転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



娘のたっての希望で、きょうの昼は、広島ビッグ・ウエーブまで、
プリンス・アイスワールド『ヒーロー伝説~感動は時間(とき)を越えて』を見に行った。

覚悟していたものの、寒いのなんのって。
売店で座布団カイロを買ったのだが、
こういうものはサイズが小さめなのか、私のサイズが大きすぎるのか、
座布団からはみでた部分(って、どこ)があって、寒くてたまらなかった。
恥も外聞もなく、私はダウンジャケットのファスナーを胸元まで閉め、
手袋をし、レンタル毛布で足をくるみ、それでも冷えるのでマスクをかけ、
耳が冷えるのでジャケットのフードもかぶり、
・・・滑走している人たちは、スピードスケートとは全然関係ないのに、
観覧席の私ひとりが、ぴんくのモジモジくん(爆)。

フィナーレで観客は、好きな選手に花束を渡すことが出来る段取りになっていて、
主催者側でも花束を用意し、開演前や休憩時、希望者に売っていた。
ひとりの花売りのお兄さんが観覧席まで出稼ぎに来て、娘に言った。

お兄さん「どう?思い出になりますよ、花束、渡してみない?」。
   娘「(首を横に、ぶんぶん)」
お兄さん「どうして?」
   娘「恥ずかしいから」
お兄さん「駄目だよ~、人生、これからもっと恥ずかしいことがいっぱいあるよ」
   娘「・・・・・」
お兄さん「ほら!一発、やってみない?男なら!」
   娘「~~~(`へ´)」

おのれ、最後の一線を踏み越えよったな(^_^;。
たしかにガタイがいいし短髪だし青しか着ないが、これは娘だぞ?

ショーは、知識のない私から見ても、とても見応えがあったし楽しかった。
アマチュア競技では禁じられているような技も、
プロのショーでは次々と出て来るし、中にはとてつもない大技もあり。
フィナーレで滑走しながら退場する選手たちが、笑顔を振りまいていたので、
私もつい、観覧席から手を振って応えた。
振ってから後悔した。
いかん、私は今、ぴんくのモジモジくん・マスク付、だったのだ(汗)。

終わって娘は、大満足だ、と言った。ほんもののスケートって凄いね、と。
娘「外国人の人も旨かったね!」
私「うんうん。難しそうな技を、なんでもないみたいにやってたね」
そして娘は笑いもせず、ぽつんと付け加えた。

娘「・・・結構、イケメンだったよね」

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医療費控除の仕組みが相変わらず私には不明瞭で、
かねてからの「お役所」への苛立ちが、最近また噴出して来ている。
私の理解力が人並み外れて不足しているのかもしれないが、
それにしても、もうちょっとわかりやすく出来ないものか。

私は初め、介護保険関連は、単に老齢になったという問題であって疾病ではないから、
一切、医療費とは関係がない、と頭から思い込んでいた。
ただ姑の場合、重度のパーキンソン病で障害者手帳1種1級を持っているので、
障害者控除があることがわかった、と、ヘルパーさんに話したら、
「居宅生活支援サービス」の負担額のほうも、証明があれば(領収書があれば)、
医療費控除の対象になる、ということが偶然、発覚した。
『それ、知らんかっとってんちんとんしゃん!!』
(byスーパーエキセントリックシアター)

オムツ替えとか食事介助等、生活に関する介護は普通、該当しないが、
似たような行為であっても、医師との連携のもとに、
在宅療養のために居宅生活支援サービスを提供して貰った場合とか、
リハビリを含むデイ・サービス、デイ・ケア、ショート・ステイ等を利用した場合は、
それの費用が医療費と認められるというのだ。
んなこと今まで誰も言ってくれなかったぞ?
介護保険や障害者支援費制度の資料にも、そんな医療費控除のことは書いてないし!

お役所関連は、だいたいが、こういうのが多い。
税金と関係ないのだが、私は、歯科の訪問診療(往診)の頼み方についても、
姑と暮らすようになって初めて覚えた。
佐伯区の場合「広島市歯科医療福祉協議会」というところに電話をして、
訪問診療を受けたい旨を申し出、近隣の歯科医を紹介して貰う、という仕組みになっている。
歯科医院の受付嬢に「役所の許可が要る」と言われたのを発端に、
これを突き止めるまでに私はどれほど、電話でたらい回しにされたことか。
県庁保健福祉課も、広島市保健所も、区の保健センターも、誰も、
訪問歯科診療の申し込み方について、私に対して説明できなかったのだ
(最後の保健センターに「うちは知らない」と言われ、私がキれたので、
担当の女性が調べて、あとから電話をくれて、ようやくわかった)。

どうして公的サービスは、かくも不親切なのか。
偶然気が付いて調べた者にだけ、恩恵があるのよ~、
みたいな、いぢわるなものを感じて仕方がない(^_^;。

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忙しい。

昨日話題にした原稿は一旦書いて送ったのだが、
「とある会社」から駄目出しがあったので、いまだにやっている。
勿論、これについては、企画意図を把握できずに書いている私が阿呆なのであって、
誰をも責めるべきものでないことは承知している。

だが、これのほかにも、今月末が締切という条件で
一件、短い英訳を頼まれていて、これまたやっぱり出来上がっていないのだ
(今さっき、今年が閏年であることを今更思い出し、
自分的「今月末」が一日延びて、一瞬、涙が出そうになった。)。
私の英語が壊滅的にデタラメであるということは、以前力説した通りだが、
デタラメでない、ちゃんとした方面に頼めばそれなりの費用がかかるから、
・・・・ってことで私なのだ。そんなのアリかよ~(泣)。

そして更に、実は、いまだに確定申告の用意が完了していない。
私本人は前年に関しては、あの極零細学習塾の経営が、
たった三ヶ月分、残っていただけだから、所得など無いも同然だが、
我が家は医療費のほうが相当かかっていて、医療費控除の手続きが必要で、
その準備のために、私は気が遠くなりそうなのだ。

内科・整形外科に行った、歯科・皮膚科に往診して貰った、という医療費は勿論のこと、
去年は舅も姑も入院したし、私が漢方医の先生に診て貰ったぶんもあり、
更に、姑のデイ・サービスやショート・ステイや、ホームヘルパーさんへの支払なども、
医療費に含まれるのだそうで(←昨日知った・爆)、それらすべてを合わせると、
領収書の束が「全国ポケット時刻表」くらいのボリュームになってしまい、
私はこれを、間違えずに電卓で合計する・またはPCに入力するという気力が無い。
でもちゃんと医療費控除を受けないと、このままでは、家計が(泣)。

ああああ~~。しんど~~~。
なので、ちょっと休憩♪ということで(←殴)、
そこにあったポゴレリチの83年来日公演プログラムを開いてみた。
そしたら、しばらく読んだところで私は憤然となった。
某・佐々木節夫先生の書かれた文章の出だしが、

『昨年の秋、気晴らしに出かけた久しぶりのヨーロッパへの旅行中・・・』

き、気晴らしにヨーロッパぁ・・・パぁ・・・パぁ・・・(←エコー)。
そりゃ、なんでも我が身と一緒にしてはいけないことくらい、わかる。
でも、でも。
これまでの人生で、私は、気晴らしに鈍川温泉に行ったことすらない(号泣)。

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とある会社から仕事として、ちょっとした原稿を書くように言われ、
その資料収集のために、ネットであれこれ調べていたら、
今回書こうとしているテーマに非常に近い内容を扱った文章があった。
そこは検索エンジンでヒットして開いてみたページで、
トップではなく、エッセイの途中から入ってしまったのだが、
一読して、失礼ながら「これは素人の書いたものではない」と思った(何様)。

それでリンクを辿ってそのサイトのトップまで行ってみて、私は仰天した。
それは『みつとみ俊郎』氏ご自身が運営されているサイトだったのだ!!
http://www1.linkclub.or.jp/~flute/index_cover_new.html

この御名前で即座にのけぞるかどうかは、人それぞれだと思うが、
この方の担当された音楽は、多くの人が耳にしたことがあると思う。
みつとみ氏は、作曲家・編曲家でありフルート奏者であり、
2000年以降のNHKラジオ第一放送の午後のテーマやジングルはほとんどすべて、
この方の作曲によるものだし、その他にもたくさんのCMやテレビ曲や、
『ファイナル・ファンタジー』ゲ-ム、アニメ、イベントの音楽等も、
多数、作曲されている。

でも私にとってのみつとみ氏との出会いは、そういうものとは違い、
96年のNHK教育テレビ『まちかどド・レ・ミ』だった。
みつとみ氏はこの番組のプロデューサーであり、
番組中で使われる数々の歌の作曲編曲をほとんどひとりで担当されていたのだが、
私は、見れば見るほど、聴けば聴くほど、
そのなんとも言えない明るさ・楽しさにハマってしまい、最初は娘と観ていたのに、
しまいには自分用に録画ビデオを作り、CDも買ってしまった。
ここで作られた『伝説のコンビニ』という子供向けの歌は、
かなりヒットしたので、ご存じの方も多いかもしれない。

ちなみに、出演者のひとりであるチカ(林 央子)ちゃんが結構愛嬌があり、
真っ赤な短いスカートから覗く、可愛いパンチラが楽しいということで、
主人まで大ファンになり(殴)、お陰で彼はカラオケCDをかければ、
今でも、『ドキドキあいさつ』を歌って踊ることが出来る(蹴)。

それにしても、ああ、今になって、こんな出会いがあるなんて♪
IT社会って素晴らしい、人の縁ってステキだ!
今回の仕事をくれた「とある会社」に、私は今、モーレツに感謝している!!

・・・っていうか、早く、原稿、書けよ(爆)。

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自分の作っているサイトのサーバーがあまりに調子が悪いので、
ちょっと文句を言ってやろうかと、
連絡先を探し求めて、うちのプロバイダのHPを開いたら、
トップページの『トピックス』のところに、面白そうな占いのコーナーがあった。

『女性のための体占い』
http://www.body-navi.com/uranai.html

生年月日を入力すると、「あなたは『腹』です」とか「『耳』です」とか、
問答無用の答えが出る。ちなみに私は『目』。

『いつもキョロキョロ好奇心旺盛な、目のようなタイプです!』
・・・うう。うっかりとこの占いのページに来てしまった経緯を思うと、
キョロキョロしてばかり居るというのは、当たっているな(^_^;。

『でも色々な物を見ているようで、実は見ていないという、気楽な人だったりするんです』
・・・はい。さようで。

『あなたの運勢をもっと良くするには、もっともっと色々なことを吸収して、
あなたの人間性に磨きをかけてください』
・・・う、うそ。もうこれ以上よけいなことに手を出さないほうが、
身のためではないかと、常々思っているのに(^_^;。

『あなたの人生 採点します』
http://www.2000j.com/saiten/

いくつかの項目に従って答えを入力すると、自分の人生が採点され、
その他「心」「体」「コミュニケーション」「恋愛」など
項目ごとの判定も出て、最後にラッキーアイテムまで教えてくれる。

私の人生は、点数が68点で、ランクはB。
項目別では私の場合、「境遇」がAで、曰く、
『あなたは誰もがうらやむ星の下に生まれてきました。
これ以上いい境遇はないといっても過言ではありません』
・・・3年にいっぺん、劣悪な官舎を全国渡り歩く私のどこが、
「誰もがうらやむ」境遇なのか、かなり謎だ。
でも、この歳まで道楽して来られたことには感謝すべきということかな(^_^;。

最も駄目な項目が「体」でD判定。
『あなたは少し不健康なようです。今からでも遅くはありません。
無理なく長く続けられるような運動を選んでやってみることをお勧めします』
・・・そうだな、なにしろ外出できないから運動不足。これは当たりだ。

しかしそれにしても不可解だったのが、最後の一行だ。
『よしこ さんのラッキーアイテム→トイレットペーパーの芯』

画面の一番下までスクロールしても、これを何に使えば良いのか、書いてなかった。

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来るぞ・来るぞ、と覚悟していたら、今朝ついに、キターーー!!
「花粉症」の季節、到来である。

思い返せば、子供の頃からずっと鼻が悪かった。
季節など全く関係なく、年がら年中、クシャミ鼻ミズの連続だった。
そう、あれは確か、二十代の初め頃だったか、
ある日突然耳鳴りが始まり、市民病院の耳鼻科を受診したことがあった。
検査しても耳には異常が見あたらなかったので、
ストレスでしょう、心配はないと思います、と先生は診断し、
型通りに耳鼻咽喉科領域の診察をしてくれたのだが、
私の鼻を覗いた途端に、一瞬絶句。

医師「いつも、こんな状態ですか?」
 私「は?」
医師「鼻、辛くないですか」
 私「いえ、慣れてます。治療しないと、悪くなって死ぬってことありますか?」
医師「そーゆーことはないが。あなたがいいんなら、いいけど」

先生は、一時的ですがと言いながら、血管収縮剤を鼻粘膜に塗布してくれた。
診察が済んだ頃から、俄に、私の世界はバラ色に息づき始めた。
鼻に、空気が!?な、なんて爽快なんだ!
これだこれだ、長いこと忘れていた、この素晴らしい鼻呼吸の感覚!
『奇蹟の人』じゃないが、nose、noseと両手を挙げて叫びたい心境になった。

時は流れて、娘が1歳の頃。
娘のベビースイミングで私が溺れて(爆)、
その後遺症で耳が詰まってしまい、近所の耳鼻科に行った。
耳管に通気する治療で主訴のほうはすぐ解決したが、
例によって鼻を診て、先生が呆れた。

医師「あなたは、これが、なんともない?」
 私「なんともありますが、慣れました」
医師「・・・・」

そして、今から3年前。
とうとう鼻粘膜が限界まで腫れて、両方の鼻が完璧閉塞状態となった私は、
その頃実用化された、炭酸ガスレーザーによる下鼻甲介粘膜縮小術を受けた。
効果のほどは半信半疑だったのに、これが、なんと劇的に効いた。
まともに鼻が通り、ティッシュの消費量が急激に減った。
私はついに、クシャミ百連発女の汚名を返上できるまでになったのだ。

が。
その一年後、私は明らかな花粉症患者になった。
レーザーやって花粉症になりやがって、と家族は笑うのだが、それは違う。
それ以前は、非人道的な鼻炎が年中続いていたせいで、
花粉症があっても意識する暇がなかった、というだけだ。

私は、人並みな花粉症になれたことに、感謝せねばならない、のだ(鬱)。

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実は、きょうは一度、ここに、それなりな日記を書いていた。
が、UPする段階で、エラーになり、書いたものが全部どこかへ行ってしまった。
一太郎と話し合わずに、直打ちしたのがきょうの失敗だった。

さすがに脱力した私に、娘が近づいてきて、言った。
娘「きょう、学校で、そろばん習ったよ」
私「ふぅん。今でも、そろばんって、やるんだね。面白かった?」
娘「うん!電卓がなかった頃って、なんでもそろばんで計算していたんでしょ?」
私「そうだね」
娘「じゃあ、おかーちゃんが若い頃、そろばんだった?」

お前。私をいくつだと思っているのか。
電卓どころか、コンピュータだって職場にちゃんとあったぞ。
そういえば、この前もお前は、
「おかーちゃんが小さかった頃、戦争があった?」
って言ったよな。

ちなみに、おかーちゃんが子供の頃、どういう生活をしていたかというとだな。
実家には冷蔵庫がなく、エアコンもなく、
洗濯は川でしていて(パンスー(←前日の日記参照)は川で洗っていたのだ)、
風呂は五右衛門風呂、山から木を引きずってきて薪を割って焚いていた。
飲み水はポンプで汲み上げる井戸水、御飯はクドで炊いていた。
とりあえず電気は来ていたが、それでも炬燵はタドンだったな。
電話はダイヤルがなく、交換所を呼び出して通話を申し込む方式で、
近所と共同の回線を使っていたもんだ。
どうだ、凄いだろう。

だがこれは、おかーちゃんが戦前の生まれだからではない。
現代の秘境のような、物凄い田舎の出だった、というだけのことだ。
よく覚えておきなさい。

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最近、暇を見ては、古い衣類を整理するようにしているのだが、
きょう、押入の奥のほうから、姑の使っていた肌着類を出してみたら、
綺麗なキャミソールとか、お洒落なネグリジェなどがいろいろとあって、
私はとても感心してしまった。
私の記憶にある元気な頃の姑は、確かに、普段から身綺麗な人で、
外出しない日でも朝からきちんとお化粧しているような老婦人だったが、
洋服やアクセサリーだけでなく、下着や寝巻きも、
こうして様々に選んで装うほどお洒落な人だったのだ、と改めて思った。

もし私が年老いて、娘が私の衣類を整理することがあったら、
彼女は、きっと、ほとほと呆れるだろうと思う。
恥も外聞もないオバシャツ各種、裏起毛のスウェット、
ヨレったレッグウォーマー、猿股かと訊きたくなる奇妙なスパッツ、
水虫用ではなく防寒用の五本指ソックス。
こんなものばかり後生大事に……、と娘は脱力するだろう。

ま、私がある意味、とんでもない人間だということは否定しない。
娘はその点については、諦めるべきだろうと思う。
しかし一方で、このくらい驚くには当たらない、とも私は内心で思っている。
というのも、私の父方の祖母が、実におかしな下着を愛用していたからだ。
後にも先にも、あんなものを私は目撃したことがない。
私程度では、とてもじゃないがあの奇抜さには叶わない、と思う。

それは、女性用ショーツの、要するに股の部分に、
自分で切り込みを入れ、開閉できるように改造したシロモノだった。
祖母は、この加工済み下着を「パンツ」ではなく「パンスー」と呼んで、
常に愛用していたのだ。

なぜパンスー?それは、どっから来たネーミング!?

西暦1900年生まれだった祖母は、とっくに土に還ってしまったので、
残念ながら、パンスーの起源その他、各種の謎は迷宮入りだ。
惜しいことをしたと思う。もちょっと追求しておけば良かった。
あまりに見慣れていたので、当時はうっかりとこちらが鈍感になっていた。

などと思いながら、なんとなくネットで検索してみたら、
「特殊Tバック」とか「玉付きショーツ」等の妖しい下着を売っている某HPに、
『クロッチ部分がスライドするショーツ』が「イチオシ」として掲載されていた。

私は、しばし呆然とそのページを眺めていたが、俄に
『それの正式名称はパンスーかもしれません』と投稿したい衝動にかられた。

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(その1)
入居して一ヶ月の官舎だが、またしても変なことになった。
我が家の真上の家から水が漏ってきて、台所の床に水たまりが出来たのだ。
営繕課に言って調べて貰ったら、
うちの天井裏(上の家の床下)を通っている排水管のパッキンが駄目になっていて、
更に、上下二軒を遮っているはずのコンクリートにもヒビが入っていて、
上の家の台所の排水が、毎日、僅かずつ漏れてきていたのだそうだ。
うちの天井裏は水浸しで、我が家の天井には大きなしみが広がっていたが、
我々は無頓着だったので、それらが限界を越えてしみだし、床が濡れて初めて、
上を見て、事態に気付いたのだった。
これから天井ひっぺがして修理の日々なんだろうか(汗)。
修繕費は、一体、誰が持つのだろうか(大汗)。

(その2)
暖かくなったせいか、このところ自宅の庭とその付近に、
雑草が一斉に顔を出して来た。
綺麗好きの舅はこれが我慢できず、
先日、自分で除草剤を買ってきて、撒いた。
「1万円、撒いたんじゃ。しばらく触るなよ!」
と彼は言った。舅のご託宣なので、私は大手を振って庭の掃除をさぼった。
あれから一週間は経っただろうか。
今朝、私が回覧板を隣の家に持っていこうとしたら、
舅がしゃがんで、シャベルで土を掻いているところに出くわした。
「なんと性根の悪いヤツ!」
と、舅は怒っていた。
「薬撒いて、いつになったら枯れるんかと待ちよったのに、大きぃなりやがった!」

(その3)
このところ、姑の独り言が増えた。
ハレホレヒレハレ状態の喋り方で、昼夜を問わず、姑は何か言っている。
前から、テレビの登場人物は勿論のこと、箪笥や書棚、座布団などが相手でも、
姑は楽しく交信できる人ではあったが、最近はその回数が多すぎる。
舅「おかしいのぅ。何か変わったことでもあったかの」
夫「体調の変化か」
私「そうだ!薬のせいじゃ、ありませんか?」
舅「薬?」
私「ええ、このところ、お姑さん、病院で咳止めを貰って飲んでますよね。
 咳止めって、脳に作用するでしょ。だからハイになっちゃったんじゃないですか。
 シンナーが無いとき、咳止めアンプル一気飲みしたら、トリップできるんですよ」
舅「・・・・・・!!!」

しまった。

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娘の授業参観があって、昼から小学校に行った。
きょうの科目は「理科」、単元は「磁石」。
棒磁石とU型磁石をいろいろと組合せながら、
同じ極同士だとどういう反応になるか、違う極同士ではどうか、
を若干の装置を使って実験するのが、きょうの授業内容だった。

最初の実験は、U型磁石にヒモを結んでぶらさげ、
それぞれの極に、棒磁石を近づけて反応を見る、というもの。
同じ極同士だと反発して、U型磁石がくるくるとまわり、
違う極同士だと吸い寄せられるようにくっつく、ということを確認する。
・・・筈だったのだが、うちの娘は、最初の、ヒモの段階でつまずいていた。
U型磁石のカーブの真ん中あたりに、タコ糸を結ぶのだが、
これがどうしても出来ず、彼女は磁石をぶらさげることが出来ない。
娘は真剣そのものの顔で、幾度もやってみるのだが、
どうしてもほどけてしまうのだった。

次の実験は、容器に水を入れ、棒磁石を乗せた小皿をその中に浮かべ、
もう一本の棒磁石を容器の外側から近づけて、
水に浮かんだ小皿の動きを見る、というもの。
これもまた、同じ極同士だと、磁石が反発するので、
水の上で小皿が、まるで遊園地のコーヒーカップのようにくるくる回る。
違う極同士だと、小皿が水の上を滑るように寄って来る。

ひとあたり終わったところで、先生が後始末の指示を出された。
「何から片づける?机を水浸しにしないためには、どうしたらいいかな?」
すると、ひとりの男の子が大きな声で言った、
「もう、なった!」。
彼の教科書もノートも、既に、すっかり水をふくんでヨレっていた。

水を捨て、容器や磁石をハンカチでふいて、片づけができたら、『まとめ』だ。
「それぞれ、ノートに、きょうわかったことを書いてごらん」
と先生に言われ、みんな、鉛筆を握った。
「自分で、書くん?」
と、また誰かが大きな声で訊いた。
「そうね、自分の言葉で、きょうのまとめを書いてね」
と先生。しばらくして、また別の方向から、誰かが、
「自分で、書かんでも、ええん?」
と質問した。先生は目をむいて、
「自分で書かなかったら、誰が書くの???」
まったく、小学校3年生の子供らの考えることというのは、意味不明だ。

娘は、まだタコ糸と格闘していた。

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