転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



巧い具合に何事もなく、どこからも呼ばれず、
なんと、信じられないことに4連休を全うすることができた。
実質的に、今年いちばんの幸せな毎日であったかもしれない(涙)。
この夏、4日も連続してお休みが取れた幸福を、
私はこのあと、年末までずっと忘れることはないだろう。

5月の前半も、日数的にはかなりの大連休を実現していたのだが、
あのときは発熱騒動からの体調不良で、ほとんど全部を空費してしまい、
布団で休息はしたが、自由時間を満喫したとは言い難く、勿体なかった。
それに較べたら、4日間も余すところなく味わい尽くせた今回は、
本当に本当に、幸せな、この上なく恵まれた毎日であったと思う。

時間を気にせず、掃除をして洗濯をして、本を読み、編み物をし、
ネットで遊んで、お茶を飲んで、配信を楽しみ、……夢のようであった。
コロナ禍だからというのもあるが、私は生来がインドアなので、
どこへも出ずに、家で静かに過ごすことが一番好きなのだ。
本当にもう、一日も早く隠居したいと、改めて思いましたね(殴)。

4日間も誰にも邪魔されず、自分本位に過ごせたので、
私はたっぷり休息することができ、かなり情緒が安定した。
明日からはまた、神社に続けて出かけなくてはならないし、
父の入院先の病院で主治医の先生ほかスタッフさんとの面談もあるし、
またぞろ出ずっぱりの一週間が始まるが、
今、かなり自分を立て直せているので、きっと頑張れると思う(^_^;。

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・極楽の、休暇3日目。
雨模様だが、StayHomeの最中なので私には問題ない。
早朝は、まだ曇りで降っていなかったので洗濯をし、
きょうは主人の枕やカバー類を全部洗った。
昼近くになって雨になってきたので、洗濯物を取り込んだが、
夏だけあって、高温の御蔭で既にあらかた乾いていた。
それで、あとは浴室に移して吊し、乾燥機を40分ほどかけて仕上げた。
夏は洗濯物の乾燥に関しては、本当に効率が良くて有り難い。

・主人の誕生日が7月24日だったので、昨日、娘から果物が届いた。
「果物かご!生まれて初めてかも!!」
と主人が喜んでいた(笑)。
昭和の昔には、果物かごというと結婚披露宴の引き出物か、
入院お見舞いの必須アイテムだったという記憶があるが、
最近のイメージはどうだろうか。
今でも、果物屋さんに行くと見本として、
綺麗なフルーツバスケットが飾られていることが多いが、
実際に貰った経験は、私も、無いかもしれない。
なかなか贅沢な気分になれて、良いものだね♪
「メロン、ちゅーのが、また豪華でええよね(^^)!!」
と、ころもんも御機嫌であった。
晩ご飯のあと、手始めにりんごをむいて出したら、
シャキシャキととても良い食感で、
これまた大変にころもん氏のお気に召した。
みーちゃん、本当にありがとう(^^)。

・明日は、はせがー(長谷川浩二)氏の出演されるライブ配信がある。
前も書いたが、広島に居ながらにして、はせがー氏を聴けるようになったのは、
コロナ禍の御蔭で、これにはどんなに感謝しても足りない。
THE ARAKURE "SPECIAL 2DAYS" 2日目(ツイキャス)
歌舞伎座の録画もMirailで有料配信されるようになったし、
宝塚歌劇はRakuten TVの生配信がある。
様々なジャンルの中で、強いて言えば、クラシック音楽に関しては、
必ずしも聴きたいものが配信されているとは言えないが、
全体としては、今の私は、実際に遠征していた頃よりも、
時間的に自由に、多くの公演を楽しめるようになっている。
生で鑑賞するのと同等のものではないが、配信は配信の良さがある、
と感じており、現状はとても有り難いと思っている。

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幸せな休暇2日目……(感涙)。

外は猛暑日だが、家から全く出ずに過ごしているので
今の私には、有り難いことに直接関係がない。
晴天で、太陽がふんだんに降り注いでいるので、
朝7時前に干した洗濯物たちは、午前中のうちに乾いており、
昼前から二度目の洗濯にかかり、今度はマット類を皆、洗った。
日に二度、洗濯できるのは、真夏の特権だと嬉しく思った。

昼食後は、紅茶を淹れて、お取り寄せプリンで、おやつ(^^)。
配信日に観た『紀尾井町家話 第七十九夜』のアーカイブを
もう一度最初から最後まで観た。
ああ、なんという極楽なんだ。

夕方前には、マンション大規模修繕工事に合わせての、
ガス器具類の入れ替え工事の業者さんが
現場チェックを兼ねて、見積もりを持って来て下さった。
そもそも、この話が最初にあったのは6月初めだったので、
あれからなかなか連絡が来ないな、とはこのところ思っていたのだが、
私がそう言う前に業者さんのほうから、
「これまで、ちょっと何回か来て、ピンポン鳴らしたんですが(^_^;」
と言われた。
ずっと私が留守がちだったからですね。すみませんでしたね。

これも先日の浴室鏡の交換と同様、マンション内の希望者が
この機会に一斉に依頼することで、格安になる企画だ。
入居以来、キッチンのガス器具と食洗機、浴室乾燥機は
全く交換も修理もしたことがなかったので、
15年目の今年、総入れ替えをして貰うことになった。
モデルチェンジする食洗機以外は、8月上旬に品物が揃うそうだ。
私が平日昼に家に居ないと交渉・決定ができないので、
きょうはとても良い機会だった。

ということで、そろそろ夕食の準備にかからなければ。
……とは言え、きょうは大豆カレーで、先に作ってある。
あとはサラダを添えるだけだ。
カレーライスというのも、夏!という感じの献立で、
なんだか昔の夏休みを思い出し、幸せだ。
食後は、Hulu配信の『七月大歌舞伎 風の谷のナウシカ 上の巻 ―白き魔女の戦記―』
をコーヒーを飲みながら鑑賞する予定。
言うことなし。Perfect。

いやもう、休みで自由時間がある、というだけで、
今の私は何でも幸せなのだよ(^^)。
しかも明日も休みなのだ。
信じられないくらい最高じゃないか(T_T)。

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・待ち侘びた休暇だ……(滂沱)。予定では今日から4連休。
やっと、やっと、連休のかたちでお休みを取ることができた。
きょうは冷やした部屋に籠もって、本を読んでいる(笑)。
テレビは勿論、語学以外のラジオも、音楽も、何も無しで
誰も来ず、それはそれは静かで素晴らしい。
このような御時世になっては、自宅で過ごす時間を増やすことが、
私のように無能な者にでもできる、最大の医療支援だと思っている。
出歩いたせいで熱中症になったり怪我したり感染したりする、
という事態くらいは、避けるように努めるのだ。
外に出て用事をする以外に選択肢の無い日もあるから、
せめて休日くらいは……。

・郷内心瞳『奈落の女』(角川ホラー文庫)を読み終えた。
拝み屋さんである著者のところへ、最初は相談客として来た女性が、
著者の提案もあって、様々な人から怪談実話を蒐集することを開始し、
やがて、それらをまとめた『取材レポート』を完成させ持って来てくれた、
という設定で、かたちとしては百物語的な怪談集なのだが、
見た目以上にボリュームがあり、実に読み応えがあった。
最初、あまりよく考えずに読み始めて、
「あれ?この話・この人は、なんだか微かに、知っているような……」
と思う箇所が途中からいくつか出てきて、半分くらい進んでから、
この本が、1年前に発売された『緋色の女』の続きなのだと気がついた。
郷内氏のはシリーズが複数あるので、無頓着に読み出すと混乱する。
今回の結末は、話がこれから更に展開することがわかる終わり方だったので、
おそらく1年後にまた、これの続きの『○○の女』(多分)が出るのだろう。
今度こそ、来年まで忘れないようにしなければ(^_^;。
こういうところで私は近年、自分の老化を実感している。
若い頃は、前に読んだ本の内容を忘れるなど、あり得ないことだったのに、
最近は、うっかりすると同じ本を二度買いそうになることすらある。
『この商品の前回の購入日は、20**/*/**です』とamazonが教えてくれる。
リアル本屋さんだと、気付かずにレジに並んでいるね(汗)。

・寝る前にホラーを読むのは精神衛生に良くないと考え(笑)、
布団の中では曽野綾子『夢に殉ず』を、ここ数日、久しぶりに読み直している。
曽野綾子なら精神衛生に良いのか、については異論もあるかもしれないが。
これは初版が1994年と書いてあるが、私は文庫になったものを、
今治か松山の古本屋さんで買ったのではないかと思う。
肯定的に描かれている登場人物たちは、誰も皆、ものごとを、
突き放して眺めることができる人たちで、著者の人生観が垣間見える。
私が曽野綾子を読むようになったのは高校生の頃だったが、
大学生になってもまだ、私は本当の意味で、曽野文学がわかっていなかった。
今ならわかるのか、と言われるとアレだが(汗)、
こちらもトシをとった分だけ、「そんな訳あるか!」というような不条理も、
「致し方なく、そういうものなのだ」と見ることができるようになった。
高校2年の夏休みの読書感想文に『誰のために愛するか』を選んだものだったが、
今にして思うと、あのときの感想文はあまりにも稚拙で表層的であった。
当時は一応、書けた気になって提出したものだったが、
「恥の多い生涯を送って来ました」のは、誰も彼も、だな(^^ゞ。

・COVID感染拡大が止まりそうもないので、
とりあえずKF-94マスクを買い足し、
更に、ロキソニン、メジコン、アズノールうがい薬、OS-1、
を、今後の、視野に入れておくべき自宅療養用に揃えた。
これらはいずれ、風邪でもインフルエンザでも必要になるものだし。
体温計とパルスオキシメータは元から2つずつあるので、
突然の故障や電池切れ!という心配は、ほぼ、ないだろう(汗)。
もしもの発熱時は、かかりつけ医もしくはコールセンターに電話、
のほか、徒歩圏内の発熱外来を二箇所、チェック済み。
連休だからと言って、ワタシは間延びだけをしている訳ではなく、
コロナについては、常に臨戦態勢であるっ(自画自賛)!

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閃輝暗点
今朝は2年ぶりくらいで閃輝暗点が出た。
この日記を遡ってみると、前回は2020年10月だったようだ。
初めてこれを経験したのは2017年の4月で、以後、時折あるようになったが、
2年前の脳神経外科で検査をして貰ってからは、不安に思うことはなくなった。
不意に、視界の一部にキラキラの点が出てきて、その周辺が見えにくくなり、
時間の経過とともに、キラキラが銀色のギザギザのかたちに変わり、
長く伸びて、変形し、全体で30分ちょっとかかって、消える、
……という一連の流れが体験的にわかっているので、
不快ではあるが、終わるのを平常心で待てるようになった。
偏頭痛の発作が無いのも有りがたいことだ。

酒さ様皮膚炎のその後
5月末からロゼックスゲルを塗るようになり、本当に改善した。
こうして赤味の薄くなった頬を見ると、
私はもう、何年も前から顔が赤かったのだと、わかるようになった。
会社に通勤していた頃、夜、化粧を落としたあと、両頬が赤く見えて
それはクレンジングや洗顔で刺激したせいだと勝手に思っていたが、
酒さか、酒さ様皮膚炎かはともかく、ずっと私は頬に赤味があったのだ。
昨年11月のある日、東京遠征の夜、ホテルでしみじみと鏡を見ていて、
いつものことだと思っていたが普通の人よりさすがにこれは赤いのでは、
と意識するようになり、年明けに皮膚科に行ったら、
まずは「マスク肌荒れ」と診断され、
以来、アルメタや市販のリビメックスを塗るようになった。
それから観察していたが、改善はしても地味な再発を繰り返すので、
これは放置してはいけないのではと思い、今の皮膚科に変わって、
「酒さ様皮膚炎」と改めて診断された

4月後半、治療開始直後、ステロイドを塗るのを一切やめて数日経った頃が、
リバウンドで両頬が真っ赤になり、今思えば一番ひどかった。
マスクをしていても、目の下あたりの皮膚はマスクの縁から見えて、
それがあまりに赤いので、物凄く火照っているように見え、
事情を知らない人からは、熱中症かと心配されたことさえあった。
リバウンドはそれから半月ほどで改善し始め、
最初はあった熱感や痒み、ブツブツ感がなくなった。
それから巧いタイミングでロゼックスゲルが保険適用になり、
これを塗るようになって、更に状態が良くなった。
現状、色味としてはまだ赤い箇所はあり、全く何もない状態ではないが、
肌の表面は自分比でスベスベしているし、色も格段に薄くなっている。

右足の甲
先々週、また右足の甲が痛くなった。
これの初発は2014年8月だ。
当時、整形外科を受診して、ある種の経年劣化と診断されている。
今回のきっかけは、神社で作業したとき草履を履いたことだった。
社務所から出るのに、スニーカーをちゃんと履くのが面倒で、
下駄箱(文字通り)に入っていた宮司さんの草履を拝借して、
なんとなくサイズが合わないのは自覚しつつも、履いて外作業をしていたら、
その翌日から、右足の甲が痛くなった。
自発痛は無いが、歩くとき角度がつくと、右足甲の薬指側小指側が痛い、
という、以前にも幾度も経験した症状だった。
歩いたり走ったり、できない動作は何も無いが、いちいち痛いので不自由だった。
それで、寝るとき湿布を貼ったり、
O脚矯正ソールを靴に入れて履いたりして工夫していたら、
幸い、先週末には軽快してきて、今はもう全く痛くなくなった。
前に整形で言われたように、経年劣化で脚の骨が外側に開いてきているので、
変な力のかかりかたをすると痛くなる、ということだと思うのだが、
こうして「なおる」ところを見ると、直接的には怪我みたいなものか?
関節に負担をかけないよう痩せるべきだ、
と百万回思ったことを、また思った。

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転夫ころもん宛てに、広島市から4回目コロナワクチン接種の
接種券及び予診票が、本日、送付されてきた。
そして、私がここでブツブツ言ったのが聞こえた訳ではないと思うが
今夜、広島市のサイトから予約サイトへ飛んでみたら、ちゃんと、
私自身の接種実績も更新され、3回目モデルナ接種済の表示が出ていた。
これで、私の接種券が届きさえすれば、4回目をいつ受けるかは
私の考えひとつで決定できることになった。

ころもん本人は、予約可能な8月4日以降、もうすぐにでも
4回目接種を済ませてしまいたい意向で、
年齢的にもそれは全く結構なことなのだが、
私のほうは、年末年始の神社奉仕が最大の感染リスクとなりそうなので、
この夏に受けるのが得策なのかどうかというのが悩ましい。
しかしこの状況では、打たずに待っていることのほうが、既に、危険なのか。
目下の感染拡大状況と医療逼迫状況を鑑みるに、
この先、一度も罹患せずに逃げ切ることは、
去年まで考えていたより、困難になって来たようだから、
であれば、私のような高血圧患者は、
せめて4回目接種を終えてから罹る順序になったほうが、マシか(汗)。

BA.5以降は、感染しないことを心がけるのは勿論ではあるが、
それと同時に、いずれは罹ることも前提にして、
罹患しても自宅でなんとか療養できるよう、
予め、対処の方法を考えておくことが大切だろう。
ワクチンによる入院や重症化の防止効果に
私が期待しているのもその点だ。
罹っても家で寝ていれば大丈夫、となれば、
文字通り、風邪やインフルエンザと変わらないのだから、
そこが当面の、目指すべき、現実的な、ゴールだろうよ(^_^;。

まあ、まだ私の接種券は来ていないので、もうちょっと考えよう。
幸い、来月1日までは、公共交通機関を利用する外出は無いし、
今だけは、普段より私の感染リスクは、少し、低めだろう。多分。
知らんけど(^_^;。

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朝から出ずっぱりで、くたびれたorz

午前中は、村の神社の留守番に行った。
そもそもは私の当番ではなかったのだが、
午後から父の眼科受診があり、その通院介助をすることが決まっていたので、
どのみち実家方面に行くならと、神社にも出向いた。
平日の昼間だったが、結構、参拝の方が続けて来られて、
こんな鄙びた田舎の神社なのに、お詣りになる方々があるのだなと
意外に思い、またとても嬉しくも思った。

昼に撤収して、実家に戻って、持参したサンドイッチを昼食にし、
それからタクシーを呼んで、まず某老人ホームに向かった。
父はまだホーム系列病院に入院して骨折のリハビリを続けているのだが、
外部の眼科を受診するためには、ホームに預けてある原爆被爆者手帳と、
保険証一式を、借り受ける必要があった。
それらをホーム受付で受け取ってから、改めて病院のほうに行くと、
父は、廊下で、歩行器を使ってリハビリ中だった。
理学療法士さんがつきっきりで、転ばないように補助して下さっていたが、
とにかく父は自分の足で立って、歩行器につかまり、歩いていた。
たいしたものだった(^_^;。

それから父は病室に戻り、車椅子に座って、
頼んであった介護タクシーさんが来られたので、車に乗せて戴き、
久しぶりの外出となった。
父は「体じゅうが痛いんよ」「とにかく、体が、えらい」
と文句たらたらで、自分の回復を喜ぶとか、久々の外出に気分が高揚する、
などという様子は全く無かったが、さりとて、
行きたくないとか、どこへ行くのかとも言わず、
大人しく介護タクシーさんの車に乗っていた。

眼科は市街地で、片道30~40分かかるが、父はそれにも特に文句は言わなかった。
眼科では、糖尿病網膜症レーザー治療のその後を診て戴くのが目的だったが、
父は、「たいぎい」らしくて検査に協力的でなく、
視力検査も最初だけ「右」「下」などとやっていたが、
じきに「わからん」「不明!」の連発になり、いたく成績が悪く、
本当に視力が極端に落ちたのか、やる気がないのか、
検査そのものについて行けなくなっているのか、それこそ「不明」であった。
オートレフラクトメータの機械の前に座るのも、
眼底写真を撮影するのも、いずれも姿勢の固定が無理で、
頑張って出てきた割には、結局のところ、たいして成果が無かった。
ともあれ診察で眼底を診て戴いた範囲では、問題は起こっておらず、
次回は4か月後にまた検診することになった。

眼科受診のほうは、かように「行っただけ」程度だったが、
車椅子に座った状態で市街地の眼科まで来ることができ、
検査や診察の間もとにもかくにも座ったままで居られたというのは、
骨折した当時を思えば、大した進歩だった。
本人は大して評価していないようだったが、私はその点については感心した。
そして骨折前の、曲がりなりにも動けていた時期に、
レーザーを打っておいたのは、こうなると正解だったかもね(^_^;。
帰りの介護タクシーさんの車内では、父は居眠りをしており、
寝られるということは、苦痛もさほどでないということだろう、
と私は思った。

むしろ私のほうが、きょうは午後から暑くて暑くて参った。
午前中、神社にいて体が熱くなってしまったのか、
緩い冷房くらいでは体を冷ますことができず、
車内も待合室もどこもかしこも生暖かい感じで、不快でならず、
帰りの介護タクシーさんには、お願いして冷房を強くして戴いた。
父も「暑い」と言っていたので、これは良かったようだった
(だから気持ち良くなって眠れたのかも?)。

市街地からまた、高速を使って村界隈の老人ホームまで戻り、
まず、そこで車内に父を待たせて私だけ一旦降りて、原爆手帳と保険証を返却し、
更に介護タクシーに乗り直して、父を病院まで送り届けた。
車の中で寝たためか、到着すると父は案外元気で、
看護師さんに促され、すぐにお茶を飲むために食堂に行った。
私は精も根も尽き果てた気分になり、帰りの路線バスでは、
冷房の冷気が自分に直接あたるように吹き出し口の角度を調節し、
思い切り体を冷やして、元気を回復した。
冷え性を自認していた私にはあるまじきことだが、
1時間ほど頭からキンキンに冷やし続け、ウトウトと休息し、
バスを降りる頃、ようやく人心地がついた。

帰り道に、血圧の定期受診があったので、いつもの内科にも寄った。
診察室での血圧は、135/95という、訳のわからない数字だった。

一日で、市街地―実家の村、を二往復、父の通院介助つき。
ともあれ、終わったorz
今週はこのあと、ちょっと、休暇を貰う。

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広島市のサイトからコロナワクチン予約サイトに飛んでみると、
昨年の初回接種のときに登録した主人のIDで、今も変わらずログインできるのだが、
不思議なことに、主人本人分は今年3月の3回目接種の記録まで出ているのに、
同伴者として同時接種予約をした私については、2回目接種までしか記録がなく、
3回目接種の予約をするように、という案内が出る。
私も主人と一緒に、3月4日に3回目としてモデルナを接種しているのだが??

去年の1回目と2回目は、私たちは二人とも市のサイトから予約して、
広島市設置による集団接種会場で受け、
3回目は県の別サイトから予約して県設置の大規模接種会場で受けたのだが、
その間の、市と県の間の記録が、
「代表者」として市のサイトにID登録がある主人のは連携ができているのに、
「同時接種者」の私のほうは、うまく繋がっていないようなのだ。
当時あった、県の予約サイトは、「同時接種者」などという設定がなく、
主人も私もそれぞれに自分のページをつくり、ログインせねばならなかったので、
いわば両名各々が「代表者」であり、市のサイトとは扱いが違った。
県サイト経由で接種した記録を市のほうで共有するところで、
問題が起こっているのでは……。

ならば今回も県のサイトから入って県の会場にすれば
そちらでは私のほうの接種記録もちゃんと出るだろう、と思うところだが、
今回は、広島市には県の大規模接種会場がないのだ(^_^;。
さすがにこの時期の、しかも4回目接種となると、対象者が絞られてくるので、
初めの頃のようには接種会場が設けられていないのだろう。
4回目は、市の集団接種会場に行くか、開業医の先生のところに行くかしかない。
私は果たして、このままで4回目の予約ができるのだろうか(^_^;。
接種記録は保管してあるので、私自身の接種回数の証明は簡単ではあるが。

しかも、大した問題ではないにせよ、
なぜかこれが、広島はファイザーの会場が大半なのだ。
別に私はどちらでも良いとは思うが、全体的な傾向として、
ファイザーを選びたい人のほうが多く、競争率が高いのではなかったのか。
モデルナは、余ってないんですかね??
ばーさんの私は、若い男性のように心筋炎の心配もないし、
モデルナで全然構わない、むしろモデルナを気に入ってさえいるので、
すすんでモデルナの消費に勤しみたい(笑)くらいなのに、
広島市ではモデルナ会場数自体が少ないとは、これ如何に。

それにしても、2回接種を受けたのが去年の8月だったから、
もしそこまでで終わっていたら、私はもう、あれから1年。
「コロナはインフルなみ」と言う人がときどき居るが、
インフルエンザの予防接種の場合、去年夏に受けたものが
1年後の今も、全く変わらず効いていると考える人は居ないだろう。
いかなるワクチンにしても追加接種が要るのは致し方ないことだ
と私は受け入れている。
何度も反復して打ってと不安に感じる人もあるようだが、
インフルエンザの予防接種など、私はこれまでの人生に何十回したかわからないし、
子供の三種(現在は四種)混合に至っては、3~8週間隔で3回、
3回目の約1年後に4回目と、最初は固め打ちで、その後が追加接種だ。
感染症は、ワクチンの反復接種、及び生活の中でのウイルス曝露により、
ブースターがかからなければ、一度獲得しただけの免疫ではいずれ薄れる。

ましてや新型コロナは、麻疹のように安定的なウイルスと違い、
変異が極端に早い。
デルタまでで変異が止まっていれば、去年の2回接種でおさまっていたのだが、
オミクロンになってからは、BA.1と2でも別ウイルスかというほど隔たっている。
僅かな中和抗体を持っているだけでは、流行を制御するところまでは行かず、
自然感染を何度も繰り返すか(汗)、ワクチン接種を反復するしかない。
感染回数が多いほど、重症化や後遺症のリスクが累積するというような論文を
先日、見たところなので、私自身はワクチン接種のほうを選択したい。
ハイリスクの者は年2回、それ以外の者は8~12か月に1回の定期接種になる、
というあたりが「落としどころ」なのかなという気が、今は、している。

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マンションの15年目の大規模修繕に合わせて、
管理組合の発案で、管理会社を通して入居者全体に対して案内があり、
浴室鏡の交換希望を同時期に一定数以上集めれば割引価格で出来る、
と言われたので、我が家も希望した。

業者さんからメールで工事日程の通知があり、
先日、順調に二時間弱で、浴室鏡の交換が完了した。
浴室は、前に給湯器が壊れたのを除けば、レイアウト等は入居時のままで、
浴室鏡も、分譲のときの規格のまま変更していなかったから、
何も難しいことは無かった。
経年劣化で、奥のほうが内側からカビていたので(写真左)、
真新しいものに交換できて、スッキリした(写真右)。

  

とりあえず、当面はこうして家を手入れすることにより、
なるべく在宅のまま、経済を回すことに僅かでも貢献ができれば、
と願っている次第だ(^_^;。
実際、道楽遠征をしない分、少なくとも旅費や宿泊費は浮いているし、
チケット代も、配信チケットを購入する回数はそれなりにあるが、
やはり歌舞伎座生観劇に較べると、かなり、おさえられているので、
ここ2年余りは、私はその分をインテリア関係に費やしている。

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このたびの娘の部屋のリニューアルに伴い、
壁に、25年前に買ったキャンドルホルダーを取り付けた。
大昔、神戸の官舎にいた頃、住商Ottoの通販カタログを見ていて、
私は各種輸入雑貨に心惹かれ、この一対のキャンドルホルダーを買った。
私のお小遣いで即決できたのだから、一対で数千円だった筈だ。
私は長らく、洋服でも雑貨でも、
「1点1万円未満のものしか買わない」
という原則を自分に課していた(除:演奏会チケット)。

届いて、開けてみて、わくわくしたのは覚えているが、
和室ばかりの官舎暮らしでは、もちろんそのようなものを使う場はなく、
若かった私は、いつの日かマイホームを手に入れることができたら、
きっと、ひと部屋は私好みにレイアウトして、こういう雑貨を飾るのだ、
と夢を見ていた。
そうして、通販の配送時の箱のまま、各地の転勤に連れ歩き幾星霜、
ついに今年、この一対のキャンドルホルダーは
陽の目を見ることになったのであった。

  

ゴールドで、リボン型グッズ、というのが若い頃の私ならではだと、
改めて眺めながら、還暦も間近になった今では少し微笑ましく思っている。
今の私なら、このように少女趣味のデザインのものは買わない(笑)。
しかし娘の部屋に飾るのだから、これはこれで良いかもしれない。
若い頃のセンスは、今の私にはもう、取り戻せなくなったものだと思う。

年月を経たことで、機能面ではかなり進化させることができた。
中身を、ろうそくではなく、LEDキャンドルライトにしたのだ。
ヨーロッパの石造りの家などではないから、
室内で本物の火を焚くのは怖いが、LEDなら安全に気楽に楽しめる。
直径3.9センチのティーライト3つ+リモコンで、3748円。
壁に直接つけるブラケットライトというものがまた、私の長年の憧れで、
これらは電池だから点けっぱなしという訳にはいかないが
「なんちゃってブラケット」の風情があって、なかなか楽しい。
ささやかだがここに「我が夢かなう」と、心足りた思いであった(^^)。

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