転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「購読しろ」押し売り2時間=朝日新聞販売店員を逮捕-千葉(時事通信)

主人がこの世で一番嫌いなもののひとつが『新聞の勧誘の人』だ。
東京での一人暮らしの十年間で、よほどイヤな思いをしたと見える。
私のほうはそれほどの経験はないので、忌み嫌う気はないけれど、
確かに、契約を取りたいと思うあまり、異常にしつこい人が時々いる、
ということは私も感じている。

『男性が「新聞はいいです(要らないです)」と断ると、
「ありがとうございます」と応じて揚げ足を取り』
というのは、押し売りの作法と全く同じだ。
『必要ない』のつもりで「結構ですから」と言ったのを、
契約を承諾したとわざと解釈して品物を押しつけるという・・・。

私も以前は、「地元新聞しかうちは取らないので」などと、
取らない理由を話して断ろうとしていたが、最近は面倒になったので、
必要ありませんので、お断りします
と、ドア越しに大きな声で言って拒否することにしている。
本当に、うちは一紙も取っていないので、嘘ではないし(^^ゞ。

そういえば先日、夜になってから、我が家にもA日新聞さんが来た。
A「○○さ~ん」(←うちと全然違う名字)
夫「どなたですか」
A「A日新聞で~す。○○さ~ん、集金に来ました~
夫「違いますよ」
A「えっ、○○さんじゃ、ないんですか?」
夫「○○かどうかはともかく、取っとらんのじゃ!

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リンクさせて頂いている、あけちゃん様のサイトに、
私の、今回の宙組広島公演チケット・コレクションが
掲載されているのだが(二日四公演のうち三公演分(^_^;))、
その写真を撮影したときに、私はふと、うちのBlogには、
ポゴレリチの過去の演奏会のチケット・コレクションを
UPしておいたらどうだろう、と思いついた。

だが。改めて出して並べてみると、ポゴレリチのチケットは、
だいたい、どれも、ただ横文字で彼の名前が入っていて、
あとは会場や開演時間、席番号などが書いてあるだけというもので、
写真入りのチケットはほとんどなかった。
唯一、88年広島公演だけが、写真つきで、一応カラーだった。
同じ88年でも、横浜のは文字だけの単色印刷だし、
東京に至っては当時の招聘もとに直に電話して買ったのに、
「チケット○あ」の電算チケット(^_^;)だった。

宝塚のも広島公演のチケットは随分綺麗なのだが、
ポゴレリチまで広島公演のはやっぱり写真つきだったなんて、
広島って、チケットデザインに凝る土地柄だった???

この秋の来日公演のはどうなるだろう、と僅かな期待がなくもないが、
梶本音楽事務所の過去の招聘公演はどれも同じパターンのデザインで、
今回だけ変わったチケットになるとは、ちょっと考えにくい。
しかも東京公演だけで、頼みの綱(?)の広島公演は無いし(^_^;)。

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じーちゃんには、かないません(T.T)。

私は今朝、ケアマネさんに電話を入れて、
じーちゃんが昨日、点滴だけはしようと言っていたから、
早速、手配を御願いします、と頼んだ。

ところが、それから半時間ほどして、ケアマネさんから連絡があり、
訪問看護の時間を決めるために電話したら、じーちゃんは、なんと、
わしゃ、点滴受けるなんて、言うとらん
と、けんもほろろに断った、というのだ(爆)。

あ~も~、これだから、じーちゃんは~

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娘が、学校の宿題で「家族の紹介」という文章を書いている。

おとうさんの趣味は絵画鑑賞で、時間があると美術館めぐりをします。
おかあさんの趣味は音楽鑑賞で、特に好きなのはピアノです。
ふたりは、スポーツも好きで、よく一緒に、エアロビクスに行っています。

・・・・・・・・・・(^_^;)。
嘘は言ってない、嘘は。
言わなかった事実が、いっぱい、あるだけだ

(暇さえあれば漫画読んで火サス観て、菓子食ってごろごろの父親、
趣味のためなら見境がなく、偏執狂で凝り性でブっとんだ母親、
ふたりとも太り過ぎてやむなくジムに通うハメに以下略)

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実は舅があまり元気ではない。このところの体調は一進一退だ。
ずっと自宅にいて、特に変わったことはないのだが、
私の目から見ても、2月の手術以来、体力が落ちてしまって、
残念ながら手術以前の状態に戻ることは出来ていないと思う。

ここ半月ほどの舅の苦情は、胃腸の具合が悪いことだ。
食事をすると腹痛があるし、胃液が上がって気持ちが悪いので、
食べることがおっくうで、食べていないから身体に力が入らない。
それで煙草だけ喫って臥ているのだから良くなる訳がない。
しかしここで弱ってしまってはモトもコもない。
肝心の癌のほうは2月以来、再発もなく経過しているのに、
栄養不良で体力が落ち取り返しがつかなくなったら、どうするのだ。

訪問看護による点滴は、舅が気に入らず、中断したままだし、
近所の内科医は信用できないというのが舅の持論だし(爆)、
そうかと言って、広大の主治医は、あまり深刻な事態と思わないのか、
胃腸薬をくれただけで、特に検査などの指示も出ていない。
このままでは、舅は不快症状を我慢しながら、無為に寝ているだけだ。

ヘルパーさんもとても心配してくれて、
何か栄養の補給をしたほうがと言ってくれているし、
カロリーメイトかエンシュアリキッドはどうかと私は言ってみたが、
お腹を壊すからああいうものはイヤだと舅は拒否した。
では点滴はどうかとも提案してみたが、これまた、
「点滴につながれて一時間も寝とるのは、しんどい」
ということで、却下。

私は、本当は中心静脈栄養法が良いのではないかと思うのだが、
これだと、栄養は充分だが、腕ではなく心臓に近い静脈に入れるので、
舅が嫌がるように文字通り「管つけて、つながれっぱなし」になり、
在宅で出来ると言っても、重症感があって、やはり、駄目だろう
体力が回復したらやめられるから、今だけ、少しやってみたら?
と勧めてみたいのだが、このあたりが、自分の親でないから、
正直なところ、ヨメとしては遠慮があって、強くは言いにくい(^_^;)。

仕方ないので、譲ってもやっぱり点滴だけはせねば、と考え、
私はまず、ケアマネさんに頼んで舅宅を訪問して貰った。
だが、結果は「×」だった(^_^;)。
舅は、『皆の心配は有り難いが、ワシは、点滴は、イヤだ』
と答えたそうだ。

私はそれで、このところしばらく(と言っても数日だが)考えた。
舅の希望は何なのだろうか、と。
体力を少しでも戻すことばかり私は考えているけれども、
舅は、もしかして、もはや、いかなる医療の介入も良しとせず、
自然に、消え入るように人生が終わるようなことがあっても良い、
と考えているのだろうか?

だがそれは考えにくい。
舅は、もともとそういう哲学的・抽象的な思考をする人間ではない、
・・・からではなくて(殴)、
姑のために、舅は自分が先に目をつぶる訳にはいかない、
と、今だって考えているはずだ、と私は思うからだ。
現に、自分がどんなにしんどくても、姑を特養に預けるどころか、
別室に寝かせることさえしないではないか。

で、私は結局のところ、
舅は、あまりにしんどいうえに、ものを食っていないので、
判断力がオカシくなっているのだ、という結論に達した(殴×2)。

私は主人に言った。アナタから言ってやって下さいと。
主人はさっそく電話をした。
点滴くらい、せえや!補給せんといかんやろ!?
せん言うたら、病院に引っ張って行くで!


さすがに、ひとり息子の一喝は効いたのか、
舅は、ほんなら点滴だけはするわい、と電話で答えたそうだ。
主人は更に駄目押しで、きょう日曜日、舅宅を訪ねて
(私は同行しなかった。親子水入らずのほうが良いと思ったから)、
再度、週明けから点滴治療を受けるようにとの話をして来た。

よし。
これで外堀は埋まった。
明日、私は朝イチでケアマネさんに電話して、
さっさと手配をしてくれるように言ってしまおう。
そして、舅が勝手に断ったりしないよう、
一足先に舅宅に行って、訪問看護を待ち伏せするのだ(^_^;)。

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昼顔  


小学生の頃、理科の単元で「朝顔の世話」というのがあり、
夏休み中、植木鉢を家の前に置いて、花がいくつ咲いたとか、
つぼみがついているとか、観察日記を書いた覚えがあるので、
「朝顔」のほうはすっかりお馴染みなのだが、
私は、このトシになるまで、「朝顔」の仲間の「昼顔」なるものを、
きちんと見たことが一度もなかったような気がする。

写真は近所で見かけた昼顔で、花の感じは朝顔によく似ている。
ツルがあるところもそっくりだが、葉は、朝顔より縦長に見える。
調べてみたら、「朝顔」も「昼顔」も同じ「ヒルガオ科」なのだそうだ。

「昼顔」は種がなく地下茎を伸ばしているのだそうで、
一旦生えると、駆逐することは困難であるようだ。
うちの舅には絶対に許すことのできない種類の植物だと思われる。

ちなみに「夕顔」だけは科が違っていてウリ科だということだ。
私はこちらのほうは直接見たことをはっきりと記憶している。
私が小学生の頃、母方の祖母が園芸に凝っていて、
玄関の脇に夕顔を植えて大切にしていたものだった。
白い、大ぶりな花が咲いていたことを覚えている。
咲いたから見ろと言われて、外に出て眺めたこともあった。

ただ夕顔は、かんぴょうのモトになる植物であるせいか、
甘い独特のニオイがするから虫が付いて困る、
と祖母がぶつぶつ言っていた記憶がある。
ぼんやりと優雅な花だったけれども、世話は難しかったようだ。

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主人の、しばらく使っていなかった銀行口座から、
現金を引き出す必要があり、きょうは地元の地銀に出向いた。

ATMに直行し、さっさと「お引き出し」して終了、
・・・のつもりだったのに、暗証番号を入れる前に、画面は、
『このカードは お取り扱いできません』。
久々だったためか、カードの磁気部分がお亡くなりになっていたのだ。
窓口で尋ねてみたら、再発行の必要があるという。
しかもすぐには出来ず、のちほど自宅宛に郵送になるとのことだった。
で、仕方なく、渡された書類に宛先住所を書こうとしたら、これがまた、
口座開設が三年前で、今と違う、旧棟の住所で登録されていた。

私「実は引っ越したんですよ。まだ銀行のほうの手続きはしてないんですけど。
 でも、このまま旧住所宛に送って頂くというのでも、うちは、いいです。
 郵便局に転居通知は出してあるので」
係「それだと、転送不要の配達記録で行くので、戻って来てしまいます」
私「そうなったら、こちらまで自分で取りに来たら駄目ですか?」
係「郵送のみとなっております」

で、またも仕方なく、銀行のほうの口座の登録情報を変更することになった。
ところが、この書類を書く段になると「印」欄があり、私はハタと困った。
実は、届け出印がどれなのか、我々夫婦は既にわからなくなっているのだ
(主人が昨夜、そう言ったから、きょう私はカードで出そうとしたのだ)。
以前なら通帳を見ればわかったものだが、今はその記載が廃止され、
どの印を使用したのかわからないようになっているから、お手上げだ。

私「すみません。ハンコ、どれ使ったかわかりません」
係「ご主人名義ですよね。御本人様に来て頂かないことには・・・」
私「じゃ、印鑑紛失届を出して、新しいのを登録します」
係「ではこちらの書類になります」

住所変更、届出印変更届・紛失届、等々で書類は5枚になった。
いちいち、住所氏名その他の登録内容を書くようになっている。

係「こちらのお手続きも、御本人様に直接おいで頂かないと・・・」
私「私が家族であることは証明できますが、・・・・駄目ですよね(^_^;)」
係「申し訳ございません。御本人様のみとなっております」
(↑結局、一事が万事「御本人様」のみなのだ(--#))
私「ですが、銀行の開いてる9時から3時は本人も仕事中なんで、
 どうやっても、直接出て来ることは無理なんですが」
係「ではご自宅で御本人様にご記入頂き、御本人様のお顔が確認できる、
 写真つきの身分証明書を添えて、こちらまで代理の方がご持参下さい」

そんなもん、ご自宅で御本人様の奥様が勝手にご記入になっても、
銀行側にはわかりゃしないんじゃないか?そんなことでいいの???

もう、こんな煩雑なだけの形式主義はやめにして、
なんか、こう、リスクは客側の自己責任ってことでいいから、
もっと簡便な手続きで出し入れ出来る制度をひとつ設けてくれないかな。

「1円や5円の利子つけて貰うために、毎回、何百円もバス代費やして、
銀行に行って不便な手続きしてようやく出して貰うなんて、アホや。
自分の金、出し入れするのに、なんで他人様の許可が要る?
第一な、銀行はつぶれたら皆パアや。箪笥預金に勝るものはないで」
と、我が祖父が言い暮らしていたものだが、
私は今になって、祖父の言は正しかったかもしれないと思い始めている。

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娘の話によると、きょうは学校で聴力検査があったそうだ。
結果はまだ渡されていないというのだが、
「♪歩みの のろい ものわらい」(♪もしもしカメよ)
と歌う娘の聴力に、果たして異常がないのかどうか、注目される。

さて、聴力検査は、どなたも何らかの経験がおありと思うが、
通常、オージオ・メーターという装置を使って行われる。
高い音から低い音まで、いろいろな周波数の音を機械から流し、
検査を受ける人はヘッドホンをしていて、それが聞こえたら、
手元の装置のボタンを押す、というものだ。
音は始めは小さく、徐々に大きくなるので、
一定基準値以上の大きい音量にならないと聞こえないようなら、
難聴などの異常が疑われる。
日常生活で聞こえが悪い等の自覚がなくても、精密検査を受けると、
案外、特定音域だけの難聴が見つかることもある。

・・・・という、外科的侵襲のない便利な検査ではあるのだが。
これが、なかなかどうして、慣れない者には難しかったりするのだ。

かつて私の母は、度重なる目眩に悩んで耳鼻科を受診し、
かなり精密な聴力検査を受けたことがあるのだが、
何度も繰り返し音が流され、『今聞こえるか!今か!今か!』
と物凄く精神統一してヘッドホンに耳を澄ませていたら、
母はついには、途中でクラクラして来て、気分が悪くなったと言っていた。
目眩で受診して、さらに目を回していたという・・・。

そういえば、娘が聞いてきた話では、以前の五年生の中に、
どの周波数の音にも全く反応しない人がいたのだそうだ。先生が、
「どうしました?何も聞こえて来ませんか?」
と尋ねたら、その児童は困った顔をして、
ピーという音以外、何も聞こえません
と答えた、とのことだった。

これと似た話なら私自身も経験があって、
二十歳くらいの頃、耳鳴りが気になって耳鼻科を受診したときに、
やはり聴力検査でかなりな勘違いをしでかしてしまったことがある。
そのとき、検査担当の看護師さんが、
ピー、という音がしたら、手元のボタンを押して下さい
と言ったので、私は頷いて、耳を澄ませ、「ピー」を待っていた。

しばらくして、看護師さんが血相を変えて操作室から出てきて、
「どうしたんですかっっ?全然、聞こえてないんですか!?」
と私に訊ねた。私は真面目に答えた。
ボーボー、っていう音はするんですけど、ピーって言わないです
看護師さんは、一瞬、私の顔を見つめ、それから憮然として言った。
「じゃ、その『ぼーぼー』が聞こえたらボタン押して下さいっ(--#)」

私は、その低いボーボーという音が、どこかでピーに変わる、
という検査かと本気で思っていたのだ。
低い周波数から順に検査する、って最初に言ってくれないと困るよ(^_^;)。

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今朝、家族が観ていたテレビで言っていたのだが、
1人の女性が一生に産む平均子ども数である合計特殊出生率が、
2004年は1.28、過去最低を更新した、ということだった。

うちも一人っ子だから、私も合計特殊出生率を下げている側だ。
例えば先祖のタタリが怖くて娘を一人っ子にしたのではないのだが
(舅・主人・私・娘、と、我が家では家族5人中4人が一人っ子だが、
これは家の伝統でもなんでもなくて、本当にただの偶然だ)、
強いて言えば、転勤族の核家族(当時)で、自分だけで育児をするのが、
非常にしんどかった、のが第二子を躊躇した理由だ。
前にも書いたが、本当に、顔が長くなるほどつらかったのだ(T.T)。

少子化問題を解決するにはどうしたら良いか、について、
私はさほど深く考えてみたことがある訳ではない。
ただ、私は姑の介護をするようになってから、
介護保険だけでなく「育児保険」みたいなものがあったら、
転勤先でも二人目育児が出来たのでは、と、ちらりと思ったことがある。
保育園の充実とかいう局所的な改善だけでなく、
家庭生活も込みでバックアップする制度が良いのではないだろうか。

ときに、きょうは、宝塚宙組全国ツアーの島根公演が行われている。
今朝、島根県民会館楽屋入りのときに、和央ようかが、
『お城があるね~』と松江城を見ながら言ったそうだが(@某情報)、
彼女が見たであろう光景を、私は今も、まざまざと思い描くことが出来る。
松江市内のあちこちに、娘をバギーに乗せた私の思い出が残っている。
松江城も、その御堀端も、武家屋敷も、そして勿論、県民会館も、
すべて、超寝不足の気分とともに、私には生涯、忘れられない風景だ(^_^;)。

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恒例、官舎の奥様たちとお食事会があった。
今いる官舎では、歓迎会・忘年会・送別会、と、
一年に三回、こういう会が催されることになっている。
今回は某ホテルの最上階でライチ・バイキング。
となりの棟の某夫人と私とが幹事だったので、
滞りなく昼食会が出来るようにと、少々緊張した。

例によって、過去に体験した官舎がいかにヒドかったか、
という傷自慢で話が盛りあがってしまったが、
今回の収穫は、鹿児島の官舎が大変綺麗だということと、
松江の官舎も最近、改装されて少なくとも見た目はOK、
というのを経験者から聞けたことだった。

それと、私と同じ棟の、隣の部屋の奥様が、
先日、我が家同様「動く極太毛糸」が出た話を披露して下さった。
なんでも、ご主人が就寝前にいきなり奇声をあげられ、
「何を酔っぱらっているのかしら」と奥様が首をかしげ、
「お父さん、狂ったんかね?」と娘さんがいぶかり、
母娘で連れ立ってご主人のお部屋を覗いたら、なんと、
枕の上で、10センチほどの極太毛糸がうねっていたそうだ。
ご主人は眠ろうとして枕に頭をつけた途端、
首筋にさわさわと触れるものがあり、
「んっ?」と体を起こし、「んぎゃ~~~!!!
という騒ぎだったのだそうだ。

皆の体験談を総合すると、一階の部屋では大抵、
床や布団の上に極太毛糸が丸まっており、
三階の部屋の場合はこれが天井からパラリと落ちて来る、
のがよくあるケースだということだ。

そしてどこの家でも、これの処理係は奥様だということだった。

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