転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



娘の小学校で運動会があった。

娘は6年生なので、いろいろと係の仕事もあり、
きょうは朝6時過ぎの、始発のバスで登校することになっており、
お陰で私もお弁当作りのために4時半起きだった。
娘の学校は、児童と保護者のテントは完全に別で、
昼食時間も、児童らは親とは会わず教室でお弁当を食べるので、
朝のうちに作って渡しておく以外になかったのだ。

朝の5時に出来たお弁当を昼の12時までとっておくなんて、
『調理後2時間以内に食べる』という食中毒予防の鉄則から、
あまりにも大きく外れているので不安で、保冷剤を入れておいた。
今夜8時半現在、娘はなんともない様子なので、
とりあえずお弁当は無事だったようだ。よかった(^_^;)。

運動会では、出場する競技のとき以外にも、
娘は審判係として、フィールド内を走り回っていたが、
遠目で見てもひときわ体が大きいので、
「あ、みーちゃん(^^ゞ」
と、どこにいるかすぐにわかって、便利だった。
ピストルの『たまこめ』作業をしているときなんて、
隣の同学年の男子と較べても、娘のデカさは、
『一般人と女子レスラー』というくらい際だっていた。
……背はどうしようもないが、せめて痩せて細くならないと、
彼女のこれからの青春は暗いかもしれない(爆)、と思った。


ところで、きょうの運動会で、
学校の校舎には、何か、運動会の標語らしきものが
垂れ幕みたいに下げてあったのだが、それが最初、

カつく しぜんカて

としか見えず、私は「かつく?しぜん?かて?」と疑問だった。
しばらくして、それが、

力尽くし 全力で

という意味だとわかった。
この時期の1年生の漢字学習に合わせて、
『力』だけは漢字にした、というレイアウトだったのだろうが、
できれば文節の区切りはちょっと空けて欲しかったし、
漢字なら『力』の字だけもっと大胆に大きくするとか、あるいは、

ちからつくし ぜんりょくで
と全部ひらがなにしたほうが、まだわかりやすかったと思うな~

いやまあ、みーちゃんの母が読んでわかりやすいかどうかなんて、
誰も問題にしてないわけだが(逃)

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昨日の塾の保護者教室での話を、自分が忘れないために
書き留めておきたいと思う。
娘がお世話になっている塾は、地元中学入試専用の塾で、
全国展開ではなく、もともととても家庭的なのだが、
昨日の話も、今の時期の私にとってはなかなか良いものだった。

冒頭、塾長先生が、
「夏休み前の保護者教室で、確か、『夏休みがすべて』という
話をしたかと思いますが、……あれは全部忘れて下さい
と仰ったので大笑いだった。
日々新たな我々は、不都合なことは水に流して、前進あるのみだ(^_^;)。

********

・9月や10月は、子供には、まだまだ切迫感がない。
たかだか12年しか生きていない小学生にとって、
100日というのは、大人が考えるより、ずっと長い年月に相当する。
二学期の初めには、親だけが一方的に焦るが、まだ先は長い。

・塾がない日の家での勉強時間は2時間前後が良い。
3時間を超えてやっているとしたら、小学生には無理がある。
睡眠時間を犠牲にして長時間やる勉強方法は、改めること。

・各科目、苦手対策を心がけることは常に必要ではあるが、この時期は、
そのための時間を取るより、むしろ「まんべんなく」を重視すること。

・12月の初めから冬休み講座にかけては予習の要らないカリキュラムなので
時間はそこでたっぷりと取れるから、理社は冬から集中すれば取り返せる。
正月特訓も当教室では例年、おこなっていないので、
各自、自宅で休養を取り、体調管理を重視して勉強すること。

・苦手科目ほど、使用テキストの数を絞る。塾テキストだけで良い。
塾テキストも基本問題を中心に。発展問題は得意科目だけやる。
問題を数多く解くよりも、基本的なものを繰り返して身につけるように。
新しい問題をやったせいで、せっかくわかりかけていたことに混乱を来す、
という失敗を、苦手科目ほどしやすい。手を広げないこと。

・過去問は冬休み講座で本番さながらに時間を計って解くので、
先回りして今、解かないで、塾で扱うときまで残しておくように。

・合格のために必要なことは「基本を」「ていねいに(=ミスをしない)」。
6~7割の得点で充分に合格できることを忘れないように。
しかも合計点で競うのだから、科目ごと・単元ごとの苦手にばかり
心を奪われて偏った勉強をしないように。

・何より大事なのは、今こそ初心に返り、
『なんのための中学受験だったか』を思い出すこと。
不合格だったら失敗、という受験ならしないほうがマシ
中学入試は、客観的にみれば、人生の、小さな通過点に過ぎない。
目先の合否ではなく、将来伸びて行くための心身の力を、
この受験体験を通して得た、という結果になるように。

********

私の見るところ、娘の最大の欠点は「ザツい」ことで、
字が不揃いで汚いし、計算も速いのは良いが間違いだらけだ。
「積み木を上へ上へと積むときに、たとえストレスはたまっても、
ある程度、ゆっくり、そっと、丁寧にしないと、崩れるだろう?
乱暴にサッサとやったら、偶然にバランスが取れたときは良いが、
大抵、いくらも積まないうちに、がらがら崩れて台無しになるよね。
みーちゃんに必要なのも、そういう、我慢して丁寧に積む行動だよ」
と言ったら、娘は、
「そうか~~。今の、すごいよくわかったよ、おかーちゃん!」
と納得していた。
だが、十分後、彼女はテレビを観ながら「ケケケ」と喜んでいた。
きゃつはきっと、次のテストでも判読不能な字を書くんだろう(--#)。

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多忙だったorz

朝から佐伯区の小学校で運動会の準備とテント張りの作業、
午後は西区横川のホールで塾が開催する保護者教室、
夕方は私用で中区八丁堀まで一時間ほど出かけ、
夜には塾から帰ってくる娘を迎えに南区の広島駅まで。

合間に銀行に行ったら、残高が限りなくゼロに近くなっていた。
お陰で、なんと、今月は塾の月謝とスポーツクラブの月会費が、
落とせていなかった。あああ、滞納してしまったのだ(T.T)。
わかっている、この夏にエアコンを買ったのが響いているのだ。

仕方がないから、せめて冬にむかって緊縮財政で行かねば。
たかこ(和央ようか)さんが退団してくれていたのは幸いだった(殴)。
ポゴレリチが来日していないのも、とても良かった(蹴)。

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最近の娘と私の大ヒットは、石川優吾の漫画『カッパの飼い方』だ。
数年前、娘はCSのアニマックスで放映していたこの作品を観ていたし、
それ以前に、私が石川優吾の『どりる』を愛読していたので、
この作者も作品も、我が家では既に、ある程度、馴染みだったのだが、
このほど、カッパのDVDを買って、改めて通して観てみたら、
これが、なんとも面白くて、母娘ふたりして、ハマってしまったのだ。

娘のほうは、かぁたんが可愛い可愛いと言って喜んでいるのだが、
私は、それ以上に、屈強な大人カッパであるヘラクレスに、
とても心惹かれるものがあった。で、調べてみたら、
声優さんがプロレスラーの高山善廣だった。
そうかそうか。私は、こっちの香りにシビれたのか(^^ゞ。やっぱりな(爆)。

そういえば、仮装ぴあにすと様のblogに幼稚園入園に関する話題が出ていて、
それで思い出したのだが、娘が最初に通った幼稚園というのは、
今にして思えば、私がマッチョ趣味を最大限に発揮して選んだところだった。
だって、園長先生が国士舘大学卒で、元アマレス選手でいらしたのだから。
園児はみんな呼び捨てで、礼儀にもビシバシ厳しい幼稚園だった。

という話をしたら、仮装ぴあにすと様いわく、
格闘技系幼稚園というのもあるんですね」

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今朝7時過ぎに地震があった。
あとで聞いたら震度3だったらしい。

揺れたその瞬間、私は、着替えをしていて、
下を向いていたので、咄嗟に地震とはわからず、
自分が目眩に襲われているのかと思った。
筋腫のせいで貧血になりやすいのは自覚していたが
ついに目眩を起こすほど鉄欠乏が進んだか!
もっと食生活に気をつけて、ヒジキでも食べるべきだった!
などと、ほんの二秒ほどの間に考えて反省までしていた。

が、俄に廊下を、主人と娘が右往左往し始め、
「揺れとる、揺れとる!」
とふたりが騒いだので、初めて、地震だったと知った。
新築のマンションが、めしめし!と音を立てて揺れていた。

揺れは十秒ほども持続したかどうかという程度で終わったが
あんなにハッキリと揺れるなんて、
やっぱり、このマンションは耐震構造になってなさそうだった。

しばらくして、ふと心配になり、
実家のほうはどうかと電話してみたら、
母が、「地震?そんなに揺れた?」と怪訝そうだった。
無事で何よりだったが、実家はろくに揺れなかったらしくて、
母の反応は心外だった。
いくらうちが五階だからって、築百年のオバケ屋敷にも劣るのか。

私「保険、入っていたよね(^_^;)?」
夫「入っとったはず」
私「火災だけじゃなくて、地震の特約もつけたよね(^_^;)?」
夫「・・・多分。・・・・わからん。ケチったかも」

物件が物件なら、住人も住人(--#)。

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娘が、「なんか、いい駄洒落ない?」と言った。
何に使うのか、彼女は説明しないのでわからなかったが、
私は、思いついたものを言った。

ありのままに生きようとしたアリ、ってのはどう?」

ナニゲなく言ったのに、これがなぜか娘にはオオウケした。
こんなにウケるとは、言った私のほうが思っていなかったほど、
娘はしばらくキュウキュウと笑って立ち直れなかった。

私「知らない?これ、元ネタがあるんだよ」
娘「知らない知らない知らないっっっっ」

だが、よく考えてみたら、私の思っている元ネタとは、
あのねのねが1980年に出したレコード『みかんの心ぼし』で、
そんな大昔のもの、娘は知るワケないのであった。
これ、確か同名のミュージカルもあったような記憶があるのだが、
私の覚え間違いだろうか。

レコードは、まともにメロディがついているのはサビの、
♪みかんの こころぼし~ 見えてきた~
♪みかんのこころぼしは 青春だ~
のところだけで、あとは全編、シュールな駄洒落で構成されていたのだが、
私が娘に言ったアリの箇所は、中でも一番長い時間を費やして展開された、
最も腰砕けなギャグだった。


『ありのままに生きようとしたアリは・・・
ありのままに生きようとしたアリは・・・
ありのままに生きようとしたアリは・・・
ありのままに生きようとしたアリは・・・
ありのままに生きようとしたアリは・・・
ありのままに生きようとしたアリは・・・

・・・とリフレインが最後は絶叫のようになって行き、




『ありのままだった』

で終わる。
今の私はもう、可笑しくもなんともないのだが、
娘のまっさらな頭だったら悶絶モノかもしれない。
あのレコードはまだ実家にあったと思うので今度聞かせてやろう。

ちなみに私は、この歌のことより、今は、
甲本ヒロトがかつて「あのねのね事務所」に所属していて
原田伸郎の鞄持ちをしていた』、
という話が本当かどうか、知りたい(爆)。

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またしても、『見たら絶対しろ』というバトンを拾ってしまった。
『この話を聞いた人はみんな、呪われるんだからね』
などという注釈が最後に出る怪談をうっかり聴いてしまった気分だ。

ということで、「絶対しろ」が困る人は、ここから下を見ないように。

・・・などと前フリつけるのは本来が邪道で、
いきなり見せて、有無を言わせず書かざるを得ない状況に追い込む、
というのがこの種のバトンの楽しみ方だとは重々、承知しているのだが、
そういうことを他人に対して自分がする、というのが、
私は、いかに遊びといえど、元来、好きではないので。
一応、私のところでは、こうして一段階、置かせて頂いています(^_^;)。
勿論、楽しく拾って下さる方は、どうぞよろしくお願い致します。


*******

★★見(ちゃっ)た人は絶対してください★★
〇携帯電話の「あ」から「ん」までを入れて
でてくる予測変換ワードを書いてください
〇あなたのプライバシーがだだもれです。(笑)

*******

あ:愛人
い:家
う:海
え:遠足
お:多くて
か:会
き:聞かせて
く:苦情
け:掲載
こ:公開
さ:サイト
し:写真
す:水路
せ:成績
そ:そのあとに
た:大変
ち:地底
つ:着く
て:添付
と:到着
な:中
に:日記
ぬ:抜いて
ね:ねこ
の:ノート
は:拝見
ひ:引きずり
ふ:不便な
へ:ヘラクレス
ほ:ボウズ
ま:間
み:みーちゃん
む:迎えに
め:メール
も:もうじき
や:山口
ゆ:夕食
よ:余計な
ら:来日時
り:隣家
る:る
れ:轢死
ろ:ロシア
わ:わかりました
を:を
ん:ん

*******

「愛人」「ボウズ」「来日時」はポゴレリチ関係、
「成績」「みーちゃん」「迎えに」「夕食」は娘関係、
「ヘラクレス」はカッパ関係(@『カッパの飼い方』)
「轢死」はゴキ男関係である。

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<子猫殺し告白>坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府(毎日新聞)

『直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した』

自分の飼っている雌猫に、避妊手術を受けさせず、
生まれた子猫をがけから放り投げている、
と告白した坂東眞砂子氏のエッセイは、私もネットで読んだ。
そこまで自説を通すなら、そもそも雄猫だけ飼ったら?
と実は思ったのだが(殴)、茶々を入れるのはともかくとして。

私は坂東氏が改めて説明しようとしている事柄に、
まったく賛同できないし、納得もできていない。
というか、子猫を「処分」する彼女の行動の是非を問う以前に、
彼女がそういう自分の行為を新聞という場で文章にし、
公にする道を選んだこと自体、根本的に不可解なことだと思っている。

彼女の言っていることは、深い心の闇の話として秘められるべきことで、
公にして人々に釈明したり理解を求めたりするのは、間違っていると思う。
彼女の文章は、理論的に納得しようとして読むと矛盾が多過ぎるし、
何が書かれているのか強いて説明しようとするなら、
「つまり坂東眞砂子個人の、その場その場の気分の問題」
としか言えないと私には思われる。

例えば、『もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう』
などと彼女は書いているのだが、それなら坂東氏は、
自分の嬰児を取り上げられ、崖から放り投げられることには、
生物の本能として「私は絶対に嫌だ」と絶叫しないのだろうか。

また坂東氏は、避妊手術というものには、
『高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある』
として拒否感を持っているのだが、生まれた子猫を殺すほうの、
「高等な生物である坂東氏が、下等な生物である子猫の命を管理する」
という行為については、『それはつらくてたまらない』にしても、
まあ結局は許容範囲、ということなのだろうか。

あるいは、話の発端になった『子猫殺し』のほうでも、
避妊手術を受けさせずに生まれた子猫を始末することを、
『私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した』
と彼女は説明しているのだが、これまた随分と恣意的な話ではないか。
発情や交尾、出産までは猫の本能そのままを維持することに固執するのに、
授乳や育児に関しては、一方的に人間の都合優先で断ち切る、
という決定については、彼女の感覚の問題以外になんら根拠が無いからだ。
出産を終えた母猫は、乳が張って来ると子猫を求めて鳴くはずだ。
坂東家の猫たちは鳴き続けなかったのだろうか?
この段階になると突然、「社会に対する責任」が重要になり、
母猫の「生の充実」のほうを否定できるようになるのは、
坂東氏の都合とか、気分の問題でしかないと私は思う。

坂東氏の話は、私の理解した範囲では、極めて個人的な、
元来は説明不能なほどの、自己中心的な感覚の問題だと思われる。
「猫に避妊手術を受けさせることにはひどい抵抗感があるが、
生まれた子猫を殺すことならできる」、
というのは、坂東氏の主観的感覚世界の中でのみ成り立っている話であり、
新聞などという場で、他者に訴えたり、『真意』を語ったりして、
妥当性を説いてまわるような種類のものではないと思うのだ。

そのことは、最初の『子猫殺し』の文章の中では
『愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない』
という言い方で、御本人も認めていたはずだ。
「どのみち人間の得手勝手で生き物を飼うのだ(と自分は思う)から、
バースコントロールに関しても、私は私の思い通り、得手勝手を通す」、
というあたりが、坂東氏の基本的な立場だったのではないか。
なのに、避妊手術を否定する社会的思想か何かがあるかのように書き、
『子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ』
などと、まるで、自分のしている子猫殺しのほうが、
厭なことから顔を背けない、マシな行為であるかのように言うから、
話がおかしくなって来るのだと私は思う。


そういえば、かなり以前、誰の文章だったかも忘れたのだが、
有名人で愛猫家の方が、自分の猫に避妊手術を受けさせる際、
ごく親しい獣医さんに、特別に頼み込んで、
ホルモンの分泌を維持して、発情もできるようにしてやって、
ただ受胎が成立しないようにさえしてくれればいい、
と言った、という話を読んだことがあった。
具体的には、普通のやり方で子宮や卵巣の摘出をするのではなく、
ただ卵管だけ、縛るか切断するかして欲しい、という要望だったと思う。

確か、頼まれた獣医さんはシブい顔をして、
猫の卵管は細すぎるから、それは難しいですよ、
と言いながらも、希望に添うかたちで手術してくれた、
という話だった筈だ。

うまく行ったのかどうか、その後のことは覚えていないが(^_^;)。

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佐伯区のほうの子供会行事で、きょうは梨狩りに行ってきた。
朝の集合が早かったので、昨日は舅宅に泊まった。


・・・ということで、この二日、バタバタしていましたので、
掲示板やメールなど、ほぼ放置状態で、本当にすみません<m(__)m>。
カキコミ、メール等、お送り下さった方々にお礼とお詫びを申し上げます。

また、のちほど参ります。

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昨夜、娘がテレビで金スマを観ていたら、
武田久美子さんが映っていた。相変わらず本当に美しかった。

小さい頃から美少女で、モデルとして大活躍だった彼女は、
ほかの子供たちに較べて破格に多額のお小遣いを貰っていたそうだ。
小学生の頃からブティックに行っていて、
気に入った洋服を手当たり次第に何着も購入したり、
お菓子についているクジの「当たり」を手に入れるために
一万円出して、そのお菓子を箱買いしたり、
等々のエピソードが紹介されていた。

それを見た娘が言った。
子供のときから大人買いしとったんやね」

そして、そうやって洋服をいくらでも買うことのできた彼女は、
大変に衣装持ちだったので、
学校へも、毎日、違う服を着て行っていたということだった。

するとまた娘が言った。
毎日違う服?私もだよ??

ちゃうって
キミのは、毎日、「昨日と違う服」を着て行っているだけだ。

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