転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このところ、毎日ちゃんと、ピアノのフタを、開けている。
きょうはツェルニー40番の第6番を弾いた。
オクターブが登場しない・指をくぐらせる箇所がない、
という曲ばかりやっていないで、
ちょっと自分に負荷をかけたほうがいいかなと思って。
しかし私の場合、40番になると指定速度で弾くことは完璧不可能なので、
結局のところ、ちょっと長めの30番練習曲をやっているのと大差ない(涙)。

仮装ぴあにすと様に伺ったところ、
私のように、筋トレまがいの感覚でしかピアノを弾いていない、
という人間が、オトナには案外いるものだそうだ。
単調なハノンやツェルニーなら喜々としてばりばり弾き、
譜読みをしたり考えたりせねばならない『名曲』には尻込みする、
という人種は、世の中が思っているより多いのだ。
実際、私は新しい曲の譜読みをするなどという行為は、
もう二十年くらいしていないのではないかと思う(爆)。
もはや楽譜など全く読めないんじゃ・・・?(殴)

そういえばポゴレリチが95年の来日公演のときに、
クレメンティのソナチネ作品36-3と作品36-4とを
プログラムに入れていたことがあった。
当時私は、この選曲を見て心底、聴きたいと願ったのだが、
松江在住で育児の最中で、とてもじゃないが出られなかった。
彼がどのように弾いたのか、今でもとても興味を持っているのだが、
95年の来日は体調不良のためにプログラムの変更もあったようで、
本当にこれを弾いたのかどうかは、よくわからない。
が、ともあれ私は自分が習っていた頃から、
ソナチネ・アルバムは抜きんでて魅力ある曲集だと思っていたので、
ポゴレリチがそこから二曲も選んでいたことはとても嬉しかった。

ああいう初心者用の曲を世界的なピアニストが弾くと、
びっくりするようなものが聞こえてくることがある。
クリストフ・エッシェンバッハの弾く『ツェルニー30番』なんて
実は私はかなり好きだ。
ツェルニーがベートーヴェンの弟子であったことがよくわかる、
大変美しい練習曲集だと、彼の演奏を聴けば感じられると思う。
これ、レッキとしたCDとして、グラモフォンから出ているのだぞ(^_^;。

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今年も、シメ(紫苑ゆう)さんの『再会』で、
ホテルオークラ神戸に行った。

紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part8』
紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part7』
紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part6』

退団後14年になる今も、1000人以上が集まるこの催しは、
いつも、シメさんの、宝塚への「愛」が本当に強く感じられ、
それが、男役・紫苑ゆうの吸引力の根源であるわけだが、
皆も、そのようなシメさんを通して宝塚を見直すこのひとときが、
大好きだからこそ、毎年、こうして変わらずにやって来るのだと思う。

死んでもいいほど宝塚が好きだという気持ちで舞台に立っていたと
彼女のようにはっきり言えるOGは、そんなに居ないのではないだろうか。
シメさんの舞台を知っていて私は本当に幸せだったと
今夜は改めて思った。
あの頃の思い出があるからこそ、贔屓がいてもいなくても、
私は宝塚歌劇を見続けているのだと思う。
シメさんには本当に、心からお礼を言いたい。

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昨日出かけた音楽会では、スロバキアの管弦楽団が演奏して、
それはそれは素晴らしかったのだが、
最後にアンコールになったとき、私にとって、
音楽そのものとは別次元で、とてもショーゲキ的なことが、あった。

指揮者(日本人)のかたが
「皆さんは、聞く機会があまりおありでないと思いますので」
と紹介なさって、スロバキア国歌の演奏があったのだ。

始まった途端、私、悶絶。

そ、それ、知ってるーーーー!!!
しかも、なんだか、日本語歌詞で歌えるーーーー!!!

宝塚歌劇団演出家・谷正純センセイの、1990年大劇場デビュー作、
主人公の人格が途中で激変する、花組公演『秋・・・冬への前奏曲』、
あの中で、音程のヤバい人やヤバくない人や、いろんな人が、歌ったーーー!!

なんと私は、宝塚歌劇の御陰で、スロバキア国歌を覚えていたのだ。
そういえばあの芝居は、私はバレエダンサーの話として記憶していたが、
そもそもはチェコスロバキアの独立問題がテーマだったっけ。

で、この感動(爆)を誰かに喋りたくなった私は、
帰宅してから、当時の花組観劇仲間であった某嬢にメールをした。
スロバキア国歌を今夜の演奏会で聴いてしまった、懐かしすぎた、と。

すると、彼女から来た返事が。
『♪○○の○○、○○に○○ぬ
 ♪○○の○○、○○に○○ぬ
 ♪★我がと~も、互いに手~をとり ともに○○まん
(★繰り返し)

銃声
悲鳴
(ルボル~)

(※○○はまったく記憶なし)』

はははは!!!それだ、それだ!!!
その、抜け殻というか、骨だけになったような、
某嬢の記憶が、また、とてつもなく可笑しくて、
腹のよじれた、ワタクシであった。


(以前私が書いた、『秋・・・冬への前奏曲』についての文章は、こちら
(現スロバキア共和国・国歌のMIDIは、こちら

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昨日、反省した通り、きょうはちゃんとピアノのフタを開けた。
開けて、・・・おもむろに閉めた、・・・わけではない(爆)。
ちゃんと、弾いたとも。ツェルニー30番の第1番を(爆)。

私の貧弱極まるピアノ学習歴において、この曲はとても大切だ。
ハ長調で、音が飛んでいなくて、オクターブもないし、
手をずっと閉じた状態でも弾けるから、どこの関節も痛くないし、
左手はパターンだけだし、こんなに気分良く弾ける練習曲は珍しい。
つまり、技術的に大変平易な曲だ、というわけだ

だが、残念ながら、こんな曲でも、指定速度の通りに
アレグロ(二分音符=100の速さ)で弾こうとすると、
弾きにくい箇所があちこちにあるのだ。
一応音楽として止まらない程度に弾いてはいても、
よけいな力が入ってジタバタしているのが自分でわかる。
そういう箇所は、いい加減な打鍵だから、音も揃っていない。
表現以前の問題だ。どーゆーナサケない腕前だろう。

こんな、小学生程度のエチュードで難渋するワタシから見ると、
ツェルニー40番の第1番が、
いくら単純なハ長調スケールの連続だからとは言え、
速度指定プレスト(二分音符=108)というのは人間ワザとは思えない。
雪崩か火砕流かという、非人道的速度に思えるぞ。
ハノンの24調の音階だって、最高で四分音符=120になっているのに。


異常にレベルの低い話で、すみません(逃)。



追記:ピアノの練習法について、ちょっと検索してみたら、
ツェルニーは必ずしも指定速度で弾けなくても良い、
ということが、あちこちに書いてあった。
そうなのか。私がかつて習った先生はメトロノームで計って
指定速度に限りなく近づくことを要求なさったので、
それが出来ないと駄目なのかと思っていたが、その限りではないようだ。
特に、30番練習曲は、速度をあげて乱れるくらいなら、
ゆっくりでも正確に弾くことが大事であるようだ。
現実に30番は、幼児から習い始めれば小学生で到達する練習曲だから、
指が成長途中で柔らかいことを前提にすると、それも道理だと思う。

が、40番は、『Schule der Geläufigkeit』というタイトルの通り
本来的に「速さを習得するためのエチュード」なので、
指定の速度厳守とは言わないまでも、
やはりその7~8割程度の速さまでは
到達することを目標にせねばならない、とのことだ。
http://piano1001.com/lesson/advice/czerny40/czerny40.htm

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午前中、仮装ぴあにすと様が寄って下さって、
いろいろお話をして大いに笑い、大変楽しかったのだが、
ついでに、うちの某ヤマハのアプライトを弾いて頂いたらば、
「湿っている?」
「フェルトが新しいというか、ほわんほわん」
「音は合ってますね」
「ちょっとフタあけといたほうがいいですよ」
とさすがのご指摘だった。

そーなのだ。
うちのピアノは、購入したのは約十年前だったのだが、
なにしろ長年の官舎暮らしで、
近所迷惑になるからと全く音を出せなかったので、
私がお稽古に通い自分なりに熱心に弾いていた頃でさえ、
必ず消音ユニットを使っていたのだ。
結果、弾いても実際にハンマーが弦を叩くことが無かった
(消音ユニットは、鍵盤を叩いたときにハンマーが弦の直前で止まり、
それゆえに外に音が出ない仕組みになっており、
ヘドフォンから聞こえるのはサンプリングされた『作り物』の音だ)。

更に、せっかくマンションに移ったというのに、
この三年ほどは私のほうがピアノを弾く習慣から離れてしまい、
ピアノに全然触らない日のほうが多くなっていた。
あとは娘がたまに、アニメの曲などをイタズラで弾く程度だが、
彼女は私に聴かれたくないために相変わらず消音ユニットを使うので、
前述の通り、実際には弾いたことになっておらず、意味なし。
それでも調律だけは年に一度して貰っていたので、
かろうじて『音が合っている』だけの状態だったのだ。
ああ、十年このかた、なんと無意味な新品状態を保ってきたことか。

つくも神じゃないが、ピアノに神様がいるなら、
うちのアプライトの神様は、あまりの貧乏くじ状態に、
おいおい泣いていらっしゃるに違いない。
『最低でも、音を出すのが楽器の仕事なのに~~~』
とピアノは私を恨んでいるかもしれない(汗)。

・・・と思ったら、にわかに、夜うなされそーな気になってきたので、
これからは、ちょっと真面目に練習しようと思った。



追記:晩には従妹の演奏会があった。
今夜は協奏曲で、モーツァルトのジュノームだった。
なんというか、・・・これが、素晴らしかったのだ。
良い夜だった。満足だ♪

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夕べから頭が痛くて、朝になってもなおらず、
血圧を測ってみたら118/76という、
医師的には理想値、私的には異常値だった。
もともと高血圧の私は、135/90くらいのときが一番元気なのだ。
ということで、勢いがなく、午前中は昼寝した。
週末に姑が発熱していたのだが、今日のところはT園から連絡は無いし、
特別に困った事態にはなっていないのだろう、
と勝手に考えて、とりあえず、自分が先に休息を取ることにした。

目が覚めたら、午後1時過ぎで、さすがに頭痛もほぼなおっていた。
左の後頭部から肩にかけてが、いくらか鈍痛が残っていたが、
朝よりはずっと元気になった気がした。
それで、ラジオ『まいにちフランス語』『まいにちスペイン語』
を聞き流しながら、ひとりで昼食を取ったあと、
おもむろに、未だ納戸情緒の漂うマイ書斎に行った。

以前から決めていた、きょうの私の仕事は、
ここに収納されている「シルバニア・ファミリー」のハウスや家具を
全部出して整頓することだった。
娘が幼い頃に遊んだ玩具で、しばらく仕舞ってあったのだが、
このたび、小さいお嬢ちゃんのいる友人宅で使って貰えるかもしれない、
という話になったので、一体中身がどうなっているのか、
確認しておく必要があったのだ。

娘とシルバニアの関わりは、娘の3歳の誕生日以来で、
親戚から「赤い屋根のお家」をプレゼントされたのが始まりだった。
シルバニアは何年かごとにモデルチェンジをしているようなので、
当時と今とでは、ハウスや動物家族のラインナップが違うのだが、
娘がそのとき貰ったものは、いちばん大きなお家ではなくて、
ひとサイズ下の、可愛らしい間取りのものだった。
それに、りすの家族と、家具を何点か一緒に頂いた。
娘は勿論、大喜びだった。

そこからが、ひとりっこの特権で、
クリスマスだ、誕生日だ、盆の帰省だと、何かにつけて、
我々夫婦や、両家のじぃじ・ばぁば、それにサンタからも貰って
娘のコレクションはどんどん充実して行った。

シルバニアは、ドールハウスの企画なので、なんでも小さくて、
リカちゃんのシリーズより更に細かい小物がたくさんあった。
さすがに、鼻に詰めるたぐいの事故はなかったが、
娘が遊んだあと、ホチキスの針みたいなナイフとフォークや、
剥がしたバンドエイドみたいに見える子ウサギ用パンツなどが、
よく、畳の上に落ちていたものだった。
きょう出してみたら、小物は全部揃っていないところもあった。
私が無造作に掃除機で吸い込んだことも、きっとあったのだろう。

そういえば、私が自分の老眼に初めて気づいたのも、
シルバニアがきっかけだった。
あれは娘が8歳のときだから、すなわち私が38歳のときだ。
シルバニアのピザ屋か何かに並んでいた缶のラベルが、
私には全く読めず、娘には苦もなく読めた。
で、「まさか?」と眼鏡を外してみたら、ちゃんと見えた。
それで私は知ったのだ、私は、老眼が始まっているのだと。
薬の効能書や新聞の文字が読めるからと言って
威張っている場合ではなかった。
私は40前にして、確実に、小さな文字が読めなくなっていたのだ。

変なふうに、思い出深い品々を、眺めつつ格闘した午後だった。

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主人が貸してくれた『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』
(中野京子・著 光文社新書)を読んだ。

主人は趣味の絵画鑑賞の方向から選んだ本だったのだろうと思うが
私は以前少し、スペイン・ハプスブルク家の話を
何かのムック本みたいなもので読んだことがあったので、
それを思い出して、王家の物語をとても楽しむことが出来た。

とりわけ、私が心惹かれたのは、スペイン国王フェリペ四世と
彼に見出された画家ベラスケスについての箇所だった。
フェリペ四世は歴史上、為政者としての評価は低いようだが、
美術、とりわけ絵画に対する審美眼は、並外れて優れていた。
現在のプラド美術館の基礎をつくったのは、
フェリペ四世と、その祖父フェリペ二世だったと言える。
宮廷の財力にモノを言わせて、選りすぐりの絵画を収集し、
貴重なコレクションを後世に残したのはこうした国王たちだった。

フェリペ四世は、自身が18歳の若さのときに、
肖像画家としてのベラスケスの才能を見抜き、
彼を専属の宮廷画家として取り立てた。
写真の無かった時代に、肖像画を描く絵描き達の地位は
単なる「職人」と見なされていたのに、
フェリペ四世はベラスケスの才能に心酔し、高く評価し、
彼を官吏としても重用し、貴族に与える勲章まで授与したそうだ。

――という物語を読んで、私は、フェリペ四世の目の確かさと
芸術を厚遇する彼の感性にはいたく感銘を受けたのだが、
さてそれで、ベラスケスの描いたフェリペ四世像を見てみると、
これが、まあ、さすがに醜悪とまでは言わないが、
どう見ても美男でないどころか、相当、変な顔なのだった(爆)。

黒衣のフェリペ四世

確かに、王族の気品や、高貴な生まれ、国王の威光などが
見事な筆致で表現されている、と言えないことはないと思うが、
しかし、ベラスケスの高度な筆力、圧倒的な写実性により、
作品が優れていればいるほど、そこに描かれる国王は、
本人そのものを強く鮮やかに反映した絵姿となってしまっている。
つまり、もともと、全然見栄えの良い男でなかったことが、
気の毒なほどハッキリしてしまっているのだ。

優れた目を持つフェリペ四世は、この残酷さを
なんとも思っていなかったのだろうか?
またベラスケスは、国王からこれほどの厚遇を受けながら、
隠そうにも隠せない、ホントウのことを描ききってしまう自分、
というものを、どう考えていたのだろうか。

王妃マリアナ

王妃マリアナの、これまた美人とは言い難いハプスブルク顔貌
(しかも仏頂面)からも、決して幸福でない宮廷生活がしのばれ、
相当なインパクトがあると思うのだが、
ここまで正直に描いてしまってクビが飛ばなかったなんて、
王はよほど、ベラスケスの才能を得難いものと思っていたのか、
それとも、根本のところで、審美眼が、もうひとつ甘かったのか(汗)。

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梶本音楽事務所から情報誌『KAJIMOTO Concert』11月号が届いた。
これはカジモトイープラスに入会すると毎月送られてくるもので、
ここで扱っている演奏会の案内やチケット情報が掲載されている。
当然、1月に来日が急遽決まったポゴレリチも、今回は載っていた。

絶賛か、批判か!弾く度に論争を巻き起こす、極限の美。
イーヴォ・ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル
1/19(月)19:00 サントリーホール


確かに、彼の演奏は書かれている通りのものだと思うし、
もしも将来、ポゴレリチが弾いて、皆が「とても素敵な演奏だった」などと、
一様に褒めて納得、という日が来たら、彼はオシマイだろう。
「一体なんだ、これは!」「到底、認められない!」
と拒絶反応に近い不快感を示す聴き手と、
「彼以外にこのような演奏ができるピアニストは居ない!」
と病みつきになる人間とが、同時に存在してこそ、
ポゴレリチならではの演奏会だという気が、ファンの私でも、する。
それくらいのものを突きつけて来るようでなくては、
ポゴレリチではないのではないか、と。

だが、広告にあった、次の件には、笑った。
『今回は、ヨーロッパで行われている
50歳記念コンサートの合間を縫って突然の来日が決定!
崩壊寸前の極限を究めた演奏に
ご期待ください!


世界仰天ニュースに出られそうなポゴ氏であった。

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拙サイト トップページでもご案内しております。)

イーヴォ・ポゴレリチ(ポゴレリッチ)
来日公演決定
2009年1月19日(月)19:00サントリーホール

ショパン:夜想曲 変ホ長調 作品55-2
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
リスト:メフィスト・ワルツ第1番
シベリウス:悲しきワルツ
ラヴェル:夜のガスパール

今回は東京一回のみの公演です。チケットは、
カジモトイープラス会員限定先行受付11/14(金)12:00 ~ 11/18(火)18:00
その他一般発売 11/22(土)10:00 ~となっています。

(招聘):梶本音楽事務所http://www.kajimotomusic.com/
(チケット関係):カジモト・イープラスhttp://kajimotoeplus.com/pc/

カジモト・イープラス会員特典および登録方法についてはhttp://kajimotoeplus.com/pc/eplus-reg.html

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「元厚生次官宅襲撃事件」の話だが、
自首した小泉毅容疑者の犯行の動機が凄いのでビックリした。
「以前飼っていたペットを保健所に殺され腹が立った」。

保健所と厚労省は直接の関与はないし、
可愛がっていた犬が処分されたのは、保健所のせいというより、
強いて言うなら保健所に持ち込んだ父親のせいではないのか?
どうして山口元厚生次官夫妻を殺害しようと思いついたのか、
風が吹けば桶屋が儲かる以上のわからなさだ。

もしかして、本当は真犯人ではなく、
ただこの人は、誰かの身替わりに自首したとか???
しかし身替わりにしては頭が不自由過ぎるので、それも不可解だ。

殺害動機は不可解、厚労省幹部ら困惑(読売新聞)

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