転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝、予定通り広島を発って、
午後、新横浜に着き、初めて娘のアパートに行った。
勿論まだ片付いていなかったので、きょうは私も労働した。
ダンボールを開封し、一応の収納を娘にさせつつ、
梱包材をゴミの日に出せるようにまとめた。

今夜から娘はアパートにひとりで寝起きするが、
ここは主人や私が泊まるほどの広さはないので、
私達は蒲田のビジネスホテルに宿泊する
(娘も29日と30日は、まだ下宿の準備が整っていなかったので、
主人と一緒にホテル泊だった)。

主人は明日の入学式に行って写真を撮ったら、
あとは、仕事もあるので、先に広島に帰る予定にしており、
私がほぼ入れ替わりのかたちで、これから数日は残って、
片付けを手伝ってやるつもりだ。

一日中よく動いた甲斐あってか、
私は夜、ホテルに帰ってから微弱陣痛(笑)を感じ、
そのあと3ミリの石と、砂が若干、出た(笑)。

ともあれ、来ることができて、良かった(T_T)。

***********

余談だが、蒲田駅の発車メロディは『蒲田行進曲』なのですね。
あれを聴いた途端、私の脳裏に浮かんだのは、
つかこうへいでもなく風間杜夫でもなく、
辻本茂雄だった。『よしもと新喜劇』の(笑)。
この曲が流れると、途端に舞台の出演者一同、
そこまでの展開を無視して、手を繋ぎ横1列に並んで
客席に頭を下げ始めるのだ。それまで死んでいたヒトも一緒に。
土曜のお昼はコレやんね、と思うワタシは、やっぱり関西人。

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昨日よりかなり楽になった。
朝、骨盤部レントゲンを撮影したら、
右の子宮動脈の手前にあたる場所に3ミリ少々の石がひとつと、
そのもう少し下に、やはり3ミリ程度の石がひとつ、
という状態になっていたので、
晴れて、退院して良いことになった。
ありがたや~~(T_T)。
診察室の看護師さんが、先生の向こうから私を見て、
やったね!の笑顔で、手を振って下さった(^_^)ノ。

まだ完全にすべてが流れ出たのではないので、
治療は終わったわけではないのだが、
軽快退院ということで、次回受診は4月半ばとなった。
幸か不幸か、私はこの結石のためにしばらく前から右が水腎症で、
先生いわく「腎臓が腫れ慣れとる」(爆)状態なので、
初めて結石になった人が、急激に腎臓が腫れるときのような激痛は
今の私の身の上には起こりにくい筈だ、と言われた
(これまた納得感のある話だ。昨日まで6ミリの石が詰まっていても
私が悶絶するほどの激痛を感じていなかったのは、そういうことか)、
あとはうまく自然排石してくれることを祈るのみだ。

自覚としても、まだ若干の違和感はあるものの、
一昨日あたりの微弱陣痛からはかなり改善したことを感じている。
何より、先月からずっと困っていた、
「胸のつかえ」ならぬ「腹のつかえ」が下りつつあるのは
自分でも実感できているので、良くなったのだ、と思う。
ああ、私は発覚からでも4年来の腎臓結石を、
ついにここまで降ろしたのかっっ。
長い旅だったな、お前!

ということで、きょうは午後から意気揚々と退院した。
帰宅したら、勿論家はもぬけのカラで、
物凄く荒れていて(爆)、私はさきほどから掃除しまくった。
それから洗濯して乾燥機にかけて、台所を磨いて、
食洗機を回して、主人の書斎と娘の部屋を片付けた。
結石治療は切った貼ったではないのだし、
むしろ動いて石を落としたほうが良い、と割り切った。

明日は、何事もなければ私も東京へ向かって出発するつもりだ。
すべりこみだ(笑)。

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主人と娘は、今朝、東京に向かって発った。
私は手伝ってやれないが、とにもかくにも主人が休暇を取り、
娘と一緒に行けることになったのは、幸いだった。
ふたりで、なんとか頑張ってくれ給え(^^)。

****************

朝、微弱陣痛(違)を感じつつ、外来に下りてレントゲンを撮った。
先週、入院日を決めるときに、娘の引越がどうこうと私が騒いだので(恥)、
以来、我が家の事情を覚えて下さった看護師さんが、
今朝、X線検査室で撮影の介助をして下さりながら、
「きょうどうなってるか、経過次第だけど、一時帰宅か退院か、
先生に頼んでみられたら?私からは、見通しがどうとは言えないけれど…」
と言って下さった。ありがとうございます(T_T)。

結果、石は、右の腎盂からすべり落ちたらしく、
骨盤部の尿管に移動し、長径6ミリになって写っていた。
エコーで見ると、右腎臓はまだ水腎症が解消されておらず、
この6ミリが邪魔をしているのは明白だった。
それでも、ヒマなら自然排石を待っても良い状態だったが、
「あなた、もうすぐでも、退院したいんだったね?」
と先生はイヤそうな(笑)お顔をなさった。

「はい。できたら早く出たいです」
「ったく、病気の都合じゃなくて、自分の都合で
退院を決めようとするからねえ」
と先生はひとりでぶつぶつ仰りながら、
それではこの6ミリに最後の衝撃波をやって、
きょう明日と点滴して、それで帰りましょう!と仰った。

やた!!

しかし、骨盤部の体外衝撃波治療は、腹臥位なのだった。
腎臓など上部尿路結石は背中側から衝撃波を当てるのだが、
骨盤部から下になると、骨が邪魔で衝撃波がとどかないので、
腹側から当てるしかないのだ。
つまり、60分間、うつぶせのエビぞりだ。
腰はだるいは、首のやり場に困るわで、シヌかと思った(涙)。

難行苦行の一時間だった。
しかも、尿をためた状態のほうが効果が出る、とのことで、
私はかなりトイレに行きたい状態から治療を開始し、
終了まで尿意とも闘わなければならなかった。
腹にエコーゼリーを塗たくられ、うつぶせで、
60分、何をされても動いてはならず、首も肩も腰もつらく、
かつ、とてもとてもオシッコに行きたい(爆)。
ったく、何責めとゆーの、これ!?

だが頑張った甲斐あって、処置後には、石は割れていた。
「いや~、しかし最初の状態からすると、
よくここまで巧い具合に割れたねえ」
と先生は感心して下さり、
「じゃ、いいんじゃないですか。明日退院しましょう。
あとの心配は、残りのカケラが出るときに激痛があるかないか、
だけだけど、そうなったら、日本中、どこの病院でもいいから行って。
『右尿管結石、治療中』で通じますよ、どこでも」

ありがとうございました~~(T_T)!!

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きょうは1日、右下腹部から下の不快な疼痛があり
微弱陣痛ってこんな感じなんかな~…
と想像したりした。
決定的な激痛はないが、不快感が取れず、
夕方、観念してボルタレンをのんだ。
これは割とよく効いた。

昔々、二十代で初めて尿管結石の疝痛発作を経験したとき、
夜中に駆け込んだ救急病院で
私は痛み止めの筋肉注射をされ、なにやら点滴されて
しかし目が回っただけで全然らくにならなかった、
という記憶があったのだが
あんなのよりボルタレンの座薬を使ってくれれば良かったのに、
と今なら思う。
内服でもこれだけ効くんだからボルタレンサポなら一発だっただろうに。
あのときは本気で死ぬかと思ったものだった。
あの疝痛発作に較べたら、のちに体験した本物の陣痛のほうが
遥かに耐えやすかった(注:個人の感想です)。

さて、それはともかく昨夜から、
石の小片や砂はこれまでにないくらい次々と出ている。
こういうのが、あとどれだけ出れば終わるのかしらん。

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(写真は、「腎臓マッサージ」をする機械。
点滴のあと、うつぶせになってベッドの脚の部分を高く上げ、
背中にこの機械を看護師さんが当てて下さる。
ブルブルと振動するので、文字通りマッサージ機として気持ちが良いが、
頭に血がのぼりそうな姿勢なのが、つらい。時間は朝晩、5分間ずつ。)


午前中、体外衝撃波の三回目を受け、
初めは背中側から、最後のほうは腹側から当てられた。
その甲斐あって夕方から石が下りて来たらしかったが、
右下腹に鈍痛が来て難儀した。
七転八倒ではないが、とても気色悪く、右下半身だけ尿意がある、みたいな。
…ええもう、オバさん何でも書きますよ。

「どんな感じ?」
と幾度も心配そうに様子を見にきて下さる看護師さんに感謝だ。
親身な彼女に感謝するうち、
かつて私の陣痛が始まった晩に夜勤で、
翌早朝に娘を取り上げて下さることになった、
某助産師さんのことが、唐突に懐かしく思い出された。

こんな縁もあるのね、ああ、今度は娘でなくて石が世に出る…(違います)。
ちなみに今はまさに、陣痛の間歇、という気分だ。
次の波が来るのが先か、私が寝入るのが先か。
病棟は既に消灯時間になった。

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午後から外出許可を貰って自宅に戻ってきたのだが、
とても短い時間なので、ほとんど一瞬の一時帰宅だ。
ついさっき帰ってきたのだが、家じゅう荒れていて、
特に台所がヒドいことになっていたので、片付けて食洗機を回し、
たいくつしのぎになるDVDを本棚から取り出しただけで、
もう、これを打ったら間無しに、また戻らないといけない。

きょうに関しては、朝、先生の回診があったほかは、
特に何も無い日だった。
それでも急いで戻らないといけないのは、
夕方の点滴があるからだ。
入院していると、ただ寝ていれば良いような印象があるが、
○時には検温・血圧測定があります、
○時になったら点滴です、
○時からお食事です、
○時までにお風呂を済ませて下さい、
○時には診察があるので必ずお部屋にいて下さい、
○時になったら外来に降りて下さい、
等々と、結構、一時間刻みくらいで仕切られているので
それに添って行動せねばならず、自由が無いし忙しい。

食事は常食でも一日1700キロカロリーくらいで、
この生活は、体には良さそうだと思うのだが(^_^;。

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朝のレントゲンで、石が結構スリム化したことがわかった。
長径は1センチちょっとあるが、厚みが三分の一になっていた。
前回の体外衝撃波のお蔭で、その後から時間をかけて
石が割れてきたらしかった。

それできょうもまた、かめはめ波攻撃を受けたのだが
前回より緩かったように感じて、案外らくだった。

終了直後には、石にぼやけた線が入っているように見えた。
明後日、具合をみようと先生が仰った。

病棟に帰って点滴を受けていたら、
右腹部が微弱陣痛(爆)みたいに痛んで、
そのあとトイレに行ったら、砂場の砂利みたいなものが少々出た。
手応えがあって、イイ日だった(笑)。

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日曜日で、することがないので、外出を許可され、
今、一時帰宅をしている。
また夕食までに病院に戻らなくてはならないけれど。
最初は、午前の点滴が終わったら、昼食を取らずに帰って、
また夕食までに戻って来る、というのを予定していたのだが、
日曜で、先生のご出勤の都合か何かがあり、話が遅れて、
昼ご飯のキャンセルに間に合わず、午後からの外出となった。

 看護師さん「昼を外食にしたかったんですよね?」
 転妻「いえ、構いません、御飯終わってから、出ます」
 看護師さん「昼食を止めるのに間に合わなかったから、費用は頂くけど、
   お昼は外で食べて来られても、いいんですよ」
 転妻「いえいえ、大丈夫です」

どうも、『病院の食事が我慢できないから外に出る』
と誤解されているようだったが、私は食に関しては神経が太いので、
病院で何を出されようと、これまでのところずっと完食している。
栄養を考えて、人様が調理して下さるものならば、
私は食べるものは何でも感謝して頂くことができる。
それより、家に帰って片付けをしたかったし、
娘の進行状況も確認したかった。
たまっているメールの整理もしたかったし、
たいくつしのぎの読み物も仕入れたかった。
目的は、そういうことだから、昼食は勿論病院で食べた。

病院というところは、空気が悪いな、と家に帰って来て思った。
病室にいるだけで体調が悪くなりそうな、
よくない空気が、病院や病棟には満ち満ちている。
上げ膳据え膳で、寝たいだけ寝ていいので、
主婦にはその意味では極楽なのだが(殴)、
しかし一日に何度も、検温・血圧測定があり、その都度、
37度あった・下がりましたね、血圧高いですね・今度は良いですね、
などと一喜一憂させられていると、病人モードまっしぐらだ。
血圧を頻回に測りすぎると、よけいに高くなる、
というのは血圧治療のイロハなのに、既に違反だ(T_T)。

しかし、一方で微かに良いニュースとしては、
石が割れて砂になったものが尿に出ている、
と看護師さんから検査結果を教えて貰えたことだった(笑)。
ちょっと欠けた程度だったので、なにほども期待できないが、
それでも全然変化がないと言われるよりは、励みになるではないか。

明日は月曜なので、また何か動きがあるだろう。
また病院に戻るのはウンザリだが、仕方が無い。
この際、ためておいた歌舞伎のDVDでも見ようと思っている。

************

一昨日のこのブログに、非公開コメントのかたちでレス下さいました某氏、
本当にありがとうございました。
心より御礼を申し上げます。
また改めまして……。

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(写真は、私のベッド頭上に吊された注意書きの札。
「酒飲むな」という意味ではない。
全然お酒の飲めない体質ゆえか、私はどうやら、
消毒エタノールに若干、かぶれやすいらしかった。
点滴を繰り返しているうちに、皮膚に発赤が見られたのだ。
それで私には、アルコール綿は使われないことになった。
かわりに、ヘキシジンという消毒薬を使用することになった。)

一日に何度も検温されていると、
時間帯によって微熱はあるが(36度8分~37度1分)、
私はだいたいが低体温だったことはかつて一度もなく、
普段、なんでもないときでも37度前後はよくあるので、
これで発熱しているとは言い難い。
私にとって発熱とは、37度5分前後からだ。

その他、きょうは、とりたてて何も動きのない日だった。
体外衝撃波は連日できる処置ではないので
効果があろうが無かろうが、治療期間の大半は待機時間だ。
病院の部屋にはベッドとテレビがあるのみで
読書もやりすぎると肩が凝るし
結局は昼寝くらいしかすることがない。

何もしなくて良い境遇になって寝たいだけ寝てみたい、
と私は長らく思っていたが、叶ってしまったな(爆)。

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……が、どんなものであったかという話は、また後ほど
追記:後日、こちらのほうで詳しく書きましたので、どうぞ)。

午前中に病院に到着し、泌尿器科外来での説明があり病棟に案内され、
昼食のあと「(腎臓・尿管)結石教室」なる学習会があり、
どういう仕組みで石が出来るか、どのような治療法があるか、
再発を防ぐにはどう工夫したら良いか、等々のお話を聞いた。

そして午後3時半から、右腎臓結石1.5センチへの
ESWL(体外衝撃波結石破砕術)第一回目を受けた。
しかし直後のレントゲンでは石はあまり変化なく
上のほうが欠けた程度だった。
なかなか手強い感じだ。
「長く持ちすぎです」と先生に言われてしまった。
そうだよな。四年前の発覚時で既に9ミリあったもんね。
何年ものなんだろうか一体。

というわけでとりあえず持久戦だ。
2日あけて体外衝撃波の二回目をやり、
割れなければ三回目は腹部側からやるらしい。

内視鏡手術を検討するかどうかの境目サイズだそうだ。
あう~~痛いことはヤダよ~~

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