転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



『骨(こつ)じい』と『ばーちゃん』とを囲んで、
舅宅で、地味に、年越しをしています(^_^;。
と言っても、厳密には「囲んで」いなくて、
ひどい風邪をひいた主人は仏間に隔離され、『骨じい』と差し向かい、
一応、どこも悪くない(らしい)私が、ばーちゃんのヨコにいて、
一緒にテレビを観ています。

ばーちゃんは、ずっとご機嫌さんです。
私のことはすっかりヘルパーさんだと思っているようです(^^ゞ。
「あんた、よく来るね。今晩、泊まって行きんさい」
とさきほど言われました。御言葉に甘えて、泊まります(^_^;)。
娘はあっちに行ったり、こっちに来たり、二階で漫画読んだり。

今年も、いろいろと、楽しいこと・くだらんこと・胸おどること、
噴火すること・腰砕けなこと・笑い死に寸前なこと、等々ありましたが、
やはり私どもにとって一番大きな出来事だったのは、
九月の終わりに、じーちゃんが、『骨じい』になったことです。
2005年の元日、トイレ掃除用のブラシを持って(爆)、
年始に来たことが、つい、昨日のように思い出されます。

この日記を通じて、本当に皆様には助けて頂きました。
お励まし下さった方々は勿論、この日記をお読み下さった方々、
すべての皆様に心より御礼を申し上げます。
本当に、ありがとうございました<(_ _)>。
新年のご挨拶は失礼させて頂きますが、
皆様が良いお年をお迎えになりますようにと
心からお祈り致します。

来年もまた、どうぞよろしくお願い致します<(_ _)>。

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年末年始を過ごすため、皆で舅宅に帰って来た。
姑も特養から帰宅した。

……のは良いが、主人も娘も風邪をひいている。
特に主人のがひどい。
姑にうつしてはいけないから、主人は仏間に隔離することにした。

舅の遺骨も一緒に来て貰った。
それを眺めつつ、掃除機をかけていたら、私はふと、
十年くらい前、NHK教育テレビ《うたってオドロンパ》という番組に
《骨爺(コツじい)》というキャラがいたのを思い出した(爆)。

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例の、中学受験塾に3月から通い出して、娘は、
一学期、ずっと300名中160番を指定席にしていたが、
二学期は結構好調で、300名中平均120番くらいに上がった。
偉いじゃないか、と私は毎回、誉めてやっていた。
子供は誉めて育てろ、とよく育児本に書いてあったが、
あれが本当なら私の育児方針は間違っていなかった筈だ。

だが。
娘はきょう、年内最後のテストでドツボな点数を取ってきた。
まだ自己採点の段階ではあるが、この出来無さ加減は、
一学期から見ても初めてだろうという悲惨さだった。
およそ200番より下になると、この塾では順位が出ないのだが、
今回はほぼ確実に、順位表示の貰えない成績だろう。
これはどうやっても誉めようがない。

ということできょうは叱った。
『目先のテストの点数だけで叱ってはいけません』
などと、塾のHPには書いてあった気がするが、
こんなもん、今、叱らないで、いつ叱るねん(--#)。

このところ、毎日、冬休みだからというのでゲームしまくり、
私に追い立てられて終わると、今度は漫画を読み、菓子を食い、
いい加減疲れた夜9時頃になって、申し訳程度に復習し、
今朝は今朝でさんざん寝坊し、ギリギリに起きてテストに行った。
そんなバカにした態度で、良い点が取れたら、誰も苦労は、せん。
この間からなんべんも注意したろうが。なめるにもほどがある。

と、目をサンカクにして私が演説すると、
娘はしばらく聞いた挙げ句に、言った。
わかった。今度から、気ぃつけるわ

オマエ(--#)。
この、百日の説法、屁ひとつ、みたいな返答は、どうだ。ヲイ。
頭に来た私は、
「そのテストの間違ったところを、今から直せ」
と娘に申し渡した。
別に懲罰的な意味で言っているのではない。
テストが終わったその日に解説と模範解答を見て復習するのは、
本来的に、学習の王道ではないか。
今までやっていなかったことのほうが問題だったのだ。

私「ノートに綺麗にやり直すんだよ」
娘「間違ったところだけでいい?」
私「いいけど、合ってるとこが少ないんだから、大した違いは無いだろ」
娘「四科目とも?」
私「当然だ」
娘「ちーん♪・・・・ぽくぽくぽくぽく」(←木魚のつもり)

・・・・・・・・・・・(--#)。
ナニがあってもメゲない、
というのは、通常、良いことだとされているが、
果たして、本当だろうか。
いっぺんくらい、つくづくメゲてみたら、どうや?

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私のようにスポーツに無理解・かつテレビ嫌いの人間でも、
一応、女子フィギュアスケートの全日本選手権は、観た。
主人が観ていたからだが、つきあって最後まで私も観たのは、
やはり、我ながら、現時点での日本女子選手のレベルの高さと、
今回の世間の騒ぎとに、心を動かされていたからだと思う。
その後の、オリンピック出場者の発表にしても、
これだけの選手が揃い、豪華な顔ぶれでの選考となったことを
日本人としてとても喜ばしく思った。

しかし、私が、今、心密かに不愉快に思っているのは、
せっかく五輪代表が決まったのに、祝福して送り出すどころか、
やれ出来レースだの、裏があって汚いの、えこ贔屓があっただの、
誰某の方が相応しかっただの、スポンサーがどうのこうの、
コーチだか理事だかの政治力が影響しているだの、
規定の年齢に僅かに足りないだけなのだから某ちゃんを出せだのと、
あとあと、結果について延々と文句を言い続ける人がいることで、
まあ、一般人が思いつきで無責任なことを言うのはまだしもとしても、
選手選考に関する疑惑について、真偽も定かでないのに、
ニュース記事にまでなっているのには、呆れてしまった。

外野としては、自分の持っている知識や情報の範囲内で、
選考基準について解せないことが様々あるのかもしれないが、
我が国の代表として国際大会に行く人たちが一旦、決まった以上は、
もう、よけいなことを言うものではないと私は思う。
そもそも、今回選ばれた女子3名は、連盟が以前から公言していた、
ポイント制による選考基準から言って、妥当な人たちばかりではないか。
それともナニか、彼らにケチをつけ、煩わせることによって、
今回の選に漏れた、自分の推す選手が、幸せになれるとでもいうのだろうか。

参加資格の年齢制限に僅かだけひっかかった、若い選手については、
確かに、四年後も今と全く同じに競技ができるという保証はないから、
現時点でオリンピックに行けないのは残念だと思う人がいるのも
充分に理解できるけれども、しかし規則は規則だし、
そういう温情で融通していたらキリがないと、私は思っている。
とにもかくにも、四年後に参加する希望は依然としてあるのだし、
何が吉と出るか凶と出るかは、あとになってみないとわからないのだから、
これはこれで、将来も込みで応援すればいいのだ。

私「にしても、これだけ凄い選手がいっぺんに出そろっているのに、
 たった3人しかオリンピックに行けない、というのがツラいよね~」
夫「全く全く。上位6人、誰でもええっちゅうくらい層が厚いからなあ」
私「そうだよ。外していい選手なんか居ないよね、本当は。
 上位みんな行ければなあ。誰かは必ずメダル取れるだろうにね。
 やっぱり全員、行って欲しいよ。でも3人の枠しかないんだよね~」
夫「イケメン高橋が行くのやめて、
 女子の誰かと、かわったればええんとちゃうん


(↑殴・蹴・絞・埋!!!)

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年末とお正月、姑には外泊許可が出る見込みなので、
佐伯区の舅宅で、我々と一緒にゆっくりと過ごす予定になっている。
姑が自宅に帰るのは11月の、舅の四十九日法要以来のことだ。
それで、姑が快適に過ごせるように、ベッドや車椅子を用意しておかねば、
ということで、私は昨日から各所に連絡を取って情報を集めた。

ベッドのレンタルは、いくつか業者さんがあるのだが、
値段は結構、まちまちのようだ。
どの業者さんにも共通するのは、レンタル料の単位が「月額」で、
たとえ数日間の使用でも「日割り計算」にはならないことだ。
前回、借りたところが月額2万円で、結構割高だったので、
違うところにしてみたい、と私がケアマネージャーさんに言ってみたら、
選ばなければ月額8000円からある』
ということだったのだが、『選ばなければ』って、一体(^_^;。

訊いてみたら、ベッドの機能として、上半身は起こせるが、
高さを変えるには、ベッドを毎回、自力で持ち上げてどうのこうの、
・・・みたいな話だったので、
さすがにそこまで悟れない、ということで(^_^;、
『2モーター(高さを変えられること・上半身部分が起こせること)』
を最低の条件として、ほか、マットレスとサイドレール4本で探し、
結局、全部で13000円、という業者さんに決定した。

車椅子のほうも、レンタルで各種出ているのだが、
これについては、ケアマネさんから更に耳寄りな情報が寄せられた。
なんと、今まで知らなかったのだが、佐伯区役所に行けば、
短期間ならば無料で貸してくれる
、というのだ。

私は、ケアマネさんに御礼を言い、電話を切ると、喜びいさんで、
佐伯区役所のサイトにアクセスしてみた。
所在地と大代表のファクスみたいなものが書いてあって、
『各課直通電話はこのページの下にあります』と記されていた。
え~っと、車椅子の貸し出しについては、どこに訊けばいいのかな?

『下に』という指示に従い、スクロールしてみたら、確かに、
『各課お問い合せ先:各課直通電話・FAX番号・Eメールアドレス』
というリンクがあった。クリックしてみた。

・・・・・・・・・・・・(--#)。
おいっっ、これは広島市役所のサイトだろーがっっ!!
案内の言う通りにドアを開けたのに、いきなり区役所の外かよっ!!
佐伯区役所内のどこで、車椅子が借りられるのか、
ここじゃ、前よりいっそうわからんじゃないか!!

それでも忍耐して、とりあえず、ページをくまなく見てみると、
う~んと下がったところに『佐伯区役所』という見出しがあり、
区役所内の窓口一覧のような文字が並んでいるのが見つかった。
それぞれ、どういう仕事をするのかは一覧には出ていないし、
車椅子のクの字も無いが、もう、動物のカンみたいなもので、
『厚生部 健康長寿課 高齢福祉係』
とゆーところが、なんだか慕わしいような気がしたので、
私は勝手に、ここに頼ることにした。で、電話した。

私「あのー。こちらでお尋ねするのがいいかどうか、
 よく、わからないんですが、車椅子の貸し出しのことで」
係「はい」
私「区役所で、短期の、無料の、車椅子の貸し出しがあると、
 ケアマネージャーさんから教えて貰ったんですが」
係「それでしたら、社会福祉協議会ですね」

社会福祉協議会、って。
それ、佐伯区役所じゃ、ないじゃん!!

みんなしてワタシをいぢめるの~~(T.T)、
と、もうちょっとで被害妄想が入りそうになったのだが、
判明した真相は、こうだった。
確かに、広島市社会福祉協議会は、区役所でも市役所でもなかった。
ただ、この組織の中の、ひとつの窓口である、
『社会福祉法人広島市佐伯区社会福祉協議会』が、
佐伯区役所別館3階に間借りしていたのだった(--#)。
ケアマネさんに、最初によく訊ねておけばよかったのだ。
やれやれ。

ということで、今から、行って来ます(--#)。


追記:行って来た。別館というのは初めてだったので、
案の定、区役所の本館三階をうろうろし、挙動不審な私だった。
若い女性に案内されて、ようやく、別館への連絡通路がわかった。
予め電話しておいたので、話は通っており、
申請者名・住所・使用者名・障害者手帳の有無、
使用期間・必要事由、などを所定の用紙に記入することで、
車椅子は2ヶ月間、無料で貸して貰えるということだった。
ただ、機能的にはほとんど選ぶ余地はなく、
「介助用」(使用者が自分では車椅子を操れない場合)となると
ひとつのタイプしかなかった。とりあえず、それを借りてきた。

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ポゴレリチ関連のBlogのほうに、1999年4月12日にBBC放送が行った、
In Tuneという番組においての彼のインタビューを、
日本語になおして、その前半だけ、昨日、掲載した。

最初に録音を聴いたとき、私は、かなり、聴き取れなかった(^^ゞ。
最大の原因は勿論、ミもフタもない話で私に英語力が無いからで、
手加減なしのラジオの番組を、ふんふんと聴ける能力など無いことは、
やる前からあきらかだったのだが(T.T)、
事態を更に困難なものにしていた原因は、
ブツが、馴染みのないイギリス英語だったことと、
もうひとつ、ポゴレリチ本人の英語がスラブ訛りだったことだ。

私の戸惑いは、言ってみれば、
NHKの教材を使って「挨拶」程度の日本語学習に励んでいるガイジンが、
ラジオの大阪弁バラエティ番組を聴いてみたが、どうも理解できず、
そのうえ、そこにフランソワーズ・モレシャンが絡んできて、
ますます何を言っているのかわからなかった。・・・そんな感じだ(^_^;)。

それで、私は英語のスペシャリストである友人に泣きついた。
彼女は翻訳業のプロであり、通訳士の資格も持つツワモノだ。
多忙な彼女の手を煩わせるのは申し訳ないと思ったのだが、
彼女もポゴレリチ・ファンなので、もし機会と時間があったら、
この録音の中身を聴いて、助けてくれまいか、と言ってみた。

果たして、さすがにプロの仕事は違った。
私が、「だいたいで、いい」と言ったにもかかわらず、
彼女は、いくつかの聴取不可能だった箇所を除き、あとはすべて、
インタビューを書き取って、ファイルにして送ってくれたのだ
(彼女でも聴き取れなかったところというのは、音声などの条件が悪く、
イギリス人でも一言一句までは聴き取れまい、という箇所だと思う)。
私は、それと録音とを照合することにより、ついに、
完全に近いかたちでのスクリプトを手にすることが出来た。
ああ、素晴らしい~~~(T.T)!
N様、本当に本当にありがとうございました~~~<(_ _)>!

さて、肝心のポゴレリチの英語なのだが。
彼のは、発音こそロシア語風で、[r]は巻き舌だし、
母音の[u]も、英語にはあり得ないような音を出しているのだが、
統語的には話し言葉であるにも関わらず見事に整っていて、
かなり、理詰めで物事を考える人だということが感じられた。
また、インタビュアの言ったことが気に入らなかったりすると、
I beg your pardon?(もう一度仰って下さい)
とすかさず切り込み、他の話題で取りなそうとしても、再度、
Could you repeat ~?(~のところを再度言って頂けませんか)
と食い下がり、言葉遣いは丁寧だが、とても怖かった(^_^;。

そういえば、MUSICA NOVA1月号にも、ポゴレリチの話は、
恐ろしく正確な記憶に裏付けられた、大変秩序だったものだ、
ということが書いてあり、今後の予定を語るときも、
過去の演奏会の話をするときも、すべて、年月日・曜日にまで、
緻密かつ詳細に言及していた、というエピソードが掲載されていた。

もしも、なんかでトラブって、裁判沙汰になって、
この人と法廷で争ったりしたら、オシマイだ、
ということが、かなりよくわかった(爆)。

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数日前、神取忍が「女優」デビューという記事があったのだが、
和央ようかの怪我の報道を追っかけているうちに
うっかりと見失ってしまった(^_^;)。

昔、長与千種がクラッシュギャルズをやめてタレントになり、
マジで女優デビューしたとき、私はテレビの時代劇で、
彼女の演技を見て、あまりのヘタさ加減にワロてしもたのだった。
が、何年かして、別の番組で見たときには、格段に上達していて、
また、小説「リング・リング・リング」の後書きで、
つかこうへい氏に特訓された話なども読み、
やはり根性が違うなあと感心したものだった。

神取の舞台は、今回、技術ではなくキャラで押し切る役柄のようだが、
彼女だって将来、案外面白いことになるかもしれないな(^^ゞ。

もうひとつ、インリン様が肋骨骨折したという記事を、
これは、ついさきほど、どこかで見たのだが、
今みたらもう、消えてしまって他の話題ばかりになっていた。
なんで骨折したかというと、確か、私の見間違いでなければ、
高田総統とソシアル・ダンスのお稽古していて
・・・という話だったので、
あなた方のダンスのレッスンって一体、
とツッコミたかったのだが。

ということで、今夜の私の楽しみは、
森達也著『悪役レスラーは笑う』というグレート東郷の本を
コタツにもぐって読むことだ(^◇^;)。


追記:インリン様、引退なさるんですね~。
 ま、プロレスの引退は、なんべんでもあり得ますが(爆)。

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MUSICA NOVA(ムジカ・ノーヴァ)という雑誌がある。
音楽之友社から出ている「ピアノの情報誌」で、月刊だ。
これの1月号に、ポゴレリチが10月に来日した折りの、
インタビューと写真が出ているというので、買いに行った。

まず、楽器店の雑誌コーナーで見つけて手にとって、
何が書いてあるのかな~と開いてみて、
いきなりポゴレリチが巻頭カラーで、私は噴出しそうになった。
なぜなら、その掲載写真を見た私の第一印象は、
「な、なんという派手な海ボウズ!!」だったからだ。
ので、慌てて閉じて、とにかくレジに持って行った。
人前では、とても読めなかった(^^ゞ。

自宅で改めて開いてみたのだが、笑いが止まらん、オモロ過ぎる
80年代の終わり頃、彼は立ち姿は撮影禁止とか言っていたが、
今は考えが変わったのか、自らポーズをつけて、
しかし決してニッコリしないで、写真に収まっていた。
そして首には、ペンダントみたいなものをたくさんかけていて、
お人形さんというかヒトガタのペンダントトップのついたものが、
ちょっと見ただけでも三つは下がっているのだった。
ちなみに、どこかの旦那様はこの写真をちらりとご覧になって、
「ん?志茂田景樹か?」と仰ったそうだ(爆)。

インタビュー内容は、あまり書いてしまうとネタバレになるが、
前半の楽譜の読み方に関する箇所は、非常に高度で知的なもので、
彼の言っていることが、言葉として理解できたとしても、
それを演奏に反映させることは、かなり難しいだろう、
と思われるようなものだった。

中ほどからは、彼の今後のスケジュールに関する話だったが、
自分の名を冠した音楽祭やコンクールを開催する話は良いとして、
まだどこのマネージメントも発表していないだろうと思われる、
先の先の演奏会計画まで結構、具体的に語っている箇所があって、
こんなこと今から言って大丈夫なんでしょうかと、少々心配になった。

また、ここで言及されている、ドイツのワイマールで開催予定の、
彼自身が主宰者となるコンクールに関しては、
マルタ・アルゲリッチに直接会い、審査員を依頼したと書いてあった。
あの1980年のコンクールのとき、野性的な美青年だったポゴレリチが、
ワルシャワ・フィルハーモニーホールの壮麗な階段を、
まさに熟女の魅力あふれるアルゲリッチと並んで降りてくる写真が、
各種メディアに掲載されたものだったが、
今や、このふたりの会見となると、どっちもただならぬ妖気が漂っていて、
絵ヅラとして相当、怖かったのではないか、と想像してしまった(逃)。

さて、読み進めていくと、今度はいきなりの爆弾発言、
私が宝飾デザインをしているのをご存じですか?』
知らない知らない知らない知らない、ぶんぶんぶんっ!!
四半世紀、ファンしてきて、今、初めて聞きました、そんなこと!!
じゃあ、そのヒトガタ・ペンダントも貴方の作品なんですかっっ!!
そして更に、
ブルース・リーは私の大好きな芸術家です』。
そ、そりゃまた、知りませんでした<(_ _)>!!お見それしました!!
私は、「北斗の拳」がかなり好きですが、やっぱ駄目っスか!!

・・・・・・・・・・・・。
ああ、オモシロかった。やっぱりポゴレリチは最高だ。
私は汗をぬぐうような気分で、それから、やおら、
ほかのページを眺めた。

すると。
えっ!?こちらのおじいちゃま、心臓発作!?大丈夫!?
と、私を慌てさせる写真が、カラーグラビアの最後に掲載されていた。
な、なんで音楽雑誌に、こんなものが。
・・・と、思ったら、それは、胸に手をあてて三白眼でお辞儀する、
アルド・チッコリーニだった
(爆)。

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宝塚・宙組の和央ようか重傷(中日スポーツ)

『・・・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで宙組の選抜メンバーによるライブショー「W-WING-」(20日開幕、齋藤吉正作・演出)に主演。通算4公演目だった夜の部で負傷。公演は中止になっていた』。

もともと新聞記事を全面的に信じてはいけないとわかっているが、
私でも簡単に指摘できる誤りがあるのは困ったものだ。
20日開幕だったら、どーやって私が17日に観たんだよ(--#)。
この公演の初日は20日ではなく16日だったし、
事故のあった21日18時半公演は、通算4公演目ではなく9公演目だった。

というのは一般読者には完全にどうでもいいことだろうとは思うが、
そんな些末な数字的データに、わざわざ言及する以上は、
劇団公式サイトでちゃんと確認してから書けばいいのにと思う(--#)。
こういう失点を重ねると、ほかの記事内容まで、
なんとなく、テキトーに調べた程度で書いたのかな、
と勘ぐりたくなってしまうではないか。

『◆命綱は着用せず
 歌劇団によると、事故が起きたのは同日午後8時20分ごろに行われた第2幕「10th Fly WAO!!」の場面。舞台上手側からフライングした和央が、中央への移動中に2メートル強の高さから転落した。ワイヤの先にある革製の輪から右手が抜けたらしい。この場面では命綱はつけていなかった』

事故の経緯について、劇団の公式発表では、
『右手で握っていたフライング用の装置より、握り手が抜け』
となっていたのだが、この記事の表現はもっと簡潔だ。
つまり『手が抜けた』から転落した、ということか?

『ワイヤの先に革製の輪』って、字面通りだとすると、
何か、「吊革」程度の装置のように聞こえるのだが、
実際にはどの程度の仕組みになっていたのだろうか。
片腕だけに全体重がかかり、「抜け」たら即、転落という状況の中、
あの加速のついた場面をやっていたのかと思うと、改めて目眩がする。
2メートル強という高さは、彼女が今回披露した宙乗りのうちでは、
多分、いちばん低い位置だったと思うので、
その点だけは、不幸中の幸いといったところだろうか。

ところで、私は、たかこ(和央ようか)さんの今回の事故に関して、
自分が不吉なことを言ったのが悪かった、という文脈で、
「言霊」に思いを至らせたと、昨日、ここで書いたが、
周囲の和央仲間も大なり小なり、同じようなことを思い、
反省までしていたことが、次第にわかって、苦笑してしまった。

私同様に、舞台を観て、事故でも起きてはと心配になったことを、
「私が縁起でもないことを思ったりしたから(T.T)」
と悔やんでいる友人がほかにもいたし、
問題の場面でまさに、「怖い!腕が外れたらどうなるの!」
と具体的な連想をしてしまったのが、その通りになったので、
あんなことを考えなければ良かったと泣きそうになっている人もいた。

また、たかこさんは、以前、大劇場公演『カステル・ミラージュ』でも、
公演終盤に怪我をして、しかし最後まで休演しなかった、
という一件があったのだが、友人いわく、
「あのときも、私が行った公演で、たかちゃんは怪我した。
今回も、21日夜公演を私はチケット用意していた。
今回はたまたま行けなかったから事故は見てないけど、
私が買った公演に限って、たかちゃんが、怪我してしまうなんて、
私が悪いのでは(T.T)」

そりゃ単に、アナタがあまりにも頻繁に観劇しているために、
普通の日も事故の日も、劇場に行く予定になってしまっている、
っつーことでは、と私は思ったが(殴)
(注:熱心なヅカファンは通常、同じ公演を何十回でも観る)、
こういうとき、ファンがある程度共通して考えるのは、
『私が何かしたから、不運を呼び込んでしまったのでは』
ということなのだな、と私は今回のことで学んだ。

ともあれ、こんなことが起こってしまった以上、ファンの立場では、
詳しいことは知り得ないし、何が出来るというものでもないが、
せめて、たかこさんに御見舞いのお手紙でも書こうかと思っている。
私はファン歴はそれなりにあるのに、ファンレターなるものは、
トップ就任前にたった一度出したきりなのだ。

友人は、「つらいとき、いつもたかちゃんに慰めて貰った。
今度は、私たちが力になりたい」と言っていた。
私もそうだ。介護のことなど、いろいろと悶々としていたときなど、
本当に、いつでも、たかこさんの舞台を観ることで元気になれた。
彼女とは直接話をしたことなど勿論ないし、
私人としては、どういう人なのか、全然知らないけれども、
「和央ようか」は、いつも、私に、他の誰もできないことをしてくれた。
ささやかだけれど、何か、思いを届けることが出来ればと、今は思っている。

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和央ようか 全治1カ月 公演は中止に(ENAK)
『宝塚歌劇団は22日午後、21日の公演でけがをした宙組トップスター、和央ようかが診断の結果、骨盤骨折で全治1カ月だと発表した。治療に専念させるため公演の残る日程は中止と決めた』

17日の12時公演を観たとき、私にとって一番印象的だったのが、
幾度も客席がどよめくような、この展開の速い宙乗りだった訳だが、
あのとき、終演後すぐに、友人と「あれは危険ではないか」と喋り、
更に帰宅してここにもその話を書いてしまったことを、
今は、非常に後悔している。

などと言うと、言霊信仰を都合良く勘違いしているみたいで、
我ながらアイタタな考え方だなとは思うが、
やはり、公演の最中に、あのように不吉なことを言葉にしたのは、
非常に軽率だったと思う。すみませんでした<(_ _)>。

今は、とにかく、たかこさんの回復を祈りたい。
このあと本来予定されていた、ディナーショーや、退団公演など、
いろいろなスケジュールがあったけれども、
それらは度外視しても、ここで充分に養生をして貰いたい。

・・・・と一旦は思ったのだが、考え直した。
たかこさんの望む舞台が、また実現できるよう、
なんであれ彼女の望むことがその通りに叶うようにと、
私も、ファンとして、願っていたいと思う。
もし、どんな無理をしても舞台に復帰することを彼女が希望するなら、
それが現実に可能となるよう、私も祈ろう。


唐突な例えなのだが、今や史上最強の鬼嫁・北斗晶が、
現役時代、首の骨を折るという瀕死の重傷を負いながらも、
リングに戻りたい一念からリハビリに努め、無茶を承知で復帰し、
以降、引退するまで第一級のレスラーとして君臨したことを
私は思い出さずにいられない(逃)。

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