転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



先月、見積もりして貰った『広島市固形状一般廃棄物収集運搬業の許可業者』さんに
17日朝、両親宅にて、粗大ゴミその他の搬出をやって戴いた。
9万円の出費は、痛くなかったと言えば嘘になるが、
たまりまくった正体不明の大量のモノというモノを、
綺麗さっぱり運び出して、入居したてのようにして戴いたことは
私にとって金額以上の価値があった。
ゴミ屑だけでなく、賞味期限切れの食品、冷凍冷蔵庫の中身、
自力では処理の難しかったスプレー缶のいろいろ、等々を
業者さんにすべてお任せできたことは、本当に有り難かった。

ゴミ山を構成していた一点一点まで隈無く点検したわけではないので、
両親しか知らない、何か物凄い貴重品があった可能性も皆無ではないが、
それはもう、私には関わりのないことと割り切るほかないだろう。
私は18で家を出て以来、そうしたものどもと無関係に暮らして来たのだから。
さぁ、これでやっと、数十年越しの意味のわからない屑の山と、
異臭の染みついた衣類や家具やガラクタを一掃することができた。
広大な田舎家の、ほんの、一角だけだけどもよ(^_^;。
何であれ、家の主であった夫婦は既に老いて、現役を退いたのだ。
彼らに愛されたものたちも、これにて、さようなら。ありがとう。

業者さんの作業のあと、かねて約束していたダス○ンさんに
DKとトイレと寝室の清掃の見積もりをしに来て戴き、
これまたどうにか予算内に収まりそうだったので、即決した。
作業日は来月以降になる予定だが、
もう腐敗するものや非衛生的なものは残っていないので、
別に焦る必要はないと私は思っている。

…………のは、良かったのだが、この一連の作業で、私は腰をヤってしまった。
15日(水)から腰に違和感を覚え始め、17日(金)にハッキリと腰痛になり、
昨日18日(土)は朝から痛くて、鎮痛剤をのんで仕事に行った。
そして昨夜8時半から爆睡したのだが、今朝は痛すぎて、まともに歩けない。
室内の移動はできるが、腰をまげたおばーさん状態である(T_T)。
じっとしているとさしたる苦痛はないのだが、
僅かでも動いて体に力が入ると、うっっ!と痛いポイントが多数あり、
痛み止めとシップ薬で手当てしているが、急にはどうにもならない。

そもそも12日(日)に、実家と神社の関連の仕事があったときに、
父の寝室の清掃作業に備えて、前から積み上げてあった古い布団を、
何組か、次々と抱えて、奥の和室に移動させたのだが、
そのときに、「重いな、マズいかもしれんな(^_^;」という感触は、若干あった。
それから徐々に、腰痛が出て来て、加速度的に悪化して今日に至っている(^_^;。
痛すぎて外に出たくない状況なので、整形外科などには行ってみていないが、
ぎっくり腰の類いか、前々からあるヘルニアの悪化か(涙)。
「急に来た病気は急になおる」
という我が祖母の教えを信じて、とりあえず安静にするのみ。検索してみると、
『3日は激痛、一週間で軽快、一ヶ月でほぼ完治』
が急性腰痛症の典型だそうだ。

やはり、家は定期的に整頓すべきものだな、と主人が言った。
全くだ。ためにためたものをどうにかしようとすると、体を痛める。
私は尚一層、自分のマンションの整理整頓を重視して行きたいと思った。
今回の処理業者さんも、
「今後ともよろしくお願い致します!」
と言って下さったことだしな(^_^;、片付けるぞ、これからも。
私がキモちよく暮らすためにも、そして娘を急性腰痛で困らせないためにも!

思えば、昨年7月半ばにウィルス性胃腸炎で寝込んで以来、
この10か月というもの、私は、体調不良などほとんど経験していなかった。
相当に疲れが溜まっている自覚はあったので、
そろそろ何か来る、という覚悟はしていた。
よもやそれが腰痛で動けなくなる状況だとは予想できていなかったが、
とにかく休息せざるを得ないことになった。
幸い、今日と明日は何も予定を入れていない。
もともと二連休のつもりだった。
寝るぞ。最低限二日間、何もしない。
それで明後日はどうなるか、The day after tomorrow is another day!

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母の日のカーネーションを、実家母に贈り、自分用にも買った。
母の分は、某ホームに直接送るようにしてあるので、
多分、きょうは受け取ってくれている筈だ。
(後日記:2日後「大輪のカーネーションをありがとう」と母から電話があった。)

今年は、いつも買う「連休の花」は無しにした。
なぜならば、主人と娘とで小樽~余市~札幌の四泊五日の旅行に出たからだ。
東京在住の娘のために羽田発着にしたので、
主人と私には、東京での前泊・後泊もあり、
全部で六泊七日を今回の旅行関係に費やすことになった。
ツアコンころもんがすべて手配して、楽しい北海道旅行になるようにと
あれこれと工夫をしてくれたし、忙しい娘もこの旅行のために、
彼女の休暇のうち五日間を割いてくれた。
社会人になった娘と再び旅行に出られるなんて、
これほど長い時間を一緒にいられることがもう一度あるなんて、
私はついぞ、思ってみたこともなかった。
綺麗な景色を眺め、美味しいものを食べ、家族で笑い転げ、
それはそれは、素晴らしい連休であった。

しかし、そうやって充実したオフを過ごしてしまったために、
私は、結局ほとんど休息をしていない。
そのあたりを思うと、やや複雑である(^_^;。
私は何もしないで寝たい、スケジュール無しでごろごろしたい、
英語で言うならveg out(草木のように寝そべって過ごす)
という休日が欲しいと、と長らく願い続けているのだが、
そのための時間は、今回もまた残らなかった。
会社は九連休だったが、北海道から帰った翌日朝、神社の仕事があり、
実家両親がもとの家に来て半日を過ごしたのでその世話もあり、
結局、私が自宅で過ごしたのは5月6日、僅か一日だけであったorz

嗚呼、あちらを立てればこちらが立たず(T_T)。
いや、勿論コレは幸せな愚痴だと承知している。
私はすべてに心から感謝しているのだ。本当だ。

あとは、次回どのタイミングで二連休を実現させることが可能か、
……私は手帳を見ながら、日々、思案している。

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6泊7日の旅行から帰った翌朝だというのに、
9時から神社の総代会があるというので、実家の村に行った。
勿論、北海道で遊んできたのはこちらの勝手なのであって、
神社や総代会の面々には何の関係もないことだ。
私がサボっていた連休中に、総代長さんと副総代長さんは
神社に「令和」や「奉祝・天皇陛下ご即位」の幟を立て、
神社本庁から送られてきた祝賀ポスターや垂れ幕を飾って、
境内を綺麗に整えられていた。

折しも、昨夜、私が神社まで行くと予定を言ったので、母が、
「あんた、家のもんをいろいろ捨てる言うとったよね?
私も、そんならこの機会に古いもんを点検しよう」
と言い出し、両親とも介護タクシーで来て実家で合流することになった。
「あんたには何の値打ちもないもんやろけど、鯨尺のさし(=物差し)とか
置いときたいもんが私にもあるねん。捨てるにしてもお別れを言わな。」

ということで、総代会と同時進行で家のほうには両親が到着した。
神社の用事が片付いてから家に行ってみたら、両親は一応元気で、
母はもとの自室に行って衣類など少し見ていたが、
既に、鯨尺の話は全くしていなかった(^_^;。
父のほうは、もともとモノに対する執着は薄い人なので、
母に言われたので一緒に来ただけだったらしく、
何もせず、寝室でラジオを聴きながら寝転んでいた。

処分の準備のために、私は前に来たときに、
既にあちこちから要らないものを出し、
台所の一角と、ガレージの横の土間とに積み上げていたのだが、
両親はそれらを見ても、特に何も言わなかった。
それどころか、それらを取り出したことにより、
台所やガレージ本体から余計なものが消えてスッキリしていたので、
「まああ、あんた、よう片付けたんやね」
「綺麗んなったのぅ」
と口々に感心さえして見せた。
「初めてここに来たときは、どないしようかと思うたが、
まあ良い具合に整頓してくれて、ありがとうね」
と母など、変なふうに私に礼を言った。

『初めてここに来たとき』というのが、一体いつの話なのか不明だった。
そもそもここは、大昔には納屋や五右衛門風呂、祖母の居室があった場所で、
両親が六十代になってから、地元の大工さんを頼んでそれらを解体し、
新規に建てなおして、「終の棲家」として母屋と連結させた部分だった。
つまり二人は、全くの新築同然だったこれらの部屋やガレージに、
自分たちで、あのようにモノを溜め込んだのであって、
初めて来たとき既に散らかっていた的な言い回しは、
勘違いであり、まさに『何言ってんのこの人』なのであった(--#)。
しかしともあれ、両親が私の断捨離をとやかく言わなかった、
どころか、見た目にスッキリした状態を気に入ったらしかったので、
助かった、と言えば、まあ、そうだった。
ものごとに対して肯定的でいてくれることに、私は心から感謝した。

この日は予めホームの昼食をキャンセルしてあったので、
昼には、村まで唯一来てくれる某ほか弁の宅配で
焼き肉を含む、各種弁当を取り、3人で食べた。
食堂のテーブルも元は悲惨な有様だったのを
私が前回来たときに、何もかも除けて広くしておいたのだが、
母は当たり前のように、食事前にテーブルを台布巾ですみずみまで拭いた。
もとは、そんなにさあっと拭けるような状態ではなかったのだぞ(^_^;。
覚えてないのだろうけどもよ(^_^;。

ほか弁が珍しかったのか、ふたりとも完食した。
私が持って来た伊勢餅(赤福のパッチもん風)もすぐに平らげた。
「元おった家やから、こうして来てみるとすぐ思い出すね」
と母は言った。
ホームに入居してほぼ1年、両親にとって今や、
ホームのほうが自宅になっていることを私は感じた。
ここは「昔、住んだことのある家」程度の存在になったらしかった。
『置いときたいもの』『お別れを言いたいもの』
の話は全く出ず、母はただ、若干の衣類をバッグに入れただけで、
特に持ち帰るものはなく、父などもともと何も欲しいものもなく、
やがて迎えに来て下さった介護タクシーさんに手伝って戴いて車に乗り、
「今日は、ええ日やったね(^^)」
とふたりとも上機嫌で、『帰って』行った。

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歌舞伎座の昼の部だけ観て、さきほど広島に帰ってきた。
詰め込んだ東京滞在であった(^_^;。

あらしちゃん(松緑)の富樫、めっっっっちゃ美しかった!!
強力(荷物持ち)に身をやつした義経を見咎め、さぁっと扇を投げ放って
「これなる強力、止まれとこそ!」
と太刀を手にキマった姿、私の観劇史上、最高の鮮やかさだった。
富樫とは、あのように体の線が美しい役だったのか!!

義経は菊之助、弁慶は海老蔵。
登場したとき、花道七三で見返りのかたちになる義経の、
馥郁たる余韻ある姿、本当に圧倒された。
声も歌うように美しく涼やかで、プリンス菊之助、これにあり!!
海老蔵の弁慶は、以前見たときより年齢が役に出るようになり、
大きさが際立ってきたと思った。
最後の六方まで迫力が全く衰えないのも圧巻。

幕間にイヤホンガイドで音羽屋三代のインタビューがあり、
『令和に期待することは』と訊かれて菊五郎が、
「そんなの私はもう知ったこっちゃないっていうか(笑)」
と答えており、
「これからの歌舞伎は、息子達世代の若い人たちがつくっていくのだから」
という意味のことを言っていたのだが、まさにその言葉通り、
世代交代を目の当たりにした『勧進帳』だった。

あらしちゃんについては、これのほか『曽我対面』の工藤祐経を演っており、
「高座、御免」の挨拶が劇中であって、
大向こうさんから「紀尾井町!」の声が飛び、
辰之助の遺児であったあらしちゃんが、よくぞここまで、
……と歌舞伎座の真ん中で座頭としての役を務める松緑の姿に、
おば(あ)さんファンとして目頭の熱くなる思いだった。
この演目は、実の兄弟である梅枝・萬太郎が曽我兄弟を務め、
特に萬太郎が一風変わった柔らかみのある曽我五郎を表現しており、
なかなか面白い仕上がりになっていたのだが、それにもまして、
私は朝比奈を演った歌昇が巧くてびっくりした。
ああいう役ができるとは、全く予想もしていなかった。
尾上右近は、『対面』の大磯の虎と『め組』の鳶をやって大活躍だったが、
声が若干、おかしいように思った。
風邪をひいていたのだろうか(^_^;。

『め組の喧嘩』は、音羽屋の旦那(菊五郎)の格好いいところを
存分に堪能させて戴き、もう申し上げることはございません<(_ _)>。
もう若い人たちの時代、……と仰りながら、あの舞台姿!!


團菊祭は今月後半に、また改めて。
丑之助の襲名(+音羽屋と大播磨の、芝居になっとらん幸せな爺ちゃん姿)を
私はまだ観ていない!!

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19時30分開始の、2nd Showのほうを聴くため、
18時20分にビルボードライブ東京で友人たちと合流する予定だったのだが、
新千歳を出発するとき、ANAがオーバーブッキングの調整に手間取り、
羽田には30分遅れの到着になって、それからホテルにチェックインしていたら、
待ち合わせ時間に遅刻してしまった。

飛行機のせいだけでなく、私自身が六本木で迷いかけたことも、
現地到着が遅れた原因の一端となったことは否定できない(大汗)。
そもそも私は、ホテルを出て会場に向かうとき、
ビルボードライブ東京には以前行ったことがある、と勘違いし、
地下鉄を降りて地上に出れば、適当に行けるとタカをくくっていた。
しかし日比谷線の六本木から上がってみたら、
目の前には全然見たことのない光景があり、当惑した。
どれだけ記憶の糸をたぐっても、東京ミッドタウンに繋がるものは出て来ず、
仕方ないからスマホで地図を見て、大江戸線六本木方面に向かった。
では、前にゴダイゴのライブで行ったと私が今まで思い込んでいたのは、
……ここではないとすると、どこだったのだろう?
なんだか漠然と乃木坂のあっち、という把握で出て来たのだが、
そうだ、前回のは確か、根津美術館の近くだった、
ということは、ブルーノート東京か(爆)。全然違うorz

そんなこんなで、焦って現地に到着したときには、
約束の時間から15分くらい遅れていた。
ライブは自由席だったので、同席となる友人たちが先に入って
テーブルを確保してくれていた御蔭で、事なきを得、本当に助かった。
東に足を向けて寝られません<(_ _)>。
申し訳ありませんでした&本当にありがとうございました!

**************

ゴダイゴのライブは、機会があるごとに聴くようにしているのだが、
今回は席が前方寄りのうんと上手(かみて)側で、
ミッキー吉野のキーボードを真横に近い角度から見ることができた。
彼の演奏するハモンドオルガンを生で観察できたのは
あまりにも希有な、そして強烈な体験だった。
ハモンドオルガンがどういう構造になっているかについて、
私はこれまでほとんど知識がなかったのだが、
パイプオルガンと基本の発想が同じだったのかと、本当に、今更知った(^_^;。
ペダリングまで含めて、超一級の演奏者によるハモンドオルガンを
たっぷりと堪能させて貰った。
いや~~、ミッキー吉野、ネ申!!

バンドとしてのゴダイゴは、ヒット曲が多いので、
いつライブに行っても知っている曲が次々と出て来て本当に楽しい。
今回は、令和の時代の幕開けということで、一曲目が『Celebration』。
演奏技術が高く、今も強く支持されている存在でありながら、
安易に「それでは新曲を…」等とならないところが、
このバンドの大変賢いところだと私は思っている。
その意味では、今回のセットリストのビートルズやスティービー・ワンダーは、
面白くはあったが、私としては別に、なくても良かった(殴)。
音楽を聴く側としてのメンバーたちは、ああいう曲に郷愁があるのだろうが、
私はその部分を共有していないので、ゴダイゴが他人の曲をやっている、
という程度の淡い関心しかなかった。
それより、昔アルバムで聴いた曲や、70年代のライブでやっていた曲を、
今のゴダイゴで聴けることのほうが、遙かに貴重な経験だった。

ときに、ゴダイゴ、というかタケカワ・ユキヒデは、
有名になる前には、「英語で発信する」ことに強いこだわりを
持っていたと聞いたように思うのだが、
今は、かつては英語で歌っていた2番の歌詞でさえ、
日本語で歌うようになっていて、一体どうしたことだろうかと
私は最近のライブについては少々、疑問に思っている。
『Gandhara』や『The Galaxy Express 999』などは、
全編、英詩があり、ファンはむしろそちらで聴くほうを望んでいるのでは、
と私は思うのだが、彼らの判断は異なっているようだ。

写真は、今回の特別メニュー・ドリンク『Holy and Bright』。
この曲も英語版があるのに、そういえば彼らはいつも日本語で歌っているな。

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