昨夜遅く、遠方に住む友人の訃報が、
彼女のご主人様によって、もたらされた。
ここ一年以上、彼女は療養中であり、
病状が楽観できるものでないことは直接聞いていたけれども、
私たちはときどきメールで連絡を取り合い、
現状を見据えた話と、気楽な将来の話とを、半々くらいにしていた。
「よしこさんは何を聞いても驚かないから助かる」
と彼女は変なことを褒めてくれたものだった。
うまく行けば、このまま、何年、十年、何十年でも、
こんなやりとりが出来るのではないだろうか、と思いつつも、
でもいつかある日、この関係はふと終わってしまうかもしれない、
という可能性を、完全に無視することはできない日々だった。
彼女は自分から望んで、病状を細かく主治医に説明して貰い、
「普通だったら患者さん本人にはここまで言わない」
というくらいに具体的で詳細な状況まで聞いていた。
私は気が弱いから、むしろ告知も病状説明も聞きたくないほうなのに、
彼女は違った。ちゃんと知った上で、自分で今後のことを計画していた。
この年齢で人生を終えるのは無念だ、と言いつつも、
これまで楽しい人生だったから、これからも楽しく過ごします、
ともメールで書いていた。
あるとき、うちの舅が晩年に病を得てから言った、
「生きられるだけは、生きにゃ、のう」
という言葉を伝えたら、それがとりわけ彼女を慰めたようだった。
「心に染みいります。お舅さんは人生の達人ですね」
と返信が来た。
一面識もない、うちのじーちゃんが、遠方の友人を慰めている、
というのは、凄いことだった。
居なくなったあとでも、人は、こんなことができるのだ。
結果的に最後になったメールは、
車椅子だけれど買い物にも行けるし、旅行もしている、
という明るい内容だった。
「でもそろそろ終わりになりそうだわ」
と読み手の私をドキリとさせたあと、
「資金のほうが」
と来る、いつもの可笑しい彼女だった。
「浪費は楽しい。あの世には持って行けないしね」。
たくさんたくさんお礼を言いたかった。
でも改まって「ありがとう」や「さようなら」と言うなんて、
私たちの普段の関係にはあり得ないことだから、
私はそんなメールは書かなかった。
今も、「ご冥福を」などとは敢えて言うまいと思っている。
彼女は、ただほんの少し、先に出発しただけだ。
私も、ほかの人も、皆行くところへ、一足先に行っただけだ。
だから、私はいつものように、心の中で、
「それじゃ、また!」
と手を振りたいと思っている。
ただ、その「また」までは、どうやっても彼女に会えない、
と思うことが、今は、たまらなくたまらなく、つらい。
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