転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日の夕方から、久々にカクランした。
日頃から腹部不快はときどきあったが、
はっきりと腹痛を伴う正式な(笑)カクランは昨年12月以来だった。

このカクランは文字通り、突発的に来るので毎回困ってしまう。
昨日も、特に体調に問題のある日ではなかったのに、
そろそろ晩ご飯の支度にかかろうという頃、
覚えのある鈍い腹痛が、左下腹(例の婦人科由来の癒着の箇所)に来て
これはマズいな~例のアレかな~イヤだな~、等々と思っているうちに、
予想通りピーコちゃん攻撃を受け、急激に腹痛が募ってヨタヨタになった。

昨年11月のような、脳貧血状態までは行かなかったが、シンドい腹痛だった。
そして、ピーコちゃんが一通り過ぎて、腹具合がおおかた楽になったら、
今度は体の節々が怠くなり、37度4分ほどの微熱が出てきて、
すっかり私は病人になった。
テレビは女子柔道の松本薫選手の金メダル獲得で盛り上がり、
主人も娘も熱狂していたが、私は観戦する体調でなく、
ただただ布団の中でダルダルしながら、
『まつもと かおる』さんか、これってダンプ松本の本名やん、
……とワケのわからないことを考えていた(爆)。

きょうは回復傾向にはあるが、朝も昼もいくらでも眠れた。
本格的に暑くなってから、逆に私はあまり体調のトラブルがなく、
よく動けていたので、冷え性の私には暑いほうがむしろ補いがついて良い、
と内心で思っていたのだが、やはりオーバーワークだったかもしれない。
休憩せよとの天の声だと思うことにして、これからまた寝よう。
音楽が聴けて、読書が出来て、
……深刻な病気でなく急性症状さえなければ、という前提があってこそだが、
少々寝込む程度なら、私には良いこともいろいろとある(^_^;。

Trackback ( 0 )




先日、何がきっかけだったか忘れたのだが、
面白い地名がある、という話題で、主人と私が、
「広島県呉市には『阿賀(あが)』という地区があり、
広島市には『恵下(えげ)』という場所がある」
という話をしていたら、通りかかった娘が、
「じゃあ、『うぐ』はどっかに無いん?」
と爆弾発言をした。

それで早速この話をfacebookで報告したところ、
お友達の皆さんが、それぞれ楽しんで調べて下さって、
その結果、残念ながら広島関係で『うぐ』は出てこなかったのだが、
福岡に『鵜来島(うぐしま)』、佐世保に『宇久(うく)』、
という近いモノが存在していることがわかり、
また熊本の天草に『イゲ神社』もあることが判明した。
それぞれ由来があるのだろうが、音声的にはとても楽しい名称ばかりだ。
もう一押しで、何かシリーズが出来そう♪

ちなみに、広島市安佐北区の『恵下』山は、
遺跡の出たところとして、市内では多少は知られている。
昭和40年代に、山を切り開いた団地があちこちに建設されつつあったとき、
そのうちのひとつ、高陽団地の造成中に、恵下山で遺跡が発見された。
遺跡群は三箇所に別れて存在しており、それぞれ、
弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての集落跡・古墳時代後期の古墳、
弥生時代後期の集落跡と古墳時代の土壙墓、それに恵下山城跡だった。
県史跡 恵下山・山手遺跡群(財団法人広島市文化財団文化科学部)

それで、こんな話になったのも何かの縁かと、
ネットであちこち検索してみたところ、
恵下山の遺跡の一部は復元され、一般の見学も可能だとわかり、
これは是非、涼しくなったら行ってみたいと、私は俄然、興味をそそられた。
そういうものがあると、以前に話に聞いたことはあったのだが、
実際に現地を訪ねてみたことは、これまで一度も無かったのだ。
JRやバスは、市街地から直通のようだし、行くことは難しくないだろう。
もっとも、こうした団地の常として、上り坂は覚悟せねばならないから、
最寄り駅からの直線距離では、測りきれないものもあるが……(^_^;。

**************

一方、古代人の墓だの住居だのに目が無い歴女の娘は、
天啓のように、阿賀と恵下から得るものがあったそうだ(殴)。
以下、転娘みーちゃん・作『アガとエゲ』。

 ラオウ「うぬが、アガが」
 手下「エゲにございます」
 ラオウ「うぐ……」(→間違えたラオウ)

Trackback ( 0 )




主人は、引き続き怠りなくオリンピック観戦をしている。
昨夜など、柔道を観るために一旦早寝して、夜中にまた起きる、
という勤勉さだった。
一方、私は、どの選手がどういう経歴で、どの程度のメダル予想か、
等々についてはろくに知らないけれども、敗退した選手が会見で、
「すみません」と謝っているのを見るほど、心痛むものはない、
と、毎回思うことを、今回もまた思った。

オリンピックに出るほどの選手ともなれば、皆これまで超人的な努力をし、
言い尽くせないほどの苦難を乗り越えて、ここまで来たに違いないのだ。
負けて、自分自身を許せないほど悔しく思うことは全く無理もないとしても、
不特定多数の日本国民に対してまで、謝ることなどないと思う。
テレビの前で応援していた人達だって、勿論、落胆してはいるが、
それは選手とともに悔しがっているのであって、
本来は、選手本人に対して怒るような筋合いのものではない筈だ。
そもそも日本は、国費で一から選手育成をした、
と言えるほどの国家体制でもないのだし。

特に柔道は、日本から見ると伝統的にお家芸であり、入賞どころか、
もう最初から「金メダルが取れるかどうか」が国民の関心事であり、
出場する選手も「金を取りに行く!」という気合いだから、
出発点からして、ほかの競技以上に大変な重圧だろう。
記録競技でないし、判定次第で不本意な結果になる面も否定できないのに、
それでも一位以外では我慢できないような前提で参加するなんて、
本当に、選手や周囲の人にとって過酷な話だと思う。
「一生悔いが残る」
という福見選手の談話は、どんな優勝インタビューより私の胸に響いた。
あの状況で、なお、どうにか自分を保って会見に応じたことは、
それだけで彼女の、並々ならぬ強靱さを物語っていると思う。
福見5位「一生悔いが残る試合」/柔道(日刊スポーツ)

***********

ところで、うちの娘は私にワをかけて運動をしないヒトなので、
スポーツのルールも、ほとんど把握していない。
何しろ、主人と一緒にテレビで野球を観ていて、キャッチャーフライのあと、
「今の、入ってたらホームランだった?」
と訊いた人間なのだ。
バックネットのこっち側に入った打球がホームランって……。
キミはきっと、体育の授業で初めてソフトボールを習うときには、
打っていきなり三塁に走るタイプだな(^_^;。

昨夜も娘は柔道の中継を観ながら、
「『技あり』が二つになると、『有効』になる?」
と訊ねた。
待て待て。
そりゃ私だって、審判と一緒に判定できるほどの目は持っていないが、
最低限、有効→技あり→一本、の順でポイントが上がることはわかっている。
そういう場合は、本当は『合わせて一本』じゃ(^_^;。
『技あり』を重ねて『有効』だなんて、どーして格下げされんといかんのか!
なんと恐ろしいルールだろう、もしそんなものがあったら。
一度『技あり』を取っちゃったら、次はもう、確実に『一本』を取らないと、
再度『技あり』判定が出たときには、『合わせて有効』に下げられてしまう。
かと言って慎重になりすぎると『指導』が入るだろうし、
……まさに『前門の虎・後門の狼』状態。

そんなキミには、小林まことの漫画『柔道部物語』を勧めよう。
80年代の連載なので、多少ルールは違うところもあるだろうが、
柔道の基本がよくわかる漫画だ。
何よりあの作品は画力が高いので、動画でないのに柔道の観戦ができる。
この機会に、せいぜいおベンキョしたまえ。
あ、勿論、受験勉強が先だけどもよ。

Trackback ( 0 )




朝、起きたら、主人がテレビでオリンピック開会式を観ていた。
私は、「ああ、きょうからだったか」というくらいの力の抜け方なのだが、
主人は偉い人で、こういうイベントは外さないのだ。

ロンドン五輪:開会式盛大に 日本、日の丸カラーで入場(毎日新聞)

セレモニーに着る衣装については、毎回いろいろと意見があるのだろうが、
私はやはり、ジャケットやスーツなどの定番スタイルが良いと感じている。
特に日本人選手は、国民性や体格との関係もあり、多くの場合、
突飛なデザインの服で「着映えがする」とは言い難いのではないだろうか。
「これは、特別なイベントなんだから」
「別に、日常的な日本のセンスはこうじゃないから」
と、観ている間、内心で言い訳したくなるようなデザインのユニフォームは、
できたら勘弁して貰いたいと、私は常々思っているので、
今回の紅白衣装は、フォーマルなスタイルから外れていなくて、
国旗カラーとの連携も一目瞭然で、程よくバランスの取れた発想だと感じた。
強いて言えば、赤は共産圏の中国やソ連(昔)等のイメージでもあるが、
まあ、国旗等に使用される基本的な色はカブるのも仕方が無いだろう。

BBCが、日本の旗手の吉田沙保里選手のことを、
『Japan's flagbearer is wrestler Saori Yoshida, arguably the most dominant athlete in any sport as she has only lost once since 2001 and is unbeaten at the Olympics, World and Asian Championships.(2001年にたった一度敗れた以外には、オリンピック・アジア・世界選手権通して負け無し、おそらくいかなるスポーツにおいても最強の選手)』(BBC Sport Olympics(BBC))
と紹介していたのは、日本人として誇らしかった。
中継の一コマに過ぎないかもしれないが、こういうところにも、
行き届いた印象的な言葉を使うのが、さすがBBCではないかっっ(T_T)。

ときに、リンク先の毎日新聞の記事では、
『ロンドン交響楽団による映画「炎のランナー」のテーマ曲演奏、「ミスター・ビーン」で知られるコメディアン、ローワン・アトキンソンさんのパフォーマンス』
とカルく紹介されているが、クラシック音楽を聴く者にとっては、
Mr.ビーンと、サー・サイモン・ラトルの共演、というのが見どころで、
隅々まで音楽的なタイミングをきっちり計った演出に感心させられた。
ラトルも名演(演技)だったじゃないですかね(^_^;。
あとは、ダニエル・バレンボイムが五輪旗を持ってドヤ顔していたのも、
クラヲタ的チェックポイントだったかもしれない。

競技本番が迫っていたり、コンディション調整に苦慮している選手の中には、
開会式には参加しない人達もあるということだったが、それでも、
各国代表が揃うセレモニーは盛り上がるし、なかなかに感動的な場面だった。
ツイッターの今朝のTLに、
『東日本大震災のとき世界の100以上の国が支援を申し出てくれた。
参加国の多くが日本を支えてくれた国で、国名が呼ばれる度に感謝の想い』
という意味のツイートがあって、本当にそうだなと思った。
また、母国の政情不安の中、ロンドンにやって来た選手たちも各国にはあり、
彼らの活躍から力を得る人達も、その背後には無数にいることが感じられ、
選ばれた人達がスポーツに賭けるというのは、やはり美しいことだなと、
……全然運動しない・テレビ観戦さえ怠りがちな私でも思った(逃)。
ちなみにオリンピックの第一公用語はフランス語でしたね(^_^;。
ロンドン開催なのに、どうして英語より先にフランス語で紹介があるのか、
最初、聞いていてしばらく謎だった。すみません。

お祭り気分で愉快な外国人選手団の中には、行進の最中に、
携帯電話で喋っている人もいて、
 転妻「かーちゃん!?俺、今、開会式出てっから、俺!!」
 転夫「んまぁアンタ何しよるんね!?ちゃんと前向いて歩きんさいよ!!」
と、お茶の間(死語)で勝手にキャプションを付けさせて貰いました。

Trackback ( 0 )




マエケン5回6失点も両リーグ最速10勝(日刊スポーツ)
<ヤクルト12-16広島>◇26日◇神宮
『広島前田健太投手(24)が6連勝で、両リーグ最速で10勝目を挙げた。1回に4点の援護を受けると、3回までにわずか27球で完全投球。だが、4回に味方が3失策を犯すと3失点。球数も1イニングで38球要すと、疲れが見え始めた5回には4連打され、さらに3点を失った。6失点は10年7月30日(マツダスタジアム)で8失点して以来。白星を手にしても、試合後にエースに笑顔はなかった。』

私は、固唾をのんで試合展開を見守るほどの野球ファンではないが、
昨夜、主人の部屋を覗いたときには、ヤクルト3-13広島で、
「ウゲ。どーなっとるん(^_^;?」
と思った。勝ってて良いじゃないかとは思うものの、
これだけ打ちまくると試合が荒れて、選手が次々とオカシくなる、
というのは十分に予想できることだったからだ。

そのあと、お茶を運んだりするついでに時々、画面を見たら、
全く案の定な展開で、カープはヤクルトに無茶苦茶追い上げられ、
マエケン6失点で防御率ダダ下がり、更に6回には ヤ7-13広、
「おいおい、この勢いじゃ、どうかすると負けるんでね(^_^;?」
と内心思ったが、それを言うと転夫ころもんが怒るのはわかっているから
私は黙って、ひたすら神に祈った(爆)。
広島市民の愛するカープに勝って貰いたいというのは勿論だが、
それ以上に、カープが負けてころもんが噴火するのを見たくなかった。

さすがに8回裏に4点も入れられて、ヤ12-16広、と
4点差にまでなり、野村監督もキレたらしく、最後の最後に今村を投入した。
ああ、こんなところで、いまむーを使いたくなかったよ(T_T)。
勿論、今村だから三者凡退に討ち取って試合はサッサと無事終了した。
「ふっふ。今村はKYじゃのう」(=ヤクルトに、ちとサービスすりゃ良いものを)
とご機嫌なころもんであった(汗)。
助かった、いまむー、ありがとう。御蔭で我が家は平和だよ。
ふと気づくと、娘まで自分の部屋から出てきてテレビを覗き、横合いから、
「今村って、ブログにダーツ行った話ばっかり書きよる人じゃろ」
と変な茶々を入れていた。

それにしてもだ。
画面で見る限り、昨日の神宮球場はカープファンで真っ赤に埋まっていた。
首都圏在住のファンや広島人たちは、たまにカープがやって来るとなると
平日でもこうやって張り切って集結してくれるのだ。
それがどうだ、最近のマツダスタジアムの、デカい閑古鳥の、我が物顔は。
いつでも観られると思うからなのか、近頃はみんな、ろくに行きやしない。

そんなに言うなら、せめてオマエが旦那と一緒に行ってやれ、
とお思いになりますか?
ところがですね。
なんと、この週末の巨人戦は、土日ともに、
マツダスタジアムではデーゲームが組まれているのだ。

バカじゃないんですか!???(爆)
なんで、わざわざ主催ゲームをそんな日程にしたの?
高温注意報が出ていて、外にいるだけで命が危ないような猛暑日に、
土曜までデーゲーム観に行きたいですか?
マツダスタジアムはドームじゃないどころか、屋根すらついてませんけど何か?

Trackback ( 0 )




午前中ピアノのレッスンに行って、帰り道に頼山陽史跡資料館に寄り、
第114回展示「頼山陽の書~その見方と見分け方~」を見た。
きょうもとても暑かったし、昼を過ぎていて食事もまだだったのだが、
もうあと数日で展示自体が終わりだったので、
後回しにして機会を逃してはいけないと思い、頑張って行った。

この資料館は、ひとつの展示が一か月前後は続くので、
期間中いつでも行ける・余裕じゃないか、
と特設展の内容が新しくなるたびに思うのだが、
そうやってのんびり構えていると、毎回すぐに最終日が迫って来てしまう。
前回展示の「平清盛と“平家”の人々~頼山陽からみた~」など、
5月半ばから、ちょうど一か月しか開催されていなかったせいもあって、
ポゴレリチ来日騒動で私が狂っていた間に、簡単に終わってしまった(T_T)。
だから今回は、どうしても見逃さないようにしたいと思ったのだ。

この展示では、山陽の書の、年代別の特徴が解説されていて、
青年期の終わりから晩年に至る作品を追いながら、
彼の書体の変遷がわかるように、鑑賞ポイントが説明されていた。
若い頃の山陽は、父・春水に倣った頼家らしい闊達な筆遣いで、
力強い書を残しているのだが、中年に差し掛かるにつれて、
そこに、彼らしい構成感を生かした、躍動的な面が加わって来る。
右肩上がりの、動きのある配列で、文字に生命力が溢れてくるのだ。
そして晩年(と言っても50代だったわけだが)になると、
更に、文字全体のシルエットが丸みを帯びてきて、
独特の柔軟さが現れて来るようになる。

山陽がもっと老年になるまで生き長らえていたら、
彼の書は、どうなっていただろうか……、
ということも、とても興味深く想像させられた展示だった。
この人の書は、文人画の素養も相まって、
紙の上での空間を構成する感覚に優れており、絵画的な魅力が見える。
細い線にもしなやかさや勢いがあり、
字画の多いところも、塗りつぶされたようになることが決してなく、
文字と文字の間隔にも、絶妙な配慮がなされているのだ。
ゆえに、贋作との見分け方も、そのあたりにポイントがあって、
今回は有名な贋作もいくつか、比較のために展示されていたが、
線が弱々しかったり、墨を付けすぎて重くなったりしているものは、
ほぼ、偽物と思って間違いがない、という意味のことが書かれていた。

それにしても、漢詩の会での頼山陽との出会いが縁となり、
私は(前回展示は見損ねたが)二年近く前からだいたい欠かさず、
この資料館の特集展を観に通って来るようになったので、
かねて心配していた通り(^_^;、どうも、ついに顔を覚えられたようだった。
受付の方が、きょうは常設展や特集展などの説明はなさらずに、
「もう、おわかりですよ、ね?」
と笑顔を見せられたのだ(汗)。
は、はい。
既に常設展までは見なくて良いくらいの常連に、なりましたです(^_^;。

Trackback ( 0 )




25日15時現在の進行状況
墓掃除墓参り
・舅宅の草取り、掃除、盆提灯の準備
髪を切ること
・頼山陽史跡資料館 特集展『頼山陽の書』鑑賞(29日まで)
・映画『ヘルター・スケルター』鑑賞

*****************

舅姑のお墓の状況が、このところとても気に掛かっていた。
梅雨明け以来、一度も行っていなかったからだ。
連日の炎天に照らされて、花がシんでいるに違いなかった。
それで今朝は、娘が補習のために登校するより早く、私は家を出た。
銀行関係の用事を済ませてから、最寄りスーパーで仏花を購入し、
バスで、西区にある墓所に向かった。

行ってみたら、果たして、前回供えた花は茶色になり、更に縮んでいた。
ミイラのようになった花を処分し、花筒を磨いていたら、
やはり墓参りに来たらしい、どこかのおじいさんが、掃除しながら
「暑いね~」
と話しかけてきた。
「や、ホントに暑いですね」
「夏だから暑いのが正しいとはわかっとるんだけどね」
「まったくまったく、お天気なのはイイんですが、この暑さと来たら」
……と情報量としてはゼロに等しい(=「暑い」しか言ってない)話題で、
極めてテンポ良く会話する我々であった(^_^;。

掃除を終え、持参した新しい花を飾り、お灯明をあげてお線香をつけて、
なむなむ……、とお参りしたら、
『ついでに家も見といてくれるか』
と、舅姑が小さい声で言った気がしたので、
仕方が無いから(殴)、お寺を出てまたバス停に向かった。
ここから佐伯区方面に行くバスに乗ろうと思った。
……ら、目の前で、バスが行ってしまった。
ちっ、どっかのジジィと天気の話なんかしてなけりゃ間に合ったのに……

それから、遮るもののないバス停で、次のバスを待った。
日傘はさしていたが、10分もするとあまりにも暑くて、
疲れたし、ベンチに座って待とうと思って腰掛けたら、
尻をヤケドしそうになって、すぐ立った。
やはり朝から焼かれているベンチは、かなり熱くなっていたのだった。
しかし、ただ立っていると怠いし、たまらないので、また座り、
するといくらもしないうちに臀部が高温になるので立ち上がり、
また疲れて座り、……つまり、超スローなスクワットもどきだった(爆)。

そのとき、はるか彼方から、小学生の姉弟とおぼしき二人組が来るのが見えた。
そして、その二人の背後から、やっと、待ちに待った次のバスが来た。
小学生たちも、乗るつもりらしく、バスを見て走り出した。
よしっ、ついに来たな。乗る気満々で私がベンチから立ち上がり、
目の前でバスが停車した、その刹那。
ハアハア言いながらバス停まで駆けてきた姉のほうが、
私の顔を見るなり、回れ右して背中を見せ、
「開けて下さいっっ!!リュックに、パスピーが入ってるので!!」
と大きな声で言った。

転妻「どこに!?ポケット?」
女児「そうですっ!!」
転妻「ええ~、無いよ?こっちかな?」
女児「そっちです!!」(←どうしてわかるんだ、背中で起きていることが)
転妻「ひえええええ~」

待って、ちょっと、バス待って(T_T)!!!
運転手さんが良いヒトだったらしくて、本当に助かったのだが、
あやうく私は、炎天下のバス停で小学生のリュックと格闘したまま
置いて行かれるところだった。

「ありがとうございましたっ!!」
と元気な女児は、一緒にバスに乗りながら、礼儀正しく言ってくれた。
いい子だ。弟の面倒もよく見ているようだ。
けど、できたら今度からパスピーは、
もちょっと取り出しやすいところに入れておくと、良いかもしれなくてよ?

もう私はそのまま、ぐったりと席に座って、舅宅の最寄りまで行った。
乗車中に寝そうになり意識が数回飛んだが、幸い、降り損なったりはしなかった。
バス停から舅宅まで歩く間、だんだんと遠目に家の門が見えて来るのだが、
きょうは、うちだけ、雑草がボウボウと生えているのが、ひときわ目立ち、
長期不在かヨメがさぼっとるか、事情を知らない人にはどう見えるか知らないが、
およそ見栄えの良いものではなく、気持ちがクラくなった。

おそるおそる家に入ってみると、来たのがあまりに久しぶりだったので、
どこの部屋も時計が全部止まっており、
更に、リモコンというリモコンが、すべて電池切れで使用不能になっていた。
テレビのチャンネルが変えられないくらいはどうでも良かったが、
この季節、リモコン類が駄目ということは、すなわち、
エアコンが事実上、使えないということだった。
長居は無用だった。
仏壇の前に、一対の盆提灯を出しただけで、私はまた戸締まりをした。
すみませんが、電池仕入れて、後日、出直して来ます。
じーちゃん、すみません<(_ _)>。
ワタシもそろそろ、バッテリー切れっス。

Trackback ( 0 )




早くせねばとわかっているのに果たせていないこと
・墓掃除、墓参り←急務
・舅宅の草取り、掃除、盆提灯の準備
・髪を切ること←とっくに限界超過(爆)
・頼山陽史跡資料館 特集展『頼山陽の書』鑑賞(29日まで)
・映画『ヘルター・スケルター』鑑賞

マズルカ作品59-2
パデレフスキ版の楽譜を見るようになり、全音版に無かったことが
いろいろと書いてあり、その逆もあり、何かと勉強になっている。
それ以前に、楽譜は会社や版によって、組み方が違い、
例えば最初の1ページに何小節目まで載っているかも違うので、
楽譜を変えると、視覚的にも随分と感覚が変わるものだと、今更だが思った。
全音版はだいたい、安価なだけあって細かい音符でぎっしり組んであり、
ソナチネ程度でも段組が狭くて、音符も小さく、見た目に全体が濃い。
消費するページ数がおさえられているので、譜めくりの回数も少ないが、
老眼には厳しいぞ(爆)。
ときに、ポゴレリチは、相当使い込んだ感じの楽譜を持参していたが、
あの楽譜たちに万一のことがあったら、…という心配は無いものだろうか。
単なる版の問題だけでなく、いろいろと記録や書込もあるだろうから、
買い直せば済む、とは簡単に言えないのではと思うのだが、
バックアップを取っておく、的なことは可能なのだろうか。
そうでなくても、紙だと経年劣化は避けられないし、
だいたいご本人が、ぽいっと足下に楽譜を投げて置いたりしているので、
ホントに大丈夫なのかね、あれは(^_^;。

誕生日
きょうは主人の誕生日だ。おめでとうございます(^^)。
……と祝っているのは私だけで、本人は朝から「けっ」と言い、
娘は数日前から、「24日、お父ちゃんの誕生日だね!!」と覚えてはいたが、
祝っているのではなく「ケーキだね!」と、関心はそっちのほうだけだった。
本人は頑固に「そろそろ四十代だ」と主張しているのだが、
本当は一体いくつになったんだっけ。
確か、私より三歳年上では無かったっけか。
主人と私は、年齢と干支こそ違うが、何かと共通点が多く、
支配星は同じ水王星だし、算命学だとふたりとも子丑天中殺だし、
占って貰うと、良いことも悪いことも二倍の勢い、ということが多い。
誕生月も同じ7月なので、寿司屋やクリーニング屋やメガネ屋、
などの『お誕生日のあなたに特別プレゼント』葉書の類いが
この時期には毎年、二通ずつ送付されて来る。
「このお葉書一枚で、何名様でも割引特典が受けられます」
などと書いてあっても、無駄無駄無駄(--#)!!

Trackback ( 0 )




YouTubeに、ポゴレリチの弾くシューマン『トッカータ』が出ていたが、
ちょっとこれはあまりにも、音も写真も貴重過ぎるのではないか(笑)。
Schumann ..Toccata ..Op 7 ..Rare Recording(YouTube)

シューマンの『トッカータ』作品7は、ポゴレリチの得意曲のひとつで、
ディスクだと、83年発売の彼の二枚目のアルバムの最後に収録されていたが、
上記音源は、ファンなら聴けばわかるがそのレコード(CD)のものではない。
(当時のレコードは既に廃盤なので、今ディスクでこの曲を聴くとしたら、
最も入手しやすいのは『Genius of Pogorelich』(amazon)だろうか。)

レコード(CD)のトッカータは、81年9月にミュンヘンで録られたものだが、
リンク先の演奏は、YouTubeのデータによると、
81年ベオグラードで収録されたスタジオ録音、となっている。
80年代前半までは、ポゴレリチがまだ、自分の演奏を
ラジオ・テレビ用に収録することを認めていたので、
こういう貴重なものが今もいくつかは残っており、
こうしてときおり出て来ることがあるようだ。
このトッカータを収録した際のスタジオに、聴衆がいたかどうかは不明だが、
レコード(CD)よりテンポが速く、勢いのある仕上がりになっている。

一方、写真のほうは、2年くらいまえのアルゲリッチとポゴレリチで、
彼が無造作に左ワキに抱えているモノ(笑)は、愛娘のMiaちゃんだ。
決して、ぬいぐるみではない(^_^;。
私が初めてMia嬢を(写真で)見たのは2004年だった。
あれから彼女は、マエストロのヨーロッパ公演各地にお供したり、
正装したご主人様と並んで、ピアノの前でツーショットに収まったり、
寒い日にはパパのコートの中に入れて抱いて貰ったりして、
それはそれは、溺愛と言って良いほどの可愛がられ方だった。
日本公演にまでは同行した様子はなかったが、相変わらず元気でいるだろうか。
今頃は、さすがにシニア犬の仲間入りをしていることだろうと思うが、
こういう犬種は、いつまでも小犬っぽくて愛らしいのよね(^^)。

犬でありさえすれば、とりあえずマエストロに愛されることが可能なのか、
場合によっては、こんな豪華な現場に立ち会えることさえあるのか、
と、一度ならずMia様を羨ましく思ったことがある、と潔く私は認めよう。
イヌと呼んで下さい!と言う覚悟は、とっくの昔に出来ているのだが、
どう頑張っても犬になることはできない我が身なのであった(爆)。

Trackback ( 0 )




娘は朝から某予備校の模試を受けに行った。
私大・二次用なので、英語・国語・日本史の三科目だけだが、
一科目は午後にかかるので、昼食の用意が必要だった。

転妻「お弁当しようか?」
転娘「いや、要らんよ」
転妻「何か買うの?」
転娘「途中のコンビニで、オニギリふたつ程度で」
転夫「そんなもんで、ええんか」
転娘「うん、あんまり要らんし」
転妻「前のマーク模試んときも、そんな感じやったね」
転夫「弁当も要らんとは、おまえ某社の模試をナメとんじゃないやろうな!?」
転娘「どういうナメ方や(^_^;!?

……という、ワケのわからない会話ののち、
昼食代500円持って、娘は家を出て行った。

なむあみだぶつ……。

***********

ショパンのマズルカ作品59-2は、物凄い激遅ならば、
一応、一応だが、おしまいまで通せるようになった。
情けない話なのだけども、こんなシンドい譜読みをしたのは久しぶりだった。
だって転調が多くて臨時記号がいっぱい出て来るんだもん(T_T)(←本人比)。
最終的には、このあと師走までに仕上がれば良いので、
そのうちには慣れて、いつか、なんとかなってくれることを祈る。

パデレフスキ版の譜面をせっかく買ったのだし、
この曲のところだけはコピー2部くらい作っておかないと駄目だな、
と、練習するたびにしみじみ思うようになった。
なんだかんだと書き込んでいると、新品の楽譜が台無しだし、
だんだん、最初のほうで何を書いたのかわからなくなって来るし。
……いや、そういえば、いつぞやレッスンを聴講させて頂いたとき、
イェルク・デムス氏は、『楽譜に指番号以外は書き込むな』、
と生徒さんに注意してらしたものだったな(^_^;。
マルで音符を囲んだりすると、そこにいつまでも注意が固定されることになり、
音楽の流れをかえって損なってしまうから、という理由だった気がする。
うぅむ。奥が深いわね。

************

それにしても、全然、夏休みの感じがしないし日曜の気分でもない。
娘の前期補習(7月)が一段落つくまでは、こういう毎日が続くのだろうか。
私はそろそろ、舅姑の墓に行きたいのだが、毎日お天気が変で困っている。
転舅じーちゃんが夢枕に立つことは無く、その点は助かっているが(殴)、
梅雨明け以来、猛暑とにわか雨に怖じ気づいて、どうも行く決心ができず、
既に花が物凄いことになっているのは容易に想像がつく。
更に恐ろしいことに、舅宅にはもっと以前から行っていない(大汗)。

Trackback ( 0 )



« 前ページ