転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



2017年卒の就活は短期決戦 内定が出る時期はいつ?(ぼくらの就活面接)
『経団連のスケジュールでは、2017年卒の学生に向けた会社説明会の解禁は昨年と同様3月です。しかし、筆記試験や面接などの選考活動は6月に解禁され、昨年より約2ヶ月前倒しされました。採用スケジュールが大きく変更される前の就活では、選考解禁の1ヵ月後が内定のピークでしたが、今年は6月の選考活動解禁と同時に内定ラッシュが始まるものと予想されています。』

大学4年の娘にとって、時期的に目下、就活が本格的になっているので、
私も最近は時々、こういう記事に目を通すようになった。
就職活動の内容そのものが親世代と異なっているうえ、
倫理憲章だかなんだかのために、毎年就活スケジュールが違って、
最近はもう、本当に何が何だかわからない。

娘の話を漏れ聞く限り、3月の説明会解禁以降、
あちこちですぐに選考が始まっていて、
6月の選考解禁まで待つ企業は、必ずしも多くはないという印象だ。
尤も、募集が一度きりと決まっているわけではないから、
選考や面接を早く開始した企業も、10月の内定式までの間、
状況に応じて採用活動を続けるのだろう、と思われるが……。

私が大学4年だった30年前には、夏からが本番だった。
夏休みに入る前、内々定が出ている同級生も居なくはなかったが、
大半はまだこれからという状態で、
年末まで就職活動を続けた友人たちも結構いた。
思えばあれは、男女雇用機会均等法が施行された年だった。
1980年代当時、母校の女子大は就職にだけは強く、
長年、求職者に対して決定率100%を誇っていたのだが、
それは勿論、皆が思いのままに就職先を得られたという意味ではなくて、
内定が出るまで、秋が終わろうと冬になろうと全員が諦めなかった、
というだけだった(^_^;。……と当事者になって知ったものだった。

私自身は当時、たいした競争率でなかった公務員試験を受けて合格し、
それを良いことに、就職活動から安易な気持ちで撤退した人間なので
娘に対して、今、何一つ大きなことは言えないと思っている。
私は春には大学院受験希望を固めていたのだが、
スベり止めのつもりで受けた地方公務員の採用試験に通ってからは
女が修士なんてヨメに行けなくなるだけだ、すぐに就職しろ、
と親にウルサく言われ、進学を断念した。
バブル前夜のあの頃、公務員は薄給で地味で不人気だった。
ひっつめ髪でグレーの服を着、9時から5時まで書類を触り、
判で押した日々を60歳まで送る……というイメージしか持てず、
こんなんだったらいっそ落ちりゃ良かったんだよな、
と罰当たりなことを思ったりして、
まあ仕方ない、いっぺん勤めて資金を貯めて、自力で留学でもするか、
とイージーなことを考えて自分を納得させたが、結果は、
貯金どころか文句だけが積もり続ける、最低の公務員生活になった。
就職のときにちゃんと自分と向き合わないと、こうなる、
という悪い例が私だ(汗)。
学生は、就活を通じて、自分が世の中で通用するモノになるために、
何を矯め直し、どう行動すれば良いかを、体験的に学ぶべきなのだ。
公務員になるならなるで、それなりの気構えを持たなくてはならない。
そこを経ずに、甘ったれた学生の延長で
うっかりと社会に出てしまったらロクなことがない。

その意味では、娘が極めて健全に就活に取り組んでいることを、
私はとても嬉しく思っている。
娘は、私にやれなかったことを、今きちんとやろうとしている。
「祈られ」た数だけ娘は新しいことを学ぶだろう。そうあって欲しい。
娘の就職活動が、いつまで続くのか私にはわからないが、
内定の早さや数を周囲と競っても何の益もないことだから、
あまり焦らず、どこかで、本人の納得の行くかたちで
内定を頂ければ良いな、と私は漠然と願っている。
さすがに、就活を継続していながら、
内定がないまま卒業の時期を迎えるのは辛過ぎるだろうから、
極端に遅くならないうちに決まってくれるといいのだが、
こればかりは親が思ってもどうなるものでもない。
何か力になれることがあればとは思うが、
とりあえずできそうなことは、仕送りするくらいか(^_^;。

ともあれ私が望むのは、いずれ学業を終えたときに娘が、
社会人として仕事を得て、自立できるようになって欲しいということだ。
いつまでもあると思うな「親」と「金」。ないと思うな「運」と「天罰」。
本人も会社を見るのに、給与と福利厚生には注目しているらしかった。
「労働法の判例になるのだけはヤだからね(^_^;」
と先月会ったときに言っていた(笑)。
何になって貰いたいとか、どこそこに勤めて貰いたい、
という制約は、我が家の場合、幸運にして全くない。
首都圏ならば会社の数も多く、種類や規模も多彩だろう。
娘が希望し、会社のほうでも娘を選んでくれるような出会いが、
ひとつ、ありますように、と今は遠くから祈っている(^^)。

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富司純子ら春の叙勲「いただけるのも家族のおかげ」(スポーツ報知)
『政府は29日付で「春の叙勲」の受章者を発表し、旭日小綬章は女優・富司純子(70)、歌手・北島三郎(79)、女優の鳳蘭(70)らが受章した。』『富司は「結婚して『我慢』を覚え、子供を産み育てる中で学ぶことは、あまりにも多く。今回いただけるのも家族のおかげ」。夫は歌舞伎の人間国宝・尾上菊五郎(73)、長女の寺島しのぶ(43)、長男の尾上菊之助(38)と全員が第一線で活躍する。』『「藤純子」の名で東映のトップ女優に。結婚を機に「主人を陰で支えることを思えば未練はまったく」と惜しげもなく引退。約10年後に復帰し、いま演技派のベテラン。妻、母、女優を完璧に両立してきた梨園の“究極のおかみさん”。』『仕事は「主人の初日、楽日は外します」という徹底ぶり。かわいい2人の孫との交流がリフレッシュになっている。今も「藤純子さん」と呼ぶ人は多く「まだ富司純子は売れてない」が口癖。「でもこの年で新鮮な役と出会えて。感謝です」。』

華やかな話題の続く音羽屋ファミリー、今度は純子ママの受章。
本当におめでとうございます!!

私のように、限られた機会に歌舞伎座や国立劇場に出向くだけの者でも、
番頭席の近くで純子ママをお見かけする機会はかなり多く、
音羽屋の「おかみさん」としての御尽力ぶりがうかがわれる。
いつも微笑みを絶やさず、立っていらっしゃるだけで場が華やぐ。
そうしたお忙しい日常と両立しての女優活動でも、
着実な成果を上げて来られたことを思うと、ただただ頭が下がる。

……『緋牡丹のお竜』が『3時のあなた』になったあたりで既に、
年月の経つのは早いものだなと私は思ったものだったが、
今や、あの「藤純子」さんのお孫さんが来月、初お目見得。
私だって五十代なんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだが(汗)。

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北翔海莉、ラストまで全力宣言「輝いていたい」退団発表会見(スポーツ報知)
『11月20日付で宝塚歌劇団を退団することが決まった星組トップスター・北翔海莉(ほくしょう・かいり)が27日、大阪市内のホテルで退団発表会見を行った。涙は見せず「ラストのステージまですべての力を出し切れるよう、今まで培ったものを組子に伝えられるよう、輝いていたい」とラストまでの全力投球を誓った。』『退団を決心したのはトップ就任が決まった時期で「キレイに輝ける状態で卒業できるのは3作だと思いました。次の人のため、あまり長くは…という気持ちが一番強かった」と説明。組子には兵庫・宝塚大劇場公演の25日の千秋楽終了後に告げたといい「急すぎてビックリしていたようでした」と話した。』

みちこ(北翔海莉)さんは就任時、既に十分な上級生だったし、
おそらくトップ生活そのものは長くないだろう、
と私は思っていたので、この発表にはさほどの驚きはなかった。
みちこさんのトップとしての時間を、私も漏れなく満喫したいと思い、
お披露目の『ガイズ&ドールズ』は大劇場と東京の両方を観たし、
二作目の『こうもり』も3月に大劇場公演を観たうえ、
6月の東京公演のチケットも、既に手に入れてある。
三作目、すなわち退団公演となる『桜華に舞え―SAMURAI The FINAL』
(←副題は今日ついたのか!?笑)も、こうなったら全うするため、
大劇場と東京の両方を観なくてはなるまい(^_^;。
東京でのサヨナラが10月21日~11月20日か、……巧い具合だ。
実は、私は11月に東京に行かねばならない理由が、既にあるのだ。

国立劇場50周年記念公演に「仮名手本忠臣蔵」(日刊スポーツ)
『東京・国立劇場の開場50周年記念公演の概要が26日、都内で発表された。』『9月から来年3月まで、歌舞伎、文楽、舞踊など19公演を「記念公演」と銘打つ。』『10月から12月の歌舞伎公演は「仮名手本忠臣蔵」を、大序から11段目まで全段完全上演する。同劇場での全段の通し上演は、86年の開場20周年記念公演以来。関係者は「いつもは腹八分目の『忠臣蔵』を、今回は満腹になるまでみてもらいたい」。』『▼11月 浄瑠璃、5~7段目 尾上菊五郎(早野勘平)、中村吉右衛門(大星由良之助)』

これで、私の11月前半の東京行きは決定だ。
考えなくてはならないのは、チケットをどうするかだけだ。
大劇場はともかくとして、東京は通常でも即日完売だから、
トップのサヨナラとなれば、何か策を講じなくては入手困難に決まっている。
とすると、みちこさんの7月のバウホールなどは
尚更、チケット入手の可能性は事実上消えたと思わなくてはならない。
トップのバウというだけでかなり無茶な争奪戦になると覚悟していたが、
退団発表まであってはお手上げだ。
バウは枚数(座席数)が少な過ぎるので、ネットや電話では話にならず、
チケット掲示板に出回る枚数も、最初から非常に限られている。
一応プレリザーブの類いがあればエントリーはするが、まずダメだろう。
まあ、こういう超激戦公演は、シヌほどファンの人こそ観るべきで、
私のようにユルい者は潔く諦め、あとでDVDが発売になったら……、
ということに、しておくのが分相応というものだろうと思う。

それにしても、自分の任期に関するみちこさんの、
『次の人のため、あまり長くは…という気持ちが一番強かった』
という言葉は、よく配慮されているだけに、かえって、
彼女のトップ就任当時から今に至る、星組の複雑な状況がしのばれる。
人事評論家ころもん氏の、ご意見ご感想を伺うのが、今晩の楽しみだ(汗)。
みちこさんが、実力の面で極めて優れた主演者だったことと、
学年的にも、ほかの皆よりかなりの上級生だったのが相まって、
ここまで巧く務まったということかな、と私は思っている。


追記:退団となれば、どこかでディナーショーがあるだろうね??

追記2:ディナーショーは無いらしい。ディナーショーのかわりにバウ、
 という意味合いだそうだ(←みちこさんがラジオで発言した、と。又聞き)。

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きょうは実家母の用事があったので出かけた。
白内障手術の完了した母は、先日、主治医の先生から眼鏡の処方箋を頂き、
近郊のスーパー内にある眼鏡屋さんで、新しい老眼鏡を作ったのだ。
一週間ほど前、眼鏡を注文したときにも私は付き添ったのだが、
きょうはその、完成した眼鏡を受け取りに行く日だった。

母は若い頃から近視だったので、眼鏡には自分なりに趣味があり、
私が物心ついた頃には、母は赤いフレームのフォックス型眼鏡をかけていた。
「昔からフォックス型眼鏡が気に入って、ずっと使っていた」
という話を、母は先週、まず家を出るときに語り、
眼鏡屋さんに到着するや否や店頭でも披露した。
昭和30年代に流行し、母は長らく、その同じ眼鏡を愛用したのだそうだ。
ならば今回もフォックス型のフレームにするのかというと、そうではなかった。
「デイサービスに行ったとき、ひとりだけ変わった眼鏡を持っているのも
悪目立ちして嫌だから、みんなが使っているような普通の眼鏡にする」
と母は言い、お店の人が見せて下さったシンプルなフレームの中から選んだ。
そしてまたしても、
「私は若い頃からとにかくフォックス型の眼鏡が好きで……」

……というのが一週間前の日曜の話で、だからきょうは、
その出来上がった眼鏡を受け取りに行ったのだった。
眼鏡はとても綺麗にできており、店頭で早速、新聞を試しに読んでみたら、
一番小さい字まで難なく読むことができ、
「鮮明に見えるようになった」
と母は満足していた。そして性懲りもなくまた、
「私は若い頃には、こういう優しい眼鏡でなく、
 吊り目の、フォックス型の眼鏡が好きで……」

それから、その眼鏡を持っていつもの眼科に行った。
視力検査では裸眼で0.8、矯正視力(母は乱視がある)は1.2、
眼鏡が処方箋通りにできていることを検査で確かめて貰い、
術後の目の状態も診察して貰って、すべて順調とのお墨付きを頂いた。
術後の目薬はまだ継続しているので、次回の診察は一ヶ月後、
だいたい今の目薬を使い終わるくらいの頃に、また来て下さい、
と先生は仰った。
「ほんまに、よう見えるようになりました。ありがとうございました」
と母は両手を合わせて先生を拝んだ(笑)。

それからタクシーを呼んで、眼科クリニックから実家まで帰った。
87歳で歩行も危うい母との外出は、基本的にタクシーでドアtoドアだ。
そのことについては私は文句はないのだが、タクシーに乗るたびに、
どうしても雑談に加わらなければならないのが、いささかキツかった。
いつもそう思うのだが、きょうは私が疲れているので尚更シンドかった。
自分のものでない話の筋道を、聞き手としてきちんと追い、
求められているであろう快適な反応を、その場その場で返すためには、
それなりに技術も集中力も使う。
運転手さんと母とで会話していてくれれば問題はないのだが、
母は頭がユルいのと耳が遠いのとで、しばしば話が脱線するし、
運転手さんの話しかけを唐突に無視したようになったりもするので、
私が適切な合いの手を入れて軌道修正をする必要があるのだ。

そんなこんなで、母を実家に送り届け、父のご機嫌伺いもして、
眼鏡屋の帰りに仕入れた柏餅をふたりに食べて貰ってから、
次は連休明けにまた来るからと約束して、私は実家を出た。
ひとりになって、私は初めて無言になることができた。
実家は遠いので、帰りにはあれこれ乗り継いで結構な道のりなのだが、
私は公共交通機関を利用する幸福を満喫した。
ここでは、誰も私に話しかけない!!誰とも喋らなくていい!!
人様の話をちゃんと聞く努力をしなくて良いというのは、
なんと休まる状態なのだろうか。
私は座席で寝まくった。家がもっともっと遠ければ良いのにと思った。
そうしたら更に長い時間、私は黙って弛緩し続けていられたのに。

私は今、カレンダーを眺めてじりじりしている。
今週の前半を乗り切れば、とにもかくにも連休がやってくる。
あと数日の辛抱だ。
4月29日から5月5日までを、私の休業期間とさせて貰う。

お話し相手を務めるご奉仕から、束の間、解放して戴きます。
探さないで下さい。
緊急時を除き、電話には基本的に出ません。メールの御返事も致しません。
悪しからず。

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今年も『闇鍋会』、…じゃない、Sound Bouquet@Musicaで弾いて来た
今回は、ベートーヴェンの『ロンド』作品51-1。
毎日忙しすぎて、丹念に譜読みをするのは到底無理だったので、
ラクそうなヤツで行こう、と思い選んだのがこの曲だったのだが、
自分の想定より現実の私は更にピアノの技術が無かったのと、
やはり小品でもベートーヴェンだけのことはあった(爆)のとで、
曲として仕上げるのは決して容易ではなかった。
しかし、とにかく今年も、なんとか弾きたいものを弾いて、
発表の場に参加することができた。
それだけで、現在の私にとっては十分過ぎるほどの成果だった。

この会は、音楽が専門の方や指導者の方々も参加されているが、
多くはピアノその他の楽器の愛好家で、腕前も様々だ。
私のように、技術が無くても弾いてみたい人はどんどん来て良い。
各自の力量に応じて、まとまった演奏を披露できることが理想だが、
急にアガったり元々アカンかったり(爆)等々の事情で、
発展途上を聴いて貰うための本番になってしまう場合だってある。
けれども、それゆえにこそ、ここには普通の演奏会とは全く違う魅力がある、
ということを、きょうもまた強く感じた。

国際的な芸術家の演奏は世界最高水準だが、彼ら・彼女らは、
「数あるレパートリーの中から」
「契約上、弾くことに決まっている曲を」
「否応無しに演奏している」
というケースがほとんどだろう。
しかも、彼らは仕事としてそれで報酬を得るのだから、
聴衆にとって期待外れのデキであればブーイングが出る。
一方、我々の『闇鍋会』は、そのような世界にはほぼ無縁だ。
大半の人が、
「自分本意に選んだ曲・今それしか弾けない曲を」
「誰に頼まれたわけでもないのに」
「自分が弾きたいから出て来て弾いている」
のだ。土壇場でどうしても嫌なら弾かない自由だってあるし、
目覚ましい出来映えで弾ければ勿論のこと、
意味不明な解釈で弾いても、途中でつぶれてしまっても、
客席は好意を持って、そこから必ず何かを聞き取ってくれる。

こういう愛好家たちの演奏会は、
「頑張る素人の姿が微笑ましい」から素晴らしい、だけではない。
弾けているかどうか以前に弾きたいから弾いている、という音楽には、
どんなプロフェッショナルも叶わない破格の威力があるのだ。
誰でも知っている超有名曲をこういう場で聴いて、
「なんと!この箇所に、こんな綺麗な音が書いてあったのか!」
と目からウロコが落ちるような思いになったことが、
私はこれまで幾度もある。
アナリーゼや技術を蹴飛ばす、巧まざる表現のパワー(^_^;!
その根源にあるのは、「愛」と「道楽」!!

ああした出会いがあればこそ、私はきっと次回もまた、
皆の演奏を聴くことを楽しみに、『闇鍋会』に参加すると思う。
そしてどんなに忙しくても、私もまた、そこで何かを弾くほうが、
ただ聴きに行くだけであるより、二倍以上楽しい筈だ。
私のピアノなど、一般的な「演奏」という観点から見れば
聴くに堪えないものであることを、他ならぬ私自身が知っている。
ダテに50過ぎまで遊んで生きてきたわけではない。
私は聴き手として、既に良い音楽も美しい演奏もたっぷりと聴いてきた。
自分自身の実現している演奏など、芸術どころかカス以下だとわかっている。
しかし、巧くないのは承知の上で、私はそれでもなお、
弾き手としての自分のことも、まだ断念したくはないのだ。
このオバちゃん、こういうふうに、ベトベンが好きなのねん(^_^;、
と皆様に笑って頂ける演奏を、これからも目指したい。

ともあれ、本日弾いて下さった皆様、本当にありがとうございました。
御陰様でまた、幸せな一日を過ごすことができ、
これまで知らなかった各曲の魅力を、たくさん、感じることができました。
主宰して下さいました仮装ぴあにすと様、会場ムシカのマスター、
ほか、お世話下さいました皆様に、心より御礼を申し上げます。
また来年もよろしくお願い致します<(_ _)>。

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オバマ氏、5月広島訪問へ 現職米大統領として初(共同通信)
『【ワシントン共同】オバマ米大統領が5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて広島を訪問する見通しとなった。複数の米政府高官が22日、明らかにした。現職の米大統領が被爆地を訪れるのは初めて。被爆地を訪問し、「核なき世界」を訴えて2009年のノーベル平和賞を受賞したオバマ氏の政治的遺産(レガシー)とする狙いがある。』『オバマ氏が中東、欧州歴訪から米国に帰国後の来週にも最終決定する見通し。広島訪問はサミットが閉幕する5月27日が最有力で、平和記念公園での献花や、核廃絶を訴える演説を行うことを検討している。安倍晋三首相も広島に同行する方向だ。』

広島一区から岸田外務大臣が出ていて、
先日、G7外相会合が広島市内で行われたばかりだが、
その成果がこういうかたちで現れたと言うべきだろうか。
現職の米大統領の広島訪問が本当に実現するなら、
歴史的な一日となることは間違いない。

……が、市街地の厳戒態勢は一体どんなことになるのやら。
外相会合のときだって、関係ないモノがうろつくだけでも
会場付近ではすぐに職務質問が行われていたし、
某タクシーの運転手さんなんか、
「あんな物凄い人数の警官を見たんは、わしゃ生まれて初めてじゃったよ」
と言ってたくらいの状況だったのだぞ(^_^;?
当日は、平和公園からさほど遠くない我が家など、
誰も家から出ないようにと申し渡されるんじゃないかね。

それにしても、こんな事態になるなら、
カープの本拠地が広島駅のあっち側に移っていて、むしろ良かった。
地元民でないとピンと来ないかもしれないが、
もとの広島市民球場は原爆ドームのほとんど真向かいだったのだ。
大統領の慰霊碑献花が午後で、目の前の市民球場ではナイター直前、
…などという展開になっていたら、日本の警察がどんなに優秀でも、
ちょっと収拾がつかなかったのではあるまいか。
カープの試合のある日は、赤いユニフォームさえ着ていれば
広島市民の間では、誰でも存在を容認されてしまうものなのだ(^_^;。

あ、いや、こうなりゃいっそのこと
米大統領による始球式しかないか…(逃!!)。

現実には、今年の5月27日であればそもそもカープは広島に居ない。
前日の巨人戦はマツダスタジアムだが、
27日はDeNAの本拠地・横浜に移動するので、こちらでは試合がない。
3万人の赤人(あこうど)が一箇所に集うという危険なイベントは、
平和公園至近のみならず、市街地のどこにおいても、行われない(^_^;!
Oh, my gosh!

***************

ちなみに、大いに真面目に書くならば、私は、
大統領ほか米政府高官による「謝罪」を云々すること自体、愉快でない。
実際に行ってみればわかるが(被爆再現人形が怖過ぎた話がすべてで、
修学旅行で来た人たちはほかのことを何も覚えていないのかもしれないが)、
平和公園や原爆資料館には「記録」や「願い」があるのみで、
特定の国や団体を糾弾する展示物はない。誰も謝罪は強要されていない。
私はそれが気に入っている。
過去の立場や現在の思想信条に関係なく、誰であれ、
資料館の展示から何かを感じ、頭を垂れる気持ちになったなら、
個人としてただ真摯に祈り、心を寄せるのが良いと私は思っている。

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日の経つのが早すぎて早すぎて、全く追いつかない。
このところどうかすると、睡眠時間以外には1日が8時間くらいしかないような感覚だ。
起床したあと主人が出勤するまでは普通に時間が流れるが(笑)、
そこからは怒濤の勢いで、目の前の仕事を片付け続け、一瞬で夕方になる。
今でさえそうなのに、5月からの勤務予定表を見たら、
出勤日はフルに担当業務が入っていて、拘束時間の長さと仕事内容の多さは、
私にとって入社以来、過去最高のものになっていた(爆)。
この春の人事異動で、大変デキる人だった主任が本社に御栄転になり、
入れ替わりに新しい人達が入って来たので、
少なくとも皆が慣れて仕事が軌道に乗るまでは、
以前から居る者たちで不足分をカバーする必要が生じたのだ。
もう、立ってるモノはオバさんでも使え状態(^_^;。
私は一週間が3日程度しかない感覚で、夏までを過ごすことになるかもしれない。

*************

連休明けに、菊之助の特別番組がNHKで放送されるという記事を見つけた。
紹介文によると、なかなか貴重な内容のようだ。
5月7日と言ったら土曜日で、出勤日だから放映時間には観られないし、
早いうちに予約録画にしておかないと、私は雑事に取り紛れて、
百発百中これがあることを忘れるだろう(汗)。
こんな番組を逃したら勿体なくて悶絶しそうだ。

NHKが菊之助密着特番を5.7 On Air 芸の継承に燃える姿追う
『活躍目覚ましい歌舞伎俳優尾上菊之助(38)に密着したNHK「菊之助 挑む!~歌舞伎を受け継ぐ男の試練~」(仮題)が、5月7日午後3時5分から放送される。昨年7月に初めて挑んだ大役「義経千本桜 渡海屋の場・大物浦の場」の平知盛から、来月、長男和史君が初お目見えするまでを追う。親子4人の家族旅行の様子も初公開。菊之助の今が凝縮した50分だ。』『主に女形で修業を積んできた菊之助が、近年、立役にも積極的に取り組み、歌舞伎の継承者として苦悩しながら芸域を広げている現状を見つめる。昨年7月に国立劇場歌舞伎鑑賞教室で演じた知盛役は、ファンや関係者を驚かせた。名女形だった祖父尾上梅幸はもちろん父の尾上菊五郎も務めたことがない。家の芸の守備範囲にない時代物の大役への挑戦だった。』『また、昨年11月の全国巡業では、父の当たり役「魚屋宗五郎」の宗五郎役に初めてチャレンジ。音羽屋を継ぐ者として大きな一歩を踏み出した。今月、明治座で演じている近松門左衛門作「女殺油地獄」与兵衛は、上方もので初めての立役だ。』『それぞれ中村吉右衛門、菊五郎、片岡仁左衛門に指導を受けた。ほかに坂東玉三郎からの手ほどきもある。番組では貴重な稽古風景が明かされる。』

記事には菊之助の短いインタビューも掲載されている。
『「義経千本桜」の忠信、知盛、権太の三役は立役の卒業論文と言われていますし、ぜひ三役とも演じてみたいというのは、物心ついた時からありました。昨年、岳父の指導の下、(知盛を)できたというのはほんとにありがたい。』

吉右衛門がこれほど菊之助にとって身近な手本になろうとは、
十年前にはまだ、思いも寄らなかった。
これから当分の間、菊之助の「芸の継承」の進行を、
私たちはリアルタイムで、とくと見せて貰えることになるだろう。
菊五郎からだけでなく、吉右衛門からも、ほかの先輩方からも、
菊之助は様々なかたちで、この先も次々と貴重な芸を受け継ぐ筈だ。
私は世代的に、菊五郎の若い時代はほとんど観られなかったが、
かわりに、菊之助のことは子役時代から見守ることができた。
小さかった丑ちゃんが、音羽屋の御曹司として生い立ち、
今や押しも押されもせぬ見事な跡取りに成長したのだ。
感無量(T_T)。

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こっ、こんな日が来ようとは……(T_T)!!
カープが、14年6月7日以来の単独首位!!

セントラルリーグ順位表(04月15日)
1 広島 勝10 負 6 分 0 勝率 .625 差-
2 巨人 勝10 負 7 分 1 勝率 .588 差0.5
2 阪神 勝10 負 7 分 1 勝率 .588 差-
4 中日 勝 8 負 8 分 2 勝率 .500 差1.5
5 ヤクルト 勝 6 負10 分 1 勝率 .375 差2.0
6 DeNA 勝 5 負10 分 1 勝率 .333 差1.0

今宵限り(殴)、この喜びを味わい尽くさないでどうする!!
一晩くらい浮かれたってイイじゃないか、
去年、カープだけ、いっぺんも首位になったことなかった、
……どころか、最大瞬間風速が3位で、
あとずっと一年中Bクラスだったんだぞ(T_T)?

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珍しいものを見たので、記念に貼っておく。
最大瞬間風速みたいな何か(爆)。

セントラルリーグ順位表(04月12日)
1 広島 勝 9 負 6 分 0 勝率 .600 差-
1 巨人 勝 9 負 6 分 1 勝率 .600 差-
1 阪神 勝 9 負 6 分 1 勝率 .600 差-
4 中日 勝 7 負 7 分 2 勝率 .500 差1.5
5 ヤクルト 勝 5 負 9 分 1 勝率 .357 差2
6 DeNA 勝 5 負10 分 1 勝率 .333 差0.5

鯉のぼりの季節までは、よくある現象だろう、などと言わないで欲しい。
それはもはや、当事者でない者の先入観に過ぎない。
緒方監督就任以来、カープは昨日、初めての首位を経験したのだ。
2014年6月7日以来、実に675日ぶりの首位。
去年のこの時期は鯉のぼりどころか、毎日が最下位だったし、
夏になっても秋になっても、借金を返せたことさえほとんどなかった。
カープファンにとって、カープが(暫定)1位の順位表は、宝物だよ(^^)。
もともと機会が多くはなかった上に、
昨今はもう、滅多に拝むことができなくなったのだからね。

カープだけでなく、巨人、阪神、とセ・リーグ3球団が、首位。
………全部で6球団しか、ないんだよね~~~~

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