転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(写真:娘が今年も窓ガラスにハロウィーンの飾りを貼った)

A中高バザー前々日の準備があり、朝から行った。
きょうは会場設営、商品陳列、値段の確認、レジの練習、
等々の内容だったが、夕方4時半になっても終わらなかった。

一階の倉庫から二階のバザー会場まで、何往復もして、
重い商品を運び上げ、段ボールをまとめ、
あれはどーなった・これはまだですか等々と交渉し、挙げ句に、
このパンストの山ってどうよ!?
これって1000円も出して買う!?いっそゼロひとつ取る!?
そーいえば能面は!?・・・などと笑い崩れ、

・・・毎週文化祭バザーがあれば痩せられるのにと思った(爆)。

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10月30日の晩、広島ALSOKホールで、
美輪明宏の濃密な舞台を三時間、堪能させて貰った。

音楽も、衣装も、演出も、舞台美術も、音響も、照明も、何もかも、
アーティスト美輪明宏の美意識が貫かれたステージだった。
美輪様のお話に深く考えさせられ、たくさんのヒントを頂き、
美輪様の歌に何もかも忘れさせられ、魅了され、
そして、美輪様の大きな「愛」に包まれて、満たされた。

・・・と書くと、『お前アホか新興宗教か!』と
何もご存知ない方からはきっと言われると思う。
でもあの世界に共感を覚えた方ならば、わかって下さるだろう。
美輪様がステージから会場全体に向かって発していらしたオーラ、
「気」の大きな流れのようなものが、確かにあって、
それが舞台の進行に連れてゆっくりと確実に広がっていき、
最後には会場のすみずみまでを満たしたのだ。

今日の美輪様人気は、それがわかる・感じられるという人が、
少数ではないことの証しだと私は思っている。
これ以外に、どうも書きようがない気が、今はしている。
美輪明宏が気になる、と仰る方は、テレビだけで結論を出さずに、
是非、生の舞台をご覧になってみて下さい、と申し上げたい。

「私は、強く生まれついておりますので」
と美輪様がさりげなく仰ったのが、私はとても印象に残った。
これまでの人生やアーティストとしてのキャリアが、
波瀾万丈のものであったことは少し調べればわかるが、
それらに負けないどころか、年々大きな存在となられたのは、
その天与の「強さ」が根底で大きな力を発揮したからだと私は思った。

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A中高バザー(11月1日~2日)に出すクッキーを作るため、
今朝から同じ地区のお母さん方で某公民館に集まって作業した。

昨年は、私はヘトヘトに疲れたようなことを書いているのだが、
今年は、とても気持ちよくはかどって、ラクだった。
出席者数は去年より少なくて、20名くらいだったと思うのだが、
皆さん、大変な働き者で、テキパキ作業なさって、素晴らしかった。

そんな中、日頃からお菓子づくりの趣味など全くない私は、
ただウロウロするほか能がなく、バターをこねればあちこち飛ばし、
粉をまぜればすぐ腕がダルくなってギブアップ、
本当にナサケないというか、申し訳ないテイタラクだった。

最後には私は、高等テクの必要な係を諦め、
オーブンから出したばかりのクッキーを紙の上に広げ、
ひたすら団扇でぱたぱた扇いで、熱を取る役目に従事した。
これなら、シツコくあおぐだけだから私に最適だ!と得意満面で、
蒲焼きのような手つきでやっていたら、
途中で、勢い余ってクッキーを一枚、床にはたき落とした(泣)。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

勿論、その落としたクッキーについては、
黙ってまぜておくようなことはしないで、責任を持って試食した。
結果的に私は、皆が駆け回っている最中に、
文字通り左うちわで、できたてクッキーをばりぼり食ったという、
ただのフトドキな人間だった。


追記:このクッキーづくりの真っ最中に、携帯が鳴り、
おばーちゃんがどうかしたか!?と慌てて見たら、主人からメールで、
『またパソコンが起動しなくなりました。クワッッ』。
職場から、なんで私にそれを言ってくるかね!?
『えー、バッテリーは純正品をお使いですか。
畏れ入りますが、コード類を全部一旦、抜いて頂きまして、
男性の方にはお力もあまり必要ではないと思いますがさし直して頂きまして』
と返信したら、しばらくして、また、
『しましたが、』。

遊んどらんで安心サポートに電話せい
(結論:バッテリーが過充電になって電源をロックしていただけだった。)

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橋下また過激発言、教育討論会で「会社ならクビ」 (夕刊フジ)

私はその場にいたわけでは勿論ないから、
細かいニュアンスはわからないのだが、
『出席者の教員らが浴びせる怒号とヤジ』という箇所には驚いた。
私がこれまで接した「学校の先生」方は、総じて聞き上手というか、
聞き出し上手で、こっちが喋るまで待っていて下さる方が多かったのに、
時代は変わってしまったのか、それとも地域性の問題もあるのだろうか。

私はいろいろと気難しい人間なので、嫌いなこともいっぱいあって、
その中でも特に顕著に不快感を覚えるのが、
「他人の発言が終わっていないのに、自分の言いたいことを言い始める」
という種類の人間だ。
これはひとえに、私が一人っ子で育ったために常に自分本位で、
大勢で喋って大声で言い勝った者の言い分が通る、
みたいな生育歴でないことが大いに影響していると思うのだが、
私は会話中に、同時に複数の人間が喋っている状況を好まない。

ひとりの話が、「――。」で完全に終わるまで、
原則としてほかの人間は発言したくても我慢しろ!
と内心ではいつも思っている。
実際には言えないから、そういう人たちとの会話のときには
ひたすら笑顔で忍耐し続けているわけだが。
その意味では、「国会中継」も好きではないし、
「たかじんの『そこまで言って委員会』」にもかなりイライラ来る。
(↑実家に行くと両親が大抵これを見ている)

『質問のとたん、会場から「そうだ!」と掛け声と拍手があがり、
発言中もやじがやまない。』
私は何であれ「喧しい」ことが嫌いなので、こういう人々は耐えがたい。
学級会がこんな状況になっても、この先生方なら平気なのだろう。
ああ目眩がする。娘の学校は大丈夫なんだろうか。

私は主人の話でさえ(『でさえ』ってなんだ??)
少なくとも一文が完結するまでは、相づち以外のことを言わないよう
日々、気をつけているくらいだ。
たとえ反論が喉元まで出かかってもだ。
しまいまでキッチリ聞いて、一語一語、言葉尻の端まで捕らえないと、
応戦したってひたすら声が大きいだけで、肝心の的を外すぞ?(爆)

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24日に亡くなった友人が、夏前に、もっと元気だった頃、
「このごろは、クラシック音楽が本当に心に触れるようになった」
とメールに書いて来たことがあった。
治療のための入院中、ベッドで過ごす時間が長くなると、
美しい音に聴き入って心を洗われ、涙の流れることも増え、
音楽がこんなに魂を癒やし、命を与えてくれるものだったことに、
初めて気づいたと言うのだった。
「特に趣味は無いのです。ただ音楽が、クラシックが聴きたい」

私はそれを読んで、彼女の役に立てるかもしれないことを思いついた。
それは、私の知る限りの、綺麗な音楽、見事な演奏の中から、
選び抜いたものを彼女に届けることだった。
それで、あるとき、CDを10枚くらい宅配便で送った。
私の趣味や主観が大いに入っているのでゴメンナサイ、
今のご気分に合うものが、どうかこの中にありますように、
・・・とメールでは先に謝っておいた。

送ったものは、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』、
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番『春』、
アルヴォ・ペルトの『タブラ・ラサ』、
モーツァルトの『ピアノ協奏曲第20番&第25番』、
ショパンの『ワルツ集』と『前奏曲集』、
シューベルトの『ピアノ五重奏曲《ます》』、等々だった。
そしてその中には、私のやることなので当然というか、
ポゴレリチの弾く、ショパンの『スケルツォ』が入っていた。

私がポゴレリチのファンであることは、
彼女も全く知らなかったわけではなかった。
しかしもともと、音楽の鑑賞仲間で始まった友人ではなかったので、
ポゴレリチが何なのか、どういうふうに私が熱中しているのか、
彼女はそれまで、ほとんど気に掛けていなかったし、
私も、ポゴレリチについて殊更に説明したことはなかった。
だから私は、よもや彼女から、特別な反応があるとは、
考えてもいなかった。
ただ、世の中に星の数ほどあるCDの一枚として、
せっかくの機会だし、こういうのも楽しんで貰えたら、
ポゴレリチ・ファンとしては嬉しいな、と思って贈っただけだった。

その彼女からメールが来たのは、CDを送って半月以上経ってからだった。
『私は生まれて初めてポゴレリチ氏のピアノを聴きました。
語彙のない私にはその驚きが伝えられないけれど腰が抜ける思いでした。
不抜けになりました。』
『微熱でだるいのですが、いつも七度台なので慣れています。
しかしこの体調で彼のピアノはヤバかったかもしれません。
気分は高揚し、何だこれは~~~!!の心境でした。
神様は天才を世の中につかわされるのですね。あれはもはや神業です。
私の胸はバクバクしました。あんな凄い音に出会えて幸せです。
私の少ない語彙では語れませんが透明で激しくて優しくて語りかけてきて、
そしてまるで覆い被さってくるようでした。
生で彼のピアノを聴くには覚悟がいると思いました。』

彼女は、その翌日もまたメールをくれた。
『今日も、だるい中で頭にはピアノがありましたよ、
今日は、私がしんどいから弾かないで~、
と思うのに、やはりポゴレリチ氏がどこからか現れて
私の頭の中のピアノを弾きそうになるのでした。
それ程強烈に印象に残りました。』

そして彼女はこのとき、これから治療を頑張って、
もっともっと元気になってポゴレリチを聴きに行こう、と言ってくれた。
彼の次の来日までに、体力をつけて、一緒に行きましょう、と。

これらの言葉には、いくらかは、ポゴレリチ・ファンである私への、
彼女の優しい心づかいが、入っていたかもしれないとは思う。
だが、仮にそうだとしても、聴くことにより、
彼女が何かを得たのだけは間違いなかった。
音楽は、音というものは、なんと大きな仕事をするのだろうと、
私は改めて思った。

ポゴレリチのショパン『スケルツォ』のCDは、
亡き妻ケジュラッゼ女史に彼が捧げた一枚なのだが、
私はこれから、このCDを聴くたびに、友人のことを想うだろう。

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昨夜遅く、遠方に住む友人の訃報が、
彼女のご主人様によって、もたらされた。
ここ一年以上、彼女は療養中であり、
病状が楽観できるものでないことは直接聞いていたけれども、
私たちはときどきメールで連絡を取り合い、
現状を見据えた話と、気楽な将来の話とを、半々くらいにしていた。
「よしこさんは何を聞いても驚かないから助かる」
と彼女は変なことを褒めてくれたものだった。

うまく行けば、このまま、何年、十年、何十年でも、
こんなやりとりが出来るのではないだろうか、と思いつつも、
でもいつかある日、この関係はふと終わってしまうかもしれない、
という可能性を、完全に無視することはできない日々だった。

彼女は自分から望んで、病状を細かく主治医に説明して貰い、
「普通だったら患者さん本人にはここまで言わない」
というくらいに具体的で詳細な状況まで聞いていた。
私は気が弱いから、むしろ告知も病状説明も聞きたくないほうなのに、
彼女は違った。ちゃんと知った上で、自分で今後のことを計画していた。
この年齢で人生を終えるのは無念だ、と言いつつも、
これまで楽しい人生だったから、これからも楽しく過ごします、
ともメールで書いていた。

あるとき、うちの舅が晩年に病を得てから言った、
「生きられるだけは、生きにゃ、のう」
という言葉を伝えたら、それがとりわけ彼女を慰めたようだった。
「心に染みいります。お舅さんは人生の達人ですね」
と返信が来た。
一面識もない、うちのじーちゃんが、遠方の友人を慰めている、
というのは、凄いことだった。
居なくなったあとでも、人は、こんなことができるのだ。

結果的に最後になったメールは、
車椅子だけれど買い物にも行けるし、旅行もしている、
という明るい内容だった。
「でもそろそろ終わりになりそうだわ」
と読み手の私をドキリとさせたあと、
「資金のほうが」
と来る、いつもの可笑しい彼女だった。
「浪費は楽しい。あの世には持って行けないしね」。

たくさんたくさんお礼を言いたかった。
でも改まって「ありがとう」や「さようなら」と言うなんて、
私たちの普段の関係にはあり得ないことだから、
私はそんなメールは書かなかった。
今も、「ご冥福を」などとは敢えて言うまいと思っている。
彼女は、ただほんの少し、先に出発しただけだ。
私も、ほかの人も、皆行くところへ、一足先に行っただけだ。

だから、私はいつものように、心の中で、
「それじゃ、また!」
と手を振りたいと思っている。
ただ、その「また」までは、どうやっても彼女に会えない、
と思うことが、今は、たまらなくたまらなく、つらい。

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たかこ(和央ようか)さんのSUPER MONKEYのポスターが
松竹のサイトにUPされたと、某氏の情報で知り、早速、見た。

SUPER MONKEY ~西遊記~
おお~、なかなか格好イイではないか!
男役の面目躍如という雰囲気だ。
退団直後の時期ではなくて今きた役だから良かった、
という意味のことを、ご本人がインタビューで語っていたが、
私も見る側の者として同感だ。
映画の茶々や、ミュージカルのヴェルマがあって、
そのあとに、こういう男役出身ならではの役が来る、
という順序が、とてもいいと思うのだ。


もうひとつ、ポゴレリチの昨夜のパリ公演が物凄かったと、
これも別の某氏の情報で、さきほど知り、
私は歓喜と興奮のあまり、鼻血が出そうになった。
メフィストワルツが大変なことになっていた、らしい。
やっぱり。私は曲目が発表になったときから、
彼が弾く以上、メフィストはタダゴトではないだろうと思っていた。
日本にもこのプログラムで来てくれないものだろうか。

しかし、欧米の演奏家は、大西洋のあっちで弾くのと、
極東まで来てから弾くのとでは、どうしても微妙に違うものらしい。
ヨーロッパによく行く友人が、そう言っていた。
ピアノ音楽は、本質的に、日本の湿度の中で芽生えたものではないし、
演奏家のコンディションも、長時間のフライトや気候の差異で狂うから、
日本に来ると、微妙にクオリティが目減り或いは変性するように思う、
というのが友人の意見だった。
とすると、ポゴレリチを日本でしか聴いたことのない私は、
もしかしたら、まだ、彼の本領を聴いていないということなのか。

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昨日、ふと思いついて、今まで使っていなかった検索エンジンで、
『Pogorelic』と「h」をつけないクロアチア語風の綴りで、
ポゴレリチの記事や画像を検索してみたら、
随分と新しいものがいろいろとヒットした。
見たことのない写真も多かったので、そのうちのいくつかを
こちらでも紹介しておきたいと思う。

まず、ひとつ目は、2007年3月のワルシャワ公演の記事、
ポーランド語なので読めないのが残念だが、
リサイタル中の写真が複数あって、どれも良いと思った。
私は2007年1月の大阪公演を聴いているので、
記憶にあるポゴレリチの雰囲気や演奏内容が蘇ってくる感じで、
自分の中の「現在」に最も近い記事だ。

Irytujący Ivo Pogorelich w Warszawie (1)
Irytujący Ivo Pogorelich w Warszawie (2)
Irytujący Ivo Pogorelich w Warszawie (3)

ポゴレリチは最初にワルシャワで有名になったから、
ポーランドは彼にとって実質的なデビューの地だったと言えるが、
80年のショパン・コンクールの3次で落選したことに関して、
彼は28年後の今日も、決して心から納得しているわけではなかった。
そのわだかまりが、この夏になって再度、噴出して来たことが、
8月下旬以降、各国複数の記事で報じられている。

Ivo Pogorelic trazi odgovore nakon 28 godina
Pogorelić želi znati zašto je izgubio na Chopinovu natjecanju prije 28 godina
Пианист оспаривает итоги конкурса через 28 лет(画像なし)
28 ans après, un pianiste conteste sa défaite au Concours Chopin(画像なし)

今年の8月15日から、ポゴレリチは、ワルシャワで開催された、
CHOPIN AND HIS EUROPEというタイトルの、第四回国際音楽祭に招かれ、
それには"From Pogorelich to Tchaikowsky"という副題までつけられていたが、
なんと当日になってポゴレリチは、予定されていた演奏曲目のうち、
ショパンの曲目(夜想曲とソナタ)の演奏を拒否し、
ラフマニノフの2番の協奏曲のほうだけ出演した、という悶着があった。

旧ユーゴスラヴィア国内だった地域では、
しばしば、ポゴレリチの動向が報道されているが、
クロアチアのSEEbizはこのような若いポゴレリチの写真を載せて、
2008年8月のワルシャワでの騒動について報じている。
『28年後にして、また新たなスキャンダル』と。

Pogorelić želi znati zašto je izgubio na Chopinovu natjecanju prije 28 godina

おそらく1970年代終わり頃に撮影された写真だろうと思う。
ファン歴が結構長くなって来た私も、この写真は今回初めて見た。
ポゴレリチ19歳時にザグレブで録音・発売されたレコード
(後に『Young Pogorelich』のタイトルで再発売されたCD)の
ジャケット写真とアングル違いか、同時期の撮影のものではないだろうか。

私は常に現在進行形のファンなので、演奏でも発言でも、
とにかく「今」のポゴレリチに最も興味があるのだが、
こうして、昨年のワルシャワ公演、今夏の騒動の記事を見たあと、
不意に、三十年前の、20歳前後のポゴレリチの写真を目にし、
とても深い感慨があった。
20日の日記に自分で書いたとおり、まさに、
「野性的な東欧少年が妖しいラマ僧になるまでに」起こった、
筆舌に尽くしがたい事柄を、一度に見せられたような、
そんな気分に、なったからだった。

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やっとserとestarの活用を覚えたよ!
・・・って言ったら殴ります(^^ゞ?
これは、言うなれば英語のbe動詞だ
(スペイン語にはbe動詞が二種類ある)。
7ヶ月目にしてやっと、beの直説法現在の活用がam, are, isだと、
テキストを見なくても言えるようになった、みたいなものだ。
中学1年の4月の勉強を半年以上していたに等しい。

でも、いいのだ。今、算命学でいう天中殺だから私。
成果が上がったかどうかより、勉強というものをしている、
ということそのものが、今年は「吉」なのだ。

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女性からみて「なぜ?」と思う男性の行動ランキングというのがあって、
ちょっと笑ってしまった。特に、印象に残ったのは、

第2位:くだらないモノにお金を使う
第7位:自分の不健康自慢が好き
のふたつは、まさに私のことなので、私は男か?と(汗)。
我が家ではむしろ、主人のほうが、何を買うときでもケチなので、
なかなかお金を使う決心ができないし、
私の不健康自慢があまりにも一年中毎日のように続くので、
それに気圧され、主人は自分の自慢は、しない。

第8位:部屋のゴミを捨てない
こっちは、ズバリうちの主人に当てはまる項目だ。
なんだ、世の中の多くの男性も、こうなのか。
本当に、主人はゴミを捨てないし、捨てるときも分別をしないので、
主人の部屋にはゴミ箱はふたつあるにも関わらず、両方とも同じ中身だ。
可燃ゴミ不燃ゴミ資源ゴミ等が混ざり合ったゴミ箱が、ふたつ。
あの掃除魔・舅の息子なのに、どうしてこうなのか。

第11位:若い女の子が好き
・・・って、こりゃ少なくとも「不可解」ってことはないだろう。
私はどっちかというと「デブ専」「フケ専」のほうが不可解だ(逃)。

第16位:髪の毛を気にしすぎる(以前より薄くなった、など)
それは、アレだよ、女性たちが「ハゲはイヤ」って言うからだよ。

第23位:ガンダムが好き
確かに!ある年齢前後の男性では、ほぼ必ず、
ガンダムの話題で盛り上がることが出来るという印象が、私にもある。
『○○とは違うのだよ!○○とは!』『あえて言おう!××であると!』
等々と、ガンダムの台詞だけでしばらく会話できそうな人がよくいる。
昭和生まれ女性の『キャンディ・キャンディ』みたいなものかな。

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