転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ウィリアム・モリスと英国の壁紙展@ふくやま美術館、
を仕事前の午前中を利用して、見に行ってきた。
今年、主人の部屋のカーテンに使用した「ピンパーネル」
今回のポスターに使われているという巡り合わせに感激し、
これを逃してはならない!と思った。

ふくやま美術館は、開館(1988年)の翌年だったかに、
大学同窓会広島支部の例会が福山開催だったときに行ったのだが、
当時の展示が何で、どういう印象だったか、既に何も覚えていない。
隣のふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)のほうには、
以前、平田玉蘊の特別展を見に行ったことがあったのだが、
あれも既に4年近く前のことになってしまった。
美術展などは一定の長さの開催期間があり、
その中から都合の良い日を選んで行けば良いので、
舞台のように一度きりの公演日・開催日しかないものよりは、
ずっと出かけやすい筈なのだが、案外、機会が得られない。
平田玉蘊のときも最終日に滑り込んだものだったが、
今回のモリス展も、もう、この週末までしか会期がなく、焦った(大汗)。



モリスの名は以前から知ってはいたが、
割と最近まで、私は無地系のモアレやジャカードが好きだったので、
よもや、彼のデザインを自分の家のファブリックに取り入れたり、
更には展覧会を見に福山まで行くようになったりするとは、
数年前なら思いもしなかっただろう。
この方面に私の目を開いてくれたのは、昨年夏からお世話になっている、
某輸入家具店のマダムの存在が大きかったと思う。
店頭にはモリスのカーテンを集めた一角があり、そこで実際に、
空間の中でインテリアファブリックとして完成されたモリスを見ることで、
私は初めて、彼の目指した世界がわかるようになった。
木の葉や木の実、枝、蔦、花びら、小鳥など、
風景の中にある「自然」を「芸術」として「生活」に取り込む!
私はいたく感銘を受けたので、今年、主人の部屋のカーテンを、モリスにした。
ドレープは「ピンパーネル」、レースは「ウィローボウ」。
出来上がってみると、これがまた想像以上に良かった。
主人は何ともないようなので(!)、私の独りよがりではあるのだが、
自分が50代にして開眼した世界がそこにあるのを感じ、
あれ以来、私は主人の部屋を眺めるたびに、日々しみじみと満足している。

……ということで、今回のモリス展に行ったわけだが、
モリスのオリジナルの色合いで、様々な図柄を鑑賞できるのは
なかなか得難い機会だった。
画集や写真集のかたちで、彼のデザインは多々公開されているが、
本来の色調を知るには、生で見るに限ると思った。
私の好きな深いグリーン系のデザインのいくつか、
――「ヴァイン」「ブラックソーン」「ピンパーネル」等を
近々と寄って味わったり、離れてパターンの変化を眺めたりと、
しばし時間を忘れて楽しませて貰った。

一方で、やはり壁紙やカーテン等のインテリアとして、
室内に取り入れてこそのウィリアム・モリス、と思ったことも事実だ。
ポスター程度のサイズで額に入ったデザインが並んでいると、
絵的に鑑賞する楽しさは大きかったけれども、
部屋を彩るとどうなるかまでは、私には想像が及びにくいものも多かった。
会場に入ってすぐと、出口の手前とに、撮影可のエリアがあり、
そこではカーテンやクロスとしてモリスのデザインが使用されていて、
その2箇所の展示が、結局、私には最も強く印象に残った。



最後にミュジーアムショップで、公式図録のほか、
彼の最も有名なデザインのひとつ「いちご泥棒」を使った、
ペン立てとティッシュケースを自分の記念として買った。
家のカーテンを決めるとき、モリスだからと「いちご泥棒」を選ぶのは、
あまりに安易な気がして、敬遠してしまったのだが、
こうして見るとやはり、代表作と誉れ高いだけのことはあり実に美しかった。
いつかほかの部屋のコーディネートを考える機会があったら、
紺系の「いちご泥棒」ならカーテン地として試してみても良いかも、
あるいはアートボードのかたちで壁に飾るのもアリか、
……等々と、脈絡なく夢が広がり、ひとときの幸せに浸った(笑)。

Trackback ( 0 )




今週は水曜木曜と2連休を実現させた。2日間も続けて、
「会社にも神社にも実家にも老人ホームにも出かけなくて良い」
ああ、なんと素晴らしいのだろう。
休日前の出勤日に、
「明日から2日間、何もない!」
と思ったときの、体の芯から震えるようなシアワセ。
1日目の休日の途中に、
「きょうが終わっても、まだ、明日がある!」
と確認したときの、限りなく深い解放感。
2日目のきょうは、それなら暗い気持ちになったかというと、
そんなことは全くなく、2日続けて家に居たことにより、
私の心身は隅々まで潤っていて、万事に余裕があり心穏やかだ。
○時までに!あと○分!!と追い立てられずに日を過ごすのは、
これほどまでに人を(私を)やすらかな気持ちにさせることなのだ。

家にいたので、常日頃は決してできない作業をいろいろとした。
両親に関することの整理と、自分の終活関係がほとんどだったが、
毎日の10分や15分の隙間時間ではどうにもならないことを、
「とりあえず午前中全部これに費やしても大丈夫だ」
と自分に言い聞かせながらするのは、とても素晴らしいことだった。
そうなのだ、自分に『言い聞かせ』ないと、私はすぐ時計を見て
「え、次、なんだっけ!?何時!?まだ時間、大丈夫だった!?」
と反射的に焦って確認を繰り返す習慣がついているのだ。
私はこの2日間、おそらく半時間に1回は、
「きょうは大丈夫だ、半日くらい時間を忘れていても、何も起こらない」
「誰も来ない、予定も無い、電話に出られなくても約束違反にならない」
と自分に言い聞かせ、努めて自分を安心させるようにした。
一日に何度も繰り返し安堵し、その都度、とても心地良い思いになった。

懸案のうち、しょうもないことだが長らく気に掛かっていたことの一つは、
我が家にある「トリセツ」関連の束が、見苦しくなっていたことだった。
マンション入居以来13年、家電を購入したり設備を修理したりするたびに、
取扱説明書類や保証書類が増え、修理の記録も煩雑になり、
トリセツ入れのボックスがぱんぱんになって、
イザというとき必要なものを取り出すのが日増しに困難になって来ていたので、
今回、何もかもを一旦、机の上に出し、古い取説や期限切れの保証書を処分し、
インデックスも作り直して、「じゃばら式ファイル」に収納した。
これで、現在我が家にどういう家電があり、いつどこで買ったもので、
保証関連がどうなっているか、担当者が誰だったか、一目瞭然になった。
私以外の人間が見ても、おそらく、わかる筈だ。

実家関連では、昔からの土地の問題が少しあって、昨年以来、
税理士さんや不動産鑑定士さん、司法書士さんと幾度も話し合い、
父が売却すべきものは手続きし、払うべき税金は払い、
境界で揉めている箇所は先方と交渉し直したりして、
それなりに整頓できてきたとは感じているのだが、
まだオオモノが二つ、目下進行中だ(汗)。
これらの書類も、この2日間で時系列に添ってまとめ直し、
「土地関連」という書類入れを作って収納した。
私以外の人間が見ても概略がわかるように、
昭和50年頃からの経緯を打ってプリントアウトし、
紙媒体以外に、PDFファイルも作成したが、これらについては、
この期に及んで、なんでワタシにやらせるかな(--#)、
と、正直なところ親を恨めしく思っている部分でもあるので、
最低限、娘の代にまでは積み残すまいと決意して取り組んでいる。

あとは、実家の神棚だか祖霊舎だかをそろそろ片付け、
マンションに御神札と霊璽(れいじ。神道の「位牌」)を
持って来て安置するよう、うちの和室をなんとかしようと考え中だ。
実は、実家の神棚のある座敷が、かなり老朽化していて、
それの回りの濡れ縁が、カメムシの巣(爆)になっているのだ。
私は実家に行くたびに、神棚にはお参りしているのだが、
縁側はかなりキショク悪くて触りたくなくなっており、胸が痛んでいる。
何代も前のご先祖など、あの家から動きたくないと思し召しかもしれないが
現在の神棚の維持が、近い将来、困難になるのは明らかだ。
この先、親戚の誰かが後継ぎになってくれる保証は全く無いし、
仮に誰かが実家に入るとしても、いつか私の両親が霊璽になったときには、
私がそれらと全く無関係に暮らす、というのはやはりおかしいだろう。

また、舅宅の仏壇も結局、一年の大半、放置しているのに等しいので、
そのほうも私は良い気持ちがしていない。
来年あたり、マンションの6畳和室リフォーム計画を立てて実行に移し、
この際、モダン仏壇と簡易神棚を合わせて設置できれば、と思っている。
向きさえ配慮すれば、同じ部屋に仏壇と神棚を置いても問題ない筈だ。
神棚の移動は難しくないというのを宮司さんに教えて頂いたが、
仏壇のほうはどうだろう。
姑が信心深かったのもあって、舅宅の仏具は本格的なもので、
小さいながら木彫りの御本尊もいらっしゃるのだ。
仏壇本体は造り付けなので、持って来ることはできないから、
こちらで仏壇を用意することになると思うのだが、
中身だけお引越させるのだって、素人には手出ししづらいし、
もしかして、動かす前には「閉眼法要」みたいなのも要るのでは……。
そして引越後は多分、マンションの新仏壇のほうで「開眼法要」…。
浄土真宗の場合、そのあたりの手続きはどのようになっているのか??
舅姑の墓のある寺院の、若院さんにご指導を戴かなくては……。

Trackback ( 0 )




母の保険証3点セットは、郵送でのやりとりで再交付して貰うことにした。
昨日区役所に訊いたら、後期高齢者医療関係と、介護保険関連は、
それぞれ異なる窓口だとのことで、電話番号を教えて貰い、
各々、郵送の手続にて再交付を希望する旨、連絡をしたところ、
きょう早速、私あてに再交付願の書類が別々の封筒で送付されてきた。
後期高齢者医療のほうの発送元は「厚生部健康長寿課」、
介護保険関連のほうは「厚生部健康長寿課介護保険係」。
……なるほど、違うんですねコレ(^_^;。

ちなみに私は本人でなく娘で、代筆で良いかと尋ねたら
後期高齢者のほうも介護保険のほうも、どちらもそれで良く、
届いた書類を見ると、別に免許証等の本人確認書類のコピーを
同封するようにもなっておらず、私自身の証明も要らず、
窓口であれほど「御本人様、御本人様」と厳格な割りには、
郵送となると、誰が書いたか本当は不明な書類でも問題ないようだった。
ちなみに、再交付された保険証類は、母本人の登録住所である両親宅に
いずれ送付されて来るとのことだ。しかも普通郵便で(^_^;。
窓口に来た、素性のわからぬ人間に手渡しするのでなく、
公的に証明されている本人住所に送付するのだから安全ってことか。
……保険証の大切さの程度が、ホントのところよくわかりません。

ということで、保険証類については一応、解決の目処がついたのだが、
母が昨夜電話してきて言うことには、
「バターが盗まれた」。
お、おぅ(^_^;。
財布とか通帳とかでは無く、バターっスか(^_^;。

ホームでは、朝食にパンの出る日が決まっており、
母はそれにバターをたっぷりつけて食べるのを楽しみにしていたそうだ。
自宅から持参したバターナイフと、
外のスーパーで買ってきた雪印のバターを専用ケースに入れ、
母はそれを歩行器のカゴに常時、乗せたままにしておいて、
パン朝食の日になるとテーブルに出して使っていた。
それが先日、何者かに盗まれて、ケースごと無くなったのだそうだ。

「雪印のバターなんて、売店には売ってへんから、
私が食べよるのを見よって、『あれはエエ』と思うたんやろうよ。
気がついたら、あれへんねん。もうびっくりして」

母は、バターを冷蔵庫に入れず、バターナイフも洗わず、
常に歩行器のカゴに入れっぱなしにしていたそうで、
私などから見ると、その状況は相当キショク悪い訳だが(爆)
それを盗んでまで手に入れたいと思った人が居たとのことだ。
本当にびっくりする(汗)。
ちなみに、「バターが盗まれた」という母の訴えを聞いた父の返答は、
「あんたがよほど、美味しそうに食べよったんじゃろうよ」
というもので、それにより母は更に、
「やはり、私のバターを羨ましがった人が、盗んで行った」
と確信を深めたようだった。

しかし歩行器は常に母が押して歩いていて、
そうでないときは自室の中に置いてある筈で、
どういうタイミングでバター一式を盗むことができたというのか?

「ドアをそおっと開けて入ってきたんや」
「私かて、部屋におるいうても、寝とって気づかんこともあるもん」

母はバターを盗まれて以来、パンに何もつけずに食べているそうだ。
しかし、バターはまだもう一箱、冷蔵庫にはあるとのことだ。
バターナイフも家から数本持ってきてあるし、
次のバターを使えば良いだけでは?と思うが、
それは「もう、しぃひん(=しない)」と言う。

「集団生活なんて、ほんまに、何者がおるやらわからん」
「バターつけへんでも、もそもそ食べられんことは無いけど」
「あ~あ。バター塗って食べるの、楽しみやったのに」
「ほんまに、どんどん暮らしにくぅなるわ」

そう思うのなら、何も諦めなくとも、バターは基本的に冷蔵庫に入れて、
パン食の朝だけ取り出して使い、終わったらまた冷蔵庫に入れれば、
部屋のドアを開けた程度で盗まれるような事態は避けられ、
かつ、今後もパンにバターを塗って食べることが継続できるのでは。
幸い、冷蔵庫にまだ手つかずのバターが残っていることだし。
…と一応言ってみたが、そういう解決は母の感性にそぐわないようだった。
今の老いたる母は、自分の気分に合うことだけしかせず、
それが通らないときは誰かのせい、ということになるのだ。

まあ年寄りなんだから、そこんところはどうでも良い。
母には母の理屈があるのだ。私には所詮わからぬ。
それより、どうか本当に、母のバター+バターナイフが、
きちんと盗まれたのでありますように、と、今、私は強く願っている。
いつの日か物凄い腐乱状態になって、母の部屋から発見されるのだけは、
それだけは、絶対に勘弁して欲しい(T_T)。
お願いします(T_T)。


追記:そういえば、実家両親は、昔からバターを冷蔵庫に入れなかった。
冷房もない頃から、我が家ではバターは基本的に常温保存で、
臭くなってきたら捨てる、という有様だった。
物心ついて以来、私はそれが気持ち悪くて我慢がならなかった。
「ったく、なんでバターを冷蔵庫に入れんのかね(--#)」
と今夜、私が言ったら、主人が、
「固ぅなるけぇじゃろ(^_^;」
と言った。なるほど!!!
確かに、冷蔵庫から出したばかりのバターは固くて塗れない。
主人のほうが、私などよりずっと母の性癖を察する感性を持っている!
畏れ入りました!!


後日記(9月5日):9月の第一週のうちに、再交付された保険証類が
両親宅に届いていたらしく、本日行ってみたら郵便受けに入っていたのだが、
開封して調べてみたら「介護保険負担割合証」が来ていなかった。
それでまた、「厚生部健康長寿課介護保険係」に電話をした。
これまでのいきさつと氏名を言い、調べて貰ったら、
「まだ送っていないようだ」とのことだったorz
どうしてそのようなことになったのか、私には詳細がわからぬ。
ともあれ、「後期高齢者医療被保険者証」「介護保険被保険者証」の2つを
本日、老人ホームに届けた。「負担割合証」は後日だ。
まあ別に、今すぐ命にかかわるような話じゃないから、ええけどもよ。

Trackback ( 0 )




「後期高齢者医療被保険者証」
「介護保険被保険者証」
「介護保険負担割合証」
の3点セットがなくなった、と昨日、母から電話があった。
現時点では、老人ホームか受診先の病院か、
お世話になった介護タクシーさんとの道中のどこかで、
落としたか無くしたか、……ということになるが、詳細不明だ。
ホームでは「今、探しています」と言っていたが、
私は短気なので、「つまり再交付やな(--#)」と思っている。

いつから無いのか、正確なところが定かでない。
とりあえず、8月9日に、
母が馴染みの某消化器内科クリニックを受診したときには、
これら保険証セットは、あったようだ。
そもそも日頃から、保険証・お薬手帳・受診券・予約表、等々は
老人ホームの詰所で預かられていて、母本人の管理下には無い。
9日の受診時には、私は同行していないから見た訳ではないが、
出発前に、迎えの介護タクシーの運転手さんが、詰所に寄り、
保険証その他をファスナー付きクリアポーチに全部入れて預かり、
道中や行った先では、母の受診の一切合切を介助して下さり、
帰着時にまた元通り、詰所に書類を返却して下さった筈なのだ。
クリアポーチにすべてを入れるのは、ホームの指定しているやり方で、
私自身が受診に付き添うときも、いつもそのようになっている。
介護タクシーさんのほうも、去年から継続的にお世話になっており、
母の状況も我が家の事情も、よく知っていて下さる運転手さんばかりだ。

私がホームに電話をして尋ねたところ、
詰所にお薬手帳だけは、ちゃんとあるとのことだった。
ただ、保険証3点セットが無い。
詰所から、受診先のクリニックと、介護タクシーさんとに、
それぞれ確認と説明の電話を入れて下さったそうだが、
クリニックでは保険証類一切は返却したという返答で、
運転手さんも、普段通りにしたので詰所に返した筈で、
車にもどこにも、落とした形跡はない、と言われたそうだ。
預かって出たファスナー付きクリアポーチごと返却するのが
いつもの普通の流れだから、お薬手帳がホームに戻っている以上、
途中で保険証だけ消えたとは、何があったのかと不思議だ???

きょう、私が母の脳クリニック受診に付き添ったときは、
だからホームからは保険証のコピーを持たされた。
まだ探している最中だと、スタッフさんは言われた。
「保険証盗まれたら、拾うた人が悪用することがあんねんてね?
悪用て、一体何をするんかと思うたら、それでお金を借りるんやと」
という話を、母は、病院での待ち時間の間に7回、した。

わかったってば(--#)。つまり再交付やな(--#)。
私が警察に報告して、市役所だか区役所だかに電話して書類を揃えて、
現地まで行ってひとまわりして手続して来るんやな(--#)。
後期高齢者医療被保険者証は国民健康保険と役所が違うし、
介護保険関連は、これまた窓口が別や(--#)(--#)


Trackback ( 0 )




以前のように欠かさず更新することができなくなったので、
このブログは日記の体を成しておらず、
途中途中にあった、家族の出来事の数々が抜け落ちている。
さすがに誰がいつ頃、何をしていたかを記録しておかないと、
あとで読み返したときに話が繋がらないのではないかと思うので、
ここまでのところで特記事項と思われることを、補足しておく。

7月21日(日)
主人の部屋のエアコンのお掃除ロボット機能が壊れ、
更にトイレのウォシュレットも水勢調節ができなくなったので、
いずれもマンション入居以来13年使用し続けてきた品であることから、
ここは有料修理より新規購入だろう・増税前にやるべきだろう、
ということで、主人と2人で某Y電機に出向き、新機種を決定。
エアコンはもう、お掃除機能付きは選ばないことに……(^_^;。
現トイレはウォシュレットのみの交換は出来ない型番で、
そもそもが2010年に製造終了・部品保管も2020年までとわかり、
トイレ本体を完全に新しく買い換えることにした。
取り付け前の現状確認および工事費を見積もるための、
業者さんの来訪日を、エアコンとトイレそれぞれについて決定。

7月22日(月)
かんぽ生命の不適切販売が日々ニュースで取り沙汰されており、
担当者2名で契約内容の確認と説明に伺いたいと、かんぽから電話があり、
ホームから両親を呼び、私も同席して、両親宅で話を聞くことに。
両親それぞれの契約したものがまだあり、
私も主人も娘も少額ながらかんぽ生命は利用しているので、
この機会にすべての内容を確認できたことは良かった。
我が家に関しては納得できる内容のものばかりで、問題は無かった。
昼食は、地元まで唯一来てくれる業者さんの宅配弁当を取って食べたが、
ホームの食事に飽きていた両親はかなり喜び、完食(^_^;。

7月23日(火)夜~7月25日(木)
二泊三日で東京へ。
娘が伝染性単核球症で寝込んでいたので、看病というかアパート掃除に。
幸い、娘の体調は25日から急激に上向きに。
ついでに国立劇場千秋楽を観劇。
定宿のホテル近くの築地本願寺は月末の盆踊りの準備が進行中で、
24日夜は練習日となっており、築地界隈は浴衣姿の老若男女で賑わっていた。
  
ときに、私が東京に行くときは娘の部屋に泊まっているのだと
誤解されている方がときどきあるのだが、
私は絶対に!娘の部屋になんか泊まらない。
そんな鬱陶しいこと、誰がするか!
私はいかなるときも、夜は定宿でひとり好き放題にしている。
娘だって、狭い部屋に私が居続けたら、イヤに決まっている。
今回、娘のアパートまで行ったのも2年ぶりくらいで、
初日の24日昼は最寄り駅を出てから迷いかけ、
何かの取材をしていたNHKのお兄さんに道を教えて貰った(爆)。

7月29日(月)
主人の部屋のエアコンに関して、Y電機に見積もりに来て貰う。
新しいものは同ランク機種でも小型化しており、
単なる付け替えでは壁紙にハッキリと跡が残ることがわかり、
それなら同じく13年越しのクロスも貼り替えるか?と思うようになり、
工事はとりあえず保留、先にインテリアショップに相談することに。
Y電機の見積もりそのものは3か月後でもそのまま有効とのことで、
工事日については後日こちらから電話をして、決定することに。
しかし見積もりは有効でも、増税前に納品・工事完了まで行かないと、
消費税10%になるとのことで、9月中の工事が必須と判明。

8月5日(月)
お盆の休暇を早めに取った娘が帰省。
伝染性単核球症はほぼ良くなったようで、体調は良好とのこと。
帰省前の耳鼻科受診で採血され、肝機能の確認を再度することになり、
まだアルコールは厳禁で、肝保護剤は継続して服用している。
「こんなに長い間、(酒を)飲んでないなんて初めてだ」とのこと。

8月7日(水)
実家父を免許センターに連れて行き
運転免許自主返納をし、運転経歴証明書を発行して貰う。
「ここに来ることは、もう無いねぇ」
と父はそれなりに寂しげというか感慨深げであった(汗)。
「長い間、お疲れ様でした」
と免許センターの担当の方からも言われる。

8月8日(木)
娘と一緒にインテリアショップに行き、クロス選び。
私は娘の、色に関するセンスをかなり信頼しているので、
主人の部屋と、トイレの壁紙を、娘に選んで貰う。
   
その後、某デパートで娘のブラックフォーマルを新調。
これまで正式な喪服を娘は持っていなかったので、
ドレスとバッグ、真珠のネックレス等、一式を購入。
昔々、私の若い頃は、嫁入り前の娘のために、
実家両親が呉服屋で喪服一式を買い整える、
という習慣が村にあったが、さすがに今や和服の時代ではない(汗)。
夜は、実家両親を呼び出し、我々夫婦と、娘も交えて外食。

8月10日(土)
午前中、舅姑の墓に主人と2人でお参り。
午後、娘が東京に帰った。

8月11日(日)
再びY電機のリフォーム部の方が来られて、
今度はトイレ・リフォームの見積もり。
これも型が変わると、床に跡が残るとのことで、
クッションフロアも新しく貼ることにする。
トイレは狭い空間なので、壁・床ともにさほど費用はかからない見通し。

8月12日(月)
Y電機店頭で、トイレ・リフォームの支払。
手洗いカウンター等をどうするかはまだ迷うところがあり、
良いものがあればこの際、取り替えても良いかとも思うので、
とりあえずショールームには行ってみることにし来週某日を予約。
こちらも増税前にというのがポイントなので、
9月末までに工事完了することが条件となっている。

Trackback ( 0 )




台風10号がお盆に中国地方を縦断する、と前々から予報で言われており、
8月15日の広島では、終日、鉄道もバスも運休、船や飛行機も大半が欠航、
デパートも美術館も動物園も臨時休業、と昨夜のうちに発表され、
御蔭できょうは、本当に静かな休日になった。

台風の影響を侮ってはいけないと重々、承知はしているが、
それでも尚、私にとっては、今回の台風は有り難かった(殴)。
台風襲来に全市で備えた御蔭で、私にとっては15日が完璧な安息日になったからだ。
市内全体が動かなくなっているのだから、何をしようにも出来ないし、
私を呼び出す人もおらず、周囲のすべてが沈黙しており、素晴らしかった。

午前中に洗濯や掃除など少ししたが、その後、用も無くなり、
ソファに寝転んで本を読んでいたら眠くなってきたので、
和室に布団を敷いて、本格的に寝た。
主人も休みで、ビールとつまみを友に自室でテレビを観ており、
誰も来ず何の用事もなく、私は完全に解放されて、爆睡した。
途中2時半頃に一度目覚めて、寝転んだまま文庫本を読んでいたが、
また眠くなったので、電気を消して再びウトウトした。
自分が良い具合に弛緩できていることを感じ、満足だった。

天気が悪いので薄暗く、風の音が多少はしていたが、
雨は普通程度の降り方で、恐れたほどの暴風雨にはならなかった。
冷房した部屋は最高に気持ち良く、私は稀に見る幸せな午睡を満喫した。
結局、夕方5時半に自然に起きて、
ちょうど夕飯の支度をする時間だな、
と長閑に思い、布団を片付けて、台所に立った。

こんなふうに、何もせず、時間も気にせず、寝たいだけ寝る、
ということを、ずっと、してみたいと願っていた。
お盆休みの最後にそれが叶ったことを、大変、幸せに思っている。
寝足りた心地よさを、今、全身で味わっている(T_T)。
さて、これからコーヒーでも淹れるかな。
和む~~。

Trackback ( 0 )




あれは先週水曜日だったから、確か8月7日のことだった。
村の神社の仕事で、午前中から社殿に行ったら、
拝殿と弊殿の間の扉を開けた途端、スズメバチが飛んできた。
その蜂は、いくら待っても出ていかないどころか、
本殿のほうへ上がって行って、ずっと飛び回っていたので、
私は意を決し、社務所から『10m噴射できる強力タイプ』の
スプレー式の殺虫剤を取って来て、そいつに向かって噴射した。
スズメバチに攻撃されたらこちらがオシマイなので、
確実に殺らねばならず、続けざまに大量にスプレーした。
なんと途中で更にもう2匹来て、ヤバいことになったかと焦ったが、
さすがはキン○ョー『ハ○ター』、3匹とも仕留めることができた。

完全に死骸になった3匹をホウキで外に掃きだし、
やれやれと、スプレーを元の場所に戻そうとして、
よく見た…ら、なんと、
『室内で使用しないで下さい』
とラベルに書いてあった。
げっ!もう遅いわ!さんざん使用してしまった。
三方の扉を開けた状態では、弊殿は「外」と変わらないが、
それらをすべて閉めたら完全な「室内」ではないか。

宮司さんか総代長さんかに電話して謝ろうか、と思ったが、
考え直して、私はキ○チョーお客様相談室に訊いてみることにした。
「よく読まないで室内で噴射してしまいました。
その部屋に、このあと人が知らずに入ってきたら、害があるでしょうか。
今すぐ拭き取っておけば、大丈夫でしょうか」。
すると、意外なことに、
「殺虫成分は、人には無害ですので特にご心配は要りません。
かぶれやすい方なら、油分が直接皮膚につくと、
赤くなることがあるかもしれませんが、薬剤そのものは問題ありません。
室内で使用しないというのは、内装にシミが残る可能性があるからです」
とのことだった。

今回使用した殺虫剤の主成分であるピレスロイドには、
はっきりとした「選択毒性」という性質があり、
哺乳類や鳥類が吸い込んでも基本的には害がないが、
昆虫類・両生類・爬虫類には強い毒性を示す、のだそうだ。
そうだったのか。それなら人間は大丈夫だ!
と私はすっかり安堵し、蜂が居たことだけ総代長さんに報告し、
その日の用事を終わらせ、扉は元通りに閉めてしっかり施錠し、帰宅した。

さて、それから4日経った本日、
私は再び、御札を取りに来られる方のために社殿を開けに行った。
弊殿の横の出入り口の鍵を開け、ガラガラとガラス戸を引いて、
畳の間に上がってみると、……な、なんと!!!

ゴキがこちらに3匹、むこうに3匹、
それに、体長15センチほどのムカデが1匹、
目の前で行き倒れていた。


は……(^_^;?
私の留守間に、一体、ここで何が……???

どうやら、4日前に私が殺虫剤を大量に噴射したあと、
窓も扉もことごとく閉めて行ったので、あのピレスロイド系殺虫剤が、
燻蒸さながらの効果を発揮したようだった。
噴射の最中や直後には、蜂のほかには誰も居なかったのだが、
私が帰ったあと、こいつらは苦悶しながら這い出てきたのだろう。
なんとまあ、予想外の副次的効果っていうか(^_^;。

『今、神社に来てみたら、社殿の畳の上にゴキが6匹とムカデが1匹、倒れていた!
先週、私がスズメバチと格闘して殺虫剤をまきまくったあと、
戸を全部閉めて帰ったので、燻蒸みたいな効果があったようだ(^-^;』
と主人にLINEで言ったら、すぐ、
『かわいそうに』
と返事が来た。
仏教徒の主人は、不必要に絶たれた小さな命を哀れんでいるのだった。
お盆だし。

……って、ヲイ(--#)!
可哀想なのは、それから合計7匹を掃除した、ワタシのほうだよ(--#)。

Trackback ( 0 )




両親宅の金庫4個、開けてやった。
昨夜出て来たダイヤル番号の組み合わせのメモが役に立った。
6通りのうち、4つまで使った。
合わなかった残り2つは、どの金庫のものか依然として不明だが、
とにかく、私が発見した4個の金庫については結着がついた。
ケビン・ランドルを呼ばずに済んだ(滂沱)。

築100年超の母屋には、冷房がない(爆)。
なので、前に一掃した建て増し部分の洋間のエアコンを24度設定にして、
母屋で10分作業しては、冷房した部屋に戻って涼み、
また母屋に戻って金庫破りを続行する、というやり方で、
合計2時間ほどで4個の金庫を解錠した。
100万円でも見つかったら報われたのだが(爆)
出て来たものは、

「(曾祖父の曾祖父)神社土地売買?の証書」(明治維新以前)
「戦前の神社の寄付台帳」(←何分冊にもなった書類)
「(父)(某職)辞令 昭和44年」
「(母)(某学校)卒業証書 昭和27年」
「(叔父)臍の緒」
「(伯母)臍の緒」(←伯母は50年以上前に故人になっている)
「よしこ 臍の緒 五歳毛髪」
「昭和40年代(祖母名義)広島北農業協同組合出資証券」(←祖母が死んで早25年?)
「昭和50年代 シロアリ駆除施工報告書」(←なぜ金庫に!???)

ほか、毛筆でしたためられた、古文書?な感じの巻物と大量の書状、
母の貴金属の保証書(しかし宝石本体は無し)、
金釘流(かなくぎりゅう)としか表現しようのない女文字の、
戦前の日付の毛筆の手紙。

この↑手紙は、宛名が私の祖父なのだが、
差出人の「○子」という女性が誰なのか私には皆目わからず、
めくって見ると封筒があって、
その裏に記されている差出人住所氏名を見て、
ようやく、これが祖父の妹にあたる女性だとわかった。
私の、……なんだっけ、大叔母かな??
大叔母が祖父に宛てた手紙など、私はほぼ興味がなく、
内容は全然読んでいないのだが、
金庫に入れて取っておくほどのものだったのか??

なんかもう、どれもこれも、
焼き払え!
っちゅう心境ですな(--#)。


しかしたったひとつ、結構大きな収穫があった。
それは、父が二十年くらい前に、
「これを遺影にしよう」
と言っていた、父本人の写真を金庫のひとつから発見したことだ。
背景を見ると恐らく村の神社の例祭当日だったと思われる、
幕と提灯が写っていて、そこに現在よりも格段に若くしっかりした父が、
本人比でキリリとした表情をして立っている。
両親ともこの写真が気に入り、「遺影にする」と言って、
写真屋さんで台紙をつけて貰っていたことは、
長らく、私の記憶にもあった。
どこかにある筈と、先日来、片付けのたびに思っていたのだが、
瓢箪から駒、よもや金庫に入っていたとはね。

っていうか、自分で遺影を指定するなら、わかるとこに出しとけよ(--#)。
いざ葬式でひっくり返っているときに、金庫なんか開けんわ普通(--#)。

Trackback ( 0 )




両親宅に、古い金庫が4個(爆)もあるのを発見した。
手提げ型などという可愛いらしいものではない。
どれも、ちょっとした「ワンドア冷蔵庫」くらいのサイズがあり、
ダイヤルを操作し更にキーを差し込んで開け閉めする、という金庫だ。
うちの両親は、一体なんの業者だったのか(--#)。
「オヤジら、商売しよったけど、そんな大きな金庫なんか見たことないで(^_^;?」
と、私の報告を聞いた主人が言った。ですよね(大汗)。
金庫は各々、規則性もなく異なった場所に、ひっそりと置かれていた。
母屋の某室の一角にひとつ、古いほうの物置の奥にまたひとつ、などなど。
どれも、周囲は埃まみれで、何十年と開けた形跡がないようだった。

サイズ的にみると、泥棒などに「盗られる」のを心配したというよりは、
火事等の災害時にも大丈夫なように、と考えて選んだ金庫だったのだろう。
金庫本体はおそらく昭和30年代の品と思われ、父母の世代だと、
「いつかまた空襲があっても耐えられるように」
という思いが、購入時に脳裏を過(よ)ぎったのかもしれない。
それにしても、この大きさともなれば、さぞや高かっただろうに、
一体どういう無駄使いをしていたのか。
父が、電気代すらケチって、暗い部屋でテレビを観続けたり、
暑さ寒さを限界まで我慢してエアコン類を使用しないようにしていた姿を
私は今でも思い出すことができるのだが、
一方でこんな贅沢なものを買っていたとは、呆れ返ってモノが言えない。

金庫、ではあるが、どれも入っているのは金銭ではない。主に書類だ。
なぜわかったかというと、中身が何であるかを書いた、黄ばんだ紙が、
それぞれ、扉のオモテに貼ってあったからだ。
それによると、文化何年とかの神社関係の記録だとか、手続用紙各種(何の?)、
父の仕事の免許状関連、それに叔父伯母や私の臍の緒(爆)、等々らしい。
管理の悪い古い金庫なので、今更、開け方なんかわからない。
それらしい鍵束があちこちから出てくるが、鍵穴に合わない。
「右に何々を何回、左に何々を何回」みたいな書き付けもあったが、
1種類だけなので、どの金庫のダイヤルのことなのか、完全に不明だ。

そもそも、両親の家はそこかしこに鍵のかかる仕組みがある。
長年、建て増しと改造を重ね、家全体が迷路に成りはてており、
部屋の出入り口や、廊下との境目、増築部分から母屋に通じるドア、
等々にいちいち鍵が取り付けられており、
ざっと見ても数十箇所くらいは鍵穴がある。
鍵は、もし全部揃っていれば物凄く太い鍵束である筈なのだが、
これまた管理が悪いので、あちこちから鍵が発掘されるばかりで、
全容は把握不可能だ。
先日、父の居室から、「かぎ」と書かれた菓子箱が出て来て、
開けたら大小様々な銀色の鍵が、どこの何とも書かれずに、
ただ、盛られていた、……のを見たときは心底、萎えた。

私の知らない、両親なりの長い歴史があったに違いないし、
こうなるにはなっただけの経緯があったのだろうと想像はできるが、
自分の手に負えるうちに、ものごとをきちんと整頓しておかなかったのは、
両親の犯した最大のミステイクであった。
還暦で父が定年退職をしたときに、ふたりで「終活」を開始するべきだった。
まだまだ隠居するような年齢でなかったからこそ、
死ぬときの準備を自分たちですべきだった。
私は決意したぞ、55歳の今から自分の終活を全面的に開始する!!
本物の老いた婆さんになったと、自分で認められるようになる頃には、
もうすべてが、何もかもが、手遅れなのだ。
いつやるの?今でしょ、55歳!!という心境ですよ林修先生!!
そうしなかったら、娘が今の私のようになるのだ。
貴重な人生の持ち時間を、ゴミ屋敷の処理に費やして腰痛になる経験など、
娘に是非して貰いたいとは、私は思わない(--#)。

***************

幸い、現状では、ドアや通路は最初から開いているところが大半なので、
両親宅のどの部屋にでもほぼ、私は自由自在に入れるのだが、
ただひとつ納屋の2階へ上がるドアだけは、施錠されたうえ、
鎖が二重三重に巻かれて取っ手部分が固定されていた。
向こうには何か、とんでもないものが封印されているのだろうか(爆)。
なんやねん、これ((;゚Д゚));

知らない人が案内もなしに入ったら、容易に出られなくなる構造の家だが、
改めて、実に薄気味の悪い家屋であることを私は感じた。
100年にも渡って、幾世代もの人々の思いを吸い込み続けた建物というのは、
ちょっと一筋縄で行かないシロモノになるんですねぇ。
土蔵本体が中でも相当に禍々しいのだが、それに隣接する納屋がまた、
上の階に行けないように、こんなにがっつりと閉ざされているとは。
外部からの侵入者など絶対に受け入れない!というつもりか、
それとも、階上のモノが、金輪際こちら側に出て来られないように!ということか。
キショク悪いったら無い。
しかしとりあえず、これまでのところ、私はこの家で超常現象を経験していない。
さしものオバケたちも、直系の私には手出しができないか(^_^;。
ふふん、見ていろ、私はこれから何年かかろうともこの家を解体し、
すべてを土に(廃棄物処理センターに)返してやる!

……ということで、こんなところで勝ち誇っていないで、
まずは金庫を開けるのが先決だな。
早いとこ、鍵師さんに来て戴かなくては。
なんぼかかるかね(^_^;?

そういえば、かつて和央ようかが菊田一夫演劇賞を受賞した舞台で
BOXMAN ―俺に破れない金庫などない』というのがあったよな。
ああ、ケビン・ランドルが舞い降りてくれんかなー(殴)。
目の保養くらい無いと、やってられんよホンマに。


追記:両親宅から持って帰った、貴重品と思われる品々を点検したら、
『何番を右に4回、何番を左に3回、……』というダイヤル解錠方法のメモが
なんと、6通り出て来た。
自力で開けられるかも、と希望が芽生えたが、
しかし、これって、金庫は、もしかして4個では済まなかったのか、…………orz

Trackback ( 0 )




今年は7月になっても、シヌほど暑くならずに済んでいる、
と少し甘く見ていたのだが、梅雨が明けた途端、急激に、極端な猛暑になった。
しかも、日が強く照りつけているのに、湿度も相変わらず高い。
昼間、35度、36度という外気温の中を歩いていると、僅かな時間で、
まるで入浴の最中みたいに、熱くじっとりとした空気に全身を包まれる。
会社には徒歩で行ける距離に住んでいるのだが、
目下、少なくとも私は往路だけはバスを利用している。
歩いて行こうものなら、瞬く間に汗で化粧が溶けるし、
到着後、湯気を立ててお客様の前に出ることになるからだ。

ときに先日、オフィスに入ったら、先に来ていたカナダ人同僚が言った。
「Hey! Boiling hot today, isn't it?」
今年こそ、私は、迷わなかった。
ここだっ、今、言わんでどうする!!
「Yeah, it IS! Hotter than hell!!

Trackback ( 0 )