転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(写真は、父の日に私が贈った、ひまわり。)

本日、久しぶりに家で過ごせる休日が、来た。
怒濤の6月が、あと数日で、終わる。

   死 ぬ か と 思 っ た orz

……というのは勿論、大仰な言い様ではあるのだが、
自分比で、「寝てない」「休んでない」の連続で、
ああきょうもちゃんと体が動く!有り難い(涙)!
と今月後半は朝起きるたびに思ったものだった。

死ぬかと思った、のは父に関しては文字通りだったが(爆)、
さすがに90歳近くまで死なないで生きてきた人は生命力が違うのだった。
最初は39度の高熱を発して身動きもできなくなり、救急車で入院したのに、
父は病院の治療で感染症をちゃんと克服し、
良い具合に血糖コントロールもして頂いて、リハビリ期間を過ごし、
17日(金)に、一応歩けるようになった状態で退院した。
大したものだった。

家に戻ってから、また熱がぶり返したり、咳が悪化したりと、
幾度か揺り戻しはあったのだが、全体として日々よく回復し、
先週後半からは家の中での生活には、ほぼ不自由がなくなった。
今は、田んぼのむこうの神社のあたりまでなら、
片道で徒歩数分程度かと思われるが、歩いて行けるようにもなった。
20日(火)と26日(月)に、地元の内科医院受診に付き添ったが、
一度目はパジャマのままカーディガンだけ羽織って行ったのが、
二度目はきちんと普段着に着替えて出かけることができ、
本人としても「しゃんとした気がする」と言うようになった。

ワシは85歳を過ぎた頃から頭がダメになった、
と父はかねてから言っていたのだが、
今回の入院からこのかた、私もかなりつぶさに父を観察するようになり、
なるほど頭が一部、壊れたらしいなということは理解できた。例えば、

  父「きょうは、何をするんかいね」
  私「2時から、○○内科に行くよ」
  父「あい、わかった」
   (5分後)
  父「ほいで、きょうは、何をするんじゃったかいね」
  私「2時になったら、○○内科に行くよ」
  父「はい、○○内科じゃったね」
   (10分後)
  父「これからあとは、何もなかったかいね」
  私「2時に、○○内科に行くよ」
  父「ほうか、わかった」

という会話が、受診当日、家を出るまで際限なく繰り返されたが、
かかりつけの内科の先生によると、これは高齢者の典型的な症状で、
直近の記憶を入れておく引き出しが、老化のせいで失われた、
という状態であるとのことだった。
以前から経験のあることや、特別な出来事は前頭葉に移動していて、
そう簡単に消え失せることはないのだが、
今さっきの話を入れておく場所がなくなっているのだという。
確かに、父は万事がとんちんかんなわけではなくて、
むしろ、話や行動の大半は一応まともだ。
ただ、今確認したことが全く記憶に書き込まれていない。
その場の返事だけは素晴らしく良いので、これまたタチが悪い(^_^;。
本人にも自覚があるのだから、大事なことは紙にメモしておいたら良いのだが、
書いたという事実そのものを忘れたり、紙を簡単に紛失したりするので、
書き留めておくというのも、必ずしも確実な対処方法とは言えないようだ。

似たようなことは母のほうにもあって、
こちらは、父のように情報すべてを綺麗さっぱり忘れるのではなく、
直前の出来事が、妙にかたちを変えた記憶として残っていることが多い。
例えば、私が母のほうの受診に付き合う日の朝、マンションを出る前に、
『私は9時半にそちらに着く。11時に一緒に○○整形外科に行きましょう。
タクシーは10時50分にそちらに迎えに来てくれるよう、既に予約してあります』
とメールを送っておいたのだが、私が到着すると母は、
「あんたが何時に来るか教えてくれんから、さっきから外に出て待っとった。
あんたが乗ってきたタクシーに、私も一緒に乗らんならんから」
と、私が全然言ったこともないような予定に従って行動しようとしていた。
この件は予め、何時に何をするかを文字にしてメールで送ってあり、
母はそれを開いてちゃんと読んだと自分でも言っているのに、
私が到着する頃には、微妙に違う話を頭の中で作り上げていたのだ。
メールを再度開いて確認する、という行動もないまま、母は、
自分の前提と私の動きが違うことに対して、不満を述べていた。

87歳と88歳が、まがりなりにも元気で頑張ってくれていることは
私は本当に有り難いと思っている。
思っている。が、もう変テコなことは織り込み済みと覚悟せねばならぬ。
彼らが何をどの程度「無かったこと」にしてしまうのか、
どの点がどの方向に変質するのかしないのか、私には予測不能だが、
どっちへ認知が歪んでも、こちらの対処で補いがつくように、
オプションを常に用意しておかなくてはならないようだ。

父の内服薬は既に、壁掛け式のお薬カレンダーに分類して収納した。
血糖コントロールの薬を、朝昼晩の食事直前、及び朝食の後に、
それぞれ服用するようにと、主治医の先生から指示されているのだ。
父本人はあまりきちんと服薬管理ができないが、
母のほうがややマシで、毎回の食事のたびに気をつけていると言っていた。
薬の存在そのものが全く思い出せなくなる、
または、きょうが何日かどうしてもわからなくなる、
となったらアウトだが、今はまだそこまでは行っていないようなので
自分で服用を継続することも、機能維持訓練のひとつとして
頑張って取り組んで貰おう。

当面、来月11日に父は、糖尿病の検査のため、
「朝食抜きで、○○内科で検尿と血液検査を受ける」
という課題があるのだが、これを遺漏無くコンプリートさせるには、
どうしたら良いだろうかと私は今、策を練っている。
「朝ご飯を食べずに」
と百万回、言っておいたって、忘れるものは忘れるのだ。
予め大書して貼り出しておき、前日にもメールと電話をし、
当日は彼らが起きるより早く、私が実家に行けば、大丈夫だろうか。
そこまでやってダメだったら、不可抗力でしたということで(逃)。

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こんなキツい6月になるとは予想していなかった(^_^;。
今月は2日(金)から今日まで、ただの一日も休んでいない。
同僚某氏が突然寝込んで欠勤したので、その穴埋めをやったうえ、
会社のある日も実家と病院の両方に通い倒して、ここまで来た。
きょう(いや、もう昨日だ)は、そのような中でやっと巡ってきた休日で、
朝、主人を送り出したら何の予定も入れない!
と決めていたのに、この半月以上、昼間に家にいたことのない私がいて、
電話に応答したりするものだから、またぞろ用事が次々と入り、
一件一件かたづけていると、あっという間に日が暮れてしまい、
夜になって実家の母に呼び出されるというオマケまでついた。
母にはもう、私がどれほどの時間または費用をかけて移動して実家に来ているか、
よく理解できなくなっているのではなかろうか。

夜間なので結局タクシー往復で実家の用事を済ませ、
家で残った仕事や明日の用意などして、気がつけばもう午前2時過ぎだ。
朝6時に起きたのに……(涙)。昼寝する筈だったのに……(涙)。

だんだん許せない気分になってきたので(爆)
まず、他社から7月9日はどうかと依頼され返答期限が迫っていた仕事を、
申し訳ないがきっぱり断った。
二度と依頼が来なくても、この際もう構わんわ(--#)。
できんものは、できん(--#)。
それから別の用件の人からの電話で、
私の仕事がない日にゆっくり会いたいと言われたのだが、それもお断りした。
そのような話を際限なくお引き受けしていると、
私の数少ない休日が次々と食い尽くされて消えて行く、とわかったからだ。
先方には、私の仕事のある日の午前中に、
最大2時間限定で、なるべく手早く済ませて貰うように言った。
キツキツのスケジュールになっても、用事はできるだけ同じ日に固めて、
何もない日を強引に確保しないと、私は半永久的に休めない。

休日と設定した日には、携帯を切りドアチャイムも停止させて
外界との接触を完全に断ったうえで爆睡できたら最高なのだが、
さすがに90歳近い親がいると、そういうわけにはいかぬ(^_^;。
いい調子で白河夜船とやっていたら、その間に親が彼岸に渡っていた(爆)、
という展開だけは、困るからねぇ(^_^;。


追記:実家に行くのにタクシーに乗ったのが夜9時頃だったのだが、
目印のないド田舎で唯一、実家の近所にあるのが中規模サイズの某神社なので、
「○○(高速道路)を通って、○○(地名)の某神社までお願いします」
と言ったら、運転手さんに遠慮がちに聞き返され確認されたうえ、
「…こんな夜中に、神社に行かれるんですか……」
とガクブルという風情で尋ねられた。
確かに、初老の女がひとり、夜間に山奥の神社を訪ねる、
と想像したら尋常ではないわな(^_^;。
木々に囲まれ、参道を行くにも手探りだし、石段の上なんか真っ暗だ。
タクシーで実家に行くときは、昼夜を問わず、某神社までと言っていたのだが、
これまでの運転手さんから何も尋ねられなかったのは、怖すぎたからだろうか。
ただのランドマークです、えろう、すんません。

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交流戦の最後はソフトバンクとの優勝争い3連戦で、結果はカープ1勝2敗、
最終的に両チームとも、12勝6敗・勝率.667の同率で交流戦を終えたが、
直接対決の結果をうけて、ソフトバンク優勝・カープ2位となった。
なお、昨日はDeNA―オリックスの一戦だけ雨天中止により順延されたため、
2017年交流戦は、本日午前の時点ではまだ終了していない。
12球団すべてを含めた最終順位が決まるのは今夜の1試合が終わってからだ。

俗に言う「暗黒時代」以前からカープを知っている地元民の私は、
未だに彼らを全く信用していないので(殴)、交流戦前は、
「貯金10だから今年の交流戦は負け越しても一応大丈夫」
「借金いくつくらいまでなら取り返し可能(=返済可能)だろうか」
等々と後ろ向きの算段ばかりしていて、
優勝云々なんて大それたことは、全く考えも及ばなかった。
しかし終わってみれば、首位と同率の2位、セ・リーグ中ではトップの成績で、
最後の3連戦では優勝一歩手前まで迫り、満足すべき立派な交流戦だった(涙)。

こうなったのはソフトバンクが主砲を欠いて絶不調だった、
というのも大きな理由だとは思うが(汗)、
カープだってエースと二番手不在のまま突入した交流戦で、
昨年より遙かに不安材料が多い中、なんとか食らいついて頑張ったのだ。
どの球団もそれぞれに、問題を抱えながら長いシーズンを闘っているわけで、
つらい局面でどう補い、どう踏みとどまるかが大切な課題ということだろう。

このあと4日間の休みを挟んでリーグ戦再開となる。
選手は勿論、ファンもしばしの休息だ。
実際、1ビハインドで終盤に追いつくとか、同点にされて延長とか、
胃と心臓に悪い展開が連日だと、観るほうだってたまらんのだ(^_^;。
カープファンなら家に胃薬常備、と永川劇場の頃から言われているが(逃)、
昨今は負けられない試合が増えてきて、よけいにシンドくなったと思う。
Bクラス内で上がったり下がったりの時代は、
「このあとまた頑張れば、ちとは借金返せるかね~?」
の次元だったが、昨今は、
「1位か2位か?」「もしかして優勝するんじゃないか?」
がしばしば現実的な話題になり、一勝・一敗の意味合いが、
以前とはやはり違ってきたという気がする(^_^;。
……嬉しいが、誇らしいが、……これはこれで、ツライわぁ(^_^;。

ともあれ、交流戦終了時点で、カープの成績は去年の同時期より更に良い。
貯金も6つ増やすことができた。交流戦で、だ!
ここは素直に喜ぼう(^_^;。よくやった!


セ・リーグ順位(2017年6月19日現在)
1 広島 勝41 負25 分1 勝率.621 差-
2 阪神 勝37 負27 分0 勝率.578 差3
3 DeNA 勝31 負32 分2 勝率.492 差5.5
4 巨人 勝29 負36 分0 勝率.446 差3
5 中日 勝28 負36 分3 勝率.438 差0.5
6 ヤクルト 勝25 負39 分1 勝率.391 差3

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ポゴレリチの東京公演のチラシがUPされていた。
PDFファイルでダウンロードもできる。
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル(KAJIMOTO コンサート)

こちらの記事も。
●復活の鬼才が今年も。しかも自らのバースデーコンサート!
―― イーヴォ・ポゴレリッチ、先行発売はまもなく。
(KAJIMOTO ニュース)

本日正午からkajimotoイープラス会員先行の申し込みが始まっているが、
明日の10時からはチケットぴあプリセールも開始される。
kajimotoイープラスとは違う場所をぴあが持っている可能性もあるので、
本日出遅れたと後悔なさっている方は、明日挑戦なさってみては?
イーヴォ・ポゴレリッチ(p)プリセール

このあと、複数プレイガイドによる一般発売は6月24日(土)10時から。

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誠也サヨナラ弾!2017年も神った 今年もオリックス戦、広島交流戦単独首位(デイリースポーツ)
『「交流戦、広島7-6オリックス」(14日、マツダスタジアム)
 最後の最後に「神った」。広島・鈴木誠也外野手(22)が同点の延長十二回にサヨナラの15号ソロ。今季3度目の1試合2本塁打で勝負を決めた。昨年のオリックス戦では3試合連続決勝本塁打を放ち、「神ってる」を流行させた相性のいいカード。今年も勝負強さは健在だ。』

夢じゃなかろうか。
また誠也がこんな劇的なサヨナラ弾を打つなんて…!

きょうの広島では、人々に何を頼んでもOKされそうだ(笑)。
うちの主人も、ご近所の旦那さん方も、今朝は揃って超ご機嫌だ。
ありがとう、ありがとう、カープ。
お蔭で我が家が、ワタシが、そして広島地元が、元気になるよ(T_T)!

交流戦というと毎年全然勝てなくて、借金が増えるばかりで、
ファンは「もう交流戦やめようよ(T_T)」と泣いていたものだったのに、
カープが、あのカープが、勝ち越せているだけでなく、
両リーグ通じてこの時期に一番乗りで二桁勝利、
それに、なんと、暫定とは言え単独1位になれるとは。
こんなことってあるんだねぇ(T_T)。
生きてて良かった(爆)。こんなカープを見られるとはねぇ。

ああ、束の間でもいい(殴)、このシアワセを味わい尽くそう。
交流戦の順位表が宝物になる日が来るなんて。
こりゃ記念に貼っとくって、そりゃもう(涙)↓。

2017交流戦順位(2017年6月14日現在)
1位 広島 勝10 負4 分0 勝率.714 差-
2位 西武 勝9 負4 分1 勝率.692 差0.5
3位 ソフトバンク 勝9 負5 分0 勝率.643 差0.5
4位 オリックス 勝9 負5 分0 勝率.643 差0
5位 阪神 勝8 負6 分0 勝率.571 差1
6位 楽天 勝8 負6 分0 勝率.571 差0
7位 中日 勝7 負7 分0 勝率.500 差1
8位 日本ハム 勝6 負8 分0 勝率.429 差1
9位 ロッテ 勝6 負8 分0 勝率.429 差0
10位 DeNA  勝6 負8 分0 勝率.429 差0
11位 巨人 勝3 負11 分0 勝率.214 差3
12位 ヤクルト 勝2 負11 分1 勝率.154 差0.5

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(写真は、実家近所のアジサイ。
6月3日このかた、病院と実家の両方に毎日通って、私はかなり疲弊してきた。
介護内容はともかく、移動距離と時間の長さ、及び交通費が負担だ。連日となると。
年寄りは、鉄道もバスも来てないド田舎に住むもんじゃない。つくづく、そう思った。
私に老後があったら、娘が徒歩で来られるくらい近い病院か老人ホームに入ろう(爆))


6月3日(土)の夜中に救急搬送された実家父は、
あれからまだ入院しているのだが、着々と回復して来ている。
有り難いことだ。……じーさんの生命力は凄いな(汗)。

入院当日夜にはやや譫妄があり、翌日にかけて39度の熱が出て、
体じゅうガタガタと強く震え、ベッドが振動するほどだったが、
その次の日からは発熱が落ち着き、言動も普通に戻った。
そして入院5日目くらいだったか、一般病棟に移ることができた。
尤も、それまでHCU(重症患者病棟)にいたのは殊更に重症だったからでなく、
単に、大部屋のベッドが空いていなかったから、というのが理由だったのだが、
ともあれ、父はやっと普通の病棟で静かな療養時間が過ごせるようになった。
入院当初は24時間、心電図モニターがつけられていたが、
一般病棟に移る頃には、それらも外され、身軽になった。

リハビリも徐々に開始され、発熱がなくなって立つことができるようになり、
最初はリハビリの部屋やデイルームに行くのに車椅子に乗っていたが、
最近はそれも必要なくなり、自分で病棟内は歩いて移動することが可能になった。
きょうなどはもう、手すりにすがらなくてもスタスタ歩いており、
普段の室内での動きは、ほぼ問題なくなった。
病室となりの共同トイレに、自分で自由に行くようになったので、
ベッド脇に置かれていたポータブルトイレも、昨日から必要なくなった。

父は、『十日くらい前に、動けなくなって夜中に救急車に乗った』
というのは把握していたが、それ以上はあまり記憶に無いとのことだった。
「救急車は寝台が硬くて物凄く揺れるから、乗り心地が悪かった。
サイレンが耳元で鳴って、ものすごウルサかった」
と父は先日も今日も、私の前で数回は同じ話をしたが、
その救急車の件からあと、自分の身に、何がどういう順序で起こったかとか、
入院後、治療の過程で、立つことや歩くこと、トイレに行くことなどが、
いつ頃からどの程度自由にできるようになったかなどは、覚えていないそうだ。
ただ、私が病室に持ち込んだ時計やカレンダーを
最近は父が自分で、ベッドにいても見えるところに配置しており、
カレンダーには終わった日付のところにペンで斜線を引き、
きょうが何月何日であるかを自分で把握するようになったので、
頭のほうも本人なりに、日に日に回復しているらしかった。

主治医の先生にたまたま廊下でお会いしたときに伺ったところでは、
今回の発熱は尿路感染症と思われ、エコーで左腎結石が確認されたが、
これからする血液検査で、炎症反応が消えたことが確認できれば、
あとはリハビリの成果次第で、来週あたり退院して良かろうとのことだった。
ただ、糖尿病だけは、短期の入院ですっかりなおるというものではないので
退院後もしっかり通院して、管理をして行かなくてはならないとも言われた。
今は食前にインシュリンをお腹に注射している。
父本人のメモによると、昨日の血糖値は145ということだったが、
それが早朝空腹時の測定なのか食後の値なのかは不明だった。
父は、もともとそういう医療面での細かいことに関心がないうえ、
80過ぎてからは、すべてのことをどんどん忘れるようになったので、
詳細情報はもう本人の頭の中にさえ残っていないのだった。
数字だけでもメモしておいたのは、上出来であった(^_^;。

11日(日)に私は実家母をタクシーに乗せて、父の病院まで案内した。
家にいるときの父母は、しょっちゅう言い合いをしていて、
およそ二人の仲むつまじいところなど私は見たことがなかったが(爆)
病室での二人は手を取り合っており、さながら「感動の再会」だった(殴)。

今度から仲良ぅしぃや。ほんまに(--#)。

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10/20(金)イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル 曲目一部変更のお知らせ(KAJIMOTO)

ポゴ氏リサイタルの曲目が一部、変更されるとのことだ。
私としては変更後のほうがずっと嬉しい。
何しろ、1995年の来日のときにプログラムにあったクレメンティは、
私にとって、この二十数年来「痛恨の聞き逃し」の一曲だったので、
それがこのたび実現することになり、まるで夢のようだと有り難く思っている。

1995年と言ったら、娘が生まれた年だ。
さすがに、いくらトチ狂っている私でも、
0歳児をかかえて松江から東京まで演奏会を聴きに行くのは無理だった。
そういうときに限って良いプログラムで来るんだよと、
あのときは情けなかったものだった。
しかもそのあと、ポゴ氏が長い療養生活に入ってしまうことになろうとは
当時はまだ、全く予想できていなかった。

あれから時は流れ、様々なことが移り変わり、
今年2017年、彼の誕生日に、再度、この機会が巡って来る!
ああ、待ってみるもんだねぇ(涙)。


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□変更前 
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
リスト:超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番 嬰ヘ短調 op.23
ラヴェル:ラ・ヴァルス
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            ↓
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■変更後 
クレメンティ:ソナチネ ヘ長調 op.36-4
ハイドン:ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.X VI-37

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
ショパン:バラード第3番 変イ長調 op.47
リスト:超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
ラヴェル:ラ・ヴァルス
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3日の土曜日の夜から、実家父が入院している。
幸い、ただちに命がどうこうという病状ではなかったのだが、
急だったので土曜から日曜にかけて右往左往してしまった(汗)。

始まりは、土曜の夜8時半だった。
この日、私は会社から帰ったのがいつもの土曜よりも若干遅く、
主人がお好み焼きを買っておいてくれたので、それを有り難く頂き、
デーゲームでカープが勝っていたお蔭もあって、
ふたりですっかり気分を良くして、週末の夜を過ごしていた、
ら、私の携帯が鳴った。出たら、母で、
「お父さんが、ベッドから落ちたのか何かわからへんけど、
ベッドの脇の床にへたり込んで、立てへんねんけど、どないしよう」
どないしよう、ったってそれは医者あるいは救急車を呼べ、だろう(汗)!
と思ったが母の問題解決能力の無さは既に私にわかっていたので、
とりあえず意識はハッキリしていて立てないだけ、というのを確認して、
これからすぐタクシーでそっちに行くから、と言って電話を切った。

主人と一緒に高速経由で駆けつけてみたら、果たして父が、
自室のベッドの脇でヨタっており、どこも痛くもなんともないが、
体に力が入らず、立てないしベッドによじ登ることができない、と言った。
手足は動かせたし、確かに立ち上がれない以外には異常はなさそうだった。
それで、主人とふたりで父を抱え上げてベッドに寝かせ、
……我々夫婦はこれまで、転姑ばーちゃんを抱えた経験しかなかったので、
父はえらいこと重くて、さすがに男性は骨太だと思い知った次第だった。
それから、これほど急激に体の自由がきかなくなっては、
明日も待てないしタクシーでの受診も無理だから、やはり救急車だ、
ということになり、私が119番に電話をした。
救急車はすぐ来てくれたが、音がしたので近所の人らもすぐ出て来て
遠慮無く救急車の中を覗き込もうとしたりして(汗)
「ほんま、田舎って凄いね(^_^;」
と主人に驚かれ・呆れられてしまった。

救急車の中でいろいろ調べて貰ったら、父は体温38度で発熱があり、
血圧は初回が110台と70台だったが、測っているうちに下がってきて、
みるみる80台と50台になってしまい、私は内心、
「もしや敗血症か何か??」
と焦った。
心拍数は120台で多めだが、呼吸がゼイゼイしている様子はなく、
心電図も、たまに不整脈がある以外には問題となるところは無さそうだった。
父本人はしっかりしていて、ここはどこで、どういう状態で、
朝からどう過ごしてきたか、現在の症状はどうか等々、すべて答えられた。
体に力が入らないので動けないが、
ほかには痛む箇所もなく呼吸も楽で、吐き気もないとのことだった。
また、手も足も指まで自由に動かすことができ、
私が足に触れるとすぐに「ん?」とこちらを向いたりしたので、
感覚の異常はなく、少なくとも深刻な脳梗塞などではないようだった。

病院に着いて、結局日付が変わる頃までかかって、
血液検査やCT検査などして貰ったところ、
脳出血や肺炎はなく、腹部臓器にも異常所見は見られなかったが、
白血球が2万台なのとCRPが5なので、やはり感染症が疑われ、
それとともに、血糖値が300超、HbA1cが12台で、
糖尿病のコントロールが大変悪いことが判明した。
お薬手帳を見ると、年明けから半年ほど、通院をサボっていたらしかった。
待合室で人と喋ったり、医師から注意されたりするのが鬱陶しかったのと、
もう運転するなと私が言ったため、往復がタクシー利用になり面倒だった、
というあたりが理由だろうと、私は見当をつけた。
ともあれ、父は、87年の人生で初めて(驚)、入院することになった。
抗生剤で感染症に対処し、血糖はとりあえずインシュリンでコントロールします、
と救急の先生が仰った。
経過良く感染症が制御できたら、本格的に糖尿病治療をしましょう、と。

――ということで、本日が入院4日目だ。
初日の夜と翌日は、熱が37度から39度まで行ったり来たりしたが、
3日目の昨日夕方見舞ったときには、体温も脈拍も落ち着いていた。
主治医の先生も、血液検査の最新版を見るとまだ炎症はあるが、
全体にどの数値も改善してきている、と言って下さった。
ただ、急な入院で部屋が空いていなかったせいもあり、
父は目下、HCU(重症患者病棟)に寝かされている。
部屋が空き次第、大部屋に移って頂きます、
と看護師さんからも先生からも言われているのだが、
本人は、とにかく音がうるさいのでたまらんと文句を言っていた。
何かわからないサイレンのような機械音がしじゅう鳴っているし、
私の見たところでも全体に高齢者が多いので、話し声が大きいし、
看護師さんの指示が理解できずに騒ぐ人もいたりして、
なかなか、落ち着いて休むということができない環境だ。
父本人は、立てないことを除けば、もうどこもなんともないので、
そうそう眠れないし、喧しいのがストレスになるしで、参っていた。
雑誌も読む気がせず、とにかく静かに寝たいのだが、とのことだった。

先生のお話では、父が体に力が入らないのは、
急激な発熱があって弱ったせいなので、
感染症の治療ができたところで、リハビリもしましょう、
とのことだったが、はてさて、どこまで元に戻るだろうか。
更に、あの状況下で、通常生活からはほど遠い精神状態でいるので、
ベッドから動けない父はボケるのではないかというのも心配だ(汗)。

しかし一方で、このところずっと、父の痩せ具合が気になっていたし、
排尿回数も多く年齢的に前立腺肥大が進んでいるのではとか、
寒くなって以来、どうもろくに風呂に入っとらんのではないか等々、
私は解決したいことが多々あったので、
こういう事態になって強制的に医療機関にかかることになったのは、
父のためには大変良かったと思っている。
二言目には「トシじゃけ、しょうがないよ」と言い、
どう説得しても、医療の介入など受け入れずに過ごして来たのだが、
今回、動けなくなって入院したお蔭で、ようやく、
全身的な検査をして貰うことができた。
これで糖尿病の治療も再開できるし、介護申請をしたり、
場合によってはデイサービス等で入浴させて貰ったりも、
今後、可能になって行くのではないかと思う。
本人はどうしても認めたがらなかったが、
必要だったんだよ、そういうことが、もう、とっくに(^_^;。

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燃やさないように
父は若い頃から、家のゴミを自宅の前の畑で燃やす趣味があったが(爆)
いくらド田舎とはいえ、ゴミの収集はきちんと来ているのだし、
火の気は危ないから、個人で勝手にゴミ焼却などやってはイカンと、
近年は私が再三、注意するようになり、
先日ついに業を煮やして、家庭用シュレッダーを買って実家に届けたら、
ようやく焚き火が完全に止んだ。
父はシュレッダーが気に入ったようだった。良かった(大汗)。
87歳が何か燃しているなんて怖すぎるぢゃないか。
転舅じーちゃんの寝タバコとどっちが、というくらいスリルがあったぞ。
自分で燃えてあの世に行くのは勝手だが、
ご近所に何かあったり、山火事にでも発展したりしたらどうしてくれる(--#)。
金輪際、焚かないようにっっ!!


聞きまつがい
先週だったか、母はケアマネージャーさんに相談したいことがあり、
日頃からお世話になっている介護事業所に電話をかけた。
すると、……母の話によると、受付の女性が、
「○○(ケアマネさんの名前)は、退職いたしました」
と言った、というのだ。
その数日後、当のケアマネさんから電話がかかってきたので、母が、
「貴女はもう、うちとは関係ない人になられたそうですね」
と言うと、先方は
「えっっ」
と大変驚かれ、
「退職なさったんでしょ」
と母が重ねて言うと、
「辞めてないですよ???」
と全然話がかみ合わなかった、とのことだった。

もしかして、最初の応答は『退職』ではなく『退社』しました、
だったのではなかろうか。母の聞き間違いでは……。
私がそう言うと、
「だったら、もう帰りましたとか、ちゃんと言えばいいのに」
と母は怒ったが、それを言うなら母のほうだって、
『退職って、お辞めになったということですか?
私のケアマネさんは、それじゃこれからどなたになられるんですか?』
くらいに、「ちゃんと」突っ込むべきだったのではないか。
引き継ぎもせず挨拶もなしに退職なんて、そもそもあるわけないのだ。
それに当のケアマネさんから電話があったときだって、
『うちとは関係ない人になられたそうですね』
などと、ケッタイな物言いをしないで、
『先日、事業所で退職されたとお聞きしたんですが、本当ですか』
と真っ直ぐ問えば良かったではないか。

事業所で『退職しました』と言われたあと、母はどう返答したのか、
また後日にケアマネさんからお電話があったときは、
何の用件でかかってきたのか、
…という私の問いには、母は答えることができず、ただ、
あれには腹が立った・嘘をつかれた、と繰り返しているだけだった。
88歳に説教しても仕方が無いし、
ケアマネさんは変わりなくいらっしゃることがわかったので(爆)
私はそれ以上追求せず、とりあえず事業所に電話して謝っておいた。
思った通り、事業所のほうからも、
『退社』を『退職』と聞き間違えられたようです、
と改めて私にも説明があった。
先方は謝って下さったが、そもそも母が駄目になっているのが問題なのだ。
こちらこそ要らない騒動をしてしまい、申し訳なかった。
母は目下、道に迷い始めると、軌道修正がきかず、
それに対する問題解決能力も、もはやかなり不足している。
しかし転姑ばーちゃんのように、完全にあっちの世界に行っているのでもないので、
こちらから先回りして手配しても気に入らない場合もあり、加減が難しい(汗)。

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