転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実家両親が、某有料老人ホームに入ることになった話は、既に書いた。
それについては様々な準備が要るわけだが、一番大切なのは、
ミもフタもないことだが「先立つもの」の用意である(汗)。
勿論、両親だって刹那的にただ90年近くも生きてきたわけではない。
彼らなりに「老後の蓄え」は、なにがしか作ってはあった。

まずは、父名義の某A銀行の普通預金口座から
ホーム関連の費用が引き落とされるように手続を完了したのだが、
これは父のメインバンクとはいえ、もし老人ホーム暮らしが
今後長期に渡って継続するとなれば、やがて底を突くことは明らかだった。
これ以外に、両親はこれまで、各自の「老後の蓄え」や年金や「へそくり」を、
それぞれいくつかの取引銀行に分散して預けてあったので、
今後はそれらを適宜、メインの引落口座のほうに
移しながら使っていけばよい、と父も母も異口同音に言った。
しごく、まっとうな話だった。

それで、一体どこにどれだけ預金しているのか把握する必要がある、
という話になり、先日来、各種金融関係の担当の方に、
次々と両親宅に来て戴き、確認作業をすることになった。
ゆうちょ銀行、JAバンク、地元のA銀行、B銀行、C信用金庫、
それと、これは自宅には来て戴けないが都市銀行であるD銀行。
各所に、しこたま預金してあったのなら良かったのだが、
リスク分散と、外回りの担当者との「つきあい」のために、
両親はただ、チマチマと複数の銀行に口座を作っていただけだったことが
今回、判明した(--#)。

父の年金の口座はA銀行で、母のはB銀行と、違う金融機関になっていて、
それらは一応まとまった内容の口座になってはいたが、
その他、何年も前に挫折した十万円少々の積立口座がそのままだったり、
2円しか入っていない謎の普通預金口座がまだ生きていたりもした。
預金だったと思っていたのに生命保険になっているものもあった。
要するに、取引口座の数の割には、ひどく煩雑なだけだった(--#)。
また、ド田舎ゆえにATMなどというこじゃれたものは徒歩圏内に無く、
銀行の用事はすべて、地域担当の方とのやりとりで家で済ませていたため、
両親はキャッシュカードを作っていないか
持っていても使ったことがなく、どこに仕舞ったか完全に不明だったり、
カード本体が運良く残っていても、暗証番号など忘却の彼方だったりした。

取引銀行のうちの二行は、暗証番号が確かであれば、
通帳を使ってATMでの取引が可能だとわかったが、
ほかのところはATMの場合、キャッシュカードしか通用せず、
通帳だけでは受け付けられないようになっていた。
窓口では本人確認されるので、本人なら「通帳」と「印鑑」で取引できるが、
代理人だと「通帳」「印鑑」「キャッシュカード」が必要で、
その3点を持参したうえで、暗証番号が合っていないと駄目だという。
代理人には、とにかくキャッシュカードが大切なのだ!

キャッシュカードの紛失届と再発行願を出すには、
本人確認と本人直筆の書類が必要で、
暗証番号の再設定もまた、本人が手数をかけなければ実現せず、
とてもじゃないが書類一往復で済むような話ではなかった。
しかも今回の両親の場合、銀行ひとつの話ではないし、
使えるようにしたいキャッシュカードだって1枚ではない(汗)。
また、キャッシュカードをそもそも作ったことのなかった口座に関しては、
90歳近くにもなって新規にキャッシュカードを作ることは
防犯のため、銀行は認めていない場合が多い、
というのも今回私は初めて知った。
「キャッシュカードは、飽くまでも、御本人様にご使用戴くのが前提で、
代理の方のためのものではありませんので…」
と某銀行の担当者は言った。

それではと母が、家に回ってきて下さっていたB銀行の担当者に、
「だったらこの機会に解約します。預けてあった現金を持って来て下さい」
と言ったら、しかと理由は説明されないまま、
「それはちょっと、……できないんですよ」
という返事だった。
できるも何も、もともと誰の金やねん!と母は憤然となったが、
解約手続となると、これまでのように自宅訪問でどうこうはできず、
預金者本人が直接店頭にやって来ないといけないらしい。
数万程度の出入金ならともかく、口座解約となるとえてして桁が大きいから、
銀行員の身の安全のため、そういうものは持ち歩かないのを
決まりにしているのだろう。私の想像だが。

「では通帳と印鑑を持って老人ホームに入所したら、自宅同様に、
ホームまで出金や入金の手続に来てやって下さいますか」
と私はゆうちょ銀行が来たときに尋ねてみたのだが、これまた、
「御自宅のようには、施設に現金を持って伺うことは、
極力、しないことになってまして」
と、たいそう歯切れの悪い答えしか返ってこなかった。
盗難等のトラブルが怖いということなのだろうか。
ほかの銀行も同じなのだろうか。

銀行の防犯と自衛のため、あれもだめ、これもだめ、代理人お断り。
だったら、老人ホームに入所して、体も不自由となった場合、
もう、自分の意志で口座から現金を出すことは、できなくなるのだな?
家族、つまり私が、有効なキャッシュカードを預かって
ATMを使っての引き出し等を代行するのが一番簡単なのだが、
上記の理由で両親のキャッシュカードはもう駄目であるか(爆)、
あるいはもともとつくっていないため今更新規に発行して貰えない。
さしあたって何とかなりそうなのは、通帳のみでATM取引のできる二行だけか。

その他の金融機関には手の施しようがないから、
このままでは将来的に、両親の手元のお金がなくなったら、
私がかわりに支払う以外に、何も出来ることがないようだった。
いや、こうなったら早いうちにタクシーで両親を連れ出し、
金融機関をまわって預金を現金化しておくべきなのか(汗)。
アンヨの覚束ない、おトイレも危うい90歳夫婦を(大汗)。どんな虐待や。
しかしそうでもしなければ、苦労も工夫もして貯めてきたお金なのに、
人生の最後に、養老のために使いたいと願っても、
それらが銀行の中にある限り、両親は手も足も出せないのだ。
なんと理不尽な仕組みになっているのだろう!

やはり、金融機関にお金を預けるのは若くて健康なときだけにするべきだ。
自分で管理せず、お金を他人(=銀行)に預けるということは、
いくばくかの安全を得るかわりに、自由を失うことでもあるのだ。
ある程度の年齢まで長生きすることがあったら、
せいぜい普通預金口座ひとつ残すくらいにして、
あとは自分名義の預金をすべて自分の手で解約し、
現ナマにして、瓶に入れて隠し持っておくべきである、
……という私の考えは、正しいことがわかった(爆)。

結論、箪笥預金に勝るものなし(殴)!

*************

父は、あのような年齢になってもまだ、以前からの仕事の関係で
某団体の会員なので、その会費やら諸経費を、本日私が振り込みに行った。
もう仕事もなにも現実にはできていないに等しいが、
未だに存命であり、会員資格を有しているので、
年会費やら諸経費やら負担金やらで、合計が10万ちょっとになり、
結構高いじゃないかと思いつつ、それならせめて振込手数料をケチろうと、
相手先の金融機関の最寄り支店に出向き、そこのATMで、
父から預かってきた現金を送る作業をしようとした、……ら(汗)、
ATMからの振り込みでは10万円を超える現金は送金できなかった。

ここは例の、ATMで代理人が通帳だけで作業できるという希有な銀行で、
念のためということで父本人の通帳を預かってきていたので、
それを使って口座間振替も試みてみたが、なんとこれもATMに拒否された。
窓口で尋ねたら、75歳以上の人の口座からの10万円以上の送金は、
毎年の振り込み等の実績が確認されない限り、
機械が拒否するように設定されている、とのことだった。
では、私が電信振込の書類を書けば窓口で送金できるのか、と尋ねたら、
送金する人の本人確認が必要だ、と言われ、
それは父名義の送金である以上、私の運転免許証では駄目だった。
私が父の実の娘であることを戸籍謄本などで証明できたとしても、
手続は認められず、父の運転免許証等を私が持参する必要があるのだった。

娘が父親の口座から、預金を勝手に引き出すならともかくも、
父名義での送金を代行する、つまり金を払うと言っているのに、
随分と念入りに疑われるのだった。
「振り込め詐欺」などが横行して、銀行も懸命に自衛しているのだと思うが、
それでいて、私がもし、父の免許証をこっそり盗んで来ていれば、
この手続は問題なく完了できたのだ。なんじゃそりゃ(--#)。

仕方が無いので私は自分名義の口座を持っている別の金融機関に行って、
そこのATMから自分のキャッシュカードを使って送金をした。
送金するときに振り込み人を口座名義人でなく、父の名前にするだけだった。
立て替える気はなかったので(爆)、そのあと、
振り込み用に父から預かっていた現金を私の口座に入れ直して補填した。
それにしても、窓口で私が自分の運転免許証を示した上で、
父名義の電信振込書類を書いて、持参した現金で送金するのと、
ATMでキャッシュカードを使い、私の口座から父名義で送金するのとでは、
一体、どれだけの違いあったのだろう?
むしろ前者のほうが、手を下した人間を確認できているだけマシだったのでは?

とにかく金融機関は不便・不自由きわまりない。
毎度思うことだが、
「リスクは全部私が負います。決して、貴・銀行を訴えたりしません」
と一筆書いて私の運転免許証も出して血判を押してもいいから(爆)、
この煩雑きわまる本人確認と各種手続を簡略化してくれんものかね(^_^;。
世の中のフトドキ者とウッカリ者のために、銀行の手続は年々煩雑になり、
御蔭で、私の貴重な休日が、きょうもかなり空費されてしまった(--#)。
フクオカさまぁ~」の時代が、つくづく懐かしいぜ(T_T)。

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今月は、ただ一度の二連休だった11日と12日を東京旅行に費やしたので、
ほかに休日として自由になったのは、今までのところ4月5日(木)のみだった。
残りは、日曜日も含めてすべて仕事と両親の用事で消費された。
このあと、まだ19日(木)と26日(木)が空白で残っており、
なんとしてもこの二度の休日だけは死守しなければと、今、思っている(汗)。

再来週の25日(水)も会社の仕事は入れていないのだが、
この日から両親が、例の介護つき有料老人ホームに
初めて四泊五日で滞在してみることになっており、
そうなると当日は、移動と荷物の片付けで一日使うことになると思われる。
更に、その翌日の26日(木)も、本当なら私が顔を出して、
「その後どう?」
「何か要るものがあれば買って来るけど?」
等と、愚痴を聞きがてら様子を見てやるべきなのは百も承知しているのだが、
そんなことをしたら、いよいよ私の貴重な休日がなくなるので、
私は26日については、自費でヘルパーさんを1時間程度お願いし、
ホームを訪問して両親の用事をしてやって下さるようにと
既に昨日、ケアマネージャーさんを通じて手配をお願いした。
母が心から信頼しているヘルパーさんがお二人いらっしゃるし、
自家用車を持っていない私より、ヘルパーさん方のほうが
実際ずっとフットワークも良く、介護に関しても有能だ。

両親の介護については私は、適宜、意図的にサボることにしている。
私がキレたら誰も両親の面倒をみられる人間は居ないのだから、
私はときどき、わざと自分を甘やかし、力を養う必要があるのだ。
また、両親のために実家に泊まり込むことも、私は極力しないと決めている。
主人を犠牲にしたら、私のほうの家庭が崩壊すると思うからだ。
万一、こうやって私が手を抜いている最中に両親に何かあったとしても、
ゴメンナサイと思ったあとは、そういう定めだったのだと割り切るつもりだ。
もう90歳夫婦だし、あれこれ望んでもキリがないではないか(^_^;。
舅姑を介護したときは、そのように考えるには結構な罪悪感があったが、
自分の実の両親については、幸いにきょうだいなどが居ないので、
文句を言って来る人も皆無であり、私が良ければAll OKだ。

今回の老人ホーム四泊五日がなんとかなったら、
今後は徐々に滞在期間を延ばして貰いたい。
実家は加速度的に清潔でなくなっており、だのに両親には自覚がないので、
2人のどちらか・或いは両方が、何らかの感染症で倒れるのも
もはや時間の問題ではないか、と私は日々、戦々恐々としている。
「ちとは着替えたら」
「いつ風呂に入った?」
「そろそろ髪を切りに行ったら」
等と私が促しても、面倒なのか、
「まだいい」
「今度にする」
等と受け流しているだけで、ふたりとも全く言うことをきかない(汗)。
風呂の準備はするし後片付けもするから、入るだけでいいから、
とも言ったみたが、
「寝る前に入る。明るいうちに風呂入ったら風邪をひく」
との謎理由に固執し、私の居る昼の時間帯に入浴させるのは困難だ。
それに、彼らはそもそもが「くえない」老人たちなので、
仮に私が彼らの「寝る前の入浴」実現のために夜まで居残っても、
どうせまた、なんのかのと言を左右にして結局は入浴しないに決まっている。
暴力的に服をはがして浴槽に押し込むようなことは、さすがにできないし。
洗髪とヘアカットについても、タクシーで私がつれて行ってあげるから、
と言ったのだが、「またにする」とのことで、ラチが開かず。
「家に来てくれる散髪の訪問サービスもあるよ?」
と提案したが、これまた「まあそこまでせんでも」で終わり(汗)。
『そこまで』って何だよ、行くとこまで行っとるから言うとんじゃ(--#)。

私が期待しているのは、ホームに入って環境が変わり、
職員さんからの働きかけ等もあるようになれば、
両親も多少は「見栄」や「遠慮」もあって身仕舞いをするようになるのでは、
ということだが、本人たちが頑として拒否することについては、
ホームにお世話になったところで、職員さんの方々にだって
できることには限度があるというのも、私は重々承知している。
しかしともあれ、ホームでなら倒れても人目も人手もあるし、
ホームから搬送して貰う病院だって提携先が決まっているだけ、現状より良い。
夜に私が駆けつけて救急車を手配し、半徹の労働をさせられた昨年のことを思えば、
とりあえずホームに入っていて貰うほうが、環境としては恵まれている。

今にして思うと、認知症で介護度5だった姑のほうが、
この二人とは比較にならないほど、清潔な生活をしていた。
全介助であったため、清拭や更衣に関してヘルパーさんや私に決定権があり、
発熱の有無や血圧の状態を見ながら、入浴の頻度もこちらで調節できたからだ。
特に名前のつくような病気もせずに90歳近くになり、
なお自己主張を通して生活していると、実家の両親のようになるのか、
と私は最近、かなり、ゼツボー的な気分だ(^_^;。

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12日の夜は、サントリーホールで、
マリア・ジョアン・ピリスのリサイタルを聴いた。
日程的にはかなり厳しかったのだが、
引退前の最後の来日公演ということで、やはり逃したくないと思った。

オール・ベートーヴェンで、本プロが
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13 『悲愴』
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2 『テンペスト』
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
アンコールもベートーヴェンで、
『6つのバガテル』 Op.126 より 第5曲 クアジ・アレグレット

私はピリスをきめ細かく追い続けてきたわけではなく、
これまでずっと、実に気ままな聴き手だっただけだが、
私の断片的なイメージの中で彼女は、常に一本筋の通った「強い」弾き手で、
しかもいつもどこか微かに冷徹な感じがあった。
しかし今回、いよいよ引退を目前にした彼女の音楽には、
かつてない、「暖かな柔らかさ」があったと思った。
少なくとも私にとっては、そのように感じられた。

特に32番のソナタは、一歩一歩、神の御座へ向かって登って行く演奏だった。
ジャンルは全く違うのだが、ロッド・スチュワートで有名な、
『Sailing』の歌詞を、私はピリスを聴きながら連想した。
もともと私がベートーヴェンを破格に愛している理由は、
彼の、「神様は、居るんだ!」という素朴な信仰に心打たれるからなのだが、
ピリスの32番もまさにそういう音楽だった。
決して平坦ではなかったこれまでの人生も、すべて神を知るためにあり、
神の国に迎え入れられるために進む日々こそが、喜びであったのだ、と……。
長いトリルで弾き手の魂は天空高く登り、
聴き手も一瞬、彼女とともに同じ世界を垣間見ることを許され、
見下ろすと、そこにはピリスの描き出した宇宙があった。

アンコールがベートーヴェンの作品126というのも秀逸だった。
ベートーヴェン最晩年の、おそらく最後のピアノ曲で、
彼の信仰の行き着いたところにあった一曲だ。
もしかするとこのとき、彼の心は既に神の国にあったのかもしれない。
ピリスは最後にそれを、何らの衒いもなく気負いも無く、
このうえなく清らかに弾いてリサイタルを閉じた。
ピリスのたどり着いた境地もまた、ここにあった、ということだろう。

ピアニストは、どのようにしてその演奏活動に幕を下ろすべきか、
そして最後に、何を弾いて自分の聴衆に別れを告げるのか、
マリア・ジョアン・ピリスの最後の来日公演は、
そうした問いへの、ひとつの明確な答えとなったと思う。

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12日歌舞伎座、昼の部のメインは菊五郎主演の『裏表先代萩』。
こうして見ると、四月大歌舞伎は、
夜が仁左衛門の悪役二役、昼は菊五郎の悪役二役。
いずれも、時代物の大悪党と、世話物の小悪党の対比なのだが、
仁左衛門がどこまでも昏く陰影深く、艶やかに演じる一方、
菊五郎はどこか愛嬌があって明るく、しかしドスが利いたら怖いぞ、
という硬軟自在の悪者で、そこはやはり音羽屋の持ち味ならでは。

時蔵の乳母政岡は初役だったが、立女形として素晴らしかった。
時蔵の鋭角的な美貌や声が、政岡の強さによく似合っていた。
小さい亀三郎が鶴千代君で、お人形さんのようにおっとりと可愛らしく、
しかし高貴なところがよく出ていて、声が通るところは父上譲りか。

菊五郎の仁木弾正の引っ込みのところは圧巻だった。
ほとんど音もない、限られた動きだけの花道引っ込みを
あれほど余裕を持って見せることができるのは、音羽屋の芸あればこそ。
しかし蝋燭の使い方は、成田屋のとは違ったように思うが、
……ここは音羽屋の型というものなのだろうか。
そのうち時間があれば調べてみたい。

それにしても、実は以前から思っているのだが、物語としての仁木弾正、
大上段に構えて登場→威厳を見せつけて花道を去って行ったにしては、
よく見ると鶴千代君暗殺はしくじっているし、
ねずみになったときには床下で男之助に踏まれているし、
年寄りの外記左衛門をしとめるのに手こずるしで、
実に失点が多く、腰砕けなところがあって憎めない。
妖術まで使えるという設定なのに、それでいいのかという(笑)。
大の字で死んで高く抱え上げられての退場は、
(自称)大悪党に相応しく、大変格好良いのだけど(笑)。

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12日は歌舞伎座昼の部、まずは『西郷と勝』。
真山青果の「これでもか!」な台詞劇に真っ向から挑む松緑。

最近は、松緑の舞台を見るたびに、
彼の精進のあとがはっきりと感じられて、私は嬉しくてならない。
今回の西郷隆盛もまた、松緑の研鑽ぶりが手に取るようにわかった。
真山青果の台詞は、細部まで作り込まれていて、凝っているのだが、
役者が、滑舌から解釈、聞かせ方に至るまで首尾一貫したものを持たないと、
観客は、その台詞の量と内容に圧倒されるだけで、ついて行くことができない。
私はこれまで、結構、ほかの真山作品では寝オチしたことがあった(殴)。
しかし、今回、私は松緑の西郷の言葉を聞いていて、
そのひとつひとつが心に食い込み、説得された。
戦争だけは、いけない、という趣旨の西郷の台詞など、
明治維新という舞台上の設定のみならず、
昨今の日本の状況を省みても、改めて胸に響く、
……と自然に思わせる重さ・熱さがあった。
全く、観る前には予想だにしていなかったことだった。
踊りが武器の松緑に、真山青果はどうだろうかと危ぶんでいたのだが、
真っ向勝負を挑んで最後まで音を上げず、新たな境地を得たのだなと感じ入った。
あらしちゃん、台詞のみの役で歌舞伎座主演……!!
松緑ファンにとっては歴史的な舞台であった。

(写真は、この作品にちなんで販売されていた「西郷と勝」弁当(笑)。
細工物以外の食べ物を撮影することは、本来の私の趣味ではないので、
写真は包装だけしか残していないが、四月限定品ということで。
劇場に入る前に木挽町広場の売店で買った。実に食べ応えがあった。)

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