転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



最近、NTT関連会社を名乗る、長い名前の会社から
光プレミアムだかフレッツ光だかに変えろ、
という主旨の宣伝の電話が、しょっちゅうかかる。
少なくとも週に一度、おそらくは二度は、このテの電話がある。
きょうからは、「正の字」でも書いて統計を取っておいてやろうか。

数年前はKDDIがよく電話して来た。
なんとかいう電話回線に変えたら、安くなる、という話で、
早速工事にかかりたいようなことをよく言ってきた。
私が極零細学習塾をやっていた頃だって、
教室が忙しい夕方になると決まってかけてきて、
保護者からの連絡かと急いで仕事を中断して出てみたら
「ちょっとお時間よろしいでしょうか」
とKDDIを名乗る人間が勝手に電話回線の説明を始め、
「駄目です。お断りします」
と明快極まる日本語の短文でハッキリ言っているのに
リスニングが出来ないのか、話をやめないという厚かましさだった。

そもそも、私は長電話の趣味は全くないから、
通話が安くなるとかなんとか言われても全然興味がない。
転勤で県外にいた頃は、舅宅や実家への電話をしていたが、
今ではどっちも市内で、舅宅は留守宅、実家とはメールが多いから、
毎月の支払の大半は回線使用料というテイタラクだ。

ろくに使いもしないものを、安くなるからと手間暇かけさせられ、
場合によってはそれでネットの接続までやり直しをさせられるなんて、
迷惑以外のなにものでもないと思っている。
安い安いと偉そうに言うが、永久に基本料金0円になるならまだしも、
サービス期間ですら、半額にさえ、なりはしないではないか。
ネットも別にこれまで月々の支払で困ったことなんかないし、
それに、仮に、ひどい割高だとしても、
本人なりに快適に使っていて変える必要を感じていないものを、
横合いから「安い安い」としつこく言って
別のものに変えさせようとすることが、
迷惑な押し売り行為であることは明白だ。

勧誘電話をかけて来る人は、楽しくてやっているのではなく、
私のためを思ってくれているのでも勿論なく、
自分の仕事だから仕方なくしているのだろう、とは思う。
私だってその昔、別件だが、ちょっと勧誘電話の仕事をしたことがあり、
自分は全然良いと思っていないものを、仕事だから勧めたものだ。
なので、電話口のお兄さんにツラく当たっても、解決しない、
ということはよく了解しているつもりなのだが、
それにしても、シツコいのだ!NTT関連会社!
「なんべんも断っているのに、しつこいですよ」
と言ってやったら、
「そのように何度も勧められているのに、導入しない理由は何ですか」
と来たもんだ。スチールウールのような神経をしとるに違いない。

ちなみに、私は度重なる転居のため、NTTとの交渉歴も長く、
NTTそのものにも、不愉快な思い出は限りなくあるのだが、
ただひとつわかっているのは、NTT本体は、決して、
このような宣伝行為はしない、ということだ。
それどころか、こちらからBフレッツに変えたい、と申し出たとき、
「工事に四ヶ月以上かかるんですけど、それでも、いいですか」
と言ってのけた商売気の無さだった。

だから、今、我が家に厚顔無恥な電話を週一以上かけてくるのは、
NTTなんとか、と名乗っているが、NTTではないのだ。
NTTから委託された代理店か、或いはもっと怪しい業者だと思う。
我が家の電話は電話帳に載せていないのにかけてくるのだから、
どこから番号を入手したか知らないが、
まともな素性の会社ではあるまいと私は思っている。

この勧誘電話は私だけでなく、休日には主人も受けているので、
本当にかなりの回数だと思われる。主人は私より短気なので、
「考えてみたら、もうイマドキ、固定電話は要らんかもしれんな」
と、家の中の電話そのものを撤去することを考え中だ。
それも一理あると思った。本当に我が家の電話は使用されていない。
主人は、私以上に、電話というものを使わない人なのだった。

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「偏っている記事多い」=予算委で新聞批判-麻生首相(時事通信)
「偏っている記事が多いように思うので、うのみにしてはいかん」-。麻生太郎首相は27日午前の衆院予算委員会で、閣僚の辞任や自らの迷走発言などに対する厳しい論調が目立つ新聞報道にこう反発した。民主党の逢坂誠二氏が「1国のトップリーダーが『わたしは新聞を読まない』と公言するようなことがあっていいのか」と質問したのに対して答えた。』『逢坂氏がさらに「やはり読まないのか」とただすと、首相は、記者の署名を確認して記事を読むようにしているとした上で、「名前の載っていない記事は見出しを眺めるぐらいはする。自分のことが書いてあるとだいたい(事実と)違うので、あまり読まない。ほかの人もきっと違っているんだろうなと思う」と新聞批判を展開した。』

我が家は、これで五年くらいは、新聞を取っていないので、
そもそも現在の新聞がどの程度「偏っている」のか実態は不明だが、
もともと「偏っていない」報道など無いだろうと思っているから、
私はその意味では首相の言に同意する。
報道は偏っていると私も思うし、鵜呑みにもしていない。
ただ、「偏っている」ことがすなわち全面的に「悪」だとも思っていない。

新聞にせよテレビにせよ、なんらかの意図があって編集しているわけで、
記者なり会社なりによって、「このような側面を伝えたい」
という方向付けは必ずなされていると私は思っている。
少なくとも、出来事のどの部分を文字にするか、
どの発言を端折るか、結論をどこへ持っていくか、等々について、
完全に中立で無個性な記事というものはあり得ないと思う。

街頭インタビューだって、取り上げるのに都合の良いものだけを
選んでニュース番組で流しているに決まっている。
二十代の頃の私は、まだテレビを多少は観ていたので、
夜のニュースなどで街の声として紹介される画一的な意見に呆れ、
『なんで、このアタシに訊かない!?』
と鼻息荒く思ったことがあったが、考えてみたら、
私程度の思いつくことなら、必ずほかの誰かが既に発言していた筈だ。
単に、番組の方針として、「賛否両論」の二局対立になるように
典型的な意見のみを紹介する必要があったから、
それ以外の、はみ出した声は報道されなかっただけだと思う。

読者の大半は、私のようなただの外野だろうから、
偏り具合も含めて面白がっていればいい場合が大半だが、
確かに、書かれる当事者は、たまったものではないだろう。
幾度も引用した発言だが、マエストロ・ポゴレリチが、以前、
『私が言ってもいないことが記事になっている』
と憤慨していたから、書かれる側にしてみたら、
誰が見ても、記事とはつまり、そういうものだということだ。
お気の毒だが、首相にも、多くの点で、諦めて頂くほかないのでは、
と私は思っている。

新聞がオピニオン・リーダーとなって国民を導き危機を救うのか、
報道に踊らされた大衆が愚かしい選択をし道を誤ることになるのか、
どちらも有り得るけれども、評価がどちらへ行くのかも、
ある程度時間が経ってみないと、わからないだろうから、
今はとりあえず、「偏っている」報道でも、
完全に遮断してしまうよりは、目を通し耳を傾け、
我々ひとりひとりが、考えるよすがにするのが良いと思う。

・・・と私がいくら力説しても、ころもんは新聞を取りません。
ころころっと十億円入らない限りは、新聞代が惜しいとのことで。

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『玉置浩二と石原真理子、結婚!?』
という見出しを見たとき、私は、たいむすりっぷしたと思った。
なんで今頃、よりによって、こんな話題やってんだ??と。
私は、そのとき、まさかこれが現在進行形の話であるとは、
全く、考えることが出来なかったのだ。

そのあと、2009年2月現在の新しい話題だと知って驚愕した。
こんなことって、起こるんだな~と。
帰宅した主人にそう言ったら、彼も、
「わしも全く同じじゃった。新聞がなんか間違えとるのか、
『二十年前の今日は何の日?』みたいな企画かと思うた」。

私が大学生だった頃、石原真理子はJJの表紙に出ているヒトだった。
その柔らかく甘い雰囲気と容姿には独特の魅力があって、
私はしばしば「綺麗だなあ」と思って眺めていたものだった。
――彼女が『プッツン』する前のことだ。
玉置浩二のほうも、安全地帯の音楽を初めて聴いたとき、
私は彼の歌唱力と、そこに描かれている世界観に深い感銘を受けた。
こんな感性で世の中の事象を捉える人は天才なのだろうな、
と考えたものだった。
――彼が暴れたり頭を丸めたりする前のことだ。

あれから、いろいろあって、こうして皆が完全に忘れていた頃に、
不意に結婚が実現してしまう二人は、やはり凄いのかもしれない。
スカーレット・オハラとレット・バトラーじゃないが、
「長い恋路の果てに結ばれた」
の典型だろうと思う。
行くところまで行って、『もう別れる!』と決めた男女が、
紆余曲折の後、もう一度一緒になりたいと思うからには、
よほど、二人は似た者同士で、惹かれ合うものがあるに違いないのだ。

私は、去年11月に、寺島しのぶちゃんの主演で観た、
舞台『私生活』
を思い出していた。
エリオットとアマンダは、似た者同士で惹かれ合い、結ばれ、
別れ、また巡り会って共鳴し、駆け落ちで一緒になるのだが、
再びの大喧嘩と修羅場。
昔から好きだったものが、やはりどうしても好きで、
その欠点もわかっているのに、また同じコトをしてしまう。
人間って、ホントに、変わらないものなのかもしれないなあ、
と私は、既視感あふれる玉置×石原カップルの写真を見て思った。

・・・という私の横で、主人が改めてテレビを見やりながら、言った。
「いやー、ほんま、懲りないヒトらじゃね

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昨夜は『東芝グランドコンサート2009』を聴きに行った。
昨年秋に聴いて惚れ込んだ田村響がソリストだったからだ。
オケはケルンWDR交響楽団、指揮はセミヨン・ビシュコフ。

プログラムは次の通り。
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
ドヴォルザーク:交響曲第8番

期待に違わぬ、きめ細かく重厚な音色のモーツァルトだった。
『よしこさんはやはり、ガタイがよくて指も太く、
テクニックはほかのツイヅイを許さず、
でもってシツコイ系がたまらなくていらっしゃるのですね』
と昨夜友人に看破され、その慧眼と表現力に畏れ入ったが、
まことに彼女の言う通りで、私は恰幅の良い演奏家が、
その体に似合う深く太い音と安定したテクニックでもって、
コクのある演奏を展開してくれると、即座に虜になってしまう。
田村響は若いけれども、既に間違いなくこの路線の演奏家だ。

昨夜のモーツァルト、流麗で楽しい曲想の第一楽章アレグロも、
田村氏の手にかかると決して浮ついたものにならず、
緻密に制御された音楽が展開され、私には本当に心地よかった。
第二楽章アダージョは粘っこいほど丁寧に一音一音が繰り出され、
その瞬間瞬間に描き出される風景を、時間をかけて楽しませて貰った。
第三楽章アレグロ・アッサイは、的確に抑制は利いていたけれども、
奥底には現在の田村氏の潜在的なパワーが見え隠れする演奏で、
終楽章に相応しい推進力と風格とがあった。

欲を言えば、昨夜は私が前方席に座ったのがかえって失敗だった。
勿論、ダイレクトにタッチや息づかいを観察できる場所であり、
その臨場感は素晴らしかったのだが、音に関する田村氏の照準は、
当然のことながらホール全体に響かせるところに置かれていただろうから、
恐らく音響面では一階中央や二階前方が最高だっただろうと思われた。
私は前に寄りすぎた席だったので、彼の音の到達点を捉えることには、
やや、失敗したとあとで反省した。

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夢闇  


私は時折、自分が全く登場しない夢を見るのだが、
今朝方の夢も、その類で、何かのドラマの序章みたいだった。
それは、最近、私の頭が歌舞伎モードになっていたせいだろう、
歌舞伎役者が主人公の、物語風の内容だった。

團十郎や菊五郎クラスではないが、それなりに古い家柄の、
役者の家に、次男坊として生まれた主人公は、
若く未熟で、かつ長子でないことの気楽さがあったために、
それまで決して芝居に真摯に取り組んだことがなかった。
また、家のしがらみの複雑さには愉快でない思い出も多く、
いずれは外の世界に出たいという欲求を持っていた。
しかしあるとき、長男であった兄が恋愛問題がもとで出奔、
父親も若くして急逝してしまい、
突然に彼は、祖父とふたりだけで、取り残されてしまった。
名跡を継がねばならぬ重責が、まだ十代の彼の上に、
一気にのし掛かって来たのだ。

……という感じの設定の夢だった。
どうしてこのような内容になったかは、およそわかっている。
昨夜、現・尾上松緑のインタビューを読んだからだ。
私は彼が左近であった時代から結構観ているのだが、
確か、二代目尾上辰之助を襲名したときには、まだ16歳だった。
その襲名披露も、私は歌舞伎座で観た。

若い身で、大きな後ろ盾を相次いで失い、
音羽屋の名跡と藤間の家元の地位を否応なしに継承した彼にとって、
以後、普通の学生ならば当然甘受している筈の、気楽な日常は、
二度と許されないものになった。
「私は、父と祖父を早くに亡くしましたので」
とインタビュー時の松緑はその間の事情を短い言葉で語っていたが、
それが役者にとってどれほど過酷な運命の転換であったか、
今の私には、ある程度、想像することが出来る。

もっとも、私の夢では、事実はややねじれた形で登場しており、
夢の中の、『恋愛問題がモトで出奔した兄』は、
現実には現・松緑の父、辰之助のエピソードだ(爆)。
真偽のほどはともかくとして、昔、彼が水谷良重(現・八重子)と
いろんなことを噂されたのを、私は夢の中で思い出していたのだ。
現実の辰之助は病を得ても最後まで歌舞伎とともにあったが、
わずか12歳の息子の前から消えてしまったという意味では、
結局は、私の見た夢と同じことだった。

私に、円地文子や皆川博子の才能のカケラ程度でもあったなら、
この夢をもとにして、「役者の業」みたいなものをテーマに
一丁、小説を書くところなのだがな~~~
現実には、勿論そのような才能も、私自身の「業」もないので、
できるのは、束の間、役者の内側を妄想することくらいだ。
惰眠の中で。

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IEが言うことを聞かなくなって数日経ったわけだが、
パソコンが意味のわからない不具合を示すときは、
大抵、何か今まで無かった問題が起こっているものなので、
私は昨日、ウィルスやスパイウェアなどが見つからないかどうか、
様々なツールで、ちょっと時間をかけてチェックしてみた。
しかし結局、そのような方向でのトラブルは見当たらなかった。
ってことは、マシン本体がいよいよイカれて来たのかと私は怖くなり、
「もういつ逝ってもおかしくないのでは」と思うようになった。

それでとりあえず昨夜バックアップを取った。
拙サイトのほうは、あれでも苦労してこしらえたシロモノなので、
以前から二重三重にバックアップを残してあり、
更に、実働はしていないがミラーサイトも作ってあるので、
すべてが完全に失われるということは、よもやあるまい、
と思うのだが、怖いのは未整理のままパソコン内に保存されている、
幾多の文書や画像資料のほうだった。
で、それらをとにもかくにも、取り出しておいた。
メール関係は、以前Outlookだった頃は大問題だったが、
今は、yahooとgmailをメインに変えて久しいので、
これは端末に関係なく、ネットに繋いでアクセスさえすれば読める。
うちのパソ太がオダブツになっても、私のメール関係情報は失われない。

これで、「なくしたらオシマイだ」と思われる部分については
最低限の対処だけは出来たかなと思うが、
抜けている私のこと、まだ何か忘れているかもしれない。
備えあれば憂いなし、となるよう、今のうちに出来ることはしておかねば。
最終的には、再インストールを試みなければならないかもしれない。
以前、転夫のパソ夫の窓XPそのものが全く起動しなくなり、
サービスなんとかへ電話をして、えらいこと時間をかけて
再セットアップを全部やらされたことがあったが、
またあの類のことをせにゃならんのか。思い出すとウンザリだ。

尤も、今いちばん備えてないのは、パソコンを買い換える小遣いなので、
選択の余地は無いのだけど(泣)。

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InternetExplorer不調 2
一昨日から明らかに変になった私のInternetExplorerは、
昨日、もう一度開いてみたところ、更に不調になっていた。
軽いページでないと表示できないのは前日同様で、
そのうえに、普通に閉じることも困難になっていた。
×印をクリックしてブラウザを終了させようとしても反応せず、
しばらくして『エラー報告を送信』の表示になってしまう。
サイトBBSで某氏が教えて下さった、Google Chromをダウンロードし、
これとFirefoxとSafariとを併せて使ってみており、
これらはどれもとても快適で、当面の閲覧に支障は無いのだが、
IEの急激な壊れ方が不気味で仕方がない。
何かが起こったと思うのだが、その正体がわからない。

今更だがグランドピアノは凄いと思った
数日前、某楽器店の練習室で、グランドピアノを弾いてきた。
ヤマハのC5Lだったか、普段弾くものとしては大きめのヤツだった。
家ではアプライトの中でも最小のYM11Wnを使っているので、
久々にグランドを弾くと、音と感触のあまりの違いに感動した。
こんな腕前でも、一人前に楽器の善し悪しは体感できるものなのだ。
性能の良い楽器の常として、私の弾き方の悪いところが拡大され、
どんなに未熟で姑息なことをやっているかが、よくわかった。
こうなると、たかが趣味でもやはりグランドピアノが欲しくなるのだが、
それは、まあ、うちのころもんが常に言っている通り、
ころころっと十億円入ったら、・・・という話だな(泣)。

『芸術劇場』のSBYO
シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ来日公演が
先週NHKで放映され、録画してあるのだが、まだ観ていない。
12月19日の広島公演に行ったので、放映を心待ちにしていたのだが、
放送当日はうちのテレビが塞がっていたため、
娘に予約録画をしておいて貰ったのだ。
そこまでは良かったのだが、今度は再生しようとすると、娘が、
『録画が進行中のときは、そのデッキでの再生はできないからね~』
とカルく言った。そうなのだ。うちのデッキはあまり賢くないので、
録画中に別のデータを再生するなどという、同時進行は無理なのだ。
で、見たら、主人や娘による予約録画の予定が次々と入っていた。
私はかなり昔からテレビが嫌いで、現在は滅多に観なくなっており、
操作方法をマスターしようという気もなくなって久しいのだが、
こうして稀に大事な番組が放映されたときだけは、
やはり、我が身の不自由さを実感するのだった。

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歌舞伎関連でメールを下さる方もいらっしゃるので、
私が音羽屋の旦那(尾上菊五郎)のどこに惚れ込んだか、
端的にわかるお勧めDVDとして、下記のものをあげておきたいと思う。

歌舞伎名作撰 白浪五人男 浜松屋から滑川土橋の場まで [DVD](amazon)

弁天は音羽屋のお家芸で、菊五郎は若い頃からこれを得意としていたが、
この昭和62年歌舞伎座の公演はまさに「脂の乗り切った」時期の名演で、
歌舞伎入門者の方にも十分楽しんで頂ける、秀逸な出来映えになっている。
弁天はただ若いだけでは演じられない役だった、ということが、
菊五郎が年齢を重ねてきて非常によくわかった舞台だった。

また、相棒役の南郷力丸を演じているのが
私がよく名前を出す初代尾上辰之助だというのも最高の配役だ。
辰之助はこのとき既に病身で、公演の数ヶ月前に退院して来たばかりで、
おそらく万全とは言えない状態での舞台だったと思うが、
そのようなことは全く感じさせない、
研ぎ澄まされたような舞台姿、冴え冴えとした口跡が素晴らしい。

菊五郎と辰之助は幼い頃からともに育ち、修行し、襲名も同時、
新之助(今の團十郎)と一緒に三之助として鳴らした仲でもあった。
『そのうち警察が来るのではと思った』
と近しい人が冗談にするほど、やんちゃな時代も共有した。
二人の間に漂う長い友情が、この舞台を成功させた一因だったと思う。

『(贔屓の役者は)尾上辰之助でございましょう?』
と浜松屋の番頭に店先で図星を指され、
『お、い、のぅ!』と扇で顔を隠して恥じらう振り袖姿の音羽屋が、
私はファンとしては、かなりツボだ。その横で、
『そのような役者は大嫌いじゃ』と言う辰之助も、あまりにも、イイ。
ちなみに(『べらぼうに長い返事』の)子役は、多分、現・松緑だ。
父・辰之助との貴重な共演の機会だったであろう、
と、これまた今にして観ると限りなく切ない。

*********************

さて、それはともかく、もうひとつ、先日買ったのが、これ↓。
歌舞伎名作撰 勧進帳 [DVD](amazon)

昭和18年、太平洋戦争中の映像なのだが、キャストが物凄いのだ。
弁慶が七代目松本幸四郎(今の幸四郎と吉右衛門の祖父)、
義経が六代目尾上菊五郎(今の菊五郎の祖父)、
富樫が十五代目市村羽左衛門(信じられないほど美形!!)
それに亀井六郎の役で十一代目市川團十郎が出ている。

伝説の名優と言われる人達がどれほど大きな存在だったか、
戦後60年余を経た今になって映像で目の当たりに出来るとは
なんという有り難い世の中なのだろう。
収録年代を考えると、映像が荒いのはやむを得ないが、
解説にある『国宝級の映像』というのはまさにその通りだと思う。

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昨夜から許せないほどブラウザが不調になった。
私は、メインのブラウザとして長い間IE6を愛用して来たのだが、
これはいよいよ時代遅れになったということか?と考え、
不承不承IE7をインストールしてみたが、状態は改善しなかった。
多くのサイトで表示がしばしばひどく遅くなり、
画像のあるサイトだと、軽いものが数点あるだけでも表示できない、
あるいは出来ても「問題が起きたので終了します」となる。
エラー報告を昨夜から十数回は送信したと思うが、
問題解決に関しては、これと言った原因はないという表示が出るだけだ。
アップデートも試みたが、もともと自動更新が設定されているので、
既にほとんど最新の状態になっており、何も見つからなかった。

私はそもそも、IE7が配布され始めたときすぐインストールし、
あまりの使い勝手の悪さにキレて即座にIE6に戻した

という経緯があり、以来、ずっとIE6のほうに固執していたのだが、
気づいたら、なぜかどっちも駄目になっていた、という感じだった。
それで、今朝、以前からインストールしてあったFirefoxに変えた。
IE6によく似ているので違和感が少ない上、大変快適になった。
こんなにサクサク表示してくれるなんて信じられない、
と、どのサイトを開いても感じる。
もしかしたらうちのIEは、もうずっと以前から具合が悪かったのか。

本当はどうしてIEとの仲がこれほどこじれたのか、
もっと追求すべきなのだとは思うが、
今、過去数ヶ月くらい味わったことのない動作の軽さに感激していて、
とりあえずは問題がなくなった。
ついでにSafariもすぐ使える状態にした。
動作の具合は私は実はSafariが前から一番気に入っているのだが、
家族がどういうわけかこれを好まないので、メインにしたことがなかった。
慣れの問題もあるから、いろいろ使ってみて、
いずれFirefoxかSafariのどちらかにしよう。

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『團十郎と歌右衛門』(中川右介・著)を読み終え
頭がかなりカブキ・モードになったので、
ついでに『菊五郎の色気』(長谷部 浩・著)を読み直すことにした。
これは発売当時にすぐ買って読んだのだが、
「音羽屋の旦那だけの本~~!!」
と興奮し過ぎて変な読み方になってしまった気がするので、
今、もう一度冷静に、ちゃんと読もうと思ったのだ。

(自分で買ったものと、音羽会で貰ったサイン本と2冊あるのだ)

しかしやはり「冷静に」というのは無理だった。
歌右衛門や、先代の團十郎となると、実際に見たというより
自分の中で、偉大なる伝説として既に遠い存在になっているが、
菊五郎と来れば、私も過去二十数年分、実際の舞台を観ているし、
自分の記憶の中で今なお鮮明な場面も多々あり、
読んでいると「そうそう!それ~!!」と興奮してしまい、駄目だった。

『昭和61年12月、歌舞伎座で上演された『白浪五人男』が
技芸の充実とたぐいまれな美貌が並び立った舞台として、私の記憶に残っている』
と長谷部氏は書かれているのだが、全く全く同感で、
しかもあれって辰っつぁん(辰之助)の最後の南郷だろ!?
ゴールデンコンビの弁天・南郷の見納めだったんだよぉぉぉ、
と、私はまたまたテンションが上がり、
『44歳となった菊五郎は、爛熟の極みともいえる弁天小僧を演じたのであった』
というのを読めば、ええええ!!今の私と同い年のとき!!?
と、またしても、いちいち、取り乱すワタクシであった。

ああ、いけない。
そろそろ旦那の舞台を観なくては、禁断症状が出そうだ。
しかし音羽屋はというと、来月は、菊五郎劇団を率いて、
NINAGAWA十二夜』ロンドン公演、4月はお休み。
これの大阪松竹座公演が7月に始まるまで、待たねばならないのか。

松竹大歌舞伎『NINAGAWA十二夜』予告編(YouTube)

そういえばエリザベス朝演劇の時代にも女優はいなくて、
芝居の中での女性役は、少年俳優によって演じられていたはずだ。
『十二夜』の主人公ヴァイオラは、
わけあって男装しシザーリオと名乗っているのだが、
彼女を男だと信じ込んだ伯爵令嬢オリヴィアから思いを寄せられ、
自分はその男装のまま、オーシーノ公爵に恋をしている。
少年が女性役を演じて、それが男装していて、心は女

これを演じようと自分から考えた菊之助、偉すぎるぞ、
・・・と長い溜息の出るワタクシであった。

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