転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



伯母(父の姉)が一昨日亡くなり、きょう、葬儀があった。
伯母はいろいろと持病はあったが、比較的元気な晩年だったし、
数年前に未亡人になり、近年は気ままな独り暮らしだった。
喪失感はたとえようもなかったが、
「歳に不足は無し、こういうものは、順番じゃから、ね」
と親戚の皆が言った。

伯母は少し前から入院中だったが、容態は安定していたので、
文字通り急変して亡くなったとのことだった。
突然にではあったが、考えようによっては苦痛もほとんどなく、
皆が、あやかりたいような最期でもあった。
朗らかで、サバサバした気性の伯母は、最後に至って、
『もう、いっか』とばかり、サッサと逝ってしまったみたいだった。

実家から連絡を貰い、時間通りに葬儀場に行ったら、
式場出入り口のところにうちの父がウロウロしていて、
「おかーさんが、トイレ入ったまま、まだ出て来ん」
と開口一番、言った。
うちの母はもともとあまり元気なほうではないので、
もしや、こんなところまで出てきて具合でも悪くなったのか?
と私は内心、焦ったが、
「やたらと着込んできて、中で着付けに手間取っとるんでないの」
と一応、あたりさわりのない返事をしながら式場に入ったら、
向こうのほうに母がいた(汗)。
母はニコヤカに、周囲の親戚の誰彼に挨拶をしていた。

私「おる」
父「あ。おった。いつの間に出てきたんかね」
私「・・・・(-_-)」

ったく、80過ぎのおじーさん・おばーさんなので、
うちの両親にも困ったものだった。
いや、考えてみると、うちの親だけではなかった。
集まった親戚の誰もが、十年以上会わないと変わり過ぎていて(爆)
お互いに一から名乗らないと、誰が誰だかわからない有様だった。
と思ったということは、私自身も変わり果てていたということだ。
「あら!あなたは、えーっと、よしこちゃん!?」
と見事アテてくれた高齢の婦人は、私の「父方の祖母の姉の長女」だった。
「ご無沙汰致しまして」「こちらこそ」「このたびは」「このたびは」
とワケのわからぬ口上を交わし合った背の高いオジさんは、
私の「父方の祖父の妹の娘の次男」だった。

いつの日か、この、親戚相関図がわからなくなったら、
私はボケたということなのだろう、と脈絡もなく思った。

読経を聴きながら、伯母とのいろいろなことを思い出してみたのだが、
記憶の中の伯母は、いつも笑っていて、楽しそうだった。
うちの田舎の秋祭りが大好きで、伯母は例大祭に合わせて里帰りし、
うちに何泊かして行ったことが、よく、あった。
あの現代の秘境のような実家は、伯母にとっても実家だったのだ。
そして、小学生だった私たち子供らと、伯母は、
一緒になって夜店を覗いて遊んだ。玩具も買ってくれた。
伯母が、鯛焼きを大人買いしていたのは、
幼かった私には強烈な記憶だった(苦笑)。

伯母は、八十代半ばまでそれなりに元気で、子や孫に恵まれ、
ご本人にしかわからない苦労はあったことだろうとは思うが、
少なくとも傍目には穏やかで温かい老後だった。
親族や関係者が皆、元気で、揃って伯母を見送れたことは、
幸せだったと言うべきだろう、と、思った。


おばちゃん、行ってらっしゃい。
この世の縁は、ひとまず終わってしまったけれど、
また会いましょう。

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