転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



blogに独特の機能として、トラックバックというのがあるが、
これをどう使うかに関する共通認識は、固定されたものがないらしい。
私自身は、相手の記事を引用して自分の記事を書くときとか、
相手の記事に関連して、特に私から提供できる補足があるときだけ、
トラックバックを送るようにしているので、
その機会は極めて少ないほうだと思う。

が、自分のblogにトラックバックが送られてきたときには、
見るからにSPAM、というものでない限りは、ほぼ歓迎している。
なんであれ私の記事に目をとめて下さったことに関しては感謝があるし、
トラックバックがきっかけとなって新しいblogを知るようになるのは、
とても面白いと思っている。

Wikipediaで「トラックバック」という用語を検索すると
トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突という記事へのリンクがあり、
この分析に従うならば、私などは『ごあいさつ文化圏』の人間だと思う。
私は、自分の書いたものに関連する記事へのトラックバックがあれば、
大抵、そこを読ませて貰って、
「トラックバックありがとうございました」
等のコメントを残すことが多いからだ。

トラックバックする側としては、きっと、その記事を書いた人や、
そこを訪れる読者の人たちに、自分のほうにも記事があることを知らせ、
読みに来て貰いたいと考えている筈だ。
読まれたくないのにわざわざトラックバックする人は居ないだろう。
ならば、トラックバックされた側としては、
「来ました。読ませて頂きました」
というご挨拶をするとともに、行ってみて興味深い記事だと感じたなら、
お礼や感想などを残したい、というのが私の感覚だ。
ネットで何かを発信している以上、『反応がある』というのは、
ごく普通に言って、嬉しいことではないのだろうか?

尤も、私はなんでもかんでも礼だけ言っているわけではなくて、
最低限、自分の書いたものと関係のある箇所を見い出せなければ、
相手記事への挨拶は書かないし、
トラックバックSPAMに礼を言うほど心は寛くない(^^ゞ。
どう考えても何の関係もない、と思うトラックバックはすべて削除している。

そういえば、以前、トラックバックを辿って見知らぬblogを訪問し、
「トラックバックありがとうございました」
というお礼と、相手記事への感想とをコメントしたら、
私にとっては初対面としか思われない先方からのレスが、
「トラックバックは、したかったから、した。礼など不要」
というものだったことがあった。

トラックバックをめぐる4つの文化圏の図によれば、
特に『言及リンク文化圏』の人たちが、
私のような『ごあいさつ文化圏』の人間による挨拶や礼を嫌い、
「トラバ返しとか挨拶とか、ほんといらないから。うぜえ」
という反応を返す、ということになっている。
しかし、あのときの人は、ご自分の記事の中で、
私の記事へのリンクは全く貼っていらっしゃらなかったし、
私の書いたものへの言及も全くなかった。
ただ同じ新聞記事に関係する感想を書いていた、
ということだけが共通点だったのに。
あのときのヒトは、もの言いだけが『言及リンク文化圏』の住人だった。

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やっと夏休みが終わる……(滝泣)。

本当に、クドいようだが私は娘に何もしてやっていない。
世話が大変で、などとは口が裂けても言えない母親ぶりで、
むしろ娘に料理をして貰ったり、洗濯物をたたんで貰ったり、
この夏休み、客観的に見れば随分助けて貰った筈なのだ。
にも関わらず、ああ、明日から学校が始まると思うと、
うううう、嬉しいよぅ(T.T)。

娘のほうはと言えば、今朝ほど、31日になっちゃったと溜息をつき、
「今年の夏休みって、塾の思い出しかないよ~」
とぶつぶつ言っていた。こりゃまた、えらく勉強したような台詞だな。
毎日正午近くまで寝坊し続けたために、
塾に行く以外なにも出来なかったことは私が一番よく知っているけど。

なんであれ、その成果はのちほど見せて貰うことにしよう。
9月2日が塾の後期授業のオリエンテーションで、
塾長先生が夏休み前の保護者会のときに、

「2日のオリエンテーションでは、後期授業の計画や、
二学期の生活上の心構えについて、まあ、いろいろと話をしても、
子供は聞きゃしませんので、テストをします

と仰っていたことだしな。

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きょうの広島市内は朝から涼しかった。
なので私は、ファミリープールになど行きたくなかったのだが、
「今日と明日しかないのだから絶対に行く!」
と娘が強固に主張して、出かけることになった。

プールで、娘が選んだのは『流れるプール』だった。
娘は、前述の佐清もぐりをしたり、浮輪につかまって浮遊したり、
流れのお陰で加速される平泳ぎで気持ち良く進んだりして
思いのままに遊んでいたようだった。

私は泳がず、プールサイドでごろごろしていた。
こんな寒い日に泳ぐなんて私には自殺行為だ。
私がピクニックシートの上で所在なく待っていたら、
仮装ぴあにすと様から携帯にメールを頂戴した。
『カッパに尻子玉ぬかれたりしないように』
と書いてあった。うぅむ、さすがだ。
このプールのマスコットのキャラクターはカッパなのだ。

流れるプールはいつまでも一定方向に流れ流れて、
一時間ほど回転寿司のように流れ続けたあと、
一斉に休憩になり、娘もあがって来た。

私「疲れた?」
娘「いんや。楽しいよ♪」
私「尻子玉、ぬかれないようにね」
娘「なんで」
私「そこいらじゅうにカッパ(のイラスト)がいるだろ」
娘「ああ(^^ゞ」

娘「尻子玉って、本当にあるんでしょ?」
私「え」
娘「肛門の奥に、尻子玉っていうのが、本当に・・・」
私「みーちゃんのお尻には、あんなタマネギが入っているの!?」
娘「おかーちゃんには、入って無いの!?」

・・・・・・・・・・・・・・。

私「あのね。カッパのかぁたんの話じゃ、ないんだよ」
娘「そうじゃないよ、本当にあるって、読んだんだもん」
私「なんの本で」
娘「なな子

研修医の言ったことですか。信じなくてよろしい
理科のテストで、S字結腸の名称を「尻子玉」などと書かないでね。

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娘のたっての希望で、今年も中央公園ファミリープールに来た。
入るなり、スケキヨもぐりで娘はどっかに流れて行った。

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長かった、長かった夏休みも、残すところあと数日だ。
娘は、世の中にフツーにいる小学生なので、
今、ご多分に漏れず、宿題が終わっていなくて、大変だ。
毎日つけるべきだった「一行日記」が、たまりにたまってしまい、
その都度、記録していないから、忘れたことが多くて困っている。

娘「おかーちゃんっ、8月21日の天気は!?」
私「晴れだ」
娘「出来事は何があったっけ?」
私「『親戚の家に遊びに行った』」
娘「8月22日の天気は!?」
私「晴れときどき曇り、だ」
娘「出来事は!?」
私「『塾の帰り、お母さんと図書館に行って工作の本を探した』」
娘「8月23日の天気は!?」
私「晴れだ」
娘「8月24日の天気は?」
私「晴れのち曇り、だ」

娘「おかーちゃん」
と娘はふと、顔をあげて、言った。
私「なんだ」
娘「すごいね。どうしてそんなに良く覚えていられるの?」

でまかせに決まっとるやんけ

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鍼灸院、行って参りました。
なかなかキモち良かったでした。

まず、足が痛むほうは、簡単になおりそうな話だった。
昨年末、剥離骨折の治療のために一ヶ月ほど左足を固定していて、
その間に硬くなった足裏の筋肉が、未だに元に戻っていないので、
それで歩くと痛み、足底腱膜炎を起こしたのだ、と先生は仰った。
それ自体は大したことではなく、整形外科では問題にしないことが多いが、
筋肉をほぐしてやれば格段に痛みはラクになるので、
これは治療しないテはない、と言われたので、早速やって貰った。

骨折した左足の外くるぶし側と、
足底腱膜炎のあるカカトから土踏まずの間付近に鍼をして貰い、
そのあと硬くなっている足の裏の筋肉をマッサージして貰ったら、
あら不思議。すっかりすたすたと歩けるようになってしまった。
足の裏の筋肉全部を自在につかって歩く快感を、
私は半年ぶり以上で、ようやく取り戻した気がした。

「足のほうは簡単ですが、それよりも」
と先生が仰ったのは、私の冷え体質の問題で、こちらは、
「週一回くらいで、ちょっと継続的に体質改善してはどうでしょうか」
と提案して下さった。
私の今の体は、水毒(すいどく)と言って、
水とともに悪いものが取り込まれ、たまっている状態だそうだ。
水を飲みすぎるのが悪いとかではなくて、
「ためこむ」という体質の問題だということだった。

全身が悪い水に浸かっているみたいなことだから、ひどく冷えるし、
鼻水が出るとか、お腹を壊すとか、トイレが近いとか、
体から水分が多量に出る傾向での体調不良を起こしやすい
(→当たってる!私が病気になるときは、鼻炎・扁桃炎・大腸炎のどれかだ)。
また、筋腫などの婦人科疾患も水毒の影響で起こるとのことだった。

それで治療法としては、『よもぎ蒸し』という漢方サウナみたいな、
汗をかいて老廃物を出すと同時によもぎの薬効を皮膚から取り込む、
というものを提案された。
ほかには温灸とか鍼、漢方薬なども希望すれば併用できるそうだ。
さっそく、きょう『よもぎ蒸し』を20分ほどやってみたのだが、
これがもう、ほかほかで汗が出て汗が出て、なかなか良かった。
私のは専ら冷え治療の薬草を使って貰ったが、
ほかの疾病用のもあるし、美肌とかダイエット目的の薬も
いろいろとあるようだった。

ということで、来月から週1ペースで、しばらく行ってみます。

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私は昔から車に乗らない人間なので、基本は徒歩だ。
私は歩くのが得意で、歩くことに関しては持久力があり、かつ、速い。
主人でさえ「健脚に惚れました」と皆の前で認めていた(これは本当)。
・・・ということで、私は自分の脚力を、勝手に自慢に思っていたのだった。

が。
昨年末の剥離骨折以来、すべての歯車が狂ってしまった。
今の私は、歩けない・虚弱体質の、ただのデブだ。

剥離骨折そのもののダメージで、誰でもこうなるものなのか、
骨が変なくっつき方をしたせいでバランスが悪くなったのか、
整形外科でもそのへんのことはあまりハッキリしないのだけれども、
とにかく、怪我以来、私は、ウォーキングが下手になった。
かつては毎朝、一時間くらい歩くのはなんでもないことだったのに、
今の私はそんなことをしたらあとで足が痛くて叶わない。

ひとつには、体重が有りすぎるから、足に負担がかかって痛いのだ、
と私は思い当たった。
剥離骨折の前から体重は変わっていなくて、もともと肥満はしていたが、
弱点が出来たせいで、にわかに体重の負担がこたえるようになったのだ。
痩せれば、同じように歩いても足はもっとラクなはずだ。
そう考えて、先日は、スポーツクラブのプールへ行ってみたわけだが、
なんと予想外に冷えて、腹痛を起こすという失敗で、これも挫折した。

ということで、これから、地元の鍼灸院に行って来ようと思う。
「剥離骨折の後遺症があるので、まずは冷え性をなおしたい」、
風が吹けば桶屋が儲かる的な話だが、私は真剣だ。

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コーラスライン』広島公演の本日13時の部を観た。
これは大昔に、四季の公演数が増え始めた頃に、
「話題の四季とはどういうものか、いっぺん観てみようではないか」
と友人Oと一緒に観たのが最初だった。
奇しくも、きょうも友人Oがチケットを取ってくれて、観た。

宝塚が気に入って通い倒しているくせにおかしなことだが、
私は、実は劇団四季のファンだったことが、ない。
勿論、舞台の上で繰り広げられるものが素晴らしいのはわかっている。
あれほど完成度の高い生舞台は、なかなか他では観られないと思うし、
四季は実に見事な劇団だと心底思っている。
だが、私はそこに引きずり込まれて夜も日も明けぬほど熱中した、
という記憶が、今までただの一度もないのだ。

自分の心理を無理矢理に分析してみるならば、ひとつには、
私は、例えば、美輪様がご出演になるならなんでも観る、
みたいに、作品でなく「演者」に固執して舞台を観るので
まず作品ありきでキャストは当日発表、という四季の形式だと
「演者」にのめり込む機会をはぐらかされてしまって、
それで熱中できないのだろうと思う。

もうひとつは、そうやって俳優への思いが薄いまま作品を観るなら、
私は思いっきり気楽に愉快にワクワクと観たいと思うものだから、
四季で言うなら『Crazy for You』などは文句ナシに楽しいのだけれど
(これは機会があるたびにかなり観た。加藤敬二のも荒川務のも)、
そうでない社会派の作品になると、ちょっとつらいのだ。
『李香蘭』なんか途中で帰りたくなってどうしようかと思った(殴)。

それで一時は、四季を観るときは子供向け作品に走ったものだった。
『夢から醒めた夢』とか『人間になりたがった猫』とか。
これらは、ほどよい娯楽で、それなりに楽しく、特に不満は無かった。
尤も、『ブレイキング・ザ・コード』はストレート・プレイだったが
見応えがあり気に入ったので、すると、やはり演者次第なのかな(蹴)。
話題性に比して『ライオン・キング』は未だに観たことがないので、
いずれ観たいと思い、これは結構、
作品そのものに、期待しているのだけれど。

まあ、そのようなワケで、私の四季に対する思いはかなり曖昧だ。
とりあえず「水準が高い」ということは自信を持って言えるのだが、
好きか嫌いかと聞かれると言葉を濁したくなる(^_^;)。
そしてそれは、今日の『コーラスライン』に関しても同様だった。
今日は、出演者の誰が観たいわけでもなく、ただ、
四季だから・『コーラスライン』だから観に行った、という状況だった。
それで楽しかったか、と言われると、「・・・・(^^ゞ」なのだった。

キャスト表を見ての最初の感慨は、
「ああ、加藤敬二が、ザックなのか・・・」
というもので、やはり私は、まず演者のことしか考えてなかった。
大昔、初めて四季を観たとき、最初の振り写しの場面では誰が誰だか、
私には把握できなかったので、そのあとオーディションの場面になってから、
マイクを通して指示をするだけで舞台上にいない演出家のザックに関して、
「ザックって人、声の出演だけなのかな?」
と思った、とんでもない記憶が、不意に脳裏に蘇って困った。
当時のザックって浜畑賢吉だったのではなかったっけ!??

それと、きょうの舞台は全く休憩のない一幕もので、2時間半、
狭い座席に座らされたまま、皆々様の前半生を拝聴させて頂き、
私は、かなりくたびれてしまった。
特に、途中のポールがひとりで語る場面あたりがしんどかった。
役者さんが悪いというのではなくて、こちらの疲労がピークで、
≪それで~、結局、誰が合格で誰が不合格だったっけ~≫、
みたいなことが頭にグルグルと浮かんできて、困った。
これって初演からずっと休憩ナシでしたでしょうか。
私がトシを取って忍耐力がなくなったのが悪かったのか。
以前見たときはこんな肉体的な苦痛は感じなかった記憶があるのだが。

しかし、あれこれとフトドキなことを並べて来たが、
この作品の終わり方は本当に秀逸で、私はこれだけは(絞)大好きだ。
それまでのシンドさも、こちらの注意力散漫な観劇態度も、
最後の合格者発表からの盛り上がりで一掃されるのだ。
続く、フィナーレの楽しさ、カーテンコールの感激。
『終わり良ければすべて良し』が実感できる幕切れで、
きょうもとても気に入った。

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ポゴレリチblogのほうに、ドイツの新聞Die Welt(8月21日付)掲載の
ポゴレリチ最新インタビューのことを少し書いたのだが、
私は毎度のことながら、彼の使う不思議な詩的表現に
なんとも言えず、心惹かれるものがあった。

母子ほども年齢差のある妻だったアリス・ケジュラッゼを
1996年に亡くしたとき、ポゴレリチは突然に孤独になり、
誰からも助けて貰えなくなったが、同時に、客観的には彼は、
そこから芸術家としての限りない自由を得たことも理解したそうだ。

確かに、アリス夫人との共同作用に等しかったそれまでの音楽活動が、
彼女の死によって突然に断ち切られたあと、
彼にできることといえば、新しく自分の世界を独力で切り開くことしか
なかったのだろうと思う。
そのやり方は、否応なしに以前とは全く別のものに成らざるを得ず、
ひとりであるがゆえに、より「自由」なものとなったのだろう。

その、芸術家としての自分の変革を彼は、
As an artist you have to change the fountain
from which you drink your water
(芸術家というものは、自分が水を飲む泉を自分で変えなくてはならない)
という言い方で表現していた。

また、それまでは夫人が彼にとって輝く彗星のような存在で、
どんなときも常に彼を教え導いてくれたことを述懐して、
Before that I received many propositions and solutions
on a silver plate 
(それまでは、私は銀の皿に乗ったたくさんの提案や解決策を
甘受していたのに)
とも語っていた。

ああ、なんとポゴレリチらしい例えであることか!
鼻孔を突く実演をした人間の中に、こういう美をたたえた世界が
共存しているところが、あまりにもポゴレリチだと私は感動した(逃)。

このインタビューで語られた、アリス夫人の臨終の様は壮絶だった。
最後のキスで、彼女の吐血を浴びたポゴレリチは、

I looked like the Phantom of the Opera
(私はオペラ座のファントムのようになり)、

髪にも血がついて、はり付いてしまったそうだ。
しかし彼はそれを落としたいとは全く思わなかった。
人々が弔問にやって来ても、まだそのままの姿でいたと語っている。

Even when she died she still was the princess she had been born as
(死んだときでさえも彼女は生まれついての姫君のままだった)

こんな物凄いインタビューを今まで読んだことがなかった。
ポゴレリチが2000年代の初め頃からずっと演奏会ができなくなり、
長く沈黙していたことの理由も、想像できるような気がした。

ただ、ひとつ気になるのは、現在の心境について
Relaxed(くつろいだ気分)と表現していることだ。
いや、それ自体は結構なのだ。ゆったりと落ち着くことができて何よりだ。
夫人を亡くすという大きな打撃でさえ、時の流れによって徐々に癒やされ、
穏やかな気持ちで過ごすことが出来るようになったのは、
彼のために大変喜ばしいことだと思う。

だが、インタビューの前半を読んでみると、
アリス夫人が大変に活動的な人だったので、
彼女に強く惹かれながらもポゴレリチは彼女と一緒にいると
決してrelaxできなかったとも言っている。
つまり、90年代半ばまでのあの精力的な彼の演奏活動は、
アリス夫人が端について叱咤激励していてこそのもので、
彼女が居なくなり、放っておかれるようになったポゴレリチは、
今や、のんびりrelaxしている、というのである!

くつろいでいるのは良いが、レコーディングが十年にいっぺんとか、
演奏会をキャンセルするとなったら「年末まで全部」とか、
そーゆーのは、まさか今後は無いですよね、マエストロ!?


(なお、インタビュー原文はドイツ語です。本文中に引用した英文は、
Yahoo!PogorelichGroupのメンバーflugellahm氏の英訳によるものです。
flugellahm氏の労作に敬意を表し、心よりお礼申し上げます)

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きょうは元気になったので、家中の掃除をした。
官舎にいた頃より掃除面積が広いが、
ものがないので、何も動かさなくても掃除機がかけられ、
この家の掃除は、私は結構好きだ。

さて、掃除が終わって、一服ということで暖かい紅茶を淹れた。
主人は出勤し、娘も午後から塾に行ったので、
エアコンを切り、窓を開けて、私は今、ひとりで真夏の気温の中にいる。
少々暑いが、風は通るし、私はこれで不満はない。
むしろ、冷房がなくなり体がラクになって、心地よいくらいだ。
なんしろ私と来たら、気温31度なのに、足ひんやりですよ奥さん。
最近は漢方をサボっていて服用していなかったのだけど、
それも悪かっただろうなと思う。
とりあえず、漢方の先生が仰っていた「足湯」でもしようかしらん。

しかし、ふと立ち止まって考えてみて、私は今更だが不安になった。
私は、こんな冷え症ではこの先、生きていけないのではないか。
現代社会に適応できているとは、到底言えない冷え方ではないか。

思い返せば、私だって、子供時代は人並みにアイスクリームが好きで、
夏は袖無し素足で走り回っており、冷房のある場所が気持ちよかった。
二十歳頃から、自分はあまり暑がりではないらしいと気付いたが、
まだ「暑くないのよ私~」と笑っているだけで済んでいた。
が、今は、暑くないどころが真夏でも冷房が寒くて耐えられず、
冬は冬で、寒さのあまり動けない。
年齢とともにこれだけ冷え性が加速していては、
このあと老人になるまで寿命があったとしても、
私は人間社会で、最後まで生物としてやって行けるのだろうか?

と真面目に心配になったので、ネットでみつけた鍼灸院に
さきほど予約を取り、月曜日の午後、施術して貰うことになった。
冷えや神経痛、アレルギー等に有効と書いてあったので、
問題の冷え性は勿論、鼻炎や、剥離骨折後遺症や、足底腱膜炎など、
私の数々の不定愁訴から見て、合っていなくもなさそうだった。

鍼灸、初体験だ(^_^;)。
有益な体験ができましたらこちらでも報告させて頂きます。

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