転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



4年ぶりに開幕白星 緒方監督は初 鈴木復活打 田中決勝打
「広島6―3中日」(30日、マツダスタジアム)
(デイリースポーツ)
『球団史上初の3連覇を目指す広島が競り勝ち、4年ぶりに開幕白星を挙げた。』『初回、松山の右犠飛で先制。三回には昨季、右くるぶしを骨折した鈴木が復活を印象づける左中間突破の適時二塁打を放った。1点を追う六回にはエルドレッドのチーム1号の同点ソロと田中の左越え2点二塁打などで3点を奪い逆転した。』

またしても、この季節がやってきた(^_^;。
毎日毎晩、カープの勝った負けたが我が家の空気を変えるという(汗)。
そういえば去年の開幕戦は、朝から真冬のように冷たい雨が降りしきり、
「こりゃ、さすがに中止じゃろ」
と思っていたら、ケチな球団は強気で試合を決行してしまい、
冷え込む大雨の中、びしょ濡れになって投球をさせられたジョンソンが、
そのせいで体を壊してどれだけ大変だったか、…ったくアレさえ無きゃ…、
……などと、試合前、つい「思い出し怒り」をしたワタクシであった。

今夜は、温かく晴れて動きやすい、文句なしの開幕日和だったが、
序盤に先発のノムスケがいきなりの四球連発になったので、
「幸先悪い!」と主人は不機嫌になってテレビ観戦をやめてしまい、
私もストレスをためながら試合経過を見守るのは嫌で、
夕食後、ひとりで縮景園の夜桜を見に行くことにした。
20時30分までに入場しないといけないので、時間のある今夜しかないと思った。
「開幕戦じゃけ、縮景園のほうは空いとるんじゃないかね」
と出る前に私が言ったら、花見の趣味を持たない主人は
「カープ観る人間と夜桜を見る人間はカブっとらんけ、込んどるじゃろ」
と、居間のソファで寝そべりながら言った。

縮景園では今、3月23日から4月8日まで、夜桜特別開園が行われているのだが、
例年より桜の開花が早かったので、既に満開だった。
カープの地元での開幕戦だというのに(笑)、主人の予測の通り、
縮景園はかなりの人混みで、門の外まで入場を待つ行列ができていた。
並びながら周囲を見回し、立ち話を聞くともなしに聞いていると、
私のような地元の人間以外にも、
偶然、夜桜ライトアップを新聞の情報で知って来られた方や、
週末しか来られないからと、天気が良かった幸運を喜んでいらっしゃる方、
あるいは一目で旅行者とわかる、外国人観光客の一団、など、様々だった。

夜の縮景園は独特で、ライトアップされた満開の桜を
月を背景に眺めると、昼に来るのとは全く違った風情があった。
園内を散策しつつ、人垣の間から写真を撮ったりして、
春の宵ならではの趣を、ひととおり楽しませて貰った。
……その話と写真は、またのちほど(^_^;。

そして、私が帰宅したら、ちょうど試合が動いて同点になっており、
主人も抜け目なくテレビ観戦を再開していた。
このヒトはとにかくカープが勝つところだけが観たいのだ。
最近何年もカープは決まって開幕戦で負けていたが、
今夜は打線がうまく繋がり、後半で点を入れることができた。
それでも9回表まで来て、かなりドラマティックな中崎劇場が開幕してしまい、
またぞろ胃薬不可避かと思われたが、なんとかそこも抑えて、勝った。

カープの開幕戦勝利は4年ぶりで、
それが地元広島でとなると、2002年以来なんと16年ぶり、
ゆえにマツダスタジアムとしては、開場初の開幕白星となった。

良かった良かったorz


追記(4月1日):広島緒方監督「つながる攻撃」13年ぶり開幕3連勝(日刊スポーツ)
誠也が下半身の張りで本日欠場、新井もまだ復帰できておらず、
決して最善とはいえないチーム状況だが、とにかく3勝できた。
打線がよく機能しており、得点力に繋がっているところが素晴らしい。
見出しにある通り開幕3連勝は13年ぶり、
本拠地広島での開幕3連勝は30年ぶり、
マツダスタジアムでは勿論、開場10年目にして初めての出来事になった。
もっとも、その13年前の2005年は最終的に最下位になり(爆)、
30年前の1988年にしたところが3位でシーズンを終えているので、
別に、開幕3連勝したから素晴らしい年になるというわけではないのだった。
まあ単純に、気分が良い、ということで(^_^;。

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クラシック倶楽部 イーヴォ・ポゴレリチ In 奈良 -正暦寺 福寿院客殿-(BSプレミアム)

放送が3月26日早朝で、録画はしていたのだが、
私は東京にいて自宅を留守にしていたため、観ていなかった。
きょう、一週間ぶりに家での自由時間が得られたので、
ようやく、視聴することがかなった。

まず、演奏家の名を紹介するナレーションの
「イーヴォ・ポゴレリチ」の発音が大変注意深く、
カタカナ日本語としては最大限、
本来のアクセントに近づけたものであったことに感心した。
さすがにNHKは用意周到で、正確であると思った。

正暦寺は奈良市の南東部の山間にあり、
今回の選曲はその閑かな佇まいに似つかわしく、
「静のポゴレリチ」に焦点をあてたものばかりだった。
福寿院客殿の、緋毛氈の上に、屋根を外したスタインウェイが設置され、
いつもの通り全曲、楽譜を見ての演奏、ポゴレリチ本人はラフな服装。
本来、ヨーロッパの石造りの乾いた邸内で響くように作られた楽器や楽曲を
日本の、木と紙で組まれた湿気のある古い寺院で演奏するのは、
それだけで『東洋と西洋の文化の融合により文明の理想が実現する』
(ピアニスト傅聡(フー・ツォン)の亡父で仏文学者の傅雷(フー・レイ)の言葉)
という方向の試みになっていたと思う。
ピアノの向こう側には、東洋ならではの借景庭園が広がり、
演奏するポゴレリチの正面には孔雀明王像。

私はこれまで、ほかの演奏家と異なりポゴレリチについては、
生での演奏を中心に聴いていたので、
テレビ収録の演奏を聴くことは大変新鮮に思われた。
演奏会で聴く彼の演奏とは全く別の印象があり、
目の前に聴衆が居るのとは違い、映像作品として首尾一貫させるため、
おそらく非常に抑えた演奏をしたのではないかという気がした。
音のレンジを敢えて絞り、空間に響き渡らせることよりも、
距離的に近い、特定の場所からのみ、聴き取られることを
強く意識した音の作り方だったと感じた。

撮影は昨年10月24、25日の両日に渡って行われたとあり、
ショパン『夜想曲』作品62-2 だけは夜の収録だったが、
これでさえ、夜の演奏会で聴いたイメージとは別のものがあった。
過去のリサイタルでのこの曲は、私には、月夜の屍累々の光景が
目に浮かんだものだったが、福寿院客殿での演奏では、
奥の深いカルマの物語を感じた。
やはり、音の組み立て方が、ホールで弾くものとは異なる、
至近距離の中での完成を目指したものだったからではないかと思う。

曲目の間には、YuanPu(焦元溥)によるインタビューが挿入されており、
ポゴレリチが十分にインタビュアを信頼し、
穏やかな気分で語っていることが感じられた。
また、YuanPuと二人で春日大社や東大寺を散策し、
礼儀正しく帽子を脱いで大仏殿に入るポゴレリチの様子や、
お茶室でtea ceremonyにあずかるマエストロの図、などもあり、
和やかな秋の観光の様子が、様々な映像として記録されていた。

(YuanPu Chiao氏はポゴレリチの信頼篤い音楽研究家。
下記の著書『ピアニストが語る!』の中でも
ポゴレリチの興味深い発言を数多く引き出している。)

焦 元溥YuanPu Chiao/著 森岡 葉/訳
【増補版】ピアニストが語る!』(アルファベータブックス)


私が最も強く打たれたのは、最後のシベリウス『悲しきワルツ』で、
インタビューの中でポゴレリチは、シベリウスの和声について、
極めて独特(exclusive)であると語っており、
その表現には高度な工夫が必要であることを述べていた。
一昨年の演奏会のアンコールでこれが演奏されたとき、私は、
ポゴレリチは今もなお死者と踊るのか……、
と思ったものだったが、今回はその点についても新たな印象があり、
業(ごう)や宿命から目を反らすことなく、
亡き人の魂さえ解放し、浄化しようとする演奏だったと思った。
正暦寺という場所が、彼にそうするための力を貸したのかもしれない。

最初から最後まで、古都に相応しく静かな時の流れを伝える番組で、
現在のポゴレリチの到達点を、一方向からではあったが正確に切り取り
構成してくれた内容だったと、ファンとして心から感謝している。
NHKプレミアムでなければ、なかなかこれほどの時間を
テレビ番組として提供してくれることはなかっただろうと思う。

しかし、演奏家イーヴォ・ポゴレリチは、あれがすべてではない。
過去の経験から私はそれを知っている。
ポゴレリチは同じ曲を演奏してさえも、多彩な顔を見せる芸術家であり、
彼のメタモルフォーゼは、彼が生きてこの世にある限り、
これからも決して終わることがないのだ。
この冬に既に来日が決まっていることを、改めてとても嬉しく思っている。

**************

ただひとつ、あのシベリウスを聴いた今となっては、
ポゴレリチが、今年の12月の来日公演のプログラムから、
スクリャービン『詩曲:焔に向かって』作品72を外してしまったことが
かなり残念に思われる。
2015年3月に本人が公式サイトで発表した予定曲目では、
2018~19年のシーズンにこの曲が入っており、
その時点で既に私は大いに期待していたのだが、
来日公演が決まって告知されたプログラムの中には無かったのだ。
今の彼なら、さながら踊るシヴァ神のように、
世に終末をもたらす炎を操れるのではないかと思うのだが……。

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両親と某介護付有料老人ホームの部屋を見に行った。
既に契約上は入居可能日になっているので、
指定された部屋に、表札がわりのネームプレートも出ており、
あとは持ち物を整えて、実際に滞在を始めるばかり
という状態になっていた。
部屋にもともあるものや、レンタルでとりあえず入れた家具類、
その他、共用部の仕組や使い方について再度、説明・案内して戴き、
職員さんの方々にご挨拶をして、当面、何を持ってくるかを
予め作ってきたリストを見ながら、話し合った。

 ・衣類(肌着、寝間着、普段着、靴下)
 ・洗面用具、洗面器ほか入浴セット、タオル類
 ・洗濯ネット
 ・流し台で使う程度の洗剤・スポンジ
 ・皿・湯飲み・カップ・箸
 ・筆記用具、書籍など娯楽関係
 ・時計、カレンダー
 ・携帯充電器
 ・電気シェーバー
 ・ゴミ箱
 ・施設内普段履きの靴
 ・薬、保険証類
 ・オヤツ代・タクシー代程度の現金少々
 ・電気ポット
 ・電気敷布

これらを、日頃家に来て下さっているヘルパーさんとも相談しながら
来月前半くらいかけて揃え、適宜、ホームに搬入することにした。
施設からの注意事項を書いたプリントによると、
各自の持ち物には、油性ペンでわかりやすいところに記名をするか、
ネームラベルを注文・購入し、貼り付けておくように、とのことだった。

季節がどんどん明るく温かくなる時期で、なかなか運が良かった。
移動もかなり気軽にできるし、温度差による体調の変動など
ほかの季節よりは心配しなくて済む。

父は例によって何もかも忘却の彼方で、出かける前には、
「ワシは行かん。このまま家に居る!」
と登園を拒否する幼稚園児のような有様だったが、
そこをなんとかと私が拝んで、タクシーを呼んで連れ出したら、
案外、それ以上むずかることはなく済んだ(爆)。
そして、現地を見ると思い出したらしく、職員さんに自分から挨拶し、
笑顔でお話もし、質問などもしたりして、至って積極的になった。
……まあ、またすぐに忘れるのだろうとは思うが(爆)。

母のほうは、朝、私が顔を見たときには、
「もう脚が痛くて痛くてどうもならん。
ホームに入ったら、もう、家に帰ることはないと思うとる」
と悲愴な顔つきをしていたが、タクシーで外出し外の人達に会うと、
社交的な気分が戻り、しゃんとした様子で、
帰宅してからはかなり機嫌良く、前向きなことを言うようになった。
やはり、短期滞在から始めたいそうだ(^_^;。

あとは第一回入居日を決めて、とにかく行ってみることだな。

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今年のポゴレリチ来日公演に関しては、
12月8日の東京公演が既に発表されていたのだが、
昨日、Facebookのお友達某氏の情報により、
そのほかに地方公演もあることが判明した。

12月1日(土)15:00 霧島国際音楽ホール みやまコンセール
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
シューマン:交響的練習曲 作品13(遺作変奏付き)
かごしまミューズ・クラブ会員先行8月18日~ 一般発売8月26日~

12月6日(木)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
第36回 名古屋クラシックフェスティバル(中京テレビ主催)
全8公演通し券4月17日~ 公演別チケット6月2日~

12月8日 (土) 19:00 東京サントリーホール
モーツァルト: アダージョ ロ短調 K.540
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調
シューマン: 交響的練習曲 op.13
カジモトイープラス会員限定先行6月7日~10日 一般発売6月16日~

現在わかっているのは以上だ。これで全部だろうか?
プログラムは名古屋のが出ていないが、多分、ほかと同じだろう。

私が行くとしたら、今のところ名古屋は問題無い。
月曜と木曜が、私にとっては最も休みを取りやすい曜日だから、
そこに当ててくれたのは本当に有り難い。
一方、うちの会社は土曜が一番仕事の忙しい曜日で、
いくら有休があるとはいえ、2週連続で土曜日を休むのは大変厳しい。
1日か8日かで選ぶとなると、私にとってはどう見ても1日の霧島だ(^_^;。
全部で1000席に満たないみやまコンセールのホールに行ってみたい。

ともあれ、いずれもまだチケット発売日まで間があるので、
もう少し、楽しく悩むことができそうだ。

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本日は歌舞伎座昼の部。
私のお目当ては雀右衛門と松緑が踊る『男女道成寺』。

雀右衛門、前半はえも言われぬ、魅力的で優美な、
うねりのある踊りで花子の様々な顔を見せて下さり、
先代のマリー雀右衛門のおじさま(@俳優祭『ばらのよばなし』)
もあの世でさぞや感じ入っておいでだろうと見とれていたのだが、
最後に蛇になって鐘に乗り、その上で見得を切る花子を
オペラグラスで見たら、一転して清姫の狂気そのもののお顔になっており、
これぞ天を衝く清姫の怒り!と息を呑んでしまった。
当代雀右衛門の胸のうちには、深くたぎる「熱」がある!と感じ入った。

対する松緑、前半は「白拍子 桜子」としての女性の踊りで、
あまりにも、あまりにも可愛くて俄には松緑とは信じられず(殴)、
私はオペラグラスをあげて二度観をした。
身のこなしのひとつひとつに愛らしさと品格があり、
一分の隙もなく、さすが藤間流六世家元の面目躍如。
後半の、「狂言師 左近」としての踊りも、軽やか、かつ鮮やか。
お化粧も、眉は違うが基本形が桜子のままなので、
左近になってもやはりかなり可愛くてお人形さんのよう、
見ながら幾度も、こちらの頬が緩んでしまった。
……この方、来月は西郷さんなんですよね(^_^;??

名手ふたりが、静かに、かつ真っ向から技を競い合う共演に加え、
今回の舞台は、所化も超豪華な「イケメン祭り」状態で、
並ぶのは、歌昇、竹松、壱太郎、廣太郎、米吉、橋之助、男寅、福之助。
満開の桜に相応しく、そこかしこに馥郁(ふくいく)とした香り漂う、
華やか・賑やかな一幕を見せて貰った。

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(写真は、歌舞伎座タワー5階のギャラリーに展示されている『鰹』。
『髪結新三』では、この初鰹が舞台の空気を決定づける小道具となる)

昨日、国立劇場で菊之助の『髪結新三』を観た。
畏れ入りました!!

菊之助は近年、充実しすぎて「ヤバい」(笑)。
すらりとした立ち姿、妖しい眼差し、まろやかな声音、
それに程よく丸みの出て来た脚線美になんとも言えぬ色気があって、
ちょっとこれまで観たこともないほど美しい新三だった。

最初に新三が髪結の小道具を下げて舞台下手から出て来たとき
菊之助の目つきが、今までの彼にはなかった、
「美貌の小悪党」然としたものであることに、まず強く感心させられたが、
その次に、朝湯帰りという設定で新三が手拭い・浴衣姿で花道に登場した場面、
私はその、匂い立つ全身の美しさに心射貫かれた思いがした。
更に、閻魔堂の場で、侠客となった姿で舞台上手から姿を現したときの菊之助も
その体じゅうから発散される空気に、昏い紅色が漂うような印象があり、
ひとつひとつ、研鑽を積んだ菊之助が身につけてきたものが
こういうかたちになったのかと、強く打たれ、目を見張った。

役と向かい合う際の菊之助の、妥協を許さぬ徹底的な姿勢と、
限りなく謙虚な学び取り方を、目の当たりにした思いだった。
常に音羽屋としての正しさを高め、追求し続け、
丁寧に厳格に積み重ねてきたものが、今や豊かに実って、
いよいよ、瑞々しい大輪の花になろうとしている、と思った。
そして、我々は今ここで「芸の継承」を現在進行形で目撃している!
という手応えをひしひしと感じた。
私は長く菊五郎のファンであり続けているのだが、
息子の菊之助が、菊五郎の新三をまさに超えんとしていることを
心から嬉しく、感慨深く思っている。
菊五郎は、なんと見事な後継者を育ててくれたのだろうか!

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書類上の契約日である3月20日の前日、19日に、
某介護付有料老人ホームの担当の方から、私に、
「明日以降、いつでもご入居戴けます。
ご両親様のお気持ちでは、すぐではなく来月くらいから、
と以前伺っていましたが、その後の御様子は、いかがでしょうか」
とのお電話があった。
両親は、……正確に言うと母のほうは、その気になっているのだが、
父のほうは気楽にボケ倒しているので、先日も水を向けてみたところ、
「なんじゃったかいね。忘れた。ワシも行くんかいね」
とのことだった。まあ多分、現地を見れば思い出すだろう(^_^;。

これまで、特に母と私とで話した限りでは、
まずは今月中に入居予定の部屋を見て、必要なものを検討・荷造りし、
来月あたり、最初は数日から一週間程度「お泊まり」をしてみて、
その後、自宅に戻り、要るものがあれば揃えて、もう一度「お泊まり」に行き、
……と、繰り返しながらホーム滞在に慣れていきたい、
という希望になっている。
その旨を担当氏に伝えると、
「ごもっともです、そうして戴きましょう」
と全面的に理解を示して下さった。ありがたいことだった。

介護保険に関しては、今後、ホームでの生活がメインになるまでは、
これまで通り自宅で介護保険を使い、ホーム滞在は「お泊まり」扱いにし、
今後、自宅滞在との日数が拮抗もしくは逆転するようになれば、
ホームでの生活に介護保険を使い、
自宅を「外泊」と考えればよいとのことだった。
自費での支払が可能である限りは、「外泊」中に自宅で、
これまで通りヘルパーさんに来て戴くことは可能だそうだ。
この「ホームと自宅の、行ったり来たり」の希望と計画については、
現在のケアマネさんにも既に話してあり、介護保険の使い方についても、
今回のホーム側と同様の見解だったので、おそらく何も問題ないだろう。
いずれにしてもホームのほうの室料は今月から支払が発生するので、
単純に費用の面から言えば、ホーム滞在を増やしたほうが経済的ではある。
両親が順調にホームでの生活に慣れてくれると良いのだが(^_^;。

ともあれこれで、両親ともに「行くところ」ができたので良かった。
変わったことが起こらなければ、上記の計画で、
自宅とホームの使い分けにゆっくり慣れて行けば良いし、
もしこのあと、両親のどちらかが突然倒れるようなことになっても、
倒れた当人は勿論、残りのひとりのほうも一緒に、
全面的に引き受けて戴ける場所があることになったので、心強い。
季節も良くなってきたし、春から徐々に慣らし始めて、
暑さが厳しくなる頃には、エアコン完備のホーム生活に移行したほうが、
約90歳の夫婦の心身にとって、良いのではないかと私は思っている。


後日記(4月12日):後になってホームのほうから訂正の連絡があり、
介護保険は、ホーム滞在中はホームで使うが、
外泊中は家で使うことができる、とのことだった。
「ホームご利用時以外には、こちらから介護保険の請求は
できないことになっていますので」
というのが、ホームの担当職員さんの説明だった。
つまり、ホームのほうの室料は、退所しない限りは、
滞在していてもいなくても月額として定められたものを支払続けることになるが、
外泊中の家での支払は、これまで通り介護保険を使ったものになり、
全額自費などということはないし、請求が増えるということもないのだった。
こういうところの仕組みは、姑のときの特養とはまた違うらしいということを
私は遅まきながら初めて知った。

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実家両親が電子レンジを買い換えたいと言ったので、先日、手配し、
その配達・設置日が本日午前中だったため、朝から両親宅に行った。
9時から12時の間に配達がある、と私は事前に伝えておいたのだが、
両親が覚えている筈もなく、玄関の鍵を開けて入ってみると、
父は寝坊しており、母は寝間着のまま、朝食らしきものをとっていた。
母は私を見るなり、何の用事で来たかとも訊かず、
もう足が痛くてたまらない・いつまで辛抱すれば治るのか、
と、文字通り「渋面を作って」という様相で苦情を言った。
例によってテレビががんがんに鳴っていた。

「こんな人ら、朝からこういう話(=森友問題)を喋るのが面白うて仕方ないんや」
と母はワイドショーのコメンテーターを指した。
「面白いかどうかは知らんが、まあ、この人達は、これが仕事やし、な」
「何が仕事ね!面白おかしいてやっとるんよ、こんな人らは!」
「……はぁ(^_^;」

いつも笑顔で接客している私もまた、母のようなお客様からは、
楽しくて面白おかしいから働いていると思われているのだろうか(汗)。

それから、母は、回覧板を回すのが負担だという話をし始めた。
うちの村では、町内会に入っている家すべてに回る回覧板と、
農業をしている家だけに回る回覧板の二種類が存在していて、
町内会の回覧板については、以前から両親がもうしんどいと言っていたので、
先月、私が班長さんに電話をして、
『町内会は続けさせて貰いたいが、老夫婦世帯で、脚も不自由になってきたので、
今後、回覧板はうちは飛ばして戴きたい』と頼んだのだ。
これについてはたちどころに理解が得られ、先日、町内会の方が来られて、
「回覧板が回らなくとも、大事なお知らせは必ずお届けしますから」
と、新年度の挨拶とともに言って下さったと、両親は喜んでいた。
しかし農家版のほうはまだ止めていないため、今も回って来ているのだった。

「ほんなら農家の回覧板のほうも止めるように電話しとくわ。誰が代表やの?」
と私が尋ねたら、母は、
「ようわからへん。うちの前は……誰か知らん、いろいろ名前は書いてあるけど、
 いちばん下(しも)はOさんやと思うけど、全部で何軒かもわからへん。
 上(かみ)から下(しも)へ回るんやけど、下から来たこともあんねん」
と回覧板を回す順番のことだけ言った。私は、
「うちの次はKさんやろ。届けに行ったこと私も何度かあるわ」
と言ってみたが、母はそれには答えず、
「それに、じーちゃん(父)が、こっちの回覧板はやめへんて言うねん」
と言った。父は農家版の回覧板は続けて読みたい理由があるのか?
「なんで、て訊いたら、うちにも農地があるから、て言うねん」
母の話では、町内会の回覧板は持って行くのを面倒がった父が、
農家の回覧板のほうは、ちゃんと次のKさんのところへ、
そこそこ距離もあるのに歩いて届けに行っているのだという。

私「じゃあ、とりあえず、今すぐは、やめんでもええということか」
母「町内会の回覧板のほうは、やれ届けに行くのはしんどいじゃの、
 ワシが行くばっかりでアンタが行くのは見たことないじゃのと、
 さんざん私に苦情を言うといて、農家のぶんは、『農地があるから』やと」
私「じーちゃんが自分で持って行くのやな?」
母「そうや。こないだなんか、私がもう止める言うたらいかんと思うたんか、
 回覧が来たら、さっさと自分で持っていっとうねん」

……ならば、とりあえずスムーズで、何も問題ないのでは(^_^;?

母「もうこんなトシやし、忘れて回覧板がうちで長いこと止まっとうこともあるし、
 もうやめたらええと思うんやけど。どなたが代表さんかもわからへんねんけど」
私「ほんなら、私からKさんに電話して代表さんが誰か訊いて、
 次からは回覧板はうちは飛ばして貰うように言おうか」
母「じーちゃんは、こっちの回覧板は、やめへんて言うねん」
私「それはさっき聞いたが、しかしどちみち負担になって来るし、
 某有料老人ホームに行くようになったら、留守することもあるようになるし、
 やめても、別におかしいことはないと思うが。私からじーちゃんに言おか」
母「でも、じーちゃんが、農地があるから、て」
私「(それも聞いたが(^_^;)」(テレビの大音量が耐え難くリモコンで下げながら)
母「こないだなんか、私がもう止める言うたらいかんと思うたんか、
 さっさと自分で持っていっとうねん」
私「(それも聞いたね(^_^;)」
母「町内会の回覧板のほうは、やれ届けに行くのはしんどいじゃの、
 ワシが行くばっかりでアンタが行くのは見たことないじゃのと、
 さんざん苦情を言うといて、農家のぶんは、『農地があるから』やと」
私「(全部リピートしましたね今(^_^;)」
母「ほんでも、忘れて回覧板がうちで長いこと止まっとうこともあるし、
 もうやめたらええと思うんやけど」

ああ、早く電器屋さんが来てくれないかな(爆)

それからも母は回覧板の話を続け、『農地があるから』と
『私がもう止める言うたらいかんと思うたんか、
 さっさと自分で持っていっとうねん』を3回くらい言った。
待ちに待った某家電量販店の配達部門の方々は、結局10時45分に来られた。
遅めではあったが、母の話がつらくて配達を待ち焦がれたのは
私のほうの主観的な事情であって、配達に関しては約束の範囲内であり、
全く苦情を言うような時刻ではなかった。
偶然だがほぼ同時刻に、訪問リハビリの女性が来られたので
母は私との話を打ち切って寝室のベッドに戻り、
父もお構いなしに自分の部屋のベッドの中でテレビを観ており、
レンジの設置は私が指示してどうにかした。
レンジ欲しいて言うたん誰やねんホンマに(--#)。
配達の方はてきぱきした良い方で、
私は食堂のテレビを切って静寂を取り戻し、
普通の大人と普通の会話をして、やっと息を吹き返した気分になった。

……帰り道、私は心密かに、例の農家の回覧板を止めてやろうと思った(逃)。
父のほうも程よくボケているので、回覧板を目にしなくなれば、忘れるだろう。
そもそも、農家版のは定期的に回って来る回覧板でないし、
そこで紹介されている業者さんから以前、除草剤を買ったことはあったが、
それも大昔のことで、もう、うちでは長い間、誰も農作業をしていない。
父の言う「農地」は休耕地になって久しいのだ。
何より、このままでは農家版回覧板が来るたびに、
母のエンドレス苦情が繰り返されることになり、私の体に大変悪い(汗)。

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午前中、TOEIC Speaking & Writing Testsに行ってきた。
昨年は10月に、TOEIC SpeakingのIPを一度だけ職場で受けたのだが、
今回は全額自費で!公開テストを受験した。
新年の、今年の目標が「TOEIC S&Wを受ける」だったので、
めでたく、本日それが果たせた。
……スコアの目標は立てていなかったのだから、
行ってきただけでゴール到達だ(爆)。

広島市内には二箇所に会場があり、より近い方を希望したのだが、
その場所での午前の受験者は、全員で10名ほどだったと思う。
試験時間は午前と午後とに別れており、私の場合は、
9時半までに集合、10時試験開始、という予定になっていた。
到着した順に受け付けされ、時間になると証明写真の撮影があり、
その後ひとりずつ、パソコンが設置されている席に案内された。
そして着席してヘッドセットをつけ、画面に従って順次テストが開始された。
私の受付番号はヒトケタ台後半だったので、試験場に入ると既に、
先に始めている人達がいて、その音声は聴こうと思えば聴けた。
1万円払って英語を喋る&書くテストに志願するくらいだから、
ひととおりのことはやれる人達が中心、という印象だった。

試験問題や内容については書いてはいけないことになっているので、
全体を通しての感想になってしまうが、
私にとっては、もともと得意とは言えないSpeakingの中でも、
やはり留守電メッセージに入っている相談に答えるという設定の
Question 10「Propose a solution」が最大の難所だった。
私の現実の境遇なら受ける筈のない質問に対して、
務めたこともない仕事の担当者として返答せねばならず、
留守録の聞き直しは出来ないし、メモを取ることも許されていない中で、
辻褄のあった話をデッチ上げるのは、かなり辛いものがあった。
英語の正しさ以前に、喋れそうなネタを思いつくかどうかという……(汗)。
仮にこれが、「学校の先生から娘の問題について連絡があった」等なら、
放っておいても言いたいことが沸き起こって来るから、
もっと思うさま喋ってやれるのだが(爆)。

Writingは、前提として、手で書くのではなくパソコンを使用するので、
ワープロ入力のスキルが、速度・正確さともにある程度は必要だ。
私は家や会社の馴染んだパソコンなら不安はないが、よそに行くと、
キーボードの感触の違いやマウスの動き方のクセなどに、どうしても
多少、違和感を覚えるのが常で、今回も慣れるのにやや努力が要った。
それと、画面の文字表示が小さいのに参った。
あれはもしかしたら、どこかをいじれば、
もっと大きな表示サイズになおせるのだったかもしれないが、
限られた試験時間だし、要らないところを触ってヘンになったら困る、
というオバさんならではの不器用さで、私はそのままやった。
Writingは、私のように日本の学校で普通に勉強した人間でも、
別に焦りまくりという内容ではなく、時間も足りた。
初めての受験で、評価基準が体感としてわからないので、
あれで良かったかどうか不明だが、文字数等の基準は守れている筈だ。
以上、Speaking・Writingの順で受けて、終了は11時半頃だったかと思う。

実は、こうして3月にTOEICのL&RとS&Wを立て続けに受けたのは、
IIBC AWARD OF EXCELLENCEの表彰対象になれるかもしれない、
と考えたからだった。
同一年度内(4~3月)に、TOEIC L&RとTOEIC S&Wの両方を受験して、
4技能全てにおいて一定基準を満たすスコアを取得していれば、
公式認定証とは別に、IIBC AWARD OF EXCELLENCEという表彰状が
授与されることになっていて、今月分までが2017年度の試験だったのだ。
公式サイトによると、表彰の基準は、
L&R800点以上(L375点以上、R425点以上)、
S160点以上、W170点以上で、2016年度の対象者は256名だったそうだ。
貰ったからってすぐ何になるわけでもないのだが(爆)、
まあ、単に名誉というか、励みになるというか。
全体としてひどく高い基準だとは感じないが、
L&R・S&Wそれぞれ同時に基準以上のスコアを取るのは結構大変だし、
とりわけR425は、そう誰でもは到達できない点数だという気がする。
リーディングのスコアを伸ばすのはリスニングより時間がかかるので、
TOEIC L&Rで800超えの人達であっても、L400点台+R300点台、
という組み合わせのほうが多い筈だと私は経験的に思っている。

ともあれ、終わった終わった。
忙しかったが、受験に行くことができたのでまずは良しとしよう。
結果に不満でキレたら、また次のを受けに行くことにして(汗)。
みじめさを味わった者のほうが語学は伸びると、
千田潤一先生も仰っていることだしな。


<付:4月4日Web結果発表 4月10日 Official Score Certificate着>
S190(Level=8) W180(Level=8)
Pronunciation Level : MEDIUM
Intonation and Stress Level : HIGH

夕方メールチェックしたら、
『テスト結果の表示を開始いたしました』という通知が来ており、
TOEIC S&Wは、20日足らずでWeb結果発表があるものだと初めて知った。
それでログインしてみたら、他人の結果が私のものとして誤表示されたか?
と思ったほど、不可思議な評価が出ていた(爆)。

まず、Speakingが190(満点200)で、8という最高レベルを貰っているのだが、
私はそんなに喋れたとは毛頭、思っていなかった。
昨年、TOEIC SpeakingのIPを会社で受けたときスコア170だったが、
あのときのほうが自分としては断然、まとまった内容で文法的にも正しく、
きちんと話せた筈だったと思うのに、グダグダの今回のほうが190とは、
どうしたことだろうか。
一方、Writingは180で、こちらはSpeakingとは異なり、
自覚としては水も漏らさぬ正確さで書いたつもりだったので、
何か方向性を誤っていたのだろうかと、道に迷った気分だ。
少なくとも、Speakingより下の評価になるとは、全く予想していなかった。

公開テストとしては今回が初めての受験だったので、
対策面で、私はまだまだ把握しきれていないところが多かった、
ということだろうと思う。
いろいろと謎の多い、TOEIC S&Wの結果だった(^_^;。
また受けてみようとは思うが、受験料が1万円と結構高額なので、
そうそう毎月のように受けに行く訳にも行かない。
まあ、いつかそのうち……、ということで。

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今年度としては3月号が最後だ。
入門編、倉舘健一先生とクロエ・ヴィアートさんによる、
『〈つながる〉フランス語』は、ほど良くやり甲斐がある。
本当は、テキストを見なくてもわからなくてはならないレベルだが、
語彙には私にとっては新しいものもよくあるし、鼻歌交じりとは行かない。
直説法大過去・半過去、条件法・接続法、…等々、
未だに自由自在とは到底いえない時制を復習するのは良いことで、
今の私には、足りないところを補うのにちょうど良い内容なのだと思う。
ただ、聴く側にはタスクがほぼなく、一緒に音読する程度なので、
何もしなくても放送時間が過ぎてしまうところが、ちょっと物足りない気もする。

応用編、姫田麻利子先生とマリー=フランソワーズ・パンジエさんの
『日仏交流さんぽ~全国編』は、私にとっては、
和文仏訳が大変面白く、勉強になる。
姫田先生が、「ここは、~~という言い方ではどうですか?」
と、いかにも学習者が最初に思いつきそうな言い回しを出して
マダム・パンジエにコメントを求めて下さるのが嬉しい。
「そうそう、私もそれが使いたかったんだよ(^_^;」
と、痒いところに手が届くような解説を有り難く思っている。

私のフランス語は相変わらず大変不自由なままなのだが、
それでも現在、英語の次になんとかなる外国語、
というくらいには、なった。
もし、フランス語しか通じない場所で一人ぼっちになったら、
とりあえず知っている限りのフランス語を繋いで喋ってみるだろうし、
相手の話で聴き取れないところがあっても、
文字で書いてくれるように要求したりして、
ジェスチャーや表情の力を借りずとも、言葉のみによって、
なんとか自分の要求を伝えられるだろう、と思う。
これまでの人生、フランス語圏には全く行ったことがないし、
フランス語話者と喋った経験なんて片手で足りるほどの回数しかなく、
しかも、そのうち2回はフランス語検定の二次試験だったりするので、
私のフランス語経験のほぼ全部が、昔の「フランス語講座」及び、
現在の「まいにちフランス語」から得られたものである(^_^;。

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