転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



大播磨(吉右衛門)が3月末に救急搬送された件について、
松竹から報告が出ている。
引き続き療養に専念ということで、五月の歌舞伎座は歌六が代役を務める。

中村吉右衛門についてのご報告(歌舞伎美人)
『中村吉右衛門は、3月末から急性の心臓発作により、都内病院にて治療を受けておりますが、 4月下旬での医師による診察の結果、当面の間、療養に専念する必要があることになりました。』『つきましては、出演を予定しております歌舞伎座「五月大歌舞伎」の5月12日(水)以降で予定している公演は休演し、下記の通り代役にて上演いたします。』

……今、一応、ほっとしたから言うんだが、最初、Twitterの松竹公式アカウントは、
『【重要なお知らせ】中村吉右衛門についてのご報告』とだけtweetしていて、
肝心の記事内容はリンクで、クリックして読むまで中身がわからず、
私はもう、こっちの心臓のほうがどうかなりそうだったぞ((( ;゚Д゚)))。
配慮したタイトルを書いてよ、私みたいに(逃)!
こんなとこで「引き」のテクニックなんか発揮しなくていいんだよ!!


追記:こちら↓は更に詳しい。現在は一般病棟で治療を受けているとのことだ。
やはり発作時の初動が良かったから救命できた、ということではないかな。
詳しいご病状はわからないし、まだ手放しで安心してはいけないだろうけれど。
じーさん扱いしては、大播磨はお気に召さないかもしれませんが(^_^;、
もともとが、高齢者の経年劣化としての心不全は多いことですから、
決して侮らず、ゆっくりしっかり療養なさって下さいませ。

入院中の中村吉右衛門、病名は急性の心臓発作 「五月大歌舞伎」を休演(日刊スポーツ)
『3月28日に都内ホテルで体調不良を訴え救急搬送された歌舞伎俳優中村吉右衛門(76)の病状について、松竹は4月30日、急性の心臓発作だったことを明らかにした。関係者によると、現在は一般病棟で治療を受けているという。』『今月下旬の診察の結果、療養に専念する必要があるとの診断を受け、「五月大歌舞伎」(12日以降開幕予定)は休演する。』『吉右衛門は同興行の第3部「八陣守護城 湖水御座船」に佐藤正清役で出演予定だったが、同役は中村歌六がつとめる。』

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黄色のアルストロメリアの花束を買った。
エアコンが要らず、衣服も軽くなって、良い季節がやってきた。
まだこのあと2か月くらいは、生花を楽しむことができるだろう。

世間は明日からゴールデンウイークに入る訳だが、
私はまだ、これから5月2日まで、神社のほうの用事が毎日入っている。
授与品受付所の留守番とか、お朔日祭の日の社務所番とか。
救いは、神社の仕事は屋外かそれに近い状況がほとんどなのと、
田舎で人が少ないのとで、感染の心配をあまりしなくて良いことだ。
しかしTwitterのお医者様方のお話によると、変異株が入って来てからは、
マスク着用・三密回避・手洗い励行等を心がけていても、
それらをすり抜けるように感染してしまう人が、
これまでよりもずっと増えてきたそうなので、油断してはいけない。
そもそも、マスク着用・三密回避・手洗い励行、とお題目のように言っていても、
我々自身、去年の今頃と較べたら、「案外、大丈夫」と
高をくくっているところが出てきているのではないかと思うし。
今一度、厳格にやらなくては。

とりあえず5月3日からは今のところ、何も言いつけられていないので、
3日~5日は家で連休を満喫したいと願っている。
私は本当に籠もるのだけは得意中の得意だ。
孤独耐性も自信があるし、食べ物の趣味も皆無で何でも一飯になる。
感染爆発中として模範的な休日の過ごし方を、身を以て提示できる筈なのだが、
こういうときに限って呼び出されることが多く、迷惑している。
6日~9日も休暇にできると有り難いのだが、さて巧く行くだろうか。
月末に総代会や会計監査が入っているので、
上旬中旬は可能な限り長い連休を実現させたいものだ。

さぁ、連休まで、あと もぉちょっとぉ!!と思って、耐える!

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【速報】参院広島再選挙、午後7時現在の投票率20・78%(中国新聞)
『河井案里元参院議員の当選無効に伴う25日投開票の参院広島選挙区の再選挙で、広島県選管は、当日の推定投票率が同日午後7時現在で20・78%と発表した。2019年7月の参院選広島選挙区の同時刻の27・24%を6・46ポイント下回った。』

今回の広島は、与党系の西田候補と、諸派の宮口候補の一騎打ちで、
期日前投票の段階から、宮口候補やや優勢、と報じられてきた。
私は夕方、近所の小学校の投票所まで行った。
投票所は、私が行ったときは先客が1人いただけだったが、
私が帰る頃には、ぞろぞろと家族連れが幾組も入ってきた。
カープの中継を見終わってから来た人々だったのだろうか(^_^;。

今回、立候補者は全部で6人いたのだが、
なぜかポスターは3人分しか貼られておらず、
主人などつい数日前に、
「6人おったん!?3人しかおらんのかと思うとった!」
と言っていて、そういう人は、実は多かったのではないかと思われる。

そして、この3人のうちの2人(の選挙事務所)から、私は、
「○○をどうぞよろしくお願いします」
という電話を一昨日までに貰った。
そのうちの1人は、名簿のチェックが甘かったのか何か知らないが、
全く同じ主旨の電話を私に二度、かけてきた。
勿論、最初から最後まで、同じ台詞だった。
むこうは二度目とは気付いていないようだった。

まあ、私もかつて、某労組の婦人部長だったときに、
社会党系(当時)の候補のために、電話係をやったことがあるので、
選挙事務所に動員されている彼らの仕事内容は、およそ見当が付く。
だから、お願い電話に応答したとき、私はどの候補事務所に対しても、
「はいはい、頑張ってくださいね」
とほどほど愛想良く、しかしサッサと話を終わらせた。
渡された名簿の最後の家まで電話をかけないと、帰れないからね(汗)。

さて、20:38現在、まだ当確は出ていない。もうじきだろうと思うが。


追記:22時過ぎ、大方の予想どおり宮口氏に「当確」が出たのだが、
それを私に告げに来た、主人の言いようが。
 転夫「当確、出たで」
 転妻「どうなった?」
 転夫「西口のほう」
 転妻「だれ(^_^;」
……何なのだ、その西田×宮口のハイブリッドは。

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しわすみ@s_w_s_m『一年くらいコロナと戦ってきて、「飯食いながらノーマスクで会話、を避ける」をすれば良いと散々教えられてきて、それでも自発的にやろうとしない民衆が大量にいるのが緊急事態宣言を出さないor解除した政府のせいになるのなかなか理不尽ですよね。そろそろ民衆も学べよと言わざるを得ない。』

世の中の多様性は基本的に許容すべきだ、とは百も承知だが、
それでも個人的には上記↑のtweetに同感だ。
「マスクなしで声を出す」のが感染に関しては最大のリスクだと、
専門家や医師が、何度も何度も何度も指摘しているのに、
「会話しないで食事するなんて、現実問題として、無理」
「会食するかしないかは、医者に指図されることではなく、私が決めること」
等々と言って、相変わらず自分のやり方だけは変更しない人たちがいるから
感染拡大が終わらないのだ。

緊急事態宣言が連休直撃で飲食業悲鳴、
みたいな記事もいろいろ出ているが、『○○悲鳴』の言葉ももううんざりだ。
外食産業に悲鳴をあげさせずに済む方法は、国による補償以前に、
もっと基本的なやり方が、ちゃんとあったのではないか。
すなわち、皆が孤食・黙食をきちんと実践できてさえいれば、
飲食店は今も変わりなく営業して大丈夫だし、
酒類も提供できるし、時短もそもそも必要なかったのだ。
『孤独のグルメ』や『ワカコ酒』の路線で行けば良い。
普段はそれ以外の楽しみ方がメインの人たちも、
今は非常時なのだから、それくらいの柔軟性は持つべきではないのか。
そうすれば、変わりなく美味しい食事もお酒も楽しめるし、
飲食店も営業が続けられて、win-winだったのに。

だのに、店が開いている限り、昼でも夜でも、複数人でやって来て、
マスクなしで喋りながら飲食し、夜には酔っ払って遅くまで大声で騒ぐ、
という、「自分の、今まで通り」を改める気のない連中が後を絶たないから、
彼らを閉め出すために飲食店も休業を余儀なくされるのだ。
飲食店に悲鳴を上げさせているのは、
「マスクを外しているときは声を出さない」
というたったひとつのことさえ心がけようとしない人々のほうだ。
そういう『人々』の中には、厚労省のお役人たちや、
大阪市の職員たちも相当数、含まれている。

飲食店での会食、各種宴会、自宅等で友人達とランチ、大勢でバーベキュー、
こういうことを、今年になっても変わらず続けて来た人たちは、
今の感染拡大と緊急事態宣言について、文句を言える立場ではないと思う。
「社会生活をするなというのか!」
と変なキレ方をする人たちが一部にいるようだが、
食事は孤食・黙食、人と会って喋るときは飲食なしマスク着用で、
と分けた途端に、社交や交流が全部だめになるとは、これ如何に。

この1年、マスク着用し、手指消毒を心がけ、会食を避けて、
感染防止に努めてきた人たちは、
今回の緊急事態宣言や、多方面への休業要請、
都知事の「20時以降は街灯以外は消灯」の言葉等々に
ごく真っ当な不快感を示しているが、
対策はもはや、そういう「ちゃんとした」人々のことを相手にしていない。
未だに宴会を続けて感染した挙げ句、医師に逆ギレする人たちや、
夜中まで路上で缶チューハイ片手に大騒動する人々がいるから、
その種の人々の外出のきっかけになりそうなことに対して、
業種を越えて、様々なかたちで休業要請をするはめになったのだ。

それでも日本の場合は、強権的なロックダウンではない。
従わない自由さえある。
この期に及んで、なお、我々の自覚が促されている。

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市内の某消化器内科クリニックで、胃と大腸の内視鏡検査を受けてきた。
前にやってからちょうど10年経っており
今年の私は天中殺でもあるし(笑)、体を養うのは良いことなので、
このあたりで一度は調べておこうと思ったのだ。

前処置は今回も、前夜の下剤は無しで、当日のムーベン1800mlのみ。
朝9時にクリニックに行き、半地下のようになった小部屋に案内され、
腸管洗浄剤ムーベンのボトルとコップを渡され、飲み方等々の指示を受け、
あとはひとりでくつろぎつつ、ひたすら飲むだけ。

腸管洗浄剤は、一般的には飲むのが大変で評判が良くないようなのだが、
私はどういう訳かこれがなんともないのである。
味音痴ゆえか、「全部、飲めばいいだけね」という。
クリニックの個室で、ソファとテレビがあり、暖房してあり、
大きな掛け時計で時間がわかるし、トイレも専用。
ムーベンとは別に温かい緑茶も用意されているという、
快適極まる場所で、飲むのに2時間、検査順番待ちで更に1時間。
誰も見ていないのを良いことに、しまいにソファに寝転んで、
実にだらだらした半日を過ごさせて貰った。

10年前の記憶通り、飲み始めて1時間くらいから、
トイレ通い10数回、…と結果的にはなったのであるが、
これがまた、最初50分くらいのところではまだ、気配も全然なく、
「本当に効いてんのかな」と思ったくらいだった。
しかしやがて、ハッキリとトイレに行きたくなり、
そこからはただただ、ダーダー出るのみ。
……すみませんね、ビロウな話で(^_^;。
前も書いたが、私はこれまでの人生、幾多の苦痛に満ちた大腸炎を
イヤというほど経験して来たので、このムーベンはよくできた薬だと、
飲むたびにほとほと感心している。
なんの苦痛もなく、ただ、普通にもよおしてきて、出るのである(爆)。
2時間ほどで、私のお腹の中身は、何もなくなった。

私の前に検査する人があったそうで、私は13時半からだった。
胃内視鏡は今回も経鼻で、前の記憶ほど麻酔は不快ではなかったが、
喉元を通過するとき、一瞬、2秒くらい軽くえづいた。
しかしあとは問題なかった。
所見としては、軽微な逆流性食道炎の赤みがあったのみ。
胃底腺ポリープもあったが、これはピロリ菌のいない綺麗な胃にあるもので、
放置して良いとのことだった。

大腸内視鏡のほうは、やはり卵巣チョコレート嚢腫の手術跡が、
固く癒着していて、そこをカメラが通るときだけは痛みがあった。
激痛ということは全くなかったが、大腸炎のときみたいな痛みだった。
その難所さえ通過してしまえば、あとは全く何もなく盲腸まで進み、
今回はポリープもひとつもなく、無事に終了した。
完全に覚醒した状態で検査を受けたので、胃も大腸も、
自分でもモニターを見てその場で説明を聞き、確認することができた。
そのために、私は最初からメガネをかけたままで検査を受けたのだ(^_^;。
ちなみに大腸の内部は、10年前の記憶より今回のほうが、
残滓のカケラも全くなく、綺麗だった。
実は昨日、大腸内視鏡専用検査食『ジャネフのクリアスルー』を買って食べたのだ。
やはり違うものだね。

腹部エコーもして貰ったのだが、胆石が、なんと成長していた(汗)。
10年前の発覚時には5ミリのが3個だったのだが、今回はそれぞれが
11ミリ、9ミリ、8ミリまで大きくなっているとのことだった。
球の体積の求め方、……3分の4×π×r三乗、
と、どうでもいいことが脳裏を過(よ)ぎった。
半径rがn倍になったら体積はnの三乗倍じゃん(T_T)!!!

ただ、胆嚢の壁が薄いままなので、炎症をおこした形跡はなく、
痛みがなければ胆石はこのまま観察だけで構わないと先生は仰った。
胆石は、落下して総胆管の出口を塞いだりすると疝痛発作が起こるのだが、
大きい石になるほど、動いたり詰まったりしにくいという意味では、
安定していて良いとも言えるそうだ。
胆石は治療が胆嚢摘出術になるので、まあ、しないで済めばそのほうが
私には有り難いと思い、炎症が起こらないことを願っている。

その他、エコーで観察できる範囲では、肝臓・膵臓・腎臓等に異常はなく、
頸部エコーもして頂いたが、甲状腺も問題なく、頸動脈については、
「血管はとても綺麗なんだね!あ、いや、血管『も』(^_^;」
と先生が仰っていた。
「こんなに太っているにも関わらず」という譲歩の節を省略されましたね今。
とりあえず、エコー画像の範囲では、動脈硬化関係は心配なさそうだった。
ということで、
「何も無いですね。胆石だけ(笑)」
と言われて、本日の検査は終わった。

帰りにコンビニで、朝からの空腹を癒やすためおにぎりとチョコレートを買い、
自宅マンションに戻る道すがら、いつもの循環器内科に寄って、
昨日して貰った採血の結果も貰ってきた。
これも特に問題なかった。
A/G比1.28のところだけ↓がついていたが、半年前に1.27だったので著変なし。
あとは毎度毎度、判で押したような数値だった。
勿論それは大変有り難いことだった。

という訳で、広島市のがん検診の受診券も、既に乳がん肺がん検診は使ったし、
胃がん・大腸がんについては本日、上記の通り内視鏡をやったので、もういい。
子宮頸がん検診は、私は筋腫で2008年に子宮全摘しているので、該当がない。
今年度の健康診断、これにて終了。

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(写真は、娘の母校の女子中高の藤棚。去年よりよく咲いている。)

広島市のがん検診の受診券を使い、きょうは近所の内科で、
「肺がん検診」=胸部レントゲン検査を受けてきた。
併せて、3年ぶりの心エコー&心電図も。
どれも特に問題となるところは無かった。

心エコーの検査結果表を見ると、
MR(僧帽弁逆流)とTR(三尖弁逆流)に各々trivial(些少)の表示があったが、
正常所見の範囲なので心配は要らないとの説明があった。
心電図も完全右脚ブロックは相変わらずだったが、これも発覚した16歳当時から
今に至るも実質的な問題は全くなく、このままで構わないことのこと、
また、胸部レントゲンも3年前と同様、何もなく、めでたく放免となった。

特に侵襲のある検査ではなかったのだが、やはり結構、疲れた(^_^;。
採血もあった。そのほうの結果は、明日の午後に出るそうだ。


追記:私が今日、レントゲンを撮る前に待機していた部屋には、
何百ものフェイスシールドやガウン(おそらく防護服)の在庫の箱があった。
市街地の循環器内科クリニックだが、
コロナ受け入れ準備がされていることを感じた。

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舅姑の墓掃除・墓参りに行こうと、バスに乗っていたら、
マナーモードのスマホがブーブー言い始め、見ると母からだった。
「ちょっと、待って、今バスの中だから!」
とだけ小声で言い置いて、一旦切り、バスを降りてから私からかけ直したらば、
うまい具合に母は、電話の「でかた」を思い出していたらしく、応答したのだが。

「………。あんたに、何か訊こうと思うて電話したんやけど、何やったかな」

お、おぅ(^_^;。それは私もわからんな(汗)。
ほな、まあまた思い出したら電話してくれればええねんけど。
ということで、終わるのかなと思ったら。

「今も昼御飯やったんやけど、もう、ここの食事は人間の食べるもんやあらへん。
紙みたいな皿やらコップに、汁とおかゆと、なんかわからん魚が乗っとって、
あと羊羹みたいな和菓子、これは美味しいからまあ食べてんけど、
ほんまに、こんなトシまで生きて、最晩年に、なんでこんなひどいもん、
食べさせられんなんかと、私はナサケのうて、私の人生、何やったんかと」

と母は、本日の昼食について愚痴り始めた。
奇しくも、先日来、実家で大昔の母の書き付けを多数発掘したのだが、
昭和47年、神戸から広島に来たばかりの頃の母の記述の冒頭が、
「とにかく、ものが不味い」
で、母はつくづく食べ物のストライクゾーンが狭い人なのだと
私は改めて知ったところだった。
しかし、本日の私の、第一の感銘ポイントはそこではなくて、
今、ホームは使い捨ての紙皿等を使用しているのか!という点であった。
このホームの感染対策には私は常々賛同しているのだが、なるほど、なるほど。
勿論、今は入居者さんたちが食堂に集まって食べることはしていない。
食事は各部屋に運ばれて来るのだそうだ。
これは去年の流行開始時からそうだった。

「昨日、私が持って行った御飯は、どうやったんや。食べたんかい」
「へ?昨日、あんたと会うたかいね?」
「いや、コロナで今は顔を見ることはできひんけど、食事を届けたやろ?」
「そやったかいね。覚えてぇへん」
「ケーキ2つと、和菓子4個、入れといたんやがな?
昨日、全部食べたんでなかったら、まだ、冷蔵庫に入っとるやろ」
「そやったかいね!ほんなら、今から、冷蔵庫見て宝探ししてみる(^^)!」

と母は俄然、元気になって電話を切った。終わりかい(^_^;。
あれからかかって来ないので、無事に上生菓子を発見したのだろうか。
しかし、昨日の差し入れももう覚えていなくて、
ただただ、目の前の本日の昼食が気に入らず、
「私の人生、何だったのか」
というのが、今の母の感想なのだねぇorz

それから、舅姑の墓に行った。
前に供えた菊が、まだ案外綺麗だったが、花筒をカラにして全部洗い、
周辺の草を抜き、ほうきで掃き集め、墓石を雑巾で拭いて、
いつもより念入りに掃除をした。
それから、花を取り替え、お灯明とお線香をあげて、拝んだ。
「よしこさんも疲れるじゃろけど、ご両親に、良ぅしたげんちゃい。
お母さんも、トシ、とっちゃったんよね。しょうがぁないよね」
と転姑ばーちゃんが言っている気がした(T_T)。

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(写真は、実家の前庭にあるハナニラ)

午後から実家と神社に用事があったので、
ついでに某ホームに寄って、両親に昼食を届けた。
牛肉のグリル+まいたけ添え、ポテトサラダ、
ハンバーグ、オニオンサラダ、サラダ巻き、赤飯、栗おこわ、
それにショートケーキ2つ、上生菓子4つ、果実ゼリー。
相変わらず居住フロアから出ないように徹底されているようで、
ロビーには人影がなく、売店もレストランも利用停止中のままだった。

この頃、母は電話の「でかた」を忘れたらしく、
こちらからかけても応答することはなくなったので、
向こうから何か言って来ない限り、昼食があれで良かったのかどうか不明だ。
しかし文句があれば電話して来る筈なので、かかって来ないということは
一応なんとかなったのだろう。知らんけど(笑)。

そういえば、数日前に母から電話がかかってきたときには、
父が妙に活気づいていて、いろいろ喋ったり要求したりする、と言っていた。
最初は、
「ワシには年金がある筈だがどうなっているのか」
と言いだしたそうだ。
勿論それは、父が自分で決めていた口座に規則正しく入金されており、
そこから今の有料老人ホームの利用料が月々引き落とされている訳で、
私がそう言ったら、母から父に伝えられ、一応納得したという話だった。
ちなみに私はその口座の暗証番号を知らないので、
父の年金には全く、触ったこともない。

そして同じ日の午後に、また母から電話がかかってきて、今度は父が
「電池が要るから今から買いに行って来る」
と言っている、という話だった。
どうして電池が必要になったのかというと、
「テレビとラジオとヒゲ剃りが動かないから」
だと言うのだが、とりあえずヒゲ剃りは充電式だから乾電池ではないし、
テレビとラジオが同時に点かなくなっているのもおかしな話だし、
どのサイズの電池がいくつ要るのか訊いても父は答えられず、
だのに自分でこれから外へ買いに行くの一点張りで、
もう、てんで話にならなかった。

それで母に、とにかくホームのスタッフさんに尋ねてみるべきだと提案し、
数時間後に、また母から電話があって、言うことには。
「ありがと。とりあえず、お父さん納得しはって、解決した。
お父さんが言うてはんのは、なんかようわからんけど、
テレビとラジオとヒゲ剃りがひとつになった、小さい機械で、
ここの人(=スタッフさん)が見てくれはったところでは、
それは、釣りなんかに行く人がよう持っていきはる道具なんやと。
せやけど、もう骨董品で、電池入れ替えても、点かへんのやと。」

………。母の話も、なんとなく、まだもうひとつな感じはするが、
マイクロテレビにラジオが合体したものを、父は持っていたのかもしれない。
しかしそれにヒゲ剃りが取り付けられるものなのかね??
釈然としない部分もあるが、今更ワンセグでもないものを、
どうにもできないだろう、というのはだいたいわかった。
父はどの程度、理解できたのか何かわからないが、
ひととおり、スタッフさんに見て貰ったことで「済んだ」のか、
以後、電池を買うために外出する云々は、母からは言って来ていない。
こんな、コロナの大騒動のさなかに出歩いて貰いたくないし、
ホームのほうでも今は、入居者さんたちの外出制限をしている。
だいたい、介護タクシーさんに全面的に介助をお願いしたとしても、
果たして、父が自分で家電屋まで出かけて、
店員さんに説明して必要な電池を買って来られるものかどうか。

90歳過ぎると、いろいろとケッタイな方向に話が行くもんだね……orz

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COVID-19のワクチン接種が始まり、
日本にはまずファイザーのmRNAワクチンが入って来て、
医療従事者と一部の高齢者に対して、目下、接種が進行中だ。
このワクチンに関して、その場でのアナフィラキシー以外に、
「接種時の痛み」
「接種後の痛み・腫れ」
「(特に二度目の接種後の)発熱」
などがよく取り沙汰されていると感じるのだが、
それで私は、昭和40~50年代のインフルエンザワクチンのことを
このところ、久しぶりに鮮明に思い出した。
インフルエンザは不活化ワクチンで皮下注射だから、
今話題の、mRNAワクチンの筋肉注射とは別のものなのだが、
経験としては、結構、似た部分があったように思う。

当時は、学校で集団接種があった。
調べてみたところ、1970年前後から集団接種が普及し、
1977年から1987年までは予防接種法により、小中学校では原則全員に
インフルエンザワクチンが接種されていたようだ。
私もこの時代に小学校~高校時代を過ごしたので経験している。
あの頃は、前もってクラスで全員に2回分の問診票と説明が配られ、
家で保護者に記入して貰って、当日は体温を測り、学校に提出して、
時間が来ると、体育館などに整列されられ順番に接種を受けたものだった。

当時、インフルエンザワクチンは、結構痛かった。
接種そのものは、子供の頃の記憶なので、およそなんでも怖かったから、
春のツベルクリンも、夏の日本脳炎予防接種も冬のインフルもすべてイヤで、
今となっては客観的な比較はできないのだが、
インフルは特に、打ったあと、特に翌日あたりはかなり接種部位が痛かった。
夜、寝ていても接種した腕を下にすると目が覚めるくらいだったし、
触るとびりびり響いて、仲の良い友達同士でふざけて軽く当たったりして、
「やめて!今、インフルだからwww」
などと笑い合ったりした記憶もある。
ちなみに当時は、打ったあとを「よく揉んでおきなさい」と言われていて、
更に接種当日については「お風呂は避けてください」という指示もあった。

また、インフルエンザワクチンを打つと、打った日の夕方くらいから
私は、しばしば、ぼおっと気怠くなったものだった。
だいたい一晩寝るとスッキリして、熱が出たりした経験はなかったが、
親や先生からは、注射の「反応熱」が出ることがある、とよく言われていた。
うちの母は、私が小学2年生の頃まで職場の関係で集団接種を受けていたが、
「二回目を打つと熱が出る」
と途中から言うようになり、勝手に一度でやめたりしていたものだった。
あの頃は、大人が打つ場合も、毎年、二度ずつ受けるのが普通だったのだ。
その後に母は勤めをやめて専業主婦になり、予防接種はしなくなった。

しかし当時、ワクチンはやはり効いていたと今にして思う。
なぜなら、私が小学校4年生の冬だったと思うのだが、
まず父が、次に母が、高熱の出る風邪症状で数日間寝込んだのに、
私だけは全くなんともなかったのだ。
大人同士ですぐに感染し、両名とも熱が下がらず布団から出られなかったので、
さすがにあれは「風邪」ではなく、インフルエンザだっただろうと思う。
そのとき子供だった私は、マスクや手洗いなど眼中になく、
寝込んだ両親の部屋で、本を読んだり、オヤツを食べたり、
学校のことを話したりしながら、結構長い時間を一緒に過ごしていたのだが、
驚くべきことに、最後まで感染しなかった。
両親を見ながら、子供心に「私もああなるのかな」と思っていたのに、
何日経っても自分だけなんともなかったので、
予防接種って凄いかもしれない、と思った最初の体験だった。

その後、大学生になって以後は、集団接種のない境遇になったので、
私は30歳を過ぎるまで、インフルエンザの注射のことは忘れていた。
予防接種しなくても、案外、罹らないものだね、と時々チラと思う程度だった。
世の中も、集団接種が行われなくなり、個人の任意接種の時代になっていた。
そして、娘が2歳くらいの頃、転勤先の神戸で、
ある年の冬、主人→娘→私、と3人ともインフルエンザに罹り、
これがまた強烈なヤツで、全員が5日前後寝込む、という事件が起こった。
このときは「なおって終わり」にならず、主人は高熱のあと猛烈な頭痛が残り、
私はインフル本体の症状が消えたあと、医師も驚くほど酷い扁桃炎になり、
娘はインフルで41度の高熱を出し、回復期に中耳炎になり鼓膜切開に至った。
この一件で我々3人はほとほと懲りて、毎年、予防接種を受けるようになった。

そうやって十数年ぶりに受けるようになってみると、昔の集団接種の頃と違い、
インフルエンザワクチンが、実に快適な注射に変わっていたことを私は知った。
打つときの痛みは、年によって、あったりなかったりしたが、
打った翌日には、もうほぼ何の痕跡もなくなり、
接種部位が僅かに熱を持っていて痛がゆいような感じがあったのみで、
体も全く怠くならなかったし、打ったことなどすぐ忘れてしまった。
しかも、接種は一度でよく、揉む必要はなく、入浴は当日からOKだった。
おそらく、ワクチンそのものの品質が改善されたのだろう。

……というわけで、私は、コロナのワクチンの接種時や接種後の痛みなどは
話に聞く範囲のことであれば、全く問題にしていない。
腕が痛いのは子供の頃に経験済みだ。
激痛で転げ回るほどなら困るが、「注射のアトが痛い」のなんか知れている。
倦怠感や発熱にしても、ワクチンを打ったせいだとわかっているので、
心配することはないし、解熱鎮痛剤も服用できるし、時間が解決してくれる。
誰しも、アナフィラキシーショックを起こす不安は皆無ではないが、
接種会場で最初からその可能性が考慮されていて、
医療従事者も周囲におり、スタンバイOKなので、現実的には怖いことはない。
私はセファクロルで発疹と咳が出て、ちょっとヤバい経験をしたことがあるが、
アレルギーが出るなどと思ってもいない状況で発症して
手当が間にあわず喉頭浮腫や心停止に至ることが怖いのであって、
予め想定された範囲のアナフィラキシーならば、十分に初期対応できる。

菅総理は今回の米国訪問に際し、
ファイザー社に供給ワクチンの追加を要請したそうで、
アストラゼネカなどウイルスベクター系の問題が皆無ではない今、
mRNAワクチンのファイザーとモデルナで日本の接種希望者がカバーされるなら、
それに越したことはないと思う。
この件については、菅総理は迅速でGJであったと、有り難く思っている。
mRNAは今、世界中で争奪戦が繰り広げられているので
うまく日本に追加供給されるかどうかまだわからないが、
なんとか順調に進んで、私にも接種の順番が回ってきて欲しいものだ。

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実家に行ったら、今年もやはり、あの巨大な花が咲いていた。
牡丹か芍薬か不明だが、とにかくデカい。
普段ろくに手入れもしていない庭なのに、ちゃんと咲いて、なかなかの根性だ。
先週来たときは莟みの気配もなかったのに、いきなり咲いたような(^_^;。

花は、昨年同様、濃いピンクと白の二種類があった。
見れば見るほど、お花紙で作ったんじゃないのかという様相だ。
そういえば昔、『お花紙』という名称を知ったとき私は悶絶したものだった。
鼻紙でなくて、お花紙!!

小学校の頃、運動会の得点板とか入退場門に貼り付けてあった紅白のヤツ。
あれって絶対、この花がモデルだよな?

  

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