生涯」のほうがおもしろかった。
遠藤周作のキリスト教関連の本で読みたいものは読んでしまったので、次は田川建三と吉本隆明を読もうと思っている。

いま聖書に興味があるのだが、音楽にも興味がある。
NHKの坂本龍一の番組はとてもおもしろく、音楽っておもしろいんだろうなと思っている。それで音楽についての本を読もうなどと思っている。
吉田秀和の代表作は何なのだろうかと調べたりしている。
小学校のころに、自分では野球を全くしないのに広島カープの選手についてやたら詳しい男の子がいたが、音楽をほとんど聴かないままに音楽批評を読もうと思っている。それもひとつの愛の形かもしれない。実物を知らないままにその批評だけを読むという、まるでキリスト教におけるパウロのような立ち位置にいる(ぜんぜん違うが)。

内田樹の「邪悪なものの鎮め方」(木星叢書)を図書館で借りて読んだ。
ブログに書いたものを集めて本にしたもので、ほとんど読んだことのあるものばかりだった。
「原則的であることについて」と題された文章を読んでいて、これを彼のブログで読んだ時のことを思い出した。このころはコメント欄がたいへん賑やかなことになっていたな、と。
最後の、「けれども、たまに相手をすることもある」というのがとても興味深かった。しかし本にしてしまうと、そのときの文脈が失われるのだなと思う。
僕は内田樹がコメント欄を閉鎖したことについて、いつか何かを語るのではないかと待っているのだけれど、なかなか語らない。そろそろ何かしらの考えを聞きたいものだと思っている。別に非難がしたいわけじゃなく、どう思っているのかを知りたい。
「失敗の効用」という文章で、
《それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには、「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。》
というところがあり、僕も何か「お稽古ごと」をして失敗をすべきかもしれないと思った。
いま思い浮かぶ「お稽古ごと」は、スポーツクラブと英会話とピアノと、それと日曜日に教会で賛美歌を歌うことくらいなのだけれど、なにをしてみようかなあ。
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