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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



クリスティアン・アルミンク指揮 シンフォニア・ヴァルソヴィア 日本ツアー2025
(KAJIMOTO)

ポゴレリチ(ポゴレリッチ)の10月来日公演の全容が発表された。
小林愛実とポゴ氏の両方1日で聴けるのは名古屋だけということか。
いずれも平日なので遠征組にはちょっと厳しい感じ……。
まぁ私は、なんとかして行きますけど(^_^;。

ポゴレリチに関してだけ言えば、公演日は、
10月6日(月)19:00 東京すみだトリフォニーホール大ホール
10月7日(火)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
10月9日(木)19:00 大阪住友生命いずみホール

チケットは名古屋は既に発売中
東京・大阪は6月19日(木)12:00カジモト・イープラス先行、
6月28日(土)10:00一般発売

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というわけで、本日10時、チケット予約がかち合ったのだが
一計を案じて、PCでウインドウをふたつ開いて突撃することにした。
私は物理キーボードのほうが断然、思い通りになるので、
チケット取りなどという、寸刻を争う作業はコレに限ると判断した。
スマホでは、意図していないところに指先が当たったり、
触れているつもりなのに反応しなかったり、というのが怖すぎたのだ。

ある程度予想していた通り、チケ松の購入画面が9:58にはビジー状態になり、
しばらく入れなかったので、トップに戻っては入り直すことを反復しつつ、
別ウインドウのポゴ氏の名古屋のほうを先にメインにして、決着をつけた。
こういうものの常として、安価な席から埋まって行くのが観察できたが、
ファン的にはやはりS席狙いで行った。

私がすぐログインできるイープラス(「紀尾井町家話」をいつも観ているため)
が座席選択を採用していたので途中これも覗いたが、
CBCチケットセンターのほうが、全体に良い場所を持っていたように感じた。
CBCは座席選択は無く、そのとき出てきた席番で判断するしかなかったが、
少なくとも前方席という意味では、出て来る席番が良いように思った。

……ので、CBCのほうでポゴ氏協奏曲を一枚確保し、
それからチケ松に戻ってみたら、10:08頃に入ることができ、
以後は多少重かったが、途中で落ちたりはせず、順調に行った。
チケ松は、先のゴールド会員先行予約で良い場所をかなり狩られたあとで、
「一階・前方・中央」という基準で言えば、ほぼ残っていないに等しかった。

しかし私の狙いは「二階最後尾」なので、こっちはちゃんと選ぶ余地があった。
これまで様々な席を試したが、これほど快適な場所は私にとって他に無い。
平日昼など隣が来ないこともあるし、見えにくいときは前のめりOK、
なんなら中腰くらいになっても誰にも迷惑をかけない。
舞台は床まで含めて全景が見えるので、一覧性が極めて高い。
私にとって、芝居内容を最もラクに把握できるのが、この場所なのだ。

チケット予約二件同時進行でどうなるかと思ったが、
自分としては満足できる結果となり、メデタシ(^_^;。

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というわけで、明日、ポゴ氏愛知公演のチケットが発売されるのだが、
私個人としては、大変悩ましい状況だ。

まず10月は秋祭で神社界隈が超絶忙しい。
例年どおりなら10月最初の土日ともにかなり大きい祭典があるから、
終わった翌日が東京、その次の日が名古屋、となりそうだ。キツい。
更に、演奏会はどちらも夜公演なので、聴き終わってからでは、
広島まで帰る最終の新幹線には乗れない。
東京と名古屋を聴いたら、それぞれで一泊するほかない。

遠征組は常に、こういう「移動時間」と「泊」に関する足かせがある中で、
演奏会や舞台の予定のやりくりをせねばならない!
秋祭でクタクタなのに、泊までつく遠征!
そうでなくても観光シーズンで混雑する秋!!
ホテル(←高い)も新幹線も、どーするんだ!!
東京も名古屋もと欲張らず、どちらか一公演だけにするか。
しかしそれにしても、日帰りできないのは同じだから、都合2日間を要する。

勿論、私も道楽者ゆえ、それならそれで、考えないこともないのだ。
いつもの話だが、毒食らわば皿まで。
10月6日は始発で出てまず歌舞伎座昼の部、夜はポゴレリチの協奏曲、
翌朝、ゆっくりめに東京を発って名古屋に向かい、夜がポゴレリチ。
その翌日は、名古屋御園座の顔見世の昼の部を観てから、夕方、帰る。
いい具合に御園座は八代目菊五郎の襲名披露の予定でもある。
歌舞伎はどちらも夜の部が観られないが、二泊するならこれが最善だろう。

このテで行くか(汗)。
そうと決まれば、早割に如(し)くは無し!
……いや、だが10月の歌舞伎座は、『義経千本桜』の通しだ。
昼だけしか観られない、というのは、いかにも残念だな。
しかも歌舞伎座も御園座も、もしも夜のほうで、
松緑や左近で何か、物凄くいい役があったりしたら、
劇場まで行っていながら観ない、というのではおさまらないだろう。
ポスターを横目で見ながら駅に向かう無念さと言ったら。
ましてや、むっちゃいいダブルキャストでAプロBプロあったりして、
それが昼夜両方だったりしようもんなら、もう、泥沼。
現時点では、10月の歌舞伎の詳細が出ていないので、如何ともし難いが……。

それ以前に、もうひとつ厳しい問題に今、直面していて、
明日の、ポゴ氏愛知公演のチケット発売日の4月12日(土)10:00は
五月大歌舞伎の松竹歌舞伎会特別会員先行発売とも重なっているのだ。
こっちは、公演じゃなくてチケット予約がバッティング。
五月の歌舞伎座は勿論、團菊祭、しかも八代目菊五郎襲名披露である。
観んでどうする!先日の襲名披露パーティーだって断念したのに!
……って、これ、どっちを先にやればいいのかね(^_^;。
スマホとPCで同時進行にして、繋がったほうから取るか(^_^;。

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ポゴレリチは今度の10月に来日し、シンフォニア・ヴァルソヴィアとの共演で
ショパンの協奏曲第2番を弾くことになっている。
ショパンの2つの協奏曲を一晩で聴くという演奏会で、
第1番のほうのソリストは小林愛実、指揮はクリスティアン・アルミンク。

予定については全貌がはっきりしないのだが、今のところ、
2025年10月6日(月)開演時間未定、会場都内ホールを予定
2025年10月7日(火)18:45開演 愛知県芸術劇場コンサートホール
の2公演の情報が公開されている。

愛知公演については明日(!)10:00からチケットが発売される。
シンフォニア・ヴァルソヴィア with イーヴォ・ポゴレリッチ&小林愛実(CBCテレビ)
ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」序曲 Op.72
ショパンピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 Op.21 (イーヴォ・ポゴレリッチ)
ショパンピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11 (小林愛実)

一般発売 : 4月12日(土)10:00
アイ・チケット 0570-00-5310 https://clanago.com/i-ticket
チケットぴあ https://t.pia.jp/ (Pコード : 294-602)
ローソンチケット https://l-tike.com/ (Lコード : 41151)
e+(イープラス) https://eplus.jp/
芸文プレイガイド 052-972-0430 (愛知芸術文化センター内)
名鉄ホールチケットセンター 052-561-7755
栄プレチケ92 052-953-0777
CBCチケットセンターhttps://www.funity.jp/cbc-ticket/

CBCチケットセンターから会員登録ができる。

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来日公演の終わったポゴ氏、2月は演奏会予定は無さそうで、
休養ということだろうか。
Recitals & Performances with Orchestra in the Season 2024/2025

3月からはクロアチアとスイスでのリサイタルが予定されており、
プログラムは日本で弾いたものと同じだ。
そのあとは協奏曲の予定が続いていて、
ベルリンとミュンヘンでラフマニノフ2番、
クラクフとワルシャワでショパンの1番。
ショパンが2番でなく1番というのは、ちょっと久しぶりではなかろうか。
私は2012年5月の東京公演で聴いたが、他ではあまり演奏したことがないかも。

そして5月のリサイタルから、新しいプログラムになるのだが、
これがオール・ベートーヴェンである。
 Ludwig van BEETHOVEN
 Piano Sonata No. 8 in C minor, Op. 13, Pathétique
 Piano Sonata No. 17 in D minor, Op. 31, No. 2, Tempest
 Bagatelle in D Major, Op. 33, No. 6
 Bagatelle u Es Major, Op. 126, No. 3
 Piano Sonata No. 23 in F minor, Op. 57, Appassionata

ソナタの『悲愴』『テンペスト』と『熱情』の間に
小品のバガテルが2曲、作品33-6と126-3が入っている。
2013年12月の来日公演のときのオール・ベートーヴェンにあった、
22番ヘ長調も24番『テレーゼ』も既に居なくなり、
今度の5月からのプログラムでは、後半のソナタは23番『熱情』だけだ。
この順序で聴いたら、私は何を感じるのだろうか。

それにしても、所沢で最初に発表されていたバッハ・シューマン・プロコは
みんな完全にどこかへ行ってしまいましたね(^_^;。
私は結構あれ、楽しみにしていたんスけど。
 バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
 シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
 プロコフィエフ:別れの前のロメオとジュリエット
 プロコフィエフ:ピアノソナタ第6番

あと、シツコいようですが、
スクリャービン『詩曲:焔に向かって』作品72
……やっぱり、演らないんですかね~~~。
10年前に一度だけ予定に入っていたのだが、
外されてしまって、それきりになっている。かなり残念(^_^;。

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今回の来日公演のうち、私が行けたのは、
1月25日(土)君津と26日(日)所沢の2公演のみだったのだが、
特に所沢公演のほうで、前日とコンセプトは同じでも表現の持つ威力が増し、
私の思う「ポゴレリチらしさ」が目覚ましく際立っていて、
実に手応えあるリサイタルを聴かせて貰うことができた。
ポゴレリチは日々進化する演奏家なのだということを改めて感じたし、
芸術家には、期せずして何かが「降りて」来るときがあるのだと、
その瞬間を目の当たりにした思いになった。
まさに、「脱皮」「メタモルフォーゼ」こそが彼の真骨頂である!

プログラムは2日間とも同一で、
前半がモーツァルト、休憩後の後半がショパンであった。

 モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
 モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
 モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》
 ショパン:夜想曲 変ホ長調 op.55-2
 ショパン:3つのマズルカ op.59
 ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35《葬送》
   アンコール シベリウス:悲しきワルツ

プログラム最初の3曲は、
モーツァルトの中でも幻想的で不安な雰囲気の作品が選ばれていたと思うが、
それらがまた、ポゴレリチにかかると、
「その音がそこにあった?本当に!?」
と驚くような箇所があちこちにあり、瞬時も聞き逃せず、
モーツァルトは実は、先駆的で現代的な和声を書いていたのであり、
後にショパンに影響を与えることになる対位法の試みも、
この時点で既に様々に行われていたのだと、気付かされるところが多かった。

ピアノ・ソナタ K.331の第一楽章は、
各変奏曲ごとのリピートは一切なしで、淡々と進んだ。
1987年収録のDVD及び1992年収録のCDでは丹念な反復が施され、
変奏曲としての性格が強調されて、かなり長大になっていたのだが、
今回のリサイタルではテンポが心もち速めに維持されたこともあって、
ソナタ一曲として聴いても、タイトな印象になっていた。
トルコ行進曲は、左手がまさに打楽器の響きで、
ポゴレリチのリズム感の秀逸さが大いに発揮されていたと思う。

今回弾かれたモーツァルトはどれも、
僅かなテンポの揺らぎや微細な「ため」のようなものが、
普段こうした曲では聴いたことがないような種類の魅力を醸し出していて、
まさにポゴレリチならではのセンスだなと感じ入った。
反面、私が日頃モーツァルトに感じる軽快さや優美さはほとんど響いて来ず、
楽器としての現代ピアノの性質や機能が、18世紀のものとは
大きく異なることを加味した解釈であり表現であったのだろうとは思うが、
本質的に、ポゴレリチは今もなお、明るい光のもとにある演奏家ではない、
ということなのだろうとも思った。

後半のショパン、最初が夜想曲作品55-2なのが少々意外で、
プログラムが発表された当初、私は何かの間違いかとすら思ったものだった。
近年になって取り上げ、録音もした48-1でもなく62-2でもなく、
若い頃に弾き尽くしたような55-2を、今……。
しかし実際に聴いてみてわかった、というか漠然と感じたのだ、
これは追想のひとときなのだ、と。
80年代から90年代にかけてたびたび取り上げ、複数回レコーディングした夜想曲を
今だからこそ、かえりみて弾く意味が、あるようになったのだろう、と。

勿論その演奏は、1980年当時よりずっと深く抑制が効いていて、
すみずみまで精緻であり濃密であった。
とりわけバスの、豊かな響きのうつろいが美しく、
目眩がするほどの、ポリフォニーの魅力があますところなく描き出されて、
(ショパン嫌いの私が)ショパンは何と美しい音楽を書いていたのだろう、
と聴き惚れる瞬間が次々、次々とあった。

そしてマズルカ作品59の3曲。
超のつく名演であったと思う。
なぜこの3曲がひとまとまりで作品59なのか、
それぞれの中に一貫して流れる半音階の描き出す音の綾、
舞曲としてのマズール独特の空気が、曲同士で響き合うのを、
私は今回まざまざと感じて、なるほどこの3曲がこの順なのは
必然であったのだと、納得することができた。
1991年5月の東京公演で弾いた作品59も、
冴え渡る技巧と感性のきらめきが発揮された、忘れ難い名演だったが、
私は今回の、おそらくポゴレリチとして「晩年」のものとなるであろう、
3曲の結びつきと共鳴をかたちにした解釈のほうを推したいと思う。
それほどに、彼一流の、説得力のある演奏だった。

そのあと、ショパンのソナタ第2番が始まったときのことだった。
私はそこに、全く思いがけず、1981年のポゴレリチの姿が現れたのを感じた。
デビュー・アルバム『ショパン・リサイタル』に初めて針を落として、
第一曲目の葬送ソナタを聴き始めたときの、あの、目を見張るような思い!
この感覚は、40年ぶり以上ではないか!
同曲は過去の来日公演でも取り上げられていて、幾度も聴く機会があったが、
これまではポゴレリチの新しい試みや年月の経過を感じることはあっても、
私の知っている「最初のポゴレリチ」が重なって聞こえたのは初めてだった。

ここに至るために、後半のプログラムを夜想曲作品55-2から始めたのか、
そしてマズルカ作品59をもう一度辿ることにしたのかと
首尾一貫した流れをそこに実感した。
考えてみればこの日のショパンは、
ポゴレリチが1980年ショパンコンクールの予選で演奏したものばかりだった。
あれから45年!
ポゴレリチは、ついにここに、「還って」来たのか!

フィジカルな意味での演奏としては、必ずしも1981年当時と同じではなかった。
リピートは、コンクールライブやドイツグラモフォン盤と同様に排除していたが、
テンポ設定は、デビュー当時のほうがもう少し速かったのではないかと思うし、
特に第1楽章のペダルなど、当時は露骨なほど使用を控えていたはずだ。
今回はそうではなく、ペダルはむしろきめ細かく多用され、
それゆえに多様・多彩な響きの連続となっていた。
最初のポゴレリチと現在のポゴレリチが同期し、高め合って行く様を
私は深い驚きと感動を持って聴いた。

『葬送行進曲』は少し前のポゴレリチなら、
もっとテンポを落として弾いた筈だと思うが、
今回のは、よどみもなく一歩一歩確実に歩んで行く「速さ」が保たれていた。
それは、終わりの日に向かって進み行く鼓動のごとく、
容赦のない時間の流れそのものであったかもしれない。
死の虚しさは感じたが、決して悲惨さは無かった。
音数の多い曲ではないのに、否、むしろそれだからこそ、
ひとつひとつの音価の持つ意味やニュアンスが
一度では到底聴き取れないほどの密度で迫ってきて、
空間的な広がりや、ときに見上げるような高さすら感じさせる、
巨大で、立体的な音楽となっていた。

第三楽章からほとんどアタッカで第四楽章に突入し、
文字通り疾走する音楽とともに、ペダリングもめくるめくような鮮やかさ!
終わって、一呼吸あって、やがて聴衆はここで初めて拍手をした。
ポゴレリチもまた初めて立ち上がり、盛大な拍手やBravoの声に応えたが、
ここからがまた、最近の彼ならではの作法で、礼をしても退場はせず、
やがて聴衆を手で軽く制して、そのままアンコールの曲目を告げた。

「Sibelius, Valse Triste」

この曲を、初めて日本の演奏会で披露したのは2010年のリサイタルだった。
あれからアンコールピースになったり、
本プロで再び取り上げられたり、テレビで収録されたりと、
近年、ポゴレリチはこれを演奏する機会が多かったが、
御蔭で私は、ポゴレリチの描く「死」の姿が刻々と変化するのを
ほとんど時系列に沿って見守ることとなった。

かつてポゴレリチにぴたりと寄り添い、彼を覆い尽くした陰惨な「死」は、
次第に、ワルツを踊るときだけ、そのグロテスクな姿を現す影となり、
今や、抽象的で顔のない、昏い概念だけの存在になりつつある。
絶命の痕跡は捨象され、芸術として突き詰めた「死」として昇華され、
この曲は独特の翳りのある、こよなく美しい音楽となった。
孤独な主人公はもはや、亡骸を抱いて自ら踊ることはしない。
更け渡る夜のしじま、ほのかにたゆたう灯の中で、
かつてそのようなダンスもあったことを無言で想うばかりだ。

On the piano I express my despair
(ピアノで私は自身の絶望を表現する)

という言葉が、ポゴレリチの2022年のショパンCDのブックレットに
掲げられている。
彼の音楽の根底に流れる絶望や傷跡が、癒やされ消えることはないが、
一方で受容や肯定もまた、年々、深まりを見せていることが感じられる。
ショパン・コンクールでの衝撃のデビューから、今年で45年。
このあと、50年目はどうなるだろう。
55年、60年の公演はあるだろうか。
ひとりの芸術家が為し得ることの、無限の偉大さに感じ入るとともに、
この世での時間には、必ず終わりがあることを思い、
きょうまでの年月、どのようなときも聴かせてくれてありがとう、
同じ時代にこうして巡り会えたのは奇跡に等しい幸運だった、
と、心からの篤い感謝をもって拍手を送った、今回のリサイタルだった。
彼と聴衆との間に残された時間は、おそらくもう、そう長くはあるまい。

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・今回のポゴレリチ来日公演に関して、私の行けそうな日は、
最初から1月25日と26日しかなかった。
神社の正月行事は、まだ完全には終わっていない時期だったが、
総合的に判断して、ここがいちばんマシなタイミングだった。
それで、この2日間のチケットだけは、各々発売日に買った。
厄祓いの祭典や節分祭準備があるのはわかっていたが、
絶対に譲らない決意であった。
親が死んでも(爆)秋祭に出た私が、
「この日とこの日は欠席します。変更不可!」
と、慶弔でもないのに決然と言い出す用事が一体何なのか、
総代会の面々は想像もできなかったに違いない。

・私は小平市民だった時代があるので、所沢はイメージできていたが、
君津?え?東京湾のあっちか!どうやって行ったらいいのか!?
と前日になって今更焦った。
千葉在住のポゴファン仲間に親切に指南して貰い、
バスタ新宿から君津バスターミナルまで高速バスをウェブ予約し
最終的には大変快適に往復できたが、このトシになって結構な冒険であった。
君津市民文化ホールや周辺施設についていろいろ学習できたが、
この知識を活かす機会は二度とないのだろう(汗)。

・君津で度肝を抜かれたのは、写真の、ホール前の看板であった。
配色も凄いが、イーヴォ・ポゴレリチと清水ミチコが並んだところなんて、
一生にそう幾度も見られるものではあるまい。しかも値段が両者ほぼ一緒。
昨年秋頃には、現地プレイガイドでポゴレリチのチラシの隣は春風亭小朝、
という、要らない情報があったが、小朝の君津公演は11月に終わり、
私が行った頃には小朝の痕跡は既に無かった。
今はポゴレリチのチラシも店頭やホールから姿を消し、
多分、この看板のポゴレリチも剥がされて、何かに変わっているのだろう。

・君津の翌日に所沢に行ったら、前日に居たおじ(い)さま達が
また揃って集結していて、熱心なファンはどこにでも現れるのだなと感心した。
いや全くヒトのことは言えないんだが。
おねえさま方(笑)もいらしていたのだと思うが、
女性は服やアクセサリーのニュアンスが異なると私には同定できないので、
知り合いの方にはほとんどご挨拶できなかった。
Xで見たら、皆さんやはり来られていたようだった(^_^;。

・秋から年末年始まで私が忙し過ぎたので、このたびの旅行の手配は、
前述の高速バスを除いて、同行のポゴファン仲間に早い段階で全振りしていた。
彼女は私の高校時代からの友人であり、元々ピアノ好きであったので、
大学時代に私が、ポゴ氏のCDを次々聴かせて同じ沼に誘い込んだのである(笑)。
以後、1988年5月の広島公演を皮切りに、数々のポゴ氏ツアーをともにしてきた。
彼女は高校の国語教諭をしている関係で、修学旅行等で馴染みの旅行会社さんを
昨年11月初旬某日、昼休憩時に私的に学校に呼んで、新幹線とホテルを頼んだ。
「東京は、どこに行かれるんですか?」
と尋ねる旅行会社さんを国語準備室から廊下に連れ出し、
「用があるのは、君津と所沢」
と彼女が言い、そのあまりに突飛すぎる返答に先方は驚いて、
「何があるんですか!?」
と尋ねてきた。そこで、さすが国語教諭の彼女、
「ちょっと、『催し物』が、あって(^_^;」。
しかも、まだこの話も書いていないのだが実は我々は、
往路に大阪で途中下車し、松竹座で仁左衛門&玉三郎も観ることになっていた。
広島ー東京往復、初日に新大阪途中下車、あとは東京起点で君津と所沢へ。
旅行会社さんは頭をかかえ、
「一旦、持ち帰らせてください」
と帰って行ったそうだ。
しかし結果として60日前割引を使い新宿泊にしてくれて、大正解であった。
安く泊まれて、バスタ新宿至近、所沢には西武新宿駅から一本であった。
24日の広島ー新大阪は九州新幹線で快適だったし。
蛇の道は蛇。

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イーヴォ・ポゴレリチの極東ツアー2025のうち、
1月25日(土)千葉県・君津市民文化ホールと、
26日(日)埼玉県・所沢ミューズアークホールの、
二度のリサイタルを聴くことができた。

君津・所沢といずれもマチネで、連続して2日間を聴いた訳だが、
あとの所沢のほうが驚くほど目覚ましい内容になっていて、
楽器が違うからか、ホールの音響 and/or 私の座席位置が理由なのか、
それとも御本人が一晩で脱皮&メタモルフォーゼを経験されたのか(!)、
理由はあれこれ想像する以外に無かった。
同じように会場入りして、同様にリハーサルを行い、定刻に演奏会が始まる、
という意味で、この2日間は全く滞りなく進行した筈であり、
条件的に殊更違う面があったようには思われなかったのだが、
音の構成や響き、僅かなニュアンスなどの変化が相乗効果のように効いて、
所沢でのリサイタルは、前日とは大きく異なるものになっていた。

各曲について感じたことは様々あり、
それはまた近いうちに改めて書ければと願っているが、
一夜のうちに彼に起きた(のであろう)変化を目の当たりにしたことにより、
私は今回、ポゴレリチが決してツアーをやめない理由も、
私なりに理解できる気がした。
世界の檜舞台と言われる大ホールでも、片田舎のサロンのような場所でも、
楽器の状態が良くてもそうでなくても、聴衆が多くても少なくても、
それぞれの場所に実際に出向いて、聴き手と直接対峙して弾くことにより、
演奏家のほうにも、予期せず「降りて」来るものがあるのだ。
これはいくら精度の高い録音活動を展開しても、
スタジオの中にだけ居たのでは、決して得られないものだ。
だからポゴレリチは、遠くても、気力体力を要しても、極東まで来るのだ。

もうひとつ今回私が強く感じたのは、ポゴレリチが「還って」きたことだった。
特にプログラム後半のショパンは、1980年のショパン・コンクール予選のために
21歳当時の彼が選択した曲目ばかりで、デビューアルバムの1曲目であった、
ショパンのソナタ2番の第一楽章を彼が弾き始めたとき、
私の中で、若き日のポゴレリチが、2025年の今の彼と重なった。
45年前と現在と、演奏が同じでないことは明白であったのに、
そこに立ち上がってきたのは、あの始まりの日々の、彼の姿であった。
葬送ソナタは過去の来日公演でも幾度か聴いたが、
こんなことは私にとって、初めての経験だった。

一周回って、とうとう、とうとうここに還ってきた!
それは正円などには程遠い軌跡であり、気の遠くなるほど過酷で長い道のりであった。
けれどもその道は、途絶えることなく今日につながり、
弾き手と聴き手がまさに奇蹟のような邂逅を果たし得たのだと
私は心から、熱く、篤く、演奏家イーヴォ・ポゴレリチを讃え、
彼が今ここに居てくれることに、深い感謝を捧げた。

一方で私は、2005年から2010年頃に渡って彼が見せた狂気や毒も、
今なお決して、忘れていない。あれもまた彼自身であった。
おそらく徐々にそれらを制御できるようになり、
そのうえに現在の演奏が成り立っているのだと想像している。
ポゴレリチは、まことにシヴァ神のような演奏家となった。
破壊と再生。
凶暴で無慈悲でありながら、無限の慈愛あふれる幸福をも与える、
矛盾に満ちた最高神。

アンコールのシベリウス『悲しきワルツ』では、
様々なことどもがすべて過去のものとなり、
もはや死人とのダンスではなくなっていた。
生々しい慟哭や絶望は浄化し捨象して、
一分の隙も無く芸術として造型した「死」。
美の粋をちりばめたような名演だった。

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ポゴ氏の所沢のリサイタルプログラムが結局変更され、
君津・所沢・東京すべて同じ曲目ということになった。

イーヴォ・ポゴレリッチ[ピアノ](所沢ミューズアークホール)
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》
ショパン:ノクターン 変ホ長調 op.55-2
ショパン:3つのマズルカ op.59
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35《葬送》
*出演者の希望により曲目が変更になりました。どうぞ、ご了承ください。


来日直前には1月18日に台湾公演があることになっており、
ラフマニノフの協奏曲第2番を弾くと発表されていて、
ついでに3月のベルリンとミュンヘンもやはりRach2の予定になっているのだが、
東京の1月21日は、最初の発表のままショパン2番の協奏曲で良いんだろうか。
……イイんだろうよね(^_^;、公式サイトもそうなっているのだから。
ちなみにラフマニノフって繁体字中国語で「拉赫曼尼諾夫」と
書くのですね。
波哥の話だという前提がなかったら、梵語かと思うワ(逃)。

波哥雷里奇明年1月來台 詮釋拉赫曼尼諾夫第二號鋼琴協奏曲(梅花新聞網)
Ivo Pogorelich 公式

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今になって(^_^;、ポゴ氏の東京リサイタルが発表された。

2025年1月29日(水)19:00 開演(18:30 開場)
東京/サントリーホール

モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」
ショパン:ノクターン 変ホ長調 op.55-2
ショパン:3つのマズルカ op.59
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35「葬送」

カジモト・イープラス会員限定先行:2024年10月9日(水) 12:00 ~13日(日) 18:00
一般発売:2024年10月20日(日) 10:00

S席¥17,000、A席¥13,000、B席¥9,000

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