転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



共済組合が父の源泉徴収票を送って来ず、
2月21日の「死後4ヶ月」という準確定申告に間に合わなかった。
仕方が無いので、そちらのほうはとりあえず期限までに提出だけ済ませ、
のちほど修正申告をするという段取りにしたのだが、
以後も全然何も言って来ないので、一体どうなっているのかと不審に思い、
本日、共済の広島支部に電話をしたら、
「届いている書類の中に無いですか?」
と大層な物言いだった。無いから電話しとるのだ(--#)。
無駄過ぎる質問だと思うが、そういうマニュアルになっとるのか(--#)。

それで、支部では書類の発送関係は管理していないからわからない、
そういうことは東京に訊けと言われて、
「この、前回の源泉徴収票の下に『支払者』として出ている東京の番号ですか」
と私が尋ねたら、その支部の担当者いわく、
「電話番号を言ってください」。
どうもこの人との会話は愉快でないと感じるのは私が悪いのだろうかね。
『東京のどこに訊いたらよいか、電話番号を教えてください』
と最初から私が訊けば良かったんだろうよね(--#)。

という次第で、改めて東京の公立学校共済組合本部に電話をした。
そうしたら、こちらの担当者との会話は何も不愉快なことは無く、
基礎年金番号や住所氏名生年月日等の確認のあと
今度こそきちんと照会が為されたのだが、その挙げ句、
「本日発送予定です」
と、出前か何かのような回答があった。

それが正しいなら、東京からは1日では来ないから週末をまたぐことになり、
昨今の郵便事情では、書類到着は順調に行って3月4日、いや5日か。
準確定申告には、もとから全然間に合わない話であったことが今更わかった。
手続を開始したのが11月1日だったが、源泉徴収票到着まで4ヶ月+4日?
死亡確認の直後にその場で電話していたとしても、
準確定申告に間に合わせることは不可能だったのだな(--#)。
また、このあと、母に、遺族年金があるかどうかの審査?が始まるそうで、
その結論が出るまでに、更にこれから2ヶ月くらいかかるとのことだった。

公立学校共済関係の手続は、ことほど左様に時間の要るものであることが
今回のことで、よくよくわかりました。
JAの年金担当の方の話では、一般論としてある程度時間はかかるが、
源泉徴収票は遅くとも1月中旬には来るだろう、と聞かされていたし、
事実、日本年金機構のほうは思ったより早く、年明けには送って来たので、
これなら共済組合のほうもそろそろ、……と、要らない期待をしてしまった。
2月の後半、もう来るか、今日こそ来るかと期待して、
連日、実家の郵便を確認しに通った私は、ただの物知らずであった(--#)。

Trackback ( 0 )




【地震速報】愛媛県と広島県で震度4 津波の心配なし(NHK 2024年2月26日 15時54分)
『午後3時24分ごろ、愛媛県と広島県で震度4の揺れを観測する地震がありました。この地震による津波の心配はありません。』『気象庁の観測によりますと、震源地は愛媛県南予で、震源の深さは50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.1と推定されています。』

久々にハッキリ揺れた。「何?頭位めまい?」程度でなく。
きょうは私は有り難いことに休日で、ずっと家に居て、
テレビ等も何もつけておらず、室内が静まり返っていたので、
この地震についてはP波が到達したところから体感した。

PCの前に座っていたら、ピキっ…、と瞬間的に微かな音がして、
「(あ、これは、なんか、来るな…?)」
と思った途端、あるか無きかの縦揺れを感じたので、
自室の遠赤外線ヒーターPhotonⅡを消した。
それから、このあと大きな揺れが来て建具が歪んだら、
最悪、部屋から出られなくなるかもしれないと考えて
スマホを持ち、ドアを開放して廊下に出て、
さて玄関を開けるべきかどうか…?と思っているところへ、
ゆっさ・ゆっさ・ゆっさ、と結構大きな横揺れが来た。

居間のカーテン全体が明らかに左右に揺れているのが廊下からも見え、
「(割と大きいんじゃ……(汗)?)」
「(もっと大きくなるなら、どっか捉まったほうがいい…?)」
「(いよいよになったら、ブレーカーを落として外に出る…?)」
「(でも本当の大地震だったら、うずくまる以外なにもできないだろうね…?)」
等と考えているうちに、揺れはそれ以上は強くならず、次第におさまった。
特に何かが落下したとか壊れたとかいうような様子はなく、
上の階や隣の家でバタバタしているような気配もなかったので、
一応、大丈夫そうだった。

すぐにネットで地震情報をチェックしたら、
震源は南予で、自分が体感した以上の、極端に大きな揺れの地域は無く、
津波の心配もないと出ており、とりあえず安心をすることができた。
あの東日本大震災の日、自室で「案外、長く揺れたな」と思っていたら
遠く離れた東日本のほうが、よほどおおごとになっており、
直後、仙台空港に物凄い津波が来るのを速報映像で観たときの衝撃が、
私の中ではある種のトラウマとなっているのだ。
自分のところの震度が一番大きかった程度なら、OKだ。

それとともに、がっつり揺れて終わったと思ったものが実は予震で、
本震がそのあと、場合によっては翌日来た的な話も、これまで見聞きしたので、
揺れについては、まだ警戒しておかないといけないだろう、とも思っている。
自宅については、心がけて「天井までの収納」を撤去するよう努めてきたので、
揺れで何かが落下してきて頭部直撃、みたいなことは多分ないと思うのだが、
予想外の崩れ方や壊れ方をするものもあるかもしれず、油断大敵である(汗)。

Trackback ( 0 )




広島県の西部地域はもともと安芸国で、
この地域に多い、浄土真宗本願寺派の信徒を、「安芸門徒」という。
私自身は、父の家が神社神道で、母は北陸の浄土宗の家の出なので、
周囲とは少し事情が異なっていたが、
転夫ころもんの家が昔から安芸門徒なので、
結婚してからこのかたは、私もまた安芸門徒の家の者になった。

父の家のある村も、大半の人達が安芸門徒である。
というより、古い家が多いためか、多くの人がかなりのガチである(汗)。
家に仏壇があるのは当然だし、大抵の人が日曜学校の卒業生である。
父が高齢になり、私が本家の直系として数々の村の行事に関わるようになり、
通夜や葬儀に列席する機会も増えてからは、
村の地元の方々の信徒ぶりに感銘を受けることが度重なっている。

そもそも実家の村では結構最近まで、葬儀は各自の自宅で行っており、
同行(どうぎょう)という組織が実働していた。
地区内を細かく班分けした、葬儀の相互扶助をする仕組みがそれであり、
事務関係とか、食事の用意とか、弔問客接待をする「おやど」とか、
土葬だった頃は更に、埋葬の準備や墓まで柩を運ぶ「ごうりき」などが、
各家に割り当てられていて、近所じゅうで協力し合ったものだった。

さすがに今では、葬儀社に連絡して葬祭会館を利用するのが普通になったが、
会場での帳場等の役目には、阿吽の呼吸で同行の感覚が生きているし、
家族葬が持てはやされる昨今でも、香典を辞退されるケースが出てきた程度で、
村の葬儀そのものは相変わらず、割と盛大(違)である。
いつぞやTwitterで『マイ数珠』が話題になっていたが、
実家の村ではマイお念珠どころか、多くの人がマイ経本を所有しており、
法要や行事の際は、それを持参して正信偈(しょうしんげ)など唱和するし、
葬儀でもあれば門徒式章を着用して集まって来る。

こうした集まりに出る機会が増えるに従い、
私は自分も、この経本、通称『赤本』が欲しいと思うようになった。
舅宅の地元のお寺さんの場合は、法要等の前に『赤本』が配布され、
その時だけ貸して貰い、「では○頁です」と言われて開いていたのだが、
村では、法要等の開始時にはどれを読む等の案内は特になく、
周囲の皆はマイ経本スタンバイOKで、しっかり唱和し始めるのだ。
私も安芸門徒の家の嫁ゆえ、全く知らない世界ではないにしても、
諳(そら)んじているレベルには遠く及ばず、
前の列の人の赤本を背後から盗み見て唱和したりするのは、
なかなか厳しいものがあった。

という訳でこのほどついに、私も、自分のために『赤本』、
もとい、『真宗勤行集』を買った。
ネットでも注文できるし、街の仏壇屋さんでも扱っている。
これでヨシ、次に法要等があっても、もう怖いものはない。
正信偈でも讃仏偈でも、さぁ来い!(←違

また、浄土真宗本願寺派には仏教讃歌という、賛美歌的なものもある。
真宗本願寺派と音楽の関わりは深い。
私がよく行く築地本願寺には、パイプオルガンだってあるのだ。
通夜や葬儀に出ると、『みほとけに いだかれて』がよく歌われるのだが、
その歌詞と譜面も、ちゃんと『赤本』に掲載されている。
これで私も、1番から4番まで、自信を持って歌えるというものだ。

♪みほとけに いだかれて きみ 逝きぬ…… 

のあと、どこに逝ったかで毎回迷う、ということも、金輪際、無い!

【仏教讃歌を聴いてみよう】みほとけに いだかれて
(浄土真宗本願寺派西本願寺 YouTube)

Trackback ( 0 )




前回のスイートピーが本当に瑞々しくて、
2週間ほど綺麗に咲いていてくれたので、良いお店だなと思い(笑)、
同じ花屋さんで、今度はカラフルなミニバラの花束を買ってみた。

そろそろ春だな(^^)。

Trackback ( 0 )




1月は聴けていない日が結構多くなってしまった。
神社の用件が多くて早朝出発になる日は、朝の放送が聴けず、
余裕があれば帰宅してから午後の再放送を聴くとか、
らじる★らじる』で聴き直すなど、いろいろと対策を講じるのだが、
1月は連日朝から夕方まで忙しかったので、追いつけないまま、
『らじる★らじる』の聴き逃しも配信終了することが続き、
穴だらけになってしまった。

いずれ隠居して、1日の多くの時間を自分のために使えるようになり、
もっと丁寧にラジオ講座で勉強できる境遇になるのが
昨今の最大の夢であり目標であるのだが、
その頃にはNHKラジオ第二放送がなくなっていそうだよね(大汗)。
いつまでラジオ語学講座が存続してくれることだろうかと
最近は戦々恐々だ。
テキスト代(現在580円)だけで、これほど充実した講座を
たっぷり一ヶ月勉強できるなんて、本当に有り難いことなのに……。

ともあれ、先日、2024年度のNHK語学講座の予定が公開され、
フランス語スペイン語のラジオ講座は変わりなくあることがわかり、
私に関しては来年度もこのまま継続ということで、
ひと安心し、テキストも早速1年分を予約した。
両講座とも、前期の月~水は入門編でなく初級編という位置づけで、
若干レベルが上がる可能性があるが、新作なので聴いてみないとわからない。
木金の応用編はどちらの講座も再放送で、
フランス語は今放送中の『フランコフォニーとは何か』がすぐ再放送、
スペイン語は22年後期講座『一歩先のスペイン語』の再放送だ。
後期は忙しくて手薄になるので、前期講座としての再放送は有り難い。

2月に入ってからは、時間的に余裕ができてきたので、
今のところ聴き逃しは無く、継続できている。
スペイン語入門編、点過去・線過去・現在完了、
……過去分詞の性数一致を考えなくてよいのでフランス語より楽、
等と侮った気分で気持ちよく聞き流していたら、
deber+不定詞とdeber de+不定詞で意味が違う、
というのが出てきて、100万年ぶりに思い出した気分であった。
そういえばありましたよね、そういうの(^_^;!!
今まで全然意識しないで文脈で判断してました(殴)。
deberは英語のmustみたいなもん、という大ざっぱな理解でいたが、
deber+不定詞が「~しなければならない」、
deber de+不定詞が「~に違いない」、
と形でちゃんと区別があったのですよね(殴)。
つくづく、頭がザルだ。そこからかよ!

Trackback ( 0 )




昨年10月21日に亡くなった父の、準確定申告の期限が、
死後4ヶ月以内となっているのだが、
未だに公立学校共済のほうの源泉徴収票が来ないので、
その分はとりあえず添付しないままで一昨日、申告を終えた。
これが後ほど到着したら、また修正申告をすることになっている。
日本年金機構の源泉徴収票は1月半ばには着いたのだが、
公立学校共済のほうは結局、間に合わなかった。
滑り込みでも届いてくれればと、先週は結構頑張って実家に通い、
日々、郵便物を改めたのだが、無駄足だった(--#)。

Trackback ( 0 )




昨日の母は、普段よりやや饒舌だった。本人いわく、
「ごっつぅ調子がええいうこともないけど、
まあ、どこも、悪いいうほどのとこも無いわね。」

「ここの(某サ高住の)様子も、だんだんわかるようになってきて、
トイレがあそこにあるいうのは、わかってんねん」
と廊下の先を指して母は言った。
「先に男子用があって、奥に女子用があるのやろと思うねんけど、
行ってみぃひんことには、よう、わからへん」
「ほうなんか。ほな、あとで行ってみよか。
でもまあ、自分の部屋にもトイレは付いとぉから
普段、特に不自由なことは、無いやろ?」
と私は言ったが、それは関心が無いらしく黙殺された(^_^;。

そんなこんなで、しばらく心許ない会話をしていたら、
やがて、夕食の時間になったと呼ばれた。
仕切り直しになり、私としては助かった(^_^;。
母はスタッフさんに車椅子を押して貰いながら食堂に行き、
後ろから私もついて行った。
食堂には、家族も自由に入って良いことになっている。
席順は決まっていて、以前は母の向かい側に父の席があったのだが、
昨日、私が母と話している間には、誰もそこには来なかった。
空けてあるのか、たまたま来られなかっただけか。

母の席より窓際寄りの少し離れたところには、別のテーブルがあり、
男性が二人、こちらに背を向ける位置に着席されているのが見えた。
出されたお茶を飲みながら、母は唐突に言った。
「あそこにおる人ら、言うたらあの人らは、エライさんやねんけど。
あの人らは、私から見たら雲の上の人らで、全然、話すこともないねんけど、
そらまあ、特に親しいに付き合おという訳でもないねやけど、
顔みたら『ああ』てわかるくらいには、もうちょっと覚えられたら
ええなあと思うねん。」
意味不明であった(逃)。
同じフロアの入居者さんで、普段話したことがないのは本当だろうが、
なぜ、特別に地位の高い方々?だということになっているのか??
そういえば、かつて転姑ばーちゃんが今治で、介護型病棟に入院していた頃、
近くの部屋の入院患者の男性が車椅子で通って行くのを指して、
「あの人は、有名な作曲家の先生なんじゃけどね、犯罪を犯してね」
と、とんでもないことを教えてくれたことがあった。

と、そのとき、くだんの男性二人のうち、右側の方が、
テーブルの上にあった木製の孫の手を取り(マイ孫の手なんだろうか?)
自分で背中をしばらく掻いてから、それを元通りに置かれたのが見えた。
「あの人、今、背中、掻いてはったん!?」
と母も見ていたらしく、私に尋ねた。
「そのようやな(^_^;」
「背中、掻いて悪いいうことはないけども、背中いうもんは、
普通、そうそう、家で掻いたりせんもんやと思わへん?」
と母は真面目に私に言った。

背中とは、家では、みだりに掻かないものである!?
そこで同意を求められてもだな(^_^;!
私がウケまくったので、母も曖昧に笑った。
バスの中で掻くのはどうだろうかという場面もあるけどもよ。)

Trackback ( 0 )




私は前も書いたがfacebookと折り合いが悪かった
だいたいが私は、自分のフォローしている人の書き込みだけを、
時系列に沿って読みたいのであって、運営側の勝手なアルゴリズムで、
要らないものを次々と見せられる方式のSNSは大嫌いなのだ。
自分の話はここに書いているので、SNSにはほぼ投稿しないし、
もう時間が勿体ないからfacebookをやめようかとも幾度も思ったのだが、
facebookでしか繋がっていない友人もあり、
アカウントを削除してしまう決心も、簡単にはつかなかった。

それがこのたび、ついに、折り合う方法を発見したのである!!

そもそも、facebookのニュースフィードには、
広告とか、Reelsでたまたまチェックしたものとかが大量に出てきて、
最近は友人の記事を見つけることが難しくなっていた。
やっと出てきても、ページを再読み込みしたら消えてしまい、
山ほどある不要な記事を×やSnoozeで消していって、
ようやく現れた、知っている人達の記事は、5日前とか2月6日とかで、
それの次が唐突に昨日のだったり、表示順が無秩序過ぎるうえ、
最新投稿はどこなのか、今日の記事は無いのか、全く不明だった。
各人のページをいちいち見に行けってか(--#)。

それで昨夜、私なりに考えて、Menuの中にあるFeedsをクリックして
See the most recent posts from your friends(友人の最新投稿を見る)を
選択してみた。
そして、出てきたページのurlが/?filter=friends&sk=h_chrだったので、
友人達の投稿を時系列chronological orderで見る、
というフィルターがかかったことを理解し、これをブックマークしてみた。
そうしたら、巧く行くようになったのである!!
以来、いつアクセスしても、その時点の友人達の最新投稿が並んでおり
スクロールして下がって行くと、前回読んでいたところにたどり着ける!
これだよ、これが欲しかったんだよ!
なんと、初めて見る記事が、いっぱい(爆)!!
今までHomeから入っていたから、要らないものばかり見せられ、
知っている人たちの投稿の大半を読み損なっていたのだ!

ちなみに、このページのとき左のサイドメニューからGroupsに飛べば、
自分の入っているグループの最新投稿から遡って順に読めるし、
Pagesをクリックすればフォローしているページが同様に時系列で読める。
実に快適になった。頭の中が容易に整理されるし、楽に読めて有り難い。
私にとって、ほかの情報は不要だった。これだけで良かったのよ(涙)。

ちなみに私は目が酷く悪いので、スマホの小さい画面は見づらいし、
物理ボタンが無いのも、指先で探って打てないのが大変不便で、
スマホを活用できず、基本的にPCでネット活動(笑)をしている。
上記の、FeedsをブックマークするというのもPCでの話だ。
スマホだったら、もしかするとアプリを使うことにより、
『友人の投稿が埋もれて見当たらない』問題は
もっと回避しやすいのかもしれない。
スマホについては、スマホ用キーボードを接続することが実現すれば、
もう少しなんとかなるかもしれないのだが、
自分の中での優先順位が低いので、まだ先の話になりそうだ。

ともあれ、そういうことで、
facebookでお友達になって下さっている皆様、
これから私が活発にレスポンスをするようになったとしたら、
それは、上記の手順でようやく皆様の投稿が読めるようになったからです!
今まで、ろくに読めてませんでした!!


付記:①Instagramは、『お気に入り』をつくり、
それらだけを時系列で読めるページを一昨年だかにブックマークしたので、
以来、一応の解決を見ている。
Twitter(現X)はもともと『フォロー中』を選択すれば
フォローしているアカウントだけ時系列で読めるので問題ない。
私にとって最もウザくないのはタイッツーだ。
Twitterがイーロン・マスクによって破壊され始めた(逃)ときに、
以前からフォローしていた某医師の方に、新天地の候補として紹介され、
ほとんど冗談で登録したSNSだったのだが、なかなかアタリであった(笑)。
要るものだけ最新投稿順に読めるし、よけいなものはシャットアウトできる。

②facebookを上の手順で設定しブックマークして以来、
驚くほどたくさんの友人の投稿が読めるようになり、
それをきっかけに個人のページに飛んでみると、
これまた全く初めて見る記事が山ほどあり、
「この人はこんなことを書いていたのか!」
と今更知ったことが多かった。
過去何年にも渡ってfacebookで見せられ続けた、無用かつ大量の記事のために、
私の友人たちが投稿したことの大半は、私の目に触れていなかったことを
この数日で知った。

Trackback ( 0 )




母94歳がどうしているかというと。

昨日、某サ高住に面会に行ったときには、夕食前だったので、
母は食堂のテーブルについていて、お茶を出され、雑誌をめくっていた。
台湾の旅行記事だったが、母は特に関心があるということもなく、
ただ、カラフルな写真を眺めるともなく眺めていただけで、
「もう、目ぇも、よう見えへんさかいに…」
と、機嫌は悪くないもののテンション低めであった。更に、
「耳も、よぅ聞こえへんし」
と言い、事実、私が話しかけても反応しないことが多かった。
発語に関しては十分に声量があり、歯が良いせいか、発音もしっかりしていた。

母の、日々の体調は、特段、変わったところはないが、
12月28日と、2月1日と5日に、それぞれ38度ほどの発熱があった。
階下の病院を受診し、尿検査して貰うと、
毎回、微妙に尿路感染症と言えなくもない程度の数値が出ていて、
解熱剤でスッキリしないときは、抗生剤の点滴をして貰うことで、
今のところ、その都度なんとかなっている。

主治医の先生のお話では、培養の結果、
抗生剤の効きにくいタイプの菌が出ているそうで、
と言って明らかな炎症の反応があるというほどでもなく、
発熱の原因として決め手を欠くが、
抗生剤を試してみる以外、どうしようもないとのことだった。
私としては、何度も言うようだが母が94歳なので、
母の心身が辛くなければ、もう、どのようでも良いのです(汗)。
原因がはっきりしなくても、対症療法が奏功するならばOKで、
できるだけ楽に過ごさせてやって貰えれば。
落ち着いた日常の中で、適度な医療を受けて過ごせるのは、
それだけで本当に有り難いことだと思っている。

つまるところ、母の今の毎日は、大変楽しいとは言えないが、
さりとて、以前のように腹立たしいこともなく、
総じて、感情の振れ幅は小さくなった感じがする。
熱さえなければ、どこがどう悪いという自覚症状もないし、
食欲も十分あり、食事は自力摂取できている。
父が居なくなったことは、日々の暮らしの中では思い出さないようだ。
私の顔は、(マスク着用でも)即座にわかって笑顔になるが、
父の葬儀や正月の神社労働などで、何週間も会いに行かなかったあとでも、
母は私を見て、久しぶりだというような、特別な反応は示さなかった。

私に関して、どういう設定でいるのかは謎だ。
私の夫が誰で、娘がどうしているか等の情報は、
おそらく母の頭の中からは、とうに抜け落ちているだろう。
主人や娘に、実際に会えば思い出すかな。
私が現れるのは、学校から帰ってきたからだと思っているのか、
新卒のときの公務員の仕事をしていると思っているのか。
ただ、とりあえず違和感は無さそうで、
顔を合わせれば「ああ」と笑顔になる。しかしそれだけであって、
「あんた、一体なんで来たん?今日は、どないしたん?」
「もう帰るん?まだ居ってぇな」
みたいな反応は、今まで一度もない。
私が居るのは、自然なことだと感じており、
目の前から居なくなっても、特にどうとも思っていないようだ。

Trackback ( 0 )




昨日は午後から仕事に出たので完全な休暇ではなかったが、
有り難いことに今日はまた、何もない日になった。
ああああ素晴らしい。
何の予定もない、全く何もない、って最高だ。
掃除をしたあと、お茶を淹れて本を読んで、午後は昼寝。
最高に休まった一日だった。

今週、連休が取れた御蔭で、やっとお正月が来たという気分になった。
年末から始まった様々な行事が終わり、ついに完全に年が明けたのだ。
新しい年、どのように過ごそうか、何をしようかと、
最近ようやく、我に返ってものごとを考えられるようになってきた。
折しも、旧正月ではないか(笑)。
あけましておめでとうございます!

今年の語学の目標は、スペイン語検定5級だな。
とりあえず何事もなく受験できることが第一のゴールだ。
そして無事に受けられたなら、やはり合格したいと思うが、
文法事項はともかくとして、語彙がネックになるのだと
昨年の6級受験で早くも思い知ったので、
これから6月末の受験日までに、語彙力強化がどこまでできるかが鍵だ。
過去問も受験生平均点等のデータも、ろくに公表されていない試験なので、
ラジオ講座『まいにちスペイン語』を来年度も学習の柱にして
地道に頑張りたいと思っている。

還暦のおばあさん、受からなくても全く何も困らない試験だし、
受かったからって何になるのでもない試験ではあるが、
それゆえにこそ、純粋に、趣味の語学として挑戦するのである(笑)。
私はトラベル会話も外国語ペラペラも洋画の原語鑑賞も全く興味は無く、
ただ、各言語がどうなっているかを確認する作業が、ひたすら面白いのだ。
語彙の活用や派生の仕組みを覚えたり、
文法に則って、構文がどうなっているのかを解き明かしたり、
どの調音点を使えばどの音が出せるかを知ったりするのが、
私はどういう訳か、ことのほか楽しいのである。
そこに実用的な理由など皆無だ。

もうひとつ、学習関係とは全く別の楽しみとして、
今年は是非、寝台特急の一人旅をしたいと思っている。
と言っても既に、現実的に乗れる寝台列車は
サンライズ出雲またはサンライズ瀬戸しか残っていない(汗)。
これさえも、もはや後継車両の予定はなく、カウントダウンに入っている。
乗れるときに乗っておかないと終わってしまう。
「死ぬまでに一度は乗りたい」などと思っていると、
列車のほうが先に死ぬのだと、幾多の経験からよくわかった。
まあ、サンライズ瀬戸(出雲)は既に何度も乗ったことはあるが、
最後に乗ってから15年?もっと?と先日思い至り、
残された時間は短いのではないか、無くなる前に満喫しておかなければ!
と思うようになった。

理想は、歌舞伎座夜の部のあと東京21:50発のに乗車することだ。
最近は夜の部の終演が昔より早くなって、20:30頃には終わるし、
アンコールがいつまであるかわからない演奏会と違って、
歌舞伎座は時間が読めるので、実行できそうな気がする。
岡山着が翌朝6:27なので、おそらく問題なく仕事にも行ける。
寒がりの私ゆえ、真冬に乗るのはリスクがあるが、
このあとは季節が良くなるので、春~初夏のあたりで実現させたい。
温かい季節なら、着替え等の荷物も軽いしな(^^)。

Trackback ( 0 )



« 前ページ