転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



この街に住んでいたら、近い将来、きっと一度は自転車に轢かれる。
・・・と私は最近、しみじみと思うようになった。
とにかく、道を歩けば自転車がいる。
人のひしめく狭い道を自転車で突っ切る人たちの感覚に、
田舎もんの私は、未だについていけないでいる。

例えば、官舎を出てすぐの道路は、車道の両脇に、
おとなが横に三人並んで歩けるくらいの「歩道」があるのだが、
ここを歩くとき必ず注意しなければならないのは、
後ろから自転車が走って来ていないか、だ
(前から来ているのは、いかになんでも、見えるから大丈夫)。
顔に髪がかかったので払おうと、うっかり手をあげたら、
真後ろに自転車が迫っていて、すんでのところで私はその人に、
エルボー食らわしそうになった、という出来事がきょうもあった。

また、八丁堀から紙屋町方面に路面電車の通る大きな通りがあるが、
ここの歩道も、常に自転車が前からも後ろからも走って来る。
たいそう人通りの多い道なのに、その人々の間を縫うように、
無灯火の自転車が凄い勢いで通って行ったりする。
後ろに自転車の気配がしたのでよけようとしたら、
目の前にも一台迫っていて、逃げ場がなく、
は、挟まれる!と思ったことも一度や二度ではない。
いいか、私は太く見えるが、実際はもっと太いんだぞ、
目測を誤ったら最後、君ら二台とも転倒するんだぞ?

だが私は、自転車に対して、歩道を走るな、という気はない。
もとより自転車が歩道を走ることは交通違反ではないし、
車道には、「自転車・原付」と書かれた専用レーンがあるが、
あそこを走るのは、いかになんでも危険すぎるだろう。
大型ダンプやトレーラーがばんばん通る車道を、
原付と一緒に走ってもなんともない自転車がいたら、
これはまた、あまりに命知らずではないか。
車道をふらふらする自転車ほど危ないものはない。
彼らがあそこを避けて、歩道に上がって来ること自体には、
私はそれなりの理解を示しているのだ。

なので。
言いたいことは、もうちょっと気を付けて走って下さい、ということだ。
大変消極的な言い様だがほかにどうしようもない。
前方に歩行者が見えたら、もちょっと早めに♪りんりん♪して下さい。
暗いのに無灯火のまま、普段のスピードで走らないで下さい。
「おまえらのほうで気づいて、ワシが通るまでに避けとけえや」
というような、今の態度は、自転車の皆さん、あんまりです。
皆さんが思っておられるより、歩行者(私)はニブいのです。
いつか我々は激突し、もんどり打った私のニードロップが、
あなた方の顔面に炸裂しないとも限りません。

本当は、もっと道路事情を良くして欲しい、と言いたい気持ちはある。
道幅を広げて、人も自転車もゆったり通れるくらいにしてほしい。
だけど、それは多分、解決にならない。
なぜそう思うかというと、私は某市に住んでいたとき、
広い車道と歩道の組み合わせが、実際にはどのように利用されるか、
この目で見たことがあるからだ。

その市では、街のいたるところに、破格に広い道路があった。
いつの時代から整備されたものか知らないが、素晴らしい道路だった。
が。歩行者も自転車も、通行者は誰も、その恩恵に与っていなかった。
なぜならば。

道路の両脇に、歩道も車道も無関係に、
乗用車たちが、堂々と縦列駐車しているのが常だったからだ。
しかも二列縦隊で、だった。

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昨日ヒカシューのことを書いたら、BBSでもメールでも反響(^^ゞがあったので、
この機会に彼らの思い出を綴ってみたいと思う。

辿れば、1980年8月。偶然にテレビでヒカシューを観た。これが馴れ初めだった。
彼らはそこで『マスク』という曲をやっていたのだが、
ヴォーカル巻上公一の見事な声と顔パフォーマンスがあまりにキョーレツで、
私は、この人は一体、なんなんだ!?と忘れられなくなった。

それで、彼らのレコードを買うようになった。
最初に買ったのは『白いハイウェイ』というシングルだった。
世間では彼らのことをテクノポップと定義していたと思うのだが、
私にとっては、それよりも、彼らの音楽の中にある、
演奏しつつ自らも音を面白がる姿勢が、大変印象的だった。

その後も私は彼らのCDを買い続け、
91年4月10日、ついに、彼らは広島ウッディ・ストリートにやって来た。
勿論、私は行った。前売りを買って、楽しみにして、出かけた。
そうしたら、当日、客が10人くらいしか居なかった。

ドリンクを選んで座って、始まるのかな~、まだかな~、と待っていて、
ふと横を見たら巻上さん他ヒカシューのメンバーが、
いくつかのテーブルの席に、いつの間にか来て、一緒に座っていた(爆)。
いやはやもう、そのときのライブの素晴らしかったことは忘れない。
彼らは本当に骨の髄までエンターテイナーなんだと感じたし、
何より、ライブならではの即興的面白さは彼らの真骨頂だった。最高だった。
思えばこの頃から、巻上さんは、
超歌唱法の追求やホーメイの研究などを、さかんに行っていたのだった。

そういえば、このライブの中で、巻上さんが、
「次は、古い曲で、『プヨプヨ』をやります」、
と言ったとき、それは初めて買ったシングルのB面だったので、私は思わず、
「きゃ~(^o^)!!」
と拍手をした。ら、そんな反応をしたのは、ワタシ独りだった。
巻上さんは笑って
「この曲で、きゃ~って言って貰えるのは、嬉しいですね」
と言ったものだった。

・・・さて、突然だが。ここで907字。
ここの制限字数は1000字なので、この続きを書く余裕が、もう無い。
なんとか字数内に納めようと先ほどから幾度かやってみたが、断念。

残念だが、後日譚は、また、いずれ。(←竜頭蛇尾)

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予約していたRCサクセションのDVD
KING OF LIVE AT BUDOHKANが昨日届いて、今朝、ようやく観た。
83年12月25・26日に日本武道館で行われたライブの模様で、
そりゃもう、おいら武道館に来日だぜyeah!!な名曲揃い。
日本の有名なロックンロール!!武道館ベイベー!!
後ろのヤツら、どうなんだ~い!!?

・・・・・なのだが。

なんだか、これって、あまりにもベスト盤じゃありませんか(^_^;)。
RCサクセション・クラシックスと言えるほどの定番曲ばかりで、
しかも実際のライブの流れとは全然違う曲順になっており、
一曲ずつ切り離して聴くことが可能な構成にされてしまっているので、
まるでTVKのMUTOMA JAPANの録画集みたいだ、というのが私の率直な感想だった。
巨大銭湯のごとく、天井まで際限なく蒸気がもうもうと上る熱いドブー館で、
コブシつきあげトランス状態になってひたすらキヨシローに酔った、
あの異常さ加減は、DVDの画面からはほとんど伝わって来ない。

だが、まあ、それはそれとして、
これが記録映像として価値があること自体は、私にもよく理解できる。
確かにここには、私も知っている、ある時期のRCサクセションの姿が、
鮮やかなかたちでとどめられているし、
それは私のいろいろな記憶を呼び起こすものとして充分だ。
思いっきり懐古趣味だが、多分、このDVDはこれからも、
何かにつけて、繰り返し観ることになるだろうと思う。

ときにRCサクセションのドラマーだった新井田耕造という人がいるのだが、
彼は90年代後半から、ヒカシューというバンドに参加している。
このヒカシューは、実は私が80年8月からずっと応援しているバンドで
よりによって、そこにRCのコーちゃんが関係することになろうとは、
私には信じられないような巡り会わせだった。

ギョーカイには、イッツ・ア・スモール・ワールド的な面があるとは思うが、
しかし、それにしてもドラマーはたくさんいるし、バンドだって無数にあるのに、
RCとヒカシューの交点がここにあったのか!というのはやはり感慨深い。

ヒカシューについては、また、いずれ(^_^;)。

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・ヨン様

私は全然知らなかった。
ヨン様の人気が、こんな大変なことになっていたなんて。

ヨン様来日!成田開港最多のファン殺到(スポニチ)

ヨン様の車に殺到、ファン転倒10人けが(夕刊フジ)

単なる偶然か、類は友をというのか、
私の周囲にはヨン様ファンがひとりも居ないので、
話題が全然そっちに行ったことがなく、私は全く韓流に乗り遅れていた
(そういえば、♪おこしプーでマダム~♪オーケー歯に蚊~・・・
とかいう「冬ソナ」当て字版は聴いたことがあったけど)。

今朝、主人はテレビでこの騒動を見て、
「けっ!どういうオバはんらや。国辱もんや!」
と怒っていたが、でもね、あのですね、
これ言ったら改めて怒り出すかとは思うんですけどね、
あなたの目の前にも、ひとり、似たようなもんが、
いるじゃありませんか?

私が、ポゴレリチだの、和央ようかだの、尾上菊五郎だの、
忌野清志郎だの、小倉久寛だの、南斗水鳥拳のレイだの、
その他いろいろなものに、いちいち熱中して血道をあげて来たのは、
要は、この、ヨン様に群がる彼女らの心理と
同じことではないのだろうか(^_^;)?


・南斗の男ふたたび

昨夜の発言によれば、娘は通学のとき、バスの窓からパチンコ屋を見て、
『北斗の拳』が大人気であるのを確認して知っているということだった。
では、一体、彼女は何を見たというのか。

私「みーちゃんの見た『北斗の拳』は、宿命バージョンだった?」
娘「いんや。それは無かった」
私「ほほう(まだ入れてないのか?己斐店は)」
娘「なんかね、ポスターみたいのが貼ってあって。
 みっつあったんだよ~。えっとね~、ラオウ・バーションと~」
私「うん」
娘「バトル・バージョン!・・・と~」
私「うんうん」
娘「ああ!あともういっこ、なんだっけな~!思い出せない!」
私「ユリア・バーションか?」
娘「違う、なんか、漢字だったみたいな」
私「・・・・・・・・・?」
娘「駄目!思い出せん!」

うぬの力はその程度か!(byラオウ)


追記(12月3日):娘が確認して来たところによると、
パチスロ北斗の拳に『もういっこあった』バージョンとは、
黒王バージョンだった、とのことだった。
娘は「クロオウ」と発音していたが、これは「コクオウ」と読む。
拳王(ラオウ)が、外出の際に、乗っている馬の名前だ。
この黒王があまりに忠実な馬なので、友人と私はかつて、
「ラオウと黒王はデキているのではないか」
と話して笑い転げたことがあった。娘には説明不能(不要)な話だ。

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昨日『南斗水鳥拳のレイ』の話を書いてから、
頭が『北斗の拳』モードになっていたので、
私はきょう、夕食後、主人に話を振ってみた。

私「最近、パチンコで『北斗の拳』流行ってんだよね?」
夫「おう。そうそう」
娘「そうそう!」
夫「なんで、みーこが知っとんや!」
娘「バスの中から見えるもん。己斐とか通るときに。なんとか編って」

パチスロ『北斗の拳』、宿命バージョン登場!とかか(^_^;)。

不思議なことに、自分がどうして劇画『北斗の拳』にハマったのか、
その馴れ初めが、私は今となっては全然思い出せない。
が、とにかく、80年代半ば、少年ジャンプ連載当時に、
何かの機会に私はこの作品を知り、異常にこれに熱中するようになり、
以来、コミックスが出るたびに買い、劇場版が公開されるとすぐ見に行き、
テレビアニメは毎週録画して繰り返し鑑賞し、
……というくらい、数年間は本当に夢中になって観ていたのだ。

昨日も書いたように、私の神様は『南斗水鳥拳のレイ』というキャラで、
彼が登場してから死ぬまでの40話ほどの間、私は頂点を極めつづけ、
その後は、やや沈静化し残り火のような気分で読み続けたが、
レイの次に愛していた『拳王(ラオウ)』が死んだところで、
私の『北斗の拳』は、本当に終わった。

だって。
ここまでの物語だって、実はいい加減、笑えることの連続だったのに、
このあとの話は、もうどんどんと荒唐無稽な展開になる一方で、
さすがの私も脱力してしまったのだ。

中でもいちばん腰砕けになったのが、「元斗皇拳」という拳法で、
字面の通り、皇帝をお守りする拳法だという説明だったのだが、
これがなんだか、指の先から凄い勢いで光線が出て、
ものを凍らせたり燃やしたり。
あの~、いくらなんでも、それはもう、「拳法」じゃないんでは。
っていうか、ほとんど「手品」の範疇なんでは……。

ところで、『北斗の拳』といえば、「あたたた………」
というケンシロウの雄叫び?が有名だが、
86年だったか、ニッポン放送のジャンプ系ラジオ番組の中に、
『あたた耐久レース』というコーナーがあって、
参加者が、何秒間「あたたたた」を言い続けられるか競う、
というのが行われていた。
確か、最低記録保持者は、ケンシロウ役の神谷明・本人だった(爆)。

懐かしいな~。私は、今、何秒間、言い続けられるだろうか。

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娘が習字教室から帰って来るなり、言った。

娘「きょう、教室で、話題になっていたんだけど」
私「なに」
娘「しずかちゃんの声が、あややになるらしい」
私「あやや・・・?」
娘「うん!」
私「・・・って、松浦亜弥?」
娘「あややと言ったら、ほかに誰がおる!!」

ドラえもんの主要キャスト5人が変わる、
という話は、娘の通う書道教室でも、
やはり重大ニュースとなっているらしかった。
娘らの噂話というのは、どの程度、確かなんだろうか?
まあ、本当に松浦亜弥ちゃんだろうと他の人だろうと、
そのこと自体はどっちでもいいが、
ここまで定着してしまったアニメの、キャスト交替というのは、
結局のところ誰がなっても、非常にやりにくいものだろうなあとは思った。

かつてNHKの『おかあさんといっしょ』の人気キャラクターだった、
じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり、が引退することになったとき、
局には反対(苦情?)の投書や抗議電話が相次いだ、という話だったが、
たった十年ほどのシリーズでも、そういうことになるのだから、
ドラえもんとなると、その新しいキャストは、
多分、容易なことでは受け入れられないだろう。

私「ドラえもんの声がどんなになっても、みーちゃんは観る?」
娘「ん~、声による」
私「みーちゃんの思ってるドラちゃんの声じゃなかったら、観なくなる?」
娘「うう~。でもね、きっと、観るよ!ドラえもん好きだし。
 ま、だいじょぶでしょ。
 ぶりぶりざえもんの声が変わっても平気だったんだから」

おい。
なぜ、そこで、「ぶりざえ」が出る?
そのたとえで、私から同意を得ようとしても無理だぞ。
全国民的に愛されている猫型ロボット・ドラちゃんと、
クレヨンしんちゃん限定の網タイツ豚とを一緒にしては、
やはり、いかんのではないかと思うし、
更に、私にとっては、ぶりざえは、かけがえのない塩沢キャラで、
ほかの声で聞きたいとは思えない豚だから、よけい話は複雑だ。

何を隠しましょう、私は塩沢兼人氏のことは大ファンだったのだ。
なんたって、その昔、私が好んで使ったペンネームが、
『南斗水鳥拳のレイ』、
っていうくらいだよ。

みーちゃんにとっては、有史以前というくらい古い話で、
いいような悪いようなどっちでもいいような話だろう、
とは思うけども(^^ゞ。

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数日前から気になっているのだが、
官舎の敷地内にあるプレハブの物置のうちのひとつが、
ときどき、日に何度か、少しだけ戸が開いていることがある。

物置は各戸に一区画二畳分くらいずつ与えられており、
ひとつひとつ仕切られ、戸がついているので、
常識的に考えれば、その物置を現在使っている入居者が、
ときどき、ものを取りに入って、無頓着にも鍵をかけずにいる、
ということなのだろうと思う。
が、私にはひとつ、トラウマがあって、この物置がどうにも気色悪くてたまらない。

そのトラウマとは、某県に住んでいたときのことなのだが、
やはりこういうプレハブ物置があって、そのひとつに、あるときから、
ひとりのホームレスが住み着いていた、という事件があったのだ。
某県は寒冷地手当が出るほど気候の厳しい地域だったので、
ホームレス氏も凍死しないためには必死だったのだろうと思うが、
住みつかれた側は、そりゃもう、驚いたのなんのって。

そのときも、ある物置の戸がときどき開いている、というのが話の発端だった。
閉めた筈なのに、なんで開いているのだろう、おかしいな、
と住人が、日中、戸を閉めに出ることが何回かあり、不思議に思っていた矢先、
ある日のこと、暗くなり始めた時刻に、
三階の入居者のひとりが、カーテンを閉めようと窓際に立ったら、
ごそ、と物置に侵入する人影を偶然に見たのだった。
この目撃者は、当該の物置の使用者ではなかったが、とにかく急いで外に出て、
現行犯で逮捕、・・・は、しなかったが(^^ゞ、
閉まったばかりの戸を開け、その場で、「あなた誰ですか!」。

聞けば、そのホームレス氏は、しばらく前からここに住んでいたのだということだった。
我が家とは違って(!)、その家は物置にほとんど何も置いておらず、
もっぱら、自転車置き場に使っていて、しかも鍵をかけていなかったので、
ホームレス氏にとっては、自由に出入りでき、スペースも充分で、
まことに具合が良かったようだった。
事情を聞けばお気の毒ではあったのだが、さりとて居て頂くことはできない
(そもそも、官舎のものを独断で又貸しできない・爆)。
ということで、その場で話をして、ホームレス氏にはお引き取り願った。

私はあれを思い出すから、今、窓から見える物置が、どうにも気になって仕方がない。
だけど、今夜も、やっぱり、見に行く勇気は、無い。

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携帯から。きょうの午後撮影した、原爆ドームです。

(以下は、PCから追加)
携帯からの投稿だと、カテゴリー選択は、出来ないのかな?というのが謎ですが、一応の手順は、わかりました。本当に、メールを送るのと全く同じ段取りで更新作業が出来るなんて、Blogというのは凄いツールだな~と改めて実感しました。



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「名跡最後の錦秋特別公演」で中村勘九郎が来ていたので、
広島厚生年金会館で午後二時の部を観た。

……と言うと、いかにも趣味人を気取っていて格好良いが、
私、実は、日本舞踊というものが全然わかりませんの(^^ゞ。
歌舞伎を観るのは好きだが、舞踊三れんちゃんというのは、
素養のない私にはかなりキツいものがあった。
しかも、それを知ったのが、会場に行ってからだった(爆)。
勘九郎が来る、というだけで、演目も見ずに券を買っていたので、
演しもの全部が舞踊だということに全然気づいていなかったのだ。

最初は、七之助による『藤娘』。
小さい子だと思っていた七之助も、もうそろそろ二十歳だ。
化粧した顔を見たら、角度によってはいかにも成駒屋系の目鼻立ちで、
血は争えない!と感心してしまった。
細かいところはわからないが、初々しさ十分で、
実に愛らしい藤娘だったのではないかと思う。
後半、酔ったあたりでそれなりの色気も出ていたようだったし、
何より、藤の枝を「担ぐ」という感じではなくて、
可憐に、そっと肩に置くような風情だったのがとても良かった。

次が、橋之助の『供奴』。
私は初め、幕が開いた時、どうして正面に松が無いのか?と首を傾げ、
橋之助はひとりでやるのか?太郎冠者は?と更に不思議に思い、
さんざん疑問符を飛ばしたのち、
花道に出てきた彼を見て、ハタと合点が行った。
開演前、チラシで演目をちゃんと確認したにも関わらず、
私は独りで勝手に『高坏』を見る気になっていたのだ(爆爆)。
勘太郎と七之助が小さい頃に、勘九郎と一緒に『高坏』を踊ったので、
頭がタイムスリップしていたのではないかと思う。すみません。
そりゃもう、橋之助の足拍子は見事でした。はい。

最後が、勘九郎・七之助の親子共演による『連獅子』。
今度こそ松羽目物(正面に松(^_^;))。
巴、だったか、あの、獅子の毛を豪快にふり続けるところが、
連続的で凄い迫力で、これは大いに盛り上がった。
客層はあまり良いとは思えなかったのだが、
『連獅子』のラストでは大変な拍手喝采になり、
予定外(多分)のカーテンコールまであって、勘九郎も嬉しそうだった。
長唄の面々のほうを丁寧に客席に示して、自らも拍手を送る勘九郎と、
ちょっと戸惑った様子の七之助とが、なんとも言えず、微笑ましかった。

結局、それなりに楽しい公演だった(殴)。

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・きょうの出来事
今朝9時から、佐伯区の舅宅のほうで、「町内一斉大掃除」があったので、
主人と娘と私とで、参加した。
掃除の前後、舅宅で喋ったときに、舅の薬を見せて貰ったところ、
今のんでいるのは抗菌剤のクラビットだとわかった。
コレって光線過敏症の副作用があったのか!

方針としては、肺炎治療の目的でこの薬を二週間のんだあと、
来月21日に再度CTを撮り、変化があるかどうかを見るという。
しかし、検査日は検査のみなので、診断結果を聞くのは年明けになるらしい。
なんとも、悠長な話だが、急いだから良いということも、無いのかな。

姑は、血色も良く、元気そうだった。
姑「もう、ものを言われましたか?」
私「はい、言いましたよ。きょうはお天気が良くて、いいですね~」
姑「ほんまじゃね~。手を取りんさい」
と相変わらず意味不明な会話だったが、にこにことご機嫌だった。

・ルリデンの情報
さて、ルリデンについて、あれから時々調べていたのだが(←結構シツコい私)、
あの有名な、広島で一番高いというCMの宣伝文句は、
実は、文字通り、ケーキの背丈が高いという意味だった、
というカキコがあり、少々、ショーゲキを受けた。

勿論、値段的にも昔から高かったらしいし、ごく最近の情報を見ても、
小さいケーキひとつが500円、モンブランだけが400円、とあるので、
高価だったことは間違いないようだ。
ということは、大ぶりで、しかも単価が高い、の両方の意味で、
「(背丈も値段も)広島で一番高いケーキなのよ」
という、一種の掛詞による宣伝文句だった、ということか。

さらに、広島カープが勝てないのは「ルリデンの呪い」のせいだ、
というカキコも発見し、しばらくひとりでウケてしまった。
一体、何があったというのだろう、
カープ優勝の年(っていつだっけな)に、誰かカープファンが、
ルリデンに突撃して、看板でも引っぺがして川に沈めたとか、か???
確かに、ルリデン界隈は飲み屋ばっかりだから、あり得ないこともないが、
それにしても長い長い呪いやな~~(殴)。

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