転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ちょっと必要があって、昔の日記を掘り出して読み返していたら、
『1996年2月28日(水)晴れ』の欄に、
「昼にU女史よりTEL。アリス・ケジュラッゼ女史が急死し、
ポゴレリチのミュンヘンでのリサイタルは中止になったとのこと。』
という記述があった。
当時は手書きで、日記と言っても毎日数行しか書いていなかったので、
この件について私がどう思ったかの記録は無かった。
転勤先の松江での育児中で、娘が1歳になる直前だった。
ケジュラッゼ女史は2月18日に亡くなっているので、
U女史は十日ほど後に、私にそれを知らせてくれたことになる。

私はシツコい人間なので、日記はこのあともずっと続いている。
翌97年11月13日のポゴレリチ大阪公演に私は行くことになるのだが、
このときは(日記にも同内容の記述が残っているのだが)U女史情報によれば、
「ポゴレリチもかなり体調が悪いという噂を聞いたわよ。
○○で(と、U女史は具体的な病名まで言った)、もう長くないらしいって。
……もしかしたら最後の来日になるかも」
ということで、私はヒエーと震え上がって
「お願いします!最後かもしれんて!!大阪だけでも行かせて下さい!!」
と、主人に頼み込んだ。
主人もさすがに顔色を変えてくれて(爆)、
リサイタルは平日夜だったというのに、子守のために晩の6時までに帰宅し
(このときは神戸在住)、お蔭で私は大阪に直行できた。
三宮から新快速に乗って、夕方で込んでいたから立ち通しだったが、
リサイタルのことしか考えられず、夢中で現地に向かったことを覚えている。

 (結果としては、私は主人をひどく騙したことになる(汗)。
  既に、あれから何回、来日公演に行っとるんだ私は(爆爆)。)

日記に残っているこの日の感想は、本プロの鮮やかさへの絶賛と、
アンコールのブラームス(「三つの間奏曲作品117」)に愕然としたこと、
の二点だった。
このときのブラームスは、あまりにも孤独な音楽で、
聴いているのがいたたまれないようなものがあり、
そのことは、拙サイト内の97年の感想文にも記録してある通りだ。
ちなみに拙サイト内の演奏会レビューの文章は、99年までのものはどれも、
U女史主宰の同人誌に投稿・掲載して貰ったものの再録だ。
私が自分のサイトのためだけに感想文を書くようになったのは、
2005年以降ということになる。

さてそのあとは、99年11月21日まで日記にポゴレリチの記述は出てこない。
今のように道楽日記ではなく、育児日記のほうが主体だったからだ。
そして今になってみると意外なことに、99年秋の大阪公演については、
私は、97年より安定感があるように思ったという意味の感想を書いている。
本当にそうだったのだろうか。
ポゴレリチはこのあと約一年ほどで、本当に弾けなくなってしまい、
全面的な療養生活に入ることになるのだが、当時の私の感触では、
97年より99年のほうが、安心して聴ける演奏会だったようなのだ。

それにしても、世間では、ポゴレリチの経歴を語るときに、
『夫人のケゼラーゼを亡くしてからは数年間、演奏活動を休止し……』
という書き方が多いが、実はこれはあまり正確ではない。
ポゴレリチは、96年2月に夫人を亡くしたあと、99年の前半まで、
少なくとも3年間ほどは、非常に精力的に演奏活動を行っていたのだ。
当初、彼が『喪に服した』ように見えたのは、ほんの2ヶ月前後のことで、
96年4月にはもう、N響創立70周年記念特別演奏会の客演で来日しているし、
この年は11月にも再度来日し、そのあとは北京・上海でも公演し、
現地の指導者や学生との交流会を持ったりもしている。
サラエボチャリティ財団を設立し熱心な活動を開始したのは、97年だった。
同じ97年には再度の来日もしているし、ロンドンでチャリティ公演も行った。
ボスニア・ヘルツェゴビナの復興のため、クウェート公演を実現させたことが、
イギリスの新聞記事になっていたのも、99年5月のことだった。
その他、99年後半から2000年初めまでの間はずっと、
ヨーロッパでも多数公演し、大規模な北米ツアーも行った。
私は毎年の、そうした彼の活動実績だけを見聞きしていたので、
当時は薄情にも、『案外、大丈夫なんじゃないか』とさえ思っていた。

ポゴレリチが本当に演奏活動を休止するのは、
2000年後半になって、ドクターストップがかかったときからだ。
当時のロンドンのマネジャーのデニス・カンターが、
『2002年秋まですべての演奏会をキャンセルし、全面的な療養生活に入る』
と公表したのは12月のことだった。
私はそれをインターネットで検索していて初めて知った。
ああ、やはりそうなのか、ついに来たか……、
という納得というか、私なりの絶望感があったことを覚えている。
ケジュラッゼ女史を失ったポゴレリチが、無事でいられる筈がなかったのだ。
四年間も尋常でなく頑張ったあとだけに、事態はかえって深刻に思われた。
復帰は、もう難しいかもしれないと、そのときは思ったものだった。

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前回はサボった漢詩の会に、きょうは頑張って行った。
前のときは、ポゴレリチの演奏会の直後で、
頭が完全に狂っていて、漢詩など入る余地が無くて休んだ。
しかし今は、「このままではヤバい」という意識が強くなって来たので、
無理矢理にでもモトの世界に戻るための行動を取ることにしたのだ。

行ってみたら、新しいプリントが配られ、見たら、
丘濬(きゅうしゅん)の『戒子(子ヲ戒ム)』一編だけが印刷されていた。
なぜ今コレなのか、サボった私には前回との繋がりが不明だったが(爆)
先生は一通り説明なさったあと、
「では読んで下さい」
と仰って、前の列からひとりずつ『戒子』を朗読させられた。

それが終わると、なぜか(これまた私がサボったので話が見えないのか)
「次は李白をちょっとやりましょう」
と先生は当然のように仰って、
去年使った李白のプリントを出すようにと指示され、
「またそれでは前の人から、順番に」
と、今度は説明も何もなく、最初からいきなり読まされた。
『峨眉山月歌』『春夜洛城聞笛』『子夜呉歌』等々、
有名なものには違いないし、返り点まではついているのだが、
下読みをしないと、どれであれ私はそんなにすぐ読めないので、
人数を数えて自分が当たりそうな詩を先回りして読み直し、
迷いそうな箇所には読み仮名を振りまくって、
当てられたときには、その詩だけなんとかやり過ごす、
……という、高校時代を思い出さずにはいられないドロ縄状態になった。

李白だけで三周もして、つまりひとり三度は朗読させられ、
最初に『戒子』もやったのを入れたら既に四度ずつは各自朗読したわけで、
もうあと10分だし今日はこれで終わりかな、と思っていたら、先生は
「じゃ、最後はどれでもいいから、プリント見ないで暗唱して下さい」
と仰った。おいっっ
なんでいきなりそういう展開になるのだ。
たった一回休んだだけのつもりだったが、
すっかり新しい趣向になってしまっているではないか。

私とて、有名な詩句なら知っているものが無いわけではないのだが、
どれも全体通しては言えないから、
暗唱できる漢詩が簡単には見つからなかった。
皆、果敢に暗唱なさっていたが、中には、途中までしか言えずに、
黙ってしまう会員さんがあって、そうすると先生はニッコリ笑って、
「ギブアップ?じゃあ、お次」
と仰るので、ここでそんなこと言われるのも悔しいじゃないかと、
私はよけいにジタバタした思いになった。

とにかく、律(八行)は無理だ、絶句(四行)しかない!!
とその場で凄い勢いでプリントを見直し、
どれだっ、どれが覚えやすいんだっ、
一番字数が少ないのは、五言絶句だから
李白の有名どころは『静夜思』かっ、
と焦っていたら、これは少し前の列にいた人にやられてしまい、
うぅむ、同じものをやるのも芸がないじゃないか!
とまた余計な競争心が頭をもたげ……、
結局、『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』にした。

私がばたばたとプリントをめくって動揺していたことは、
近くの方々にもバレバレだったらしく、
どうにかやりおおせたとき、前の席のおばあちゃまが振り返って、
「上達したねえ。よぅ出来るようになったねえ」
と、すかさず褒めて下さった。
ありがとうございます~~~(>_<)。
こういうところが、ここのベテラン会員さんたちは素晴らしい。
吟詠も何もやらないシロート会員に対してまで、フォローが行き届いている(涙)。

ああ、それにしても本当に久しぶりに、本番のド緊張でシにそうな思いをした。
くっ、たかが内輪の教室で読むだけの、七言絶句で。
私は暗譜が全然できない自覚はあったが、
漢詩の暗記でさえ、かなり厳しいことがわかった。
もし今後、『長恨歌』などに挑戦したいと思うのであれば、
滞りなく読めたら適切なタイミングでページをめくってくれたり、
私が詰まったときには、今ココだよと教えてくれるような、
専属の「譜めくリスト」さんがガチで必要だと思った。

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かつてない早さで、書きました(笑)。
演奏会レビュー:2012年5月4日金沢・7日東京・13日名古屋

**************

誰に向かって書くのか、というのは文章を書く際の出発点だが、
私の場合、自分の勝手で作った私設ファンサイトであるという前提からして、
演奏会感想文は、まずは自分のために記録を残したいから書いている。
それと同時に、公開している以上、ポゴレリチに関心を持って来て下さった方々と、
何か共有できるものがあれば……、という願望も、いつも持っている。
彼のファンである方々に、共感して頂ける箇所があれば私は幸せに思うし、
いつか演奏会に行ってみたい、とお考えになっている方々に、
何か、きっかけになるものを提供できるなら、これ以上嬉しいことはない。

ひとつだけ言えるのは、ポゴレリチの演奏のどこが良いのか全然理解できないとか、
彼のしていることに同意できないと仰る方々(もっともなご見解だと思っている)
を、説得したくて書いているのではない、ということだ。
『芸術に「わかる・わからない」などは無く、「好きか・嫌いか」だけだ。
嫌いだと思ったら、貴方はそれ以上、我慢してまで聴く必要は無い』
と岩城宏之氏が以前仰ったのだが、ポゴレリチの音楽についてもそれは同様だ。
ある演奏や作品が、いかに見事であるか、或いは、いかに唾棄すべきものであるか、
について、既に意見を持っている相手を、言葉で言い負かそうとするのは不毛だ。
彼の音楽と、感性の触れ合う瞬間を持つ人も持たない人もあるのは当然で、
そのこと自体に優劣は無いし、どちらがより幸福とか不幸とかいう問題でもないと思う。


きょう5月29日は、実は私にとってはある種の「記念日」だ。
1988年5月29日、私は念願叶って、初めてポゴレリチの実演に接したのだ。
83年の来日を逃していた私にとって、5年も待ってようやく迎えた日だった。
場所は神奈川県民ホール。明るい陽射しの、昼の公演だった。
ポゴレリチ三度目の来日公演の初日で、当時彼はまだ29歳だった。
今は亡き、U女史がチケットを取って下さって、
私は彼女と並んでポゴレリチのリサイタルを聴いた。
聴いたものの感想を書き留めておく、ということを私はU女史から学んだ。
同人誌に誘って下さり、書くようにと励まして下さったのも彼女だった。
もはや、24年前のことだ。
皆、若かった。
今となっては、何もかも、夢の中の出来事だったかのように思える。

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・ポゴレリチ来日公演感想文も書いたし(多分、明日UPします)、
これでケリつけて真人間に戻らねば、……と思っていたのに、また来た。
来年2月23日、ポゴレリチはザグレブのリシンスキ・ホールで、
なんと、オール・ベートーヴェンをやるのだそうだ。
『悲愴』『テンペスト』『熱情』。
私はもともとベトベンが一番好きで、ポゴレリチが弾くと思えば尚更で、
し~か~も~、『悲愴』と『熱情』は彼の新レパートリーではないか!
(どちらも以前、予定曲目として発表されたことはあったのだが、
結局変更されて、実現はしていなかった筈。)
しかし、私がこんなものを聴きにアドリア海のあっちまで出かけていたら、
この時期、娘は確実に入試に失敗するだろうな(爆)。
体育祭の弁当どころの話ぢゃないわ。
……それにしても、1本のリサイタルで、3曲だけなのだね。
「熱情」、一時間くらいかかる、鼻血出そうな内容なんでしょうかね~…(逃)。
(なぜかこのgooブログが、リシンスキ・ホールのURLを貼ることを拒否しておられますので、
公式発表をご覧になりたい方は、Lisinskiで検索なさって下さいませ。
トップページからIVO POGORELIĆで検索して頂けましたら、2月23日の予定があります)

・しかし本当に、そろそろ真人間に戻らないと私はヤバい。
家事は一応やっているし、言動も取り立ててオカシくはない筈なのだが、
頭の深いところが、ポゴレリチ来襲以来、半壊になったまま、
未だに復旧できていないという感じがする。
ピアノも弾く気がないし、語学もまたあとでいいやという気分だし、
音楽を聴きたいという気持ちにも全くならないし、つまり、
5月以前まで私が熱意を持ってやっていたことや、魅力を感じていたことが、
どれもこれも、かなりどうでも良くなってしまっているのだ。
もう5月も終わるというのに、来月はまだ一件も道楽予定が入っていないし。
このままだと、私は別の人間になってしまいそうな気がする。
まあ、緊縮財政で暮らすのは、今、ヤバいどころか完全に正しいわけだが(^_^;。

**************

転夫「あのほら、なんやったっけ、バンダナ巻いたプロレスのおっさんで、
 アメリカの、……スタン・ハンセンと一時いろいろで……、人気あったけどヘタで」
転妻「ハルク・ホーガンやろ」
転夫「そう!!それっ!!」

転夫「あいつ、どう言うたっけ、姫川亜弓のオトコで、ケツアゴのガイジン」
転妻「ハミルや」
転夫「ほうじゃ、ほうじゃ!!」

という類いの会話が主人は最近多く、
「ワシはもう駄目じゃ。頭が不自由じゃ。大事なことが何も思い出せん」
と大変に落ち込んでいる。
この際、ミスターアメリカも自称カメラマンも、さほど大事なことではないと思うが。
昨日は更に、主人は娘とテレビを見ながら喋っていて、シャツの着こなしについて、
「ズボンの裾をシャツの中に入れとるような男は許せん、って前に言いよったよな?」
とワケのわからぬことを言い、娘はしばらく考えたあと、
「いや、別に言ってないけど」
と正確に返答しており、私一人が死にそうになった(爆)。

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・昨夜、仮装様のリサイタルで顔を合わせた方々から、
「夏に某ホールで試奏会があるから、一緒にやりません?」
と誘って頂いた。ありがとうございます<(_ _)>。
ステージでフルコンを使い、一団体(一個人)60分以内で、
演奏する体験をしてみよう、という企画があるのだそうだ。
「コンペに出る人がいたら練習にばんばん弾いて貰って良いし、
他には普段のピアノは勿論、違う楽器でも歌でも、一発芸でも」
とのことだったので、実現なさるようでしたら私は埋め草ということで(^_^;。
しかしこのままでは、私には弾ける曲が無いね(爆)。
実はポゴレリチを聴いた初日の5月4日以降、私はピアノをやる気がなくなった。
そして7日、13日と聴いて、ますます私はピアノから遠ざかった。
自分あんなふうに弾けないからヤダ、という、次元を間違った話ではない。
音楽に対する、もっと根本的なところで、
ポゴレリチは私の感覚を破壊して行ったのだ。
彼は私にとって本当にひどいピアニストだ。なんであんなに毒気が強いんだっ。
……格好付けて言っているが、つまるところテッテー的に練習不足だという……。

・夏、といえば娘のほうには、地元の予備校から案内が来るようになった。
大学入試の夏期講習の募集がそろそろ始まるようだ。
私は、自分が受験生だった頃には田舎過ぎて予備校がひとつも無かったので
(のちに模試採点業務で仕事として通ったことならあるのだが・爆)、
市街地の受験生が、どの程度に予備校を利用するものなのかが、よくわからない。
しかし全然行かないで自分で頑張る、というのも、
娘ののどかな性格から言って、結果がデタラメになりそうな気がする。
やはり英語と国語と日本史を一コマずつくらい取ったほうが良いのかしらん。

・(以下は、○ちゃんの『横浜強すぎ』スレのノリで)
広島カープが、目下、横浜DeNAとの頂上決戦を目指して快進撃を続けている(爆)。
カープとしては既に、例年以上の勢いで驀進している最中なのだが、
それでも横浜が強すぎて、あと一歩で及ばない(逃)。
このあとまだ、広島は西武との「挑戦者決定戦」を経なくてはならないし。
交流戦が終わってマツダスタジアムでの直接対決になったら、
一丁、観に行ってやろうかと思っているのだが、
これがまた、広島×横浜はシーズン開始直後にまとめてやってしまったので、
この夏は、広島はなぜか毎週のように阪神とやらなくてはならない。
どういう組み方になっているのか、全然わからんぞ(^_^;。
ともあれ、相手が阪神ならこっちは盤石なので、横浜にも頑張って貰わなくてはな。

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仮装ぴあにすと様のピアノ・リサイタルに行ってきた。

本当に素晴らしかった。
勿論、個人的にもお付き合いがあり、私なりに演奏者を知っていて、
どういうふうにプログラムを組まれたかも漏れ聞いたりしていたので、
普通に世間で開かれている音楽会に行くのとは、最初から意味が違ったが、
純粋に演奏者としての彼女の時間を満喫する機会は、
普段、そう多くないので、今夜は久々に浸らせて貰った。
仮装様はシューマンの音楽を心から愛していらっしゃるのだな、
ということが、アンコールまで含めてよくわかった。

約5年前にも同じ場所でリサイタルをなさったのを聴かせて頂いているので、
この五年間の彼女の研鑽のあとが非常によくわかり、
師匠の松本和将氏の、良い意味での大きな影響も感じることができた。
プログラムの組み方も興味深いものだったが、
前半には、ロベルトとクララのシューマン夫妻の曲と、ブラームスが並び、
後半はすべてフランスものということで、
和音の色合いやリズムの揺らぎが、ドイツ系とフランス系で異なることが
対比としてよく伝わって来た。
一般的な演奏会ではほとんど取り上げられる機会のない曲も含まれており、
そうしたものを、この場の聴き手や学習者の人達に紹介することも、
仮装様の今夜の目標のひとつであるようだった。

前半の最後がブラームス『主題と変奏 作品18』で、
後半の1曲目がクープランの『ゆりの花ひらく』だったのだが、
楽器は同じでも、後半の開始で響きがクラヴサンに変わったのには驚嘆した。
私は去年ハイドンのソナタを練習したときに、一定期間毎日、
クラヴサンのCDを聴いていたので、その響きには馴染みがあったのだが、
クープランが始まった途端に、はっきりとその覚えのあるイメージが
自分の中に戻って、浮かんできた。
ここ数年、仮装様がチェンバロを学んで来られたことが
確実に活きていると思った。
ちなみに、クープランに関しては、チェンバロの小田郁枝師匠のご指示で、
譜面を見ての演奏となっていた。

演奏会終了後に仮装様とお話したのだが、そこで出た話題は、
・会場リハーサルをしてあっても、実際にお客さんが入ると響きが変わってしまう
・暗譜で弾くと、やろうと思っていたことが半分になってしまう
・前半を弾いたあたりで調子が出て、後半からやっと良くなるので、
開場した後も舞台にいてしばらく弾いてから、改めてリサイタルを始めたいと思った、
・本番照明は明るすぎ、眩しすぎて、少なくとも演奏者にとっては不要、
……というもので、つまるところ、
「ポゴレリチは、非常に正しいのですよ」(爆)と仮装様は仰った。

*******************

仮装様は、このリサイタルを決して大々的に宣伝したりはなさらなかったが、
会場には、お友達や演奏仲間、ピアノ学習者のお子さん方もたくさん来ていて、
皆が仮装様の演奏や普段の活動を知って、応援していることが伝わって来た。
私もまた、ピアノの会でご一緒させて頂いたお友達と、
久々にお目にかかることができ、楽しい時間を過ごさせて頂いた。
とりわけ、これまでネットとメールだけでのお付き合いだった某氏が、
会場で私を探してお声をかけて下さったのには感激した。
本当にありがとうございました<(_ _)>。
某氏は、私のイメージ通りの方でした。
改めて、今度はもっとゆっくりお会いしたいと思いました。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
ご一緒だったお友達の方にも、心からお礼を申し上げたいと思います<(_ _)>。

何より、仮装ぴあにすと様、本日は本当に素晴らしい演奏会でした。
ありがとうございました。
次には何を聴かせて下さるか、今から楽しみにしております。

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これまで判明している範囲では、以下の新聞記事で
今回のポゴレリチの東京公演の評が読めます。
雑誌記事関係で出るとすれば、来月発売の7月号あたりと思われます。

***************

朝日新聞夕刊(2012年5月15日)
『イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル 絶望が支えるソナタの演奏』
(長木誠司 写真:竹原伸治)

日本経済新聞夕刊(2012年5月24日)
『イーヴォ・ポゴレリッチ リサイタル 尋常ではない緊張感』
(岡本 稔 写真:堀田力丸)

オン☆ステージ新聞(5月25日号/第1922号)
『イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル』
(三橋圭介)

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墓掃除に行こうと思ったのだが、朝から結構な雨で、
これ幸いと私はパソコンに向かい、
ポゴレリチの公演感想文を書き始めた。
……のだが、とてもじゃないが、まとまらなかった(爆)。
あれほどの音楽になると、もう言葉でなんだかんだ書くのが
とても無力に思えるよなぁ……orz

そうこうしているうちに午後になり、メールで某氏から、こういう記事がある、
The sound of Ivo Pogorelich(Nguyen Dinh Dang's Blog)
というお知らせがあった(ありがとうございます~~!!!)。
そのときは既に娘にパソコンを占領されていたので、
私はソファに寝そべって携帯で記事を読み、
ということは辞書がないから多分誤読しまくりで得手勝手に読み、
あとで真摯に読み直すことを誓って、
それから脚注にあったリンクのほうにも飛んでみた。

私の気づいていなかった最近の記事ばかりで、これがまたなかなか貴重だったが、
特にロシア国立放送音楽センターの『ラジオ・オルフェイ』の記事には、
私はちょっとシビれてしまった。
Иво Погорелич: "В жизни нужно уметь делать правильный выбор..."
ポゴレリチの2010年2月のロシア語インタビューらしいのだが、
途中で、なななんと、ギドン・クレーメルの名前が出てくるのだ。
私はクレーメルも結構贔屓にしているので、
その彼がポゴレリチについて何か発言していたとは、
と嬉しくなった。……仮に、褒めてないにしてもさ(逃)。

私の読解力では、全体くまなく「よくわからない」状態なのだが、
インタビュアの言うことには、クレーメルが
『ポゴレリチ症候群というのがある』
と言った、とかなんとか。それについてポゴレリチは
『同業者の言うことに私はコメントしない』
と、すげなく返していて、インタビュアが
『それは黙殺するということか』
と更に訊くと、
『そもそも気がついてもいなかった。自分は時間が無い、忙しい』
と答えている、……ように読めるんですが、どうですか(爆)。

У меня нет времени
なんて言い方、十万年ぶりに思い出した気分だ。
нетの後ろに生格の名詞が来ると「~が無い」の意味になる、という。
ここでポゴレリチが使ってくれなかったら、
私はシヌまで否定生格なんぞ思い出さなかっただろう。
ああ、もう、佐藤恭子先生の授業でシゴかれた日々は何だったのか。
既に博友社ロシア語辞典は、実家の土蔵の中です。ご免なさい!!
私には和訳は到底!無理なので、どなたか読んで下さいませんか。
よろしくお願い致します。(←他力本願)。


追記:上記インタビューは、どこかで知っている内容である気がしたので、
さきほどからさんざん記憶の糸をたぐって、ついに見つけた。
このインタビューを収録した音声はコレ↓だ。ポゴレリチのロシア語をご堪能下さい(笑)。
Interview ..Russian ..(YouTube)
こうして聴くと、本当にポゴレリチはスラブ語話者だということがよくわかる。
だって、いつもこのまんまの発音で、英語喋っているではないですか彼は。

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一週間ほど前のことになるが、ピアニストのフランス・クリダが
79歳で亡くなったそうだ。
葬儀が、明日25日にパリの教会で行われる。

La pianiste France Clidat est décédée(la-Croix)

クリダは、私の祖父が最も愛したピアニストだった。
昔から祖父は彼女を贔屓にしており、FMで放送があるたびに録音して、
祖父編集による「フランス・クリダ全集」(に近いもの)が家にあり、
私もまた、クリダの弾くリストを聴いて育った。

当時は私は彼女のことを、リストの難曲を弾きこなす男勝りのピアニスト、
と勝手に思っていたが、後になってみると彼女はそういうタイプではなかった。
技巧的に見事であるというだけなら、ほかにも腕自慢のピアニストはいたし、
クリダ自身、テクニックが最大の武器というピアニストではなかったと思う。
どういう生い立ちの人であるか、私はほとんど知識は無いのだが、
音で聴くクリダは、とても「高級な」女性だった。
精神的な豊かさ、贅沢さこそが、彼女のピアノからあふれる美しさだった。
彼女の持つ「クラスの高さ」が、実によくリストに似合ったのだと思う。

祖父は趣味としてピアノを聴いており、FMからカセットテープに録音した、
世界各国の様々なピアニストの演奏を、作曲家別にではなく演奏家別に
詳細に記録を取って整理していた。
クリダ関係は、その中でも祖父にとって最も大切だったコレクションで、
最晩年まで祖父はこれだけは手放さなかった。
クリダ以外ではホロヴィッツの名演をいくつか手元に残していたが、
祖父は年齢を重ねるほどに、ほかのピアニストへの関心を失い、
私が祖父の家に遊びに行くと、クリダとホロヴィッツ以外は、
どのテープでもあげるから持って帰って良い、などと言ったりした。
そこで、デジュー・ラーンキなどをせしめて帰っていた、
ミーハーな女子中学生だったワタクシだった(汗)。

イーヴォ・ポゴレリチが、国際舞台に登場するどころか、
まだモスクワ音楽院の一学生だった頃の話だ。

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・暑くなった。
暑さに対して鈍感な私も、とうとう、きょうの午後から半袖を着た。
「今から半袖なんか着とったら、ほんまの夏になったとき着るもんがない」
と毎日頑張っていた娘も、きょうから観念して半袖Tシャツ姿になった。
4月から半袖半パンで暮らしている主人だけは、特に何も言っていなかった。

・ポゴレリチ騒動で私がウかれている間に、娘は中間考査が始まっていた。
今年から私大文系に絞ったことで、試験科目も大半が英国社の系統になり、
娘は毎日のびのびと暮らし、零点や留年におびえる必要がないという意味で
もはや楽勝である的なことをたびたび言っていたが、
試験が始まったら突然、寡黙になった(汗)。

・ふと気づいたら、プロ野球は交流戦に突入していた。
私の現状では、もう当分の間、音楽会に行く元気は出ないだろうから、
真夏になる前に、久々にマツダスタジアムでも行ってみるかな、
と思いながら順位表を見たら、
なんと、とても正しい順位に、ちゃんとなっていた(爆)。
やはり横浜を受けて立つことが出来るのは、広島だけ、という。

・AMAZONのアカウントを持っていない主人が、数日前、私に、
『さらばヤンキース(上)』を買ってくれ、と言った。
それ自体はお安い御用だったが、なぜ上巻だけなのかと気になった。
 転夫「『下』は持っとるんよ。古本屋で買うた」
 転妻「『上』は見つからなかったわけか」
 転夫「ほうなんよ。本は気を許すとすぐ絶版になるから難しいねえ」
ということで、私がAMAZONマーケットプレイスで、
『さらばヤンキース(上)』を注文し、本日、無事に届いた。
主人は、揃った揃ったと喜んでいた。良かったな。
で、まさか、『さらばヤンキース(中)』は存在しないのだろうね?

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