転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今、話題の「息子のために6億円横領した母」のニュースを聞いていたら、
6億円の使い途は、

●1億8000万円は車上荒しにあい盗まれた。
●4億2000万円は、これまでの借金の返済と、
 高級クラブで1本800万円のシャンペンを飲むなど豪遊して使い切った。

と、どうも信憑性に欠ける上、話としても、かなり、くだらなかった。
億と名のつく金額は、到底、素人の手に負えるものではないということだ。

うちの「ころもん」にしても、よく、
「10億円くらい、ころころっと、入らんかな~」
と夢見ているのだが、ではその10億円が本当に手に入ったなら、
アナタは一体、何をするのですかと詰め寄ると、
やはり、たいしたことは、ないのだ。

自称フランス人の、ころもんの悲願であるフランス帰国を果たし、
パリに1ヵ月滞在し、合間にマドリッドにも足を伸ばし、
ルーヴルとオルセーとプラドを満喫する、ということくらいしか、
彼の思いつく「贅沢」は、ないのだ。
「毎日三食、フランス料理のフルコース食うてもええが、胸焼けするし、
第一、10億使いきる前に、脂肪肝と高脂血症で死ぬしな」
とも、彼は言った。

私は、最近、とみに、舅宅をリフォームしたくなった。
10億あれば、やってもいいような気がする。
煙草の匂いがしみついた壁紙を、家中全部、貼り替え、
ほこりだらけの布団類を始末し、かわりに
ムアツ布団とトワフィル掛け布団(夏・冬)を人数分、常備する。
庭師を入れて、雑草を一掃する、
またはもっと徹底的なジャングルとしてレイアウトして貰う(爆)。
なんなら、二階の洋間なんかは、モールディングを施し、
シーリング・メダリオンをつけてシャンデリアを飾り、
女王様のような天蓋付きのベッドでもつくるか?

・・・・・しかし、仮に、リフォームにとどまらず、
プチトリアノンみたいなものを建てたとしても、
結局、1億すら使わないで終わりそうだ。土地も狭いし。
よそに広い土地を買い直したりしたら、
それはもう、「舅宅」でなくなってしまうしな。

と思っていたら、先日の夜、ころもんは、新しいことを思いついた。
「もしアラブの石油王が、ころもんが可哀相だという理由で
10億くれたとして、それはアブク銭じゃん。
パぁっと使うても、ええじゃろ。
わしは、決めた。それで、広島カープのスポンサーになる!!」

確かに。
市民の「たる募金」に頼るような市民球団なのだから、
ここは強力なスポンサーがつけば、願ったり叶ったりだろう。
今、市民の皆さんと心合わせて出来そうな、
最も有意義な仕事は、きっと、それだろうよ。
野球にほとんど関心を持っていない私でさえ、賛成だ。
めでたく、我が家では10億円の使い途が、決まった。

Trackback ( 0 )




巷で人気のブログ通信簿をやってみた。
URLを入れると、最新記事10本をもとに、五段階評価で、
「主張度」「気楽度」「マメ度」「影響度」が判定されるのと、
内容や言葉遣いから「ブログ性別とブログ年齢」が弾き出される。

結果、全体としては娘の通信簿みたいな評価が並んでいて、
私の書いているものは、「主張度」が「2」、あとは全部「3」だった。
「性別」は「不詳」、「ブログ年齢」は「33歳」だそうだ。

とりたてて笑える結果でなくて残念だが、通信欄にある、
「歌舞伎の知識や経験をいかして、脚本家を目指しましょう」
とは困ったご託宣だと思った。
私は、基本的に作り手側になることをヨシとしないのだ。
目指すとすれば、あーせい・こーせいと自分本位に語る、
トーシロー評論家のほうではないかと思う。

Trackback ( 0 )




先日、どういう話のなりゆきだったか忘れたのだが、私が、
今まで自分が知り合ったS学会の会員さんたちは、
皆、とても親切で、良い人たちだった、
という感想を言ったら、主人が、
「どぞ」
と、『日本の10大新宗教』(島田裕巳・著)を貸してくれた。

今までも書いたように、主人は親の代かその前からずっと浄土真宗で、
転勤族一家は某寺院の檀家であるから、私も門徒ということになるのだが、
そもそも私の方の実家の父は神社神道、母方は浄土宗、
そして今、うちの娘の行っている学校はプロテスタントで、
私もまた若い頃から、よく、あちこちのキリスト教会に行っていて、
かなり傾倒していた時期も幾度かあり、近寄ったり離れたりして来た。
つまり我が家はある意味、典型的な日本人的宗教環境(爆)なのだ。

宗教に対する私の感覚は、あまり定見は無いのだけれども、
なんであれ信仰を持つのは悪くないと感じており、
なんらかの宗教的な教えに触れることによって、
魂が存在するか否かなどの問題について考えを深めたり、
他者のために働くことを喜びと感じられるようになるのなら、
そういう世界を持たない人生より、それは幸福なことだろう、
と思っている。

先に書いた通り、私自身の信仰とは接点がないが、
これまで出会ったS学会員の人たちは、皆、とても誠実だったし、
転勤先で知り合った、某R友会系新宗教団体の信者さんたちも、
他人に対してとげとげしさの無い、落ち着いた方々だった。
心の中に「神様」や「仏様」があったり、
教理などにより、絶えず生活を正す努力をしているというのは、
見事なことだなあと私は彼ら彼女らを見て思ったものだ。

「それは布教のカモになりそうなアナタに親切にしただけ」
と、私の話を聞いて言った人が、今まで実際にいたのだが、
しかし彼ら・彼女らの誰も、私に対して布教もお祈りもしなかった。
ただ、自分たちに信仰があることを話してくれただけで、
あとは普通の、居心地の良い友人知人関係を築いてくれたのだ。

だいたいが、キリスト教だって仏教だってイスラム教だって、
今は歴史があるから、世界の三大宗教として定着しているが、
発生した当時は、それぞれが新興宗教だったのだ。
今、世間的に「新興宗教」と見なされているものだって、
これから年月を経て信者数がさらに拡大して行けば、
世界的な宗教として認知されるときが来るかもしれないと思う。

この『日本の10大新宗教』でも、あらゆる宗教は最初に、
「新宗教」として登場する、ということが説明されている。
そして、この本に関して私がとても良いと思ったのは、
いずれの宗教に対しても、著者は研究者としての立場を貫き、
社会の中での位置づけを解き明かすことに字数を費やしており、
宗教の内容そのものへの主観的評価は下していない、という点だ。
歴史的に社会批判の対象になった事実や出来事には触れているが、
筆者はそれを根拠にして、特定宗教を否定する記述はしていない。

ときに、個人的に目からウロコだったのは、第二章の『大本』だ。
私はかつて大学入試を受けたとき、某大学の日本史で、
『大本教の弾圧について100字以内で説明しなさい』という問題が出て、
大本のオの字も知らなかったために、大変、途方に暮れた
という忘れがたい思い出があったのだ。
この本を読むことで、その問いに関する詳細な回答を、
四半世紀を過ぎてようやく手にした思いだった。
もっとも、たった100字で、一体何を書かせたかったのか、
出題者の意図については、いっそう、謎が深まったが(爆)。

Trackback ( 0 )




国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で働くN子ちゃんのことを
以前、幾度か、ここで書いたことがあるのだが。

風呂の問題も克服できたんやね
Mecha natsukashi
Mecha natsukashi 2

ここ数年、ジュネーブ本部勤務だったN子ちゃんが、
このほど、スーダンのUNHCRジュバ事務所の新しい所長となり、
6月に現地に赴任したことを、私はネットのニュースで偶然知った。
ジュネーブとアフリカ各地の勤務は、だいたい3年交替くらいだと
以前、N子ちゃん自身が電話で言っていた通り、
新しい辞令が出て、数年ぶりの前線勤務になったというわけだ。

これまたN子ちゃん本人が前に言っていたことだが、
今は世界中どこでも、インターネットだけはできるのだそうで、
本部とのやりとりは全部、Eメールだそうだ。
それで私も、彼女のUNHCRのアドレスに早速メールを送ってみた。
彼女のメールソフトは日本語に対応していないから、
前半は怪しい英語で、後半は変テコなローマ字日本語で書いた。
ニュースで彼女の名を見つけたこと、活躍を嬉しく思っていること、
現地に駆けつけることはできないが、協力したいということ、
多忙であればレスは要らないから体だけは気をつけて、等々。

すると、驚いたことにN子ちゃんからの返事が、翌日には来た。
6月14日にスーダンのハルツームに着いて、ジュバに入ったのは18日、
以来、新しい任務との悪戦苦闘の毎日だと書いてあった。
紛争に巻き込まれ、近隣のウガンダ、ケニヤ、エチオピア等に避難した、
スーダンの難民の帰還を支援するのが、今の彼女の、主な仕事だった。

スーダンから他国へ避難した人々、諸国からスーダンへ逃げてきた難民が、
入り乱れる場所で、更に雨季と乾季があるため活動が制限されがちで、
そのような状況下で、キャンプから本国への帰還支援そのものや、
安全な水の確保、スーダン内部の公共事業の立て直し等々、
ジュバ事務所の課題は山積みで、資金も不足しているとのことだ。

一方で、この小さな村のようなジュバに、
国連関係職員やNGO団体の人たちが多数集まっているため、
今は大変に国際色が豊かで、現地で商売をする人まであるそうだ。
「believe or not, we have Japanese, Thai, Ethiopian,
Lebanese, Chinese food etc, but expensive!
(信じられないかもしれないけど、各国の食べ物があって
和食や、タイ、エチオピア、レバノンの食べ物、それに中華、
でも、高い!)」

国際機関の、援助活動の最前線で奮闘するN子ちゃんのメールは、
今の彼女の思考回路や感覚が、肌で感じられるような、
勢いのある英語で、全文が綴られていた。

「things are very much challenging but interesting.
(状況はとても過酷だけど、やり甲斐があり興味深いものです)」

Trackback ( 0 )




午後、舅宅を片付けて、中区に戻ってきた。
二泊しかしなかったのと、暑すぎて外の用事が出来なかったのとで、
早朝に僅かばかり草抜きをし、剪定の真似事をした程度で、
庭はまだまだジャングル状態を脱し切れていないまま、
別荘滞在(爆)が終わってしまった。
お盆明け頃にまた宿泊を計画しているのだが、
それまでにも通いで少し手入れに行きたいと思っている。

舅宅がほったらかしでジャングルだと言ったら、
某氏が『陰陽師』みたいで良いではないかと仰ったのだが、
もう、この際、そっち方向で異彩を放つ家を目指したほうが
私には適しているかもしれないと、今回は真面目に思った。

丈の高い雑草がうっそうと茂るエントランスから
どうにか玄関まで辿り着いたら、
部屋着か寝間着かわからないものを着たオバちゃん(私)が
何か焚いていて、化粧気のない顔をあげて、
「このように草の生い茂る塚までお訪ね下さるとは――」。
娘には背後で笛を吹いていて貰おう。
一日中、何か聞き取れない話をし、歌まで歌う楽しい姑も、
ライティングなど工夫すれば鬼気迫って見えるかもしれない。
「お盆宿泊プラン『陰陽師』」。
セールスマン撃退には最適。舅も帰って来易いかも(殴)。

ところで、今回、舅の墓参りに行くのに、主人が盆灯籠を買った。
広島では、お盆には、和紙を貼った竹細工の灯籠を
墓参りの人たちがてんでに購入して、墓前に供える習慣がある
のだ。
初盆なら白、それ以外ならカラフルなのを供えることになっている。
ところが、この週末、灯籠を持って墓に行ってみたら、
なんと、うちの墓には、灯籠を立てるスペースが、なかった(汗)。

墓石を決めたとき、灯籠立てはつけなかったのだが、
なんとなく我々は、墓の横か前に、砂地か土の通路でもあって
そこに挿せるような気がしていたのだ。
だが、墓の周囲はすべてコンクリートだった。くっ、短慮であった。

あたりを見渡すと、墓によっては、竹筒を地中に埋めたり、
ブロックを立てて置いたりして、灯籠立ての場所が、
あらかじめ設定されているところもあった。
仕方がないから、主人は、そういう灯籠用の穴のあいている、
全然知らない人のお墓に、買って来た灯籠を立てた。
我々は、頭を垂れて、見知らぬ人の墓前で南無阿弥陀仏と唱えた。
広島は旧盆なので、この時期、墓所全体を見回しても、
灯籠の供えられている墓は、まだ、全くひとつも、なかった。

私たちは逃げ帰った。
供えたところをご住職様に見られていませんように(殴)!!

Trackback ( 0 )


別荘  


これから、佐伯区の、標高の高いところにある舅宅に行く。
どんなジャングルになっているか、楽しみだ(泣)。

我が家の場合、普段は中区の集合住宅に住んでいて、
たまに郊外の一戸建てに泊まりに行くのだから、
つまり舅宅は別荘だと思えば優雅で良いような気がする。
ひどく近所だけど。

子供の頃、別荘のあるお宅などというものは知り合いには無かったが、
テレビドラマや小説などで、夏は別荘開きをする、みたいな話があると
「格好良いな~~」
と憧れたものだった。
やれやれ実現しちまったぜ(泣)。

私の若い友人で、県北のほうにお嫁に行った子がいるのだが、
彼女が言うには、その地域でも別荘を所有するお宅があるそうだ。
「家がこのへん(県北)で、もっと山のほうに別荘があるらしいですよ。
別荘番を頼んでいて、でも一年中、費用がかかって大変なんで、
息子さんがひとりで住むことになったけど、
やっぱり冬は寒くて居られないって、こっちへ出て来るそうです」
そりゃそうだろう。
彼女の住んでいるところが既に、スキー場のある地域だ。
それよりもっと山奥って、どんなところなんだろうか。
「うちらへんが、別荘そのものですよね~~。寒いし涼しいし」
と彼女は笑った。

前に、インテリア雑誌を見ていたら、
別荘としてマンションの一室を買った、というお宅が紹介されていた。
なるほど、これからはそれが良いかもしれない。
基本的に郊外の一戸建てを安く買い、普段は静かな暮らしをして、
経済的に余裕ができたら市街地にセカンドハウスを買う、という。

定年退職後に田舎暮らしをしたい、という人の場合にしても、
都会の者がいきなり田舎などに行ってやっていけるわけがないので、
小さくても市街地に部屋をキープしたうえで、
田舎に家を買ってみる、というのが正解ではないだろうか。
まあ普通、なかなか先立つものがないけども(汗)。

Trackback ( 0 )




県外の友人・某氏が広島に寄って下さったので、
きょうは、昼前から出かけて、
お好み村で昼食を取り、平和公園を少し歩いた。
お天気が良くて爽快だったが、とてもとても暑かった!

その某氏とも話したことなのだが、
少なくとも数十年前、私が子供だった時代には、
おおざっぱにいって本州の西半分なら、
「きょうは30度あるからね~!猛暑や!」
「うわ。そりゃ暑いはずや!」
みたいな会話を普通にしていた。
それが、今では、夏なら30度なんか当然というか、むしろマシなほうで、
37度だの38度だのが、真夏の「暑い」気温としてまかり通るようになった。
本当に、地球は短期間で明らかに温暖化したのだ。

記憶を辿って見ると、私が生まれて初めて、
暑さゆえに「耐え難い」とつくづく感じたのは、86年の夏だった。
当時、私は東京の西のほうで下宿生活をしていたのだが、
例の、エアコンなしの六畳一間で、このときは室温が40度行った。

私は初め、そんな気温になっているとは考えてもいず、
ただ自分がひどくシンドいので、何か病気になったかと、
部屋で寝ころんで、熱を測ろうと、体温計を出した。
すると、電子体温計が、ボタンを押しただけで、
肌にあてないうちに目の前でピピピピピと上がり初めて、
あっという間に37度4分くらいになった。
ニブい私は、このときまだ、体温計が壊れたのかと思ったのだが、
ふと、部屋の温度計を見て、驚愕した。40度あったのだ。
発熱しているのは、私ではなかった。部屋だった。

確かこの日は、八王子で最高気温が39度とかで、ニュースにもなった。
ときどき冷蔵庫をあけてパクパク呼吸しながら一日を生き延びた私は、
晩になって帰ってきた同じ下宿の友人から
アイスクリームをめぐんで貰い、ようやく生き返ったものだった。

あれから幾度か、「この夏はヒドい!」と思ったことがあったが、
当初は数年おきにそのような思いをする程度だったものが、
最近はもう、毎年毎年、ヒドい夏を過ごしているような気がする。
昔と違って、一応エアコンのある住まいになったので、
家にいて熱中症になる危険性はほぼなくなったが、
毎日の外気温は、あの39度の夏と、既に変わらないところまで来ている。

私が四十数年生きてきただけで、地球環境はこんなに変わった。
今14歳の娘たちの世代が、おばーちゃんになる頃には、
夏には40度台の気温も珍しくなくなる!?と思うと、怖い。

Trackback ( 0 )




惣領冬実『チェーザレ~破壊の創造者~』、
やっと第五巻が出たので買った。

チェーザレ~破壊の創造者:公式サイト

私とチェーザレ・ボルジアの出会いは、
昭和40年代の、既に題名も忘れたが何かの少女漫画の中で、
毒薬カンタレラを駆使して権力を手にした謎めいた男として
この人の名が紹介されていたことだった。
その漫画の主人公も、何か旧家に伝わる毒薬を持っていた、
という設定だったと思うのだが、そんな本筋はすぐに曖昧になり、
ただ、そこで触れられていたチェーザレのエピソードだけが
いつまでも、私の心に残った。

そして高校生になった頃、書店で、塩野七生氏の、
『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を見つけ、
あの漫画に名前の出ていた人の話だ!と飛びついて買った。
これが自分にとっては大変強烈で、
のちに大学でシェイクスピアの『リチャード三世』を読んだとき、
「まるで、チェーザレ・ボルジアみたいな死に方~」
と変なところに萌えてしまったくらいだった。

その後、ボルジア家に関しては中田耕治氏の評伝にもハマったが、
もっと大人になってから、私はある意味、原点回帰をして、
チェーザレを扱った漫画を開拓するようになった。
川原泉『バビロンまで何マイル?』が面白かったので、
調子に乗って氷栗優『カンタレラ』を買ったら、
こちらかはかなりファンタジーっぽくて挫折してしまった
(魔力とか幻想などがお好きな方には良いかもしれません)。

それで、もっと硬派な、徹底的なチェーザレものはないだろうかと
探すともなく探していたときに出会ったのが、
この『チェーザレ~破壊の創造者~』だった。
娘は、これはシンドくて読めないと言うので、
多分、私好みの執拗な濃さのある漫画なのだろうと思う。
確かに、気楽に読み流せる作品でないことは
作者の遅筆ぶりから言っても明らかだろう。
私には、コタエられない世界なのだが(苦笑)。

Trackback ( 0 )




本来なら清志郎が野音で公演するはずだった9月6日に、
有志の清志郎ファンが東京某所に集まって、
千羽鶴作成と復活前祝いイベントを行うことになっている
(mixi会員の方は、詳細についてはmixi『忌野清志郎 RCサクセション』の
イベント『千羽鶴と復活前祝イベント「ラッキー夢助ナイト」』を
参照して頂ければと思います)。

実は、私は長い間、千羽鶴というものが好きでなかった。
平和公園が身近にあって、あまりにも見過ぎたせいかもしれない。
ダルそうな修学旅行生が千羽鶴を抱えている姿を見るにつけ、
広島には、とりあえず折り紙さえして来れば格好がつくと思ってないか?
と溜息をつきたい気分が、私には、あった。
病気や怪我のお見舞いとして贈る千羽鶴にしても、
入院となると、条件反射のように鶴を折り始めるみたいで、
私はどうも、純粋に好意的な気持ちを持つことが、できなかった。
行為としての形骸化や、贈る側の瞬間的な自己満足しか、
当時の私には感じられなかったのだと思う。

しかし、清志郎の完全復活武道館公演の映像を見たとき、
私の考えは、不意に、変わった。
オマエ清志郎絡みだと簡単に宗旨替えするんだな、
と嗤われるのは承知の上で、正直に言う。
復活したときの清志郎の姿を見て、私は初めて理解したのだ。
形骸化して見えようが何だろうが、
ファンの思いは千羽鶴のかたちを借りて清志郎に届けられ、
そして清志郎はそれに、確かに応えようとしたのだと。

それは武道館公演の一回目のアンコールのときだった。
『よォーこそ』のイントロに迎えられて登場した清志郎は、
衣装のハデなマントの上に、レイのようにした千羽鶴を、
前にも後ろにも袖口にも、縦横無尽に、たくさんたくさん、つけていた。
ファン有志から贈られた、数え切れないほどの折り鶴だった。
そしてそれには、『エール100%』と書いたタグがつけられていたのだ。
ステージでは滅多に客に頭を下げることのない清志郎からの、
それは、まぎれもない、真摯な返礼だった。

某掲示板で、清志郎の回復を願うファンの言葉の間に、
「祈ったくらいでガンがなおるのかよ」
という否定的なコメントがあったが、
祈るというのは、実際的な利益を得るためにするような、
簡単な行為ではない、と私は思う。
決して、『なおる』という見返りを手に入れるために祈るとか、
なおらないなら無駄だから祈らない、というものではないのだ。

mixiでこの千羽鶴のイベントが告知されて以来、
全国の見知らぬ人同士が、参加表明をし、また、
当日の会場として予定されている某会館の職員さん達からも、
「私たちも折っていいでしょうか?」
という問い合わせがあったということだ。
私も、なんらかのかたちで、このイベントに協力できれば、
と今、思っている。
人の思いは、決して目に見えるものではないが、
清志郎の回復を祈ることだけを共有する人たちが集まって、
知恵を出し合い力を合わせて、千羽鶴を折るという行為には、
確かに、『ブ熱い』(by清志郎)何かが、宿っていると思うのだ。

Trackback ( 0 )




20日に梅田芸術劇場メインホールにて、
宙組『雨に唄えば』の昼の部を観た。
ジーン・ケリーの映画は観たことがあったが、
前回2003年に日生劇場でトウコ(安蘭けい)ちゃんが主演したものは
私は録画すら観ていないので、宝塚版は今回が完全に初見だった。

全体としては、曲も踊りも馴染みのあるものがほとんどで
テンポが良く、とても楽しい舞台になっていたと思ったが、
部分的に、生徒さんの台詞を確保するために伸ばされた場面があったり
舞台では演出上不可能なのでカットされた踊りがあったりして、
少しダレてしまったところも、私にとっては、あった。
映画版は、ジーン・ケリーを初めとする出演者たちの
超人的なダンスやパフォーマンスを見せるための構成になっていて、
それらを除くと、物語としては実は、たいして起伏のない内容だった、
ということが、今回の宙組を観て、わかってしまった。

しかし勿論、とても愉快でオシャレな舞台になっていたと思う。
タニ(大和悠河)ちゃんの演じた主人公ドン・ロックウッドは特に、
踊り以外のことではなんら積極的な行動をしない役なので、
タニちゃんのアイドル性スター性があればこそ務まったのではと思った。
ちょっとした動きにも華やかさがあって、キザでも可愛らしくて、
とても好感の持てるドンだった。

こういうドンであるからこそ、ハリウッドの人気スターになってもなお、
昔ながらの仲間コズモ・ブラウン(蘭寿とむ)と
変わらずに友情を保って愉快な関係でいられるのだろうと思った。
コズモは、客観的に設定だけを見るなら、
親友のドンが脚光を浴び注目の的であるのに較べ、自分のほうは
「僕に何がある?」と言っている通り、ただの裏方だ。
にも関わらず、彼はいつもドンに協力し、自分の仕事も広げ、
終始、なんの不自然さもなく、朗らかに協力関係を維持している。
ひとえにコズモの人徳ということでも良いけれども、
今回の宙組キャストでは、タニちゃんの素直さとの相乗効果で、
コズモの自然な振る舞いに説得力が出ていたと思う。

そのコズモの蘭とむくんは、声も良いしダンスの切れ味も素晴らしくて、
一貫してテンション高く生き生きと演じていて、見ていて本当に楽しかった。
ただ、脚本や演出の関係からか、舞台全体が、
映画のような突き抜けた明るさまでは到達できていない印象があり、
その中で、常に上機嫌なコズモは、時々、
「ただの躁なヒト」に見える瞬間があった(逃)と思った。惜しかった。

リナ・ラモントのほっくん(北翔海莉)は、実に実に巧かった。
リナの悪声を最初から最後まで徹底してつくっていたが、
それでいて台詞の聞き取りにくい箇所が全くなかったのがさすがだった。
ダンスとパフォーマンスを見せるためにあるこの作品の中で、
唯一、演技の内容そのものを問われるのがリナなのだが、
ほっくんは今回、その責任を十分に果たす好演だったと思う。
一部、あざと過ぎるかなと思われる箇所もあったのだが、
これもコズモの躁状態と同様に、本来求められるべきテンションと
今回の脚本世界が引きずっていた日常性との間に、
ややズレがあったということではないかとも思った。

撮影所長シンプソン(天羽珠紀)のタップシーンがあり、
彼女は大変に芸達者なので、客席から拍手が起こっていた。
こういう役者さんこそ、劇団は是非、大切にして欲しいと思った。
本編のあと、ショーのフィナーレが見られるのは宝塚ならではで、
この天羽珠紀のダンスや、前述の北翔海莉の歌など、
本編では満喫できなかった部分が活かされていて、良かった。

Trackback ( 0 )



« 前ページ