転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



チャボ(仲井戸麗市)が広島に来る(@CLUB QUATTRO)!
仲井戸"CHABO"麗市ソロツアー「Fighting Guitar MAN TOUR」

……のは良いのだが、なんと日取りが、1月18日(金)。
翌日の19日から、娘がセンター試験なんだけどもよ、
私は、こーゆーものに行っていてイイんだろうかね(^_^;?
無論、私が勉強するワケじゃなし、試験場に送って行くでなし、
ましてや試験前夜なんて、私が家に数時間居ないくらい、
娘には関係あろう筈もないのだが、それでもなんとなく、
私が遊び狂っていると、それだけで天罰が下りそうな気がする。
ああ、いや、しかしそうだとしても、バチは私に当たるべきで、
娘の試験の行方を心配するのは、本来、筋が違うのか(大汗)。

などと思いながら、一応、RCサクセション仲間の某にメールした。
彼女とは、昔からRCサクセションの日比谷も武道館も通った仲だ。
清志郎の最後の京都公演も一緒に行ったし、
前回チャボが広島のLive Cafe Jiveでやったときも、
私は彼女と並んで聴いたのだ。

『かくかくしかじか、チャボ来んねんけど、娘が入試で。云々。』

そうしたら、即レスが来た。
なんと先方も、下の娘ちゃんが中学入試なのだという。
日程的にうちとよく似た状況で、1月20日から始まるのだと。

『チャボは本当に行きたいんだけど、これって、どうしよう!?
塾の送迎と、はかばかしくない成績とで、身も心も折れてる昨今』。

気持ちはわかる。よ~く、わかるぞ!
なんしろ私は、かつて同じような状況下で、
ポゴレリチの大阪公演を聴きに行ったのだからな(爆)。
あれが娘の入試に祟ったかというと、そういうことは無かった。
幸先が良くなったということも全然なかったけど(汗)。
うぅむ。こうなると、チャボのライブ、
行くか行かないか、なかなかスリルがあるな(爆)。
勿論、私達二人の間には、一緒に行動せねばならない決まりなどない。
友人某だけが行くのもアリだし、私ひとりが行くことになるかもしれない。
まだまだ、予定は未定です。

**********

中学入試から6年も経っているというのに、娘たちは、
今でもときどき、当時の入試当日の話になることがあるのだそうだ。
広島の中学入試など、狭い地域の話なので、
成績に関係なく、大抵の子は同じような中学を受験しており、
同級生たちも皆、A中、B中、C中、共学中、と受けて回っているのだ。
だから、どこそこ中学の入試の日、こんなことがあった、とか、
合格発表の日に学校の横の道でこんなものを見た、
等々の思い出話は共通だ。
中でも偏差値の高い女子中学であるB中のとき、
理科の問題で「渡り鳥」のことばかり特集のように出題されていて、
全くわからんかった、あれはヒドかった、という話は定番だそうだ。
また、同じくB中の面接で1分間の話をさせられた件も皆、思い出深く、
口数の少ない娘などは、時間が余って困ったものなのだが、
友人某子ちゃんは、いつまでも喋り続けて、しまいに試験官に、
「もういいです」と止められた、という逸話を持っているのだった。

そして娘はよく、現在、仲良くしてくれている友人たちから、
「○○中学の入試のとき、一緒の教室だったよ」
「○中のときは、同じ列だったんよ、覚えとるよ」
などと、言われることがあるのだそうだ。
娘のほうは、小学校や塾が同じだった人ならともかくも、
そうでなかった人たちのことは、今となっては全く記憶しておらず、
現在の友人たちが入試のときどこにいたかなど、全くわからないのに、
どうして自分は、そのように、ほかの人たちから覚えられているのだろう、
と、あまり重なるので不思議に思い、先日、訊ねてみたそうだ。
そうしたら、友人たちの答えは、異口同音に、
「(女子校なのに)教室に、なんか、男みたいな人がおるなあ、と思って。」

Trackback ( 0 )




今年は明日が、広島の中学入試「解禁日」だ。
前も書いたが、広島市には「統一日」という設定は無く、
「解禁日」から一週間ほどの間に、ほぼ全部の私立中で、
互いにあまり重ならずに入試が行われるようになっている。
一度しか入試をしない学校がかなり多いが、
専願と一般に分けて二度したり、別途に二次募集をする学校もある。

娘の学校の中学部であるA中の入試は明後日だ。
それの準備のため、明日は午前中で授業が終わり、
中3と高2が午後まで残って校内清掃と会場準備をする。
中1と中2と高1は午前中で下校(高3は既に自由登校)だが、
高1のうち何人かには、入試当日の案内係の仕事がある。
尤も、怠惰な人間である娘は、勿論そういう係は志願していない。

私「つくづく働かんヤツやな、あーたは」
娘「だってアレなかなか大変なんよ。そんなに誰でもは務まらんよ。
 まず服装が、ちゃんとしとらんといけんじゃろ、それから」
私「キミの制服は、一応、校則違反じゃないだろう」
娘「まあ、あたしゃ違反するような意欲はないからね。それより何より、
 愛想がよくてテキパキしとらんと、案内係は出来んよ」

ああ、確かに。ごもっともで。
案内係は本校生徒の、良いイメージの代表だ。
つまり「入学したらこのようになります」というお手本だ。
「ああなりたい」と外部の方々から思って貰えることが一番の仕事だろう。
ただでさえ不安で心細い受験生親子を、
更に混乱に陥れるような人間に、案内係をして貰っては困る。

しかしねー。
あたしゃ愛想悪いしテキパキしとらんから、で世の中が通れば苦労はない。
それを許容してくれる仕事は、社会に出たら皆無に近いのではないか(--#)。
何より私の気に入らないのは、そんなこんなで、
娘が明日は半ドン、明後日と明明後日は二連休である、ということだ。
なんもしとらん者が、なんでそんな安楽に休んでて良いわけ?

Trackback ( 0 )




娘の通うA女子中は、昨日が入試、きょうが合格発表だった。
娘が受験した二年前には、A中の発表は自宅宛の郵送通知のみで、
私は試験の翌々日、何時になったら速達が来るのかと
家でジリジリと待っていたものだった。
が、その翌年、つまり昨年から、A中はなぜか、
校内掲示とネット発表、というふうに方法を変更した。
走って見に行ける距離に住んでいる我が家など、
当時から掲示をやっていてくれれば、早くて確実だったのに。

娘にそう言うと、掲示発表というものを見てみたい、と言いだした。
なるほど娘のときは、ほかの併願中学も郵送による通知ばかりだった。
唯一、B中だけが、掲示とネット発表だったが、
ネットで見たら娘はシッカリ落ちていたので(爆)、
直接、学校まで行って掲示を確かめたりは、もうしなかった。
だから娘も私も、合格者の番号が貼り出されている光景を、
まだ見たことがないのだった。

それで、夕方、買い物に行くついでに、ふたりでA中を見に行った。
なにしろ近所だし、スーパーまでの途中に学校があるのだ。
もう発表時間を若干過ぎていたので、
A中の近所まで来ると、たくさんの親子連れが、
発表を見終わって、てんでに帰って行くところだった。

女の子がニコニコしながら歩いていて、
後ろからお母さんがこれまた笑顔で、携帯電話で話していて、
ああ、この子は合格していたんだな、とわかった。
正門前では、娘さんとお母さんが笑い合いながら並んで立ち、
お父さんが声をかけて写真撮影しているところも見かけた。
そうかと思うと、今着いたばかりらしく、
息を弾ませ小走りに門を通り抜けていくお父さんと
その後ろをついて来た真剣な面持ちの女の子もあった。

正門を入ってすぐの広場になったところ二箇所に、
合格者の番号が貼り出されていた。
続けて何番か抜けていて、また番号があって、
数人分番号が続いたり、十人以上抜けている箇所があったり、
そのあとはまた、とびとびにあったり、抜けたりしていた。
番号の向こうに、ひとりひとり、受験生だった女の子がいる、
と思うと、抜けている箇所には胸が痛んだ。
この学校への思いは、それぞれ違うものがあったかもしれないが、
当日まで頑張り、一生懸命に試験を受けに来たという意味では、
どの子も、皆、同じだった筈だからだ。

合格発表の末尾は1060番台で終わっていた。
今年も志願者数は1000名を超えていたのだ。
「あたしの受験番号、確か1000番台だったんだよー」
と娘が言った。
そうだった。出願開始直前に私が大カクランしていて出遅れ、
期日には間に合ったものの、娘の受験番号は限りなく大きかった
同じ小学校出身の友人の間で、四桁の番号を持っていたのは娘だけで、
受験票を見せるたびに、皆で、かなりウケてくれたものだった(^_^;。


追記(1月26日):整頓が良いんだか悪いんだかわからない娘が、
入学当時の書類の入った封筒を見つけ出してきた。
それの表に彼女の受験番号が印字されていた。1073番だった。
娘らは学校で昼休みに合格発表の掲示板を眺めて、
自分のかつての受験番号が載っているとかいないとか喋ったそうだが、
今年の合格者の末尾は1060番台だったから、
今年だったら娘は落ちていたことがわかった(爆)。

Trackback ( 0 )




朝10時から、A中学の入学礼拝があった。
お天気に恵まれ、桜吹雪の中での入学となった。
どうかこれからの六年間が、学び多い日々となりますよう。
最初の讃美歌90番を歌うとき、私は不覚にも涙が出そうになった。

保護者の参列は非常に多く、補助イスを出しても足りないほどで、
ご両親だけでなく、おじいちゃま・おばあちゃまの姿も目立った。
校歌斉唱のときには、保護者席からもたくさんの歌声が聞こえた。
創立120周年のA中学なので、祖母・母・娘と三代続いて
この学校の生徒となられたご家庭もあることだろう。

新一年生全員に、この春卒業した旧・高三生からの贈り物があった。
それは、聖書と讃美歌と、それらを入れる手作りの布袋だった。
そして、中には、作成者の高三生からのお手紙が入っていた。
娘の貰ったものは、
『入学おめでとう!
私も一年生のとき、こうして聖書と讃美歌を貰ったことを思い出します。
これからの六年間、楽しいことばかりではなく、
ときには悲しいこともつらいこともあると思いますが、
聖書と讃美歌とともに、それらを乗り越えて行って下さい。
顔も知らない貴女だけれど、心から応援しています!
A中に来て良かったと思える学校生活を送れますように。
笑顔でいっぱいの、元気な毎日を過ごせますように。』
と書かれていた。

私学の母校愛を垣間見たような思いの入学礼拝だった。

Trackback ( 0 )




・昨日は、A中の第一回合格者登校日だった。
『第一回』ということは、いずれ『第二回』があるわけだ(^_^;)。
近所だからと部屋着もどきで行ってはいけない、ということを
過去数回にわたって痛感したので(一回で覚えろよ!)、
今回の私は朝からキッチリと化粧をした。
ヤリ過ぎて、現役時の北斗晶みたいな目元になった(--#)。

・礼拝や式典をするホールに新入生全員とその保護者が集まり、
校長先生・教頭先生や、生活指導担当の先生方のお話を聞き、
この学校での一年間を紹介するDVDを観た。
さすがにキリスト教なので、日々、礼拝と祈りの時間があって、
パイプオルガンや賛美歌など、音楽に彩られた生活なのが良いなあ、
と私は感心したが、娘は中居症の傾向があるので、つらそうだった(^^ゞ。

・学校側の全体説明でわかったことは、
一年生の学食利用は二学期から、ということだった。
一学期の間は基本的にお弁当持参か、購買のパン、と決められていて、
多分、クラスでの仲間作りという観点から、
初めは、教室でお昼御飯を食べましょう、ということなのだと思うが、
学食目当てで学校を選んだ娘は、軽くショックを受けていた(^_^;)。
でも売店に並ぶ文房具の可愛らしさは娘には嬉しい驚きだったようだ。
女の子の喜びそうなペンやメモがたくさん並んでいた。

・一年生の最初の遠足の行き先は、
初代校長だったアメリカ人女史の墓参りである、
とDVDで紹介されていた。
キリスト教なので、これは正確には「墓前礼拝」という。
学校とは違う、市内の某区に彼女の墓所があるのだそうだ。
私の出身女子大ではキャンパス内に創設者の墓があったことを思い出した。
参ると、創設者による祝福(爆)があって生涯独身になるという噂があり、
学内では「墓参りは、またにしよう」的な雰囲気が一部に漂っていたが、
そういう点ではA中初代校長の墓は大丈夫らしかった。

・説明会のあとは、自己中度が年度比200パーセントの物品購入だった。
早く済ませて解放されたい気持ちは皆同じなので責められないが、
会場となった食堂に我勝ちに駆け込み、おしあいへしあいして、
ノートや鞄や体操服や靴などを買わなくてはならなかった。
制鞄のほか、任意購入のサブバッグが2サイズあって、
会場に行く前は娘と「買うー?どっちのサイズにするー?」
などと優雅なことを話し合っていたが、
いざバーゲン会場みたいな現場に着くと、私はつい、前の人に倣って、
「3つとも!全部!」と叫んでいた。
学校名イニシャル入り靴下も、隣人の勢いに便乗して五足買ってしまった。
冷静になって考えてみたら、要らぬ出費だったかも(T.T)。

Trackback ( 0 )




娘がB中の入試で間違えた、国語の慣用句の問題のひとつに、
『木で鼻を(   )』の( )に適切な動詞を入れよというのがあった。
正解は『木で鼻をくくる』、
冷たい態度で人をあしらうときの慣用的な表現だが、
娘は知らなかった、というか、やったのに全然覚えていなかったので
『木で鼻をすする』と書いたと言っていた(--#)。

私は、娘からこの話を聞いたとき、
「木で鼻をすする、って何だよ!?やってみろ~!」
と突っ込んだ。
が、よく考えてみたら、『木で鼻をくくる』という動作だって、
文字通りなら、私は、やってみせられない(^_^;)。
というか、そもそも、全然意味が通らない言い回しではないか。
鼻って、くくれますか?首をくくる、なら、まだしも(爆)。

それで、私はググった。
これは一体、どういう意味合いの言葉なのか。
木で鼻をくくる、とは具体的にはどうすることを言ったものか。

そうしたら、発見したのが、以下のページだった。

木で鼻は・・・
オジサンの へや雑学事典の小部屋の『き』の項より)
『本来は「木で鼻をこくる」という言葉。
こくるというのは「こする」という意味で、
鼻をかむ時、鼻水を拭き取る時に木でこするということ。
強くこする時の表情が無愛想に見えるから、
あるいは紙なんかいらない、木で十分だというような態度から来ている。
また、布は汚れるし紙(和紙)は高級品だったために、
おまえごときは木で鼻水でも拭いておけと下の者に言う人の態度とも言われる』

な、なんと(^_^;)。
本当に鼻ミズを拭く話だったのである!!
娘のは、まんざら、とんでもない創作とも言えなかったようだ。
・・・というページがあることを教えてやったら、
娘は「わぁ~い、わぁ~い♪」と大喜びしていた。


いや、キミが正解できなかった事実は動かないんだけどね?

Trackback ( 0 )




昨日は、A中学の制服の採寸を、市内の指定店で済ませた。
A中学は娘らの学年から新制服になることが決まっていて、
私は、写真や展示品以外で制服実物を見たのは初めてだった。

長袖白のシャツブラウスに、濃紺のジャンパースカート、
冬はそれに濃紺のジャケット、襟元には赤いリボンタイ。
娘の前に試着・採寸をしていたお嬢ちゃんは、
ほっそりと小柄な体型で、本当に可愛らしかったので、
私は、娘に制服が恐ろしく似合わなかったらどうしよう、
とここに来て初めて不安になった(殴)。

係の女性は、手慣れた様子で娘を鏡の前に立たせて、
メジャーでサっと計ってあたりをつけ、サイズをみつくろって、
見本品の制服一式を娘に渡し、試着室で着てみて下さいと言った。
普段、Tシャツとパンツで過ごしている娘は、
果たしてジャンパースカートのはき方を知っているのか!?と
私はまたしても不安になった。

思った通り、しばらくすると試着室のカーテンの向こうから、
「あっ、しまった、こっちが先だった」
「うそ、穴があいとらん。……あ、これかぁ」
などと悪戦苦闘している娘の声が漏れ聞こえてきた(爆)。

どうにか着付けの出来上がった娘は、
……よよよよかった、そんなに変でもなかった(殴)。
今治でも広島でも、私服の学校しか行ったことがなかったので、
娘の制服姿は、神戸の格闘技系幼稚園以来初めてだったが、
これはこれで、なかなか、きりっとして良いではないか、
と私はすっかり親バカになった。
まあ、見慣れぬ姿というのは、なんであれ新鮮なんですわ(^_^;)。

それにしても、女子プロ体型の娘なのに、
よくこんな、きちんと着られるサイズがあったな、
と思って、娘の着ている試着品を見たら、札には、

160B

と印字されていた。
そうかっ、キミのサイズは、身長160センチのB体型かっっ。

店員さんが、スカート丈や肩幅などを見ながら、
「今でこれくらいの丈なら、これから背が伸びても大丈夫ですよ。
三年間、着られると思います。膝丈前後は、学校の規則でも
許容範囲ですから、スカートがもう少し上がっても大丈夫です」
と、にっこりして言った。

いや、私が心配しているのは、背が伸びることよりもむしろ、
その、脇ファスナーが、ある日、上がらなくなるのでは、
ということのほうなんスけど……(殴)。

Trackback ( 0 )




(写真は、娘が塾で最後に貰ったプリントに出ていたキャラ。
合格して感動し、歯を出して泣いているらしい(^_^;)。)

最初の入試が始まる前夜、娘と私は持ち物の点検をしたのだが、
そのとき実は私は、受験票を確認しようとして、
はらりと一枚、床に落としてしまったという出来事があった(爆)。

私「げっっ、落とした!」
娘「どこの中学の?」
私「B中」
娘「ぎゃーははははは!」

ほかの三校がハガキ大なのに、B中だけ、受験票が小さくて、
企画違いだったために、揃えにくかった、
というのが理由だが、それにしても落っことしたのがB中だとは、
あまりにピッタリで、娘と私はウケまくってしまった。

B中は広島県内では最難関の女子校なので、
『記念受験だなー(^_^;)』と私は内心では思っていたが、
それでも当日は、合格する気で行けと娘を励まして送り出した。
帰宅して娘は開口一番、
「理科が難しくてね~。答案書きながら、さよ~なら~って思った」
と言った。さよか。やっぱりな。ははははは(T.T)。
「渡り鳥がどうとかこうとか、……問題が7ページもあって」
終わっとるな(^^ゞ。

娘「国語の慣用句と四字熟語もわからんかった」
私「どういうのが出たの?」
娘「え~っとね~、まず、『木で鼻をナントカ』。
 ナントカのところに動詞を入れるんだけど」
私「『木で鼻をくくる』」
娘「そうか~(^_^;)。『木で鼻をすする』って書いちゃった」
私「冷たい態度を取る、という意味だよ」
娘「知らんかった~。『木で鼻をかむ』かとも思ったが」

娘「あとは~、馬耳東風、適材適所、異口同音、は出来たんだけど、
 ○前○後、ってのがわかんなくてえ」
私「『空前絶後』」
娘「そうか~!」
私「後にも先にもない、ってことだね」
娘「せんせん後、って書いたんだよ~」
私「なに、産前産後の滋養強壮?」
娘「ちゃうっっ。戦前戦後!」

娘「もひとつは、晴○雨○、が……」
私「『晴耕雨読』」
娘「晴天雨天、って書いちゃったよ~、ふふっ」

私は、このとき、こいつの不合格を確信した(爆)。

Trackback ( 0 )




娘の、長かった受験生活が、とうとう、終わった(T.T)。
ここ数日の私は、限りない開放感で、全身が弛緩している。
塾長先生の話じゃないが「運が良かった」という要素は大きいけれど、
それでも、娘なりに二年間よく頑張った成果が、あったと思っている。

娘は、かねて第一志望だったA中学に合格できたので、
通知を見たときなど、涙ぐんで私に抱きついて喜んだ。
恐らく、娘にとって初めての「嬉し泣き」だったのではないだろうか。
彼女は今や、A中学の真新しい制服を着た自分が、
学食で美味いうどんを食しているところなどイメージして
とてつもなく自分本位な夢を見てうっとりしている(^_^;)。

主人は、中学受験経験者だけに、偏差値の高い学校に憧れがあり、
巧い偶然でB女子中に引っかからんかな、と甘い期待をしていたのだそうで、
「やっぱり、実力以上のことって、起こらんもんやねー」
と苦笑していた。
そーですね。絶対ないとは言わないけど、少ないでしょうね普通。
ということで、主人としては、B中がだめならA中ということで、
これ以上は全く、異存はないそうだ。
「入学式か~。ワシも行こうかな~~」
と、ちょっと楽しみにしている様子だった。

一方私は、娘の希望通りで良いのだ、とは重々思いながらも、
自分が説明会で非常に感銘を受けた共学中学
(ここは、主人の受験時代には無かった新設校だ)、
自分の祖母・伯母・従姉が学んだ伝統的女子教育のC女子中とに、
どうしても気持ちが傾いていたので、
せっかく合格したのに、この二校のどちらにも行かないのは、
勿体ないのではないか、という未練が、
正直なところ、今もまだ、ちょっとばかり、残っている(^^ゞ。

しかし、突き放して考えてみれば、どんな学校だって、
オーダーメイドのように自分にとって居心地の良いものである筈がなく、
大なり小なり、不愉快な欠点は、いくつか、あるものだと思う。
入学して、実際に中学校生活が始まってそれらに気づいたとき、
本人が、それでもなお、自分の学校の美点の方を愛して、
この中学を母校と思えるかどうか、という問題を考えると、やはり、
本人の基本的な思い入れのある学校を選ぶのが良いと思う。
何より、6年間通うのは、親ではなく、本人なのだ。

今、幸運にして選択の余地がある状態なのだから、
ここはやはり、娘本人が以前からずっと第一志望だと決めていた、
A中学を、娘の進学先にすべきなのだと私は思った。
ごくありきたりの、共学の公立育ちだった私は、
宗教教育のある女子校という特殊な環境に娘を預けることには、
一抹の不安と、僅かばかりの抵抗感がないではないのだが、
娘の視野が広がるような工夫は、家庭でもできることだし、
そうしたユニークな環境でなければ身に付かないことも多いだろうから、
やはりここは、全面的に娘を支持し、応援して行こうと思った。

ということで、娘は四月から、

私立A女子中学の一年生に、なります♪

おめでとう(*^_^*)!


Trackback ( 0 )




祝!合格

27日に受験した私立C女子中学から、合格通知が、来ました(T.T)。
これで、娘の中学受験の一切が、晴れて終了しました。
四校受けて、三勝一敗。本当に本当に良かったです(T.T)。

お世話になりました皆様、お見守り下さいました方々、
娘ともども、心からお礼申し上げます<m(__)m>!!

娘なりに、この2年間、ずっと一生懸命頑張ったことを、
親バカですがいっぱい誉めてやりたいと思っています。
エラかったぞ~~(T.T)!!

Trackback ( 0 )



« 前ページ