転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝から忙しい日が結構あり、旅行も行ったので、
今月は何回か抜けてしまった。
らじる☆らじるで取り返そうと思っていたが、
なかなか時間が取れず……。

フランス語初級編は、文字どおり「初級」文法復習として、
今の私には十分易しいけれども、やり甲斐も感じている。
偶数週に仕上げる「今週の歌」は、後半にやった
Maman les petits bateaux が、なかなか難しかった(汗)。
私はこの歌を全く知らなかったので、音程が飛んでいるのと
S'il n'en avaient pas がスィ・ノ・ナ・ヴェ・パ、
Ils ne marchraient pa がイ・ン・マハ・シュレ・パ、
みたいになるのが「む~り~」な感じだった(^_^;。
それと、この初級編テキストは、普段の音読や歌の歌詞のところで、
発音を重視し、母音ごとに区切った独特の表記を使うことがあるのだが、
私にはかえってそれが読みにくくて苦労している。
応用編は、関係代名詞dontや、直説法半過去など、
いつも通り「そうそう、そこが聞きたかったんだよ~」と思う
ポイントが満載で、とても聞き応えがあり、良かった。

スペイン語初級編、南米スペイン語なので
2人称複数vosotrosの存在を忘れたまま、そろそろ3か月目へと(^_^;。
動詞を活用するとき、私は自主的にvosotrosの分もやっている。
作文するところでは、先生が丁寧にヒントを出してくださるので、
私のような劣等生でも出来るようになっている。
応用編は、表現中心なのと、現在時制が多いのとで、
これまた自分の文法があやふやであることを
ほぼ、忘れていられる毎日だ。
この機会に、語彙を増やすように努めなくては(^_^;。

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総代連合会の研修旅行から帰ってきて1週間になる。
旅行そのものは有意義であり、参加者も皆さん良い方々で、
普段行けない遠くの神社に正式参拝できたことにも感謝しているが、
正直なところ、コロナその他に感染するかもしれぬと思うと、
その点だけ、行く前も行ってからも、かなりイヤだった(汗)。
しかしとりあず、きょうまで何の兆候もないので、
無事だったとみて良さそうだ。

往復のバスの中でのマスク着用率はかなり良かったが、
席はぎゅうぎゅう詰めで、皆、飲んで喋りっぱなしだったし、
1泊2日の旅行中の食事は全員一緒の室内で、大話(おおばなし。=広島弁)、
とりわけ夜は、宴会場に60名が集ってのノーマスク大宴会の2時間であった。
折しも、出発直前の時期に、村の某家でコロナ患者が出て、
しかも急に悪化して救急車を呼ぶ騒動があり、
「まだコロナがあったんじゃのう、怖いのう」
と話題になっていた。
5類になったからってコロナは無くなってないのだが、
……今更そのような講釈をするほど私は無粋な人間ではない(逃)。

「本当はマスクを外したいのに、皆が着用していると外しにくい」
と考える人が多いのではないかという主張がよくあるが、私は全くの逆で、
「本当はマスクを着用したいのだが、『やっと元通りになった飲み会』を
良い気分で楽しんでいる人に悪いような気がするので、
私も我慢してノーマスクで、楽しそうに見えるように努める」
というのが、今回の旅の、特に宴会時の、正直な気持ちだった。
しゃっつら全面サラすのなんかは、元々なんともない。
大した御面相でもないし。

マスクの機能や効果の観点から言うと、
周囲の人と距離の近い宴会時に私がマスクを着用するとしたら、
周囲のウイルスを自分が貰わないようにする意味が3割くらいで、
潜伏期や無症状感染者になっているかもしれない自分から
周囲の人にウイルスが飛ばないようにする意味が7割くらい、
ということになると思われたが、
現実には、お喋りの最中にいきなり私だけがマスクを取り出したら、
目の前の人が感染者扱いされた気持ちになり、愉快ではないのではないか。
そう思って、極力、マスクはつけないで我慢することにした。
それ以外の、会食関係でない場面では、私は常にマスク着用で過ごした。

ともあれ、バス旅行は予定どおり、滞りなく終わった。
オミクロン系が主流になってからは、統計的に、
感染から発病までの中央値は3日、
1週間以内に99%が発症の届けをしているので、
本日時点で我が身の上にそれが起こっていない以上、
今回の旅行に関しては、事前にワクチンを打って臨んだ甲斐があったか、
或いは、私と接触した参加者中にウイルスを持った人が居なかったか、
のいずれかだったのだろうと思う。
クラスター発生した等の話も今のところ聞いていない。とてもとても良かった。
多くの方々の望む(であろう)『以前通り』のかたちで旅行ができて、
お酒飲みの参加者さんたちにのびのびと楽しんで貰えたようだし、
義理も欠かずに済み、私としても嬉しく思っている(^_^;。

帰ってからも連日、神社に呼び出されて忙しかったが、
昨夜は夜10時前に就寝し、今朝7時半まで爆睡して、ようやく疲れが取れた。
今朝は御蔭でスペイン語講座を聴き逃したが、
たまにはそのような日があっても良かろうよ(^_^;。
今夜も早く寝よう(^^)。

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市川猿之助、任意聴取開始/これまでの経緯(日刊スポーツ [2023年5月25日8時20分])
『歌舞伎俳優市川猿之助(47)が18日に東京・目黒区の自宅で両親とともに倒れ、両親が亡くなったことについて24日、警視庁が都内の警察施設で猿之助から再び事情を聴いていることが捜査関係者への取材で分かった。この日から正式な任意聴取が始まったという。』

5月18日の昼前、家族のLINEで主人とやりとりしていたら、
突然に娘が登場し、
『市川猿之助と両親が家で意識不明のところを発見されたんと』
と言うので、まさに青天の霹靂、最初は私は、
『市川猿之助両親が』の間違いではないかと思った。
四代目段四郎がもう長い間病気で、老夫婦の介護生活だろうということは
私のような単なる歌舞伎ファンにも想像ができていたからだ。

しかし第一報は誤りではなく、3人全員が救急搬送とのことで、娘も
『詳細は不明と。ガス漏れとかかね(汗)』
と言い、私も、家族全員ならその線だろうと思い直し、
就寝中に自宅でなんらかのトラブルが起きて皆が意識不明になり、
楽屋入りの時間になっても猿之助と連絡がつかないから
マネジャーが家に行って発見したのだろう、
……等々と、想像していた。

その後にわかっていることは、段四郎と夫人が亡くなったことと、
一命を取り留めた猿之助の供述として報道されていることが、
今のところすべてだ、と言うべきだろう。
猿之助の供述自体も、厳密に正確に報道されているのかどうか、
私には判断のしようがないし、更にその他の周辺の事情についてはもう、
全く憶測の域を出るものではないと思う。

公演中だった明治座の『猿之助奮闘歌舞伎公演』は、代役で続行されており、
昼の部の市川團子、夜の部の中村隼人、ともに文字通りの大奮闘で、
相手役や共演の役者さんも含めて、既に高い評価を得ている。
六月歌舞伎座も配役変更と発表され、
中村壱太郎が猿之助の役を務めることになった。
ピンチはチャンスで、彼らにはこれを大きな飛躍の機会として
一段階も二段階も登り、新たなスターとなって貰いたいと心から願っている。

私は、前から書いている通り、基本的に舞台のことしか眼中にない。
それを演っている人の素行とか品行とか、人格などは
自分にとって好ましければ嬉しいが、そうでなくても構わない。
観客として座っているときには、私は、その部分は一切観ていない。
私の思う、良い舞台かどうか、がすべてだ。
歌舞伎ファンは役者に甘い、
という非難があったが、客としての私は甘くないぞ(^_^;。
仮に、いかに人間として真面目で品行方正で真摯であったとしても、
オモロない、と私が思う役者さんの舞台には、お金は出さない。
実際、幾度か観て、私の中で「アカンな」という評価が定着し、
観る気が失せた役者さんもいる。いちいち書かないけど(^_^;。
(私が観ない、というだけだ。好きな人は観たら良いのだ、勿論)

四代目猿之助は、私にとって本当に大切な役者だった。
芝居も踊りも卓越したものがあり、
エンターテイナーとしての陽の魅力が大きく、
頭の回転も速く声も良く、何より、人を惹きつける舞台の華があった。
今、私が最も強く思っているのは「彼を失いたくない」ということだ。
私は、また彼の歌舞伎が観たい。それも出来るだけ早くに!
彼だけが生き残ったのは、まだ為さねばならないことがあると、
舞台の神さまがお思いになったからではないのか。

社会的には、それはなかなか許されないことかもしれないし、
御本人もまた、二度と舞台に戻りたくない、のかもしれない。
だからこれは、歌舞伎を観る者としての私のエゴだと承知しているのだが、
観客としての私は、こんなことで四代目に終わって貰いたくないのだ。
事情聴取に応じ、事実を供述し、非のあるところは非として認め、
裁判になるのであれば判決に従って必要な年月を過ごしたのち、
心身を養い、時間がかかっても、市川猿之助には復活して頂きたいのだ。
まさに今月、明治座で演じていたのは「不死鳥の男」だった。
私は彼の蘇りの日を、待っていたいと、心から強く思っている。


追記(6月10日):文芸春秋2023年7月号において、
歌舞伎研究・劇評家の渡辺 保氏が、
『嫌疑が晴れたあかつきには猿之助に早く復帰してもらいたい。私自身は「猿之助を励ます会」の発起人になってもいい、それくらいの思いを持っています。』
と書かれている。
私も観客のひとりとして、強い共感を覚える。
市川猿之助は、歌舞伎役者として、それほどまでに重要な存在なのだ。
『早く』は困難かと思うが、『必ず』復帰して頂きたい。
そうでなければ、歌舞伎の失うものが、あまりにも、大き過ぎる。

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マンション管理組合の副理事長をやることになってしまい、
区分所有者の転夫ころもんは多忙で、こういうものに出席しないので
実質的に役員会や総会に出るのは私であり、大変迷惑している(逃)。
これでも、理事長をやらされなかっただけマシだと思うべきか。
おまけに、神社関係のほうでも、
秋の、地区支部の神宮大麻頒布始祭で役員をやることになり、
これがまた村の神社の大祭と時期的にがっつり重なっているので、
どの暇に準備すれば役目が果たせるのか不明であり、
ああもうどうにでもしろよとキレ散らかしたい心境である。

私は決して自分から立候補などしていない。
「やってくださいよ?ね?」式に、向こうから話が来るのだ。
それを一切引き受けず、突っぱねる、のもひとつの解決ではあるのだが、
金輪際、顔を合わせないで済むような間柄ならともかく、
マンションも神社も、まだ今後も協力し合うべき関係性のある場なので、
「ワタシは、やりません!」
とケツをまくるのは、カドが立つし見苦しかろうと思う訳だ。
それで、致し方なかろう、ここを乗り切ればまた、良い日もあろうよ(泣)、
と己に言い聞かせてはいるが、つくづく身体的にも気分的にも負担でイヤで、
往々にしてそれが、仏頂面として顔に出てしまう(汗)。
マスクの御蔭で、全部はバレていないと思うから、出している訳ですが。

ときに、あの四代目市川猿之助が、今回の一連の事件に関する報道の中で、
以前から睡眠薬のハルシオンを常備していたという話が記事に出ていて、
あれほどにバイタリティ溢れ疲れ知らずのように見えた人でも、
実は前々から眠れなくて悩んでいたのかと、痛々しく思い、
笑顔でバリバリやっているからと、それを当たり前と見なすのは、
想像力が欠けているということなのだなと、私は今、大いに反省している。
皆、キツい中で、限界まで頑張って務めを果たしている、と思うべきなのだ。
シンドくてたまらないのは、私だけではないのであるよ。
っていうか、私レベルで忙しいとか、寝言ですね(汗)。

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「31歳から認知症の介護」晩婚・高齢出産の子どもが抱く苦悩は?当事者に聞く
(#アベプラ 2023年5月1日放送)

両親が晩婚或いは高齢出産であったために、
子が、若くして介護生活に入ることになった、
……という2つの事例が番組で紹介されており、いずれも介護者は女性で、
老親介護のために娘が自分の人生を諦める、という構図が報道されていた。
大変困難な状況にあることは確かで、いろいろと考えさせられる問題だったが、
一方で、番組中でパックンが言っている通り、すべて晩婚が原因、
ということはなく、個別の事情によるところが大きいのでは、
と思う面もあった。

私自身、両親が三十代半ばになってから産まれた第一子な訳だが、
子供の頃、「うちの親は年寄り(だから嫌だ)」と感じたことはなかったし、
その他の、自分が多くの友人たちと違うところについても、
「私はきょうだいが居ないから寂しい」
「親が忙しいから家族旅行なんか行ったことがない、友達が羨ましい」
等々のことも、特には感じたことがなかった。
人とは違っても、私は自分の在り方が別にイヤということがなく、
概ね、肯定的な気分で子供時代を過ごしていたと思う。
家の中が、嫁姑問題や親戚とのいざこざでしょっちゅう荒れていたのは、
今思うと、子供にとって大変良い状態とは言えなかったが、
当時はほかの家庭環境を知らなかったので、そんなものだと思っていた。

また、私の親は、少なくとも毒親ではなかった。
しょうもないことも言っていたと、今なら思うところもあるが、
当時はこれまたそんなものだと受け流すことが出来たし、
そもそも親とは、私自身も含めて愚かしいものであろうから、
我が両親は普通であったと言える、と思っている(^_^;。
それに、進学や就職で親の家を出てからは、私は一人暮らしで、
長年に渡り自由であったので、以後の私は自分で良いと思うことをやり、
親がそれについてさほど(!)口出ししなかったことにも感謝している。

介護の問題はひとえにタイミングが大きいと思う。
番組中の、31歳でこれから結婚しようという年齢のときに
介護生活に突入したケースは大変不運であったと感じるが、
前後関係がもう少し違っていれば、むしろ自分が若い間に老親を見送って、
すべて済ませてあとが楽、という有利さもあったかもしれず、
一長一短であると思う。
現在の私の場合は、実家両親がともに93歳と94歳という高齢なのだが、
もし親が二十代で私を産んでいたら、私は今70歳くらいになっていた訳で、
それはそれはキツかったと思う(汗)。
あんなトシまで死ななかった人は、あと10年でも生きるかもしれないよ?
二人が晩婚だった御蔭で、90代の親を持つ身でありながら私が58歳であることは
心身のみならず、社会的な面でも余裕に繋がっていると感じている。

また、うちの舅姑も昭和初期生まれの人としては遅い結婚で、
三十代になってから、一人息子である主人を授かったのだが、
その舅姑と同居しての自宅介護が始まったとき、嫁の私は37歳だった。
あの若さがあったから乗り切れた、と今にして思うことも多々あり、
今とは比較にならないほど疲れを知らず、情緒も安定しており、
介護の様々な状況に耐えやすかったことを、自分の体験を通して感じた。
舅を送ったのは私が41歳のとき、姑は私が45歳のときで、
義両親について私が四十代前半までで務めを果たすことができたのは、
私にとっては有り難いことであったと思っている。

昔のように二十歳になるやならずで第一子が生まれた場合、
寿命の長くなった今は、元気な若いうちに子育てを終えて解放され、
更に孫や曾孫の成長すら、楽しみに眺められるかもしれず、
それは長寿社会の幸せと言うことができるが、
一方で、介護問題に焦点をあてた場合、どうかすると、
老衰で亡くなる我が子を親が見送るという「逆さごと」も起こりかねず、
超高齢の祖父母が、還暦の孫世代のお荷物になるという事態も
考えに入れておかなくてはならなくなるだろう。
多くの人が70歳前後で亡くなっていた時代には無かった、
別のかたちの幸せや苦労が、今はある。

早婚がいいか晩婚がいいか、という簡単な話ではないと思う。
自分がいくつまで生きるか、親の寿命がいつまであるか、
前もって知ることはできないのだから、
若くして子を持っても、逆にかなりの晩産になっても、
それは自分にとってそういう巡り合わせだったのだと肯定し、
置かれた環境の中で、最善の道を探るしかない。
番組中で大空幸星が言っているように、もし毒親に自分の人生を破壊されたと
思うような状況であれば、親を切り離す選択もまた肯定されるべきだろう。
親を捨てるのは、究極の不幸な決断ではあるが、
共倒れになってはおしまいで、生き残るべきは若い世代のほうだからだ。
誰にとっても、様々な状況において問題解決能力や行動力を発揮することが、
常に必要である、と思ったことだった。

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五嶋みどり@HBGホール
18日(木)は、広島交響楽団の定期で五嶋みどりが客演した。
私は、かなり前から彼女が来日することには気付いていて、
広島で聴けるなんて絶好のチャンスと思い、
チケット発売日に広響のサイトで買っておいたのが大正解で、
前売り分は即日完売、追加販売分も即完売、という勢いだった。
この日は、G7広島サミット開幕の前夜で、
私が徒歩and/orバスで通ることになるだろうと思っていた
城南通り・中央通り・吉島通りが、どれもこれも交通規制の対象で、
おまけに午後から雨になり、致し方なく、タクシーで出かけた。
この判断もまた大正解で、私が会場に差し掛かった頃、
ちょうど、バイデン大統領の車列が南から来て、
平和大通りから平和公園の方向へと通って行くところで、
原爆資料館のすぐ南側の道路が完全に立ち入り禁止になっており、
タクシーも全く通れず、一旦戻って東側に大きく迂回するかたちで
再度、別の道から会場に向かうことになった。
いろいろあったが、演奏会は極上であった。
鮮やかな中にも、根底に美しい昏さのある演奏で、
細やかなニュアンスに富んだ五嶋みどりのヴァイオリンは素晴らしかった。
この話は、書く時間があれば、また、いずれ。

G7広島サミットがえらいことに
元来が東京育ちで広島に接点の少ない岸田総理が、広島出身をアピールすると
なんだか利用されているようで、実は私は嫌だったのだが、それでもなお、
G7とEUの代表が原爆慰霊碑に揃って献花をしたのをネットで見たときには、
80年かかってこの場所に辿り着いたのか!という感慨があった。
かつての連合国と同盟国の代表が、等しい立場で並んで、
原爆死没者に花を手向け、平和への誓いを新たにする、という構図は、
たとえそれが、各国の利害に基づく政治判断によるものだとしても、
そのようなパフォーマンスでさえ、実現するのにここまでの年月が必要だった、
ということに、私は、やはり深く感じ入るものがあった。
また、彼ら首脳に揃って原爆資料館を見学して貰うことも実現した。
これも、今の資料館は、ごく客観的で正視に耐える展示だけしか無いから、
核保有国の代表が今更、あの展示内容そのものにショックを受けるとは、
私は思っていないのだが、それでも、G7の代表全員が資料館を訪れた、
という「かたち」が実現したことに、大きな意義があったと思った。
更に、きょうはウクライナのゼレンスキー大統領が広島に到着した。
インド、ベトナム、ブラジルなど、グローバルサウスを中心とする、
8つの招待国も加えたセッションも、明日、行われる。
G7のみならず、韓国の尹大統領とゼレンスキー大統領の会談さえ、
このあと広島で実現するかもしれない。
後の世界史の教科書に載るような出来事が、今、広島で展開している。

大変不自由だが極めて安全な広島市
……ということで、広島市内は今、市街地のほぼ全部が交通規制され、
うっかり外にも出られない有様だ。
交通規制情報を見ずに出かけたりしたら、場所や時間帯によっては、
知らないうちに、いつも通る道がバリケードで封鎖され、
家に帰れなくなっている可能性もあるような状態なのだ。
空には一日じゅう取材ヘリが飛んでいて、
もっと上空になると戦闘空中哨戒の様相であり、ドローンも居る。
市民生活としては、不自由だし喧しくて仕方ないのだが、
それはすなわち、物凄く手厚く市街地全体が守られている、
という状況でもある。
家から一歩出たら、そこらじゅうに警察官が並んでいるので、
もし今、「たすけてー!」「どろぼー!」などと叫んだら、
四方八方からばらばらと警官が駆けつけてくれることだろう。
誘拐も強盗も、とてもじゃないが逃げおおせる状況ではない。
なんと安全な毎日なのだろうか(汗)。

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G7広島サミットの交通規制がキツい
G7広島サミットの交通規制について、
前日発表ということで明日18日分が先ほど、広島県警のサイトに出たが、
想像を遙かに超えるエグさ(涙)。仕事を断るレベル。
とりあえず明日の朝なら動けそうなので、7時前に出ようと思っているが、
午後からの動きは予定通りには行かないことがわかった。
これだと、21日(日)は早めに断りと謝罪の電話を入れたほうが良いかも。
G7サミットともなれば大事(おおごと)なので
市民レベルでも協力せねばとはわかっているが、
日常生活がこれほど大きく制限される事態になろうとは、
事前には想像が及んでいなかった。
通れない道路が多く、市街地の学校は休校で、各種店舗も閉まり、
救急以外の病院も開いて居らず、介護サービス等も休止で、
これではまるで、今更なロックダウンみたいなものだ。

ポゴ氏が来年1月に来日する
KAJIMOTOによると、ポゴレリチは来年1月に来日するそうだ。
東京のリサイタルひとつしか日程が出ていないので、他にもあるかもしれない。
 イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
 2024年1月27日()開演時間未定 
 会場 : サントリーホール
 【発売日】未定

今年のように正月行事の途中に開催されるよりは、マシな日程だ。
Let's keep an eye on it!

予約サイトの接種状況が更新された
転夫ころもんの、昨年9月30日の4回目コロナワクチン接種の記録が
広島市のワクチン予約サイトになかなか反映されず、
彼は長らく、3回接種までしか終えていない人として扱われていたのだが、
きょう見たら、ようやく更新がなされて、5回目接種の対象者になっていた。
しかしまだ、本日時点では接種券は送付されてきていない。
私のほうが先日、早々と接種を終えたので、
「ワシのは、まだかいね(--#)」
と御本人は市の仕事の遅さに不満を漏らしているが、
私みたいに仕事関係の旅行が迫っていてやむなく、というのでもないし、
まあ、そのまま待っていれば良いのではないの(^_^;。

追記:ころもん氏の接種券が19日、到着した(^_^;。
予約サイトを見ると、結構予約が埋まっていたが、
無事に、家から近い集団接種会場の予約を取ることができた。

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G7広島サミットが近づき、市街地の警戒が物々しい。
全国の警察の協力を仰いでいるので、
パトカーや護送車その他の警察車両、白バイ、
などが一日中そこかしこにいて、それらのナンバーは、
北見、札幌、山形、福島、名古屋、なにわ、神戸、徳島、香川、
等々、実に様々だ。
街中で大阪府警のベスト姿の警官も見たし、
転夫ころもん氏など八丈島のパトカーに出会ったそうだ。
パトカーと白バイが隊列を組んで進む『西部警察』さながらの光景も
市内で日常的に展開されている。

昨日は、岸田総理の広島サミット会場視察があったそうで、
私が神社の用事を終えて午後、戻って来たときには、
広島グリーンアリーナの出入り口付近に大勢のSPが集合していて、
郵便配達の人が呼び止められ警官と話をしている最中で、
上空ではヘリコプターが、ずっと同じ位置に留まっていた。
平和公園はサミット前日から行事終了の21日まで立ち入り制限されるが、
そばのマンションの方々の話によると、
期間中、住民はベランダに出ることも禁止されているそうだ。
ゴルゴ13みたいなことをする人がいると、いけないからね(^_^;。

タクシーの運転手さんに訊いてみたら、
「サミットの間、平和公園は通れないし、周辺も通行止めになりますよ。
城南通りも中央通りも全部だめだと思いますよ。
広島自動車道も通れないし、迂回する車が高速4号に来て渋滞しそうだし」
とのことで、え~(;´Д`)、なんだそれ、私は神社に出勤できないのでは?
詳細は前日まで発表されず、場所によっては「要人の通行の際だけ
一般車両の通行禁止」、と言われているところもあるそうなのだが、
「要人の通行」が何時から何時までなのかを、
事前に知ることは限りなく難しい。

一方、神社の界隈は市街地とは関係のない村なので
サミット期間中もお構いなしに祭典や総代会が組まれている。
彼らにとって、サミットはテレビの中の話に過ぎないのだ。
いや、ちょっと待って、私、最悪そっち側まで行けないかも(大汗)。

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母の日の花束を、自分で買った(笑)。
バラのラウンドブーケと、カーネーションを何本か。

某老人ホームの母94歳にも、アレンジメントと「どら焼き」が届くよう
手配はしてあり、配達済みのメールも来ているのだが、
母はもはや、電話もメールもして来なくなった。
携帯の存在は、覚えているのだろうか。
かつて母から電話があると、内容は「飯がまずい」「泥棒が入った」等の苦情か、
「腹具合が悪い」「薬が自由にならない」等の体調不安の相談だったものだが、
母は今や、私に電話をかけることも思い出さず、
様々なことが記憶に定着せずすぐに流れて、気付けばうたた寝、
……という毎日になった。
つくづく老いたなと思いつつ、穏やかという意味では良くなったのかなと思う、
今日このごろです(^_^;。

 

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午後から中区内の会場で新型コロナワクチンの6回目接種を受けてきた。
私は年齢的には今年度春季接種には該当がないのだが、
長年の高血圧症があるので、希望すれば受けられるのだ。
今の私は、神社関係行事がすべてに優先しているので、
本当なら、今年度の1回目は夏に打って、秋祭の頃まで効力が残るようにし、
2回目のは12月にして、正月の御奉仕に合わせたい、と考えていたのだが、
今月下旬に、総代連合会の研修旅行に行かなくてはならなくなり、
致し方なく、予定を早めて接種に行った。

旅行や会食などを今、積極的にしたくはなかったのだが、
仕事関係なので私の勝手で欠席する訳にもいかず、
5類移行でノーマスク+宴会となるであろう旅行に参加するならば、
せめてワクチンなりと、済ませておこうと思った。
旅行参加者の中に感染者がいたら、被弾する確率は高そうだが、
それでも抗体価を上げておけば、丸腰で罹るよりは良かろう。
また、いつも仕事の遅い(逃)広島市が、今回はなぜか、
主人を差し置いて私にだけ、早手回しに接種券を送って来たので、
「行っておけ」という天の声かと(違)思ったのもあった。

上記の事情だったので、会場もワクチンの種類もあまり選ぶ余地はなく、
行ける範囲の日時で近いところとなると会場が絞られ、
そこでの接種はファイザーとなっていたので、自動的に決まった。
私の接種歴では、2021年の1回目の7月と2回目の8月がファイザーで、
以後はモデルナだったので、およそ2年ぶりで再びのファイザーとなった。
尤も、打たれる側としては、ワクチンの種類が何であろうと、
同じように筋肉注射であるだけで、何も変わるところはなかった。

接種後5時間ちょっとの今、接種部位に僅かに筋肉痛を
感じるような気がするが、気のせいかも?の程度だ。
体調としては普段より、気怠く眠い感じはする。
そういえば1回目のファイザー接種のあと、やたらと爆睡したものだ。
予防接種全般、打った日の夜には早く就寝しぐっすりと睡眠を取ると、
より効率よく抗体価が上がる、という話を何かで読んだことがあるが、
そうであれば副反応で「眠い」というのは合理的な話だな(^_^;。

……ということで、これからお風呂に入って、寝よう。


追記(5月11日午前8時30分):体温36度4分で、いつも通り起床した。
起きた瞬間は、まだ眠気がかなり残っている気がして、
朝のひとあたりの仕事が済んだら二度寝しよう、と思ったのだが、
動いていると、特に何も感じなくなった。
きょうは、もともと休むつもりで予定を入れていないので、
一日ゆったりと過ごしたいと思っている。

追記(5月11日午後1時05分):体温36度8分で、著変なし。
午前中は布団でごろごろしながら本を読み、うたた寝をした。
空腹で目が覚めて、起き上がったら結構だるいように思ったのだが、
昼食の支度などして動いていると、朝同様、何も感じなくなった。
接種部位は、触れると軽い筋肉痛は感じる。

追記(5月11日午後8時20分):午後から怠くなり37度2分になったが、
今はすっきりしていて36度6分。これまでの接種とだいたい同じような経過だ。
モデルナでもファイザーでも、私にはあまり違いはないようだ。

追記(5月12日午後8時20分):接種したことを既に忘れかけていた1日だった。
完全に普段の体調になったし、接種部位の筋肉痛もほぼなくなった。

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