転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今、我が家では新聞を取っていない。

Y紙は野球絡みで不愉快だ、A紙は左巻きだから駄目だ、
M紙は二流以下だから読むに耐えない、S紙は右翼だから嫌いだ、
と主人は思いつく限りの新聞に悪態をつき、呆れた私が、
「じゃあN経にすれば」
と言ったら、
「俺は真面目なのは疲れる(^^ゞ」
と、却下し、
「それに地元新聞のC紙は職場で読めるし」、
と宣い、結局、
『家では取るべき新聞が無い』
という結論に落ち着いたのだ。

まあ、ろくに読んでいない新聞が、瞬く間にただの「新聞紙」になり、
月に二度、資源ゴミとしてヤミ業者を潤すだけなのなら、
いっそ取らないのも潔いかと思い、私も同意した。

やってみたら、ネットがあるお陰で、
情報に関しては不自由なことは何もなかった。
新聞代が浮いたぶん、月に数千円は余分に使えることにもなった。
強いて言えば、広告が一切手に入らないから、
近所のスーパーの特売がわからないが(^^ゞ。

だが、なんとなく、もの足りない気分を感じるのも本当だ。
特に、休日、遅く起きた朝など、コーヒーを飲みながら新聞を読む、
というようなことが、ときどき、ちょっと懐かしくなったりする。
個人史に負うところも大きいかもしれないが、
私にとっては、リラックスした雰囲気を出すためには、
新聞はなかなか、重要なアイテムだったかもしれないと思う。

(そういえば結婚したとき、それまでずっと都会暮らしだった主人は、
夕刊があるのは当たり前と思いこんでいて、
私が、うちの村の界隈では夕刊など無い、と言ったら、
とてもビックリしていたっけな(^^ゞ。)

ちなみに、ひとつかねてから疑問があるのだが、
新聞は、どうしてあのように大きいのだろうか。
毎日たまって行くにしても、あそこまで大きくなければ、
もうちょっと扱いやすいのではないかと思うのだが。
読むときだって、畳に広げても、テーブルに乗せても、
全体を見るには大きすぎる。
かと言って、たたむと、折り目のところが読みづらいし、
いちいちたたみ直さなくては次が読めないし、手間だ。
電車の中で読むのにも、隣の人の迷惑を考えると、
紙面を十分に広げられないから、これまた結構、苦労する。

あれを、例えば週刊誌なみのサイズにしたら、
何か不都合があるのだろうか。
もしかしたら雰囲気上の問題で、
あの大きさでないと駄目という国民感情があったりするのだろうか。

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