転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



文章間のスペース2つは間違い マイクロソフトが裁定、「ワード」で徹底へ(CNN.co.jp)
『(CNN) 文章と文章の間にスペース2つは多すぎる――。米マイクロソフトが誤字・脱字の認識をめぐってそんな裁定を打ち出した。』『この判断に従って、マイクロソフトの文書作成ソフト「ワード」で英文などを入力する場合、ピリオドに続いてスペースキーを2回押すと、誤字・脱字と扱われて青い波線の下線が付くようになる。』『どうしてもダブルスペースから離れられない場合は、ワードの設定を変更して、この体裁を誤りと認識させなくすることもできる。』

大文字で始まってピリオドで終わるひとかたまりが「文」であって、
その「文」が複数集まったものを「文章」と、私自身は呼んでいるのだが、
上の記事では、私の言う「文」のことを「文章」と表現しているようだ。
Fire!(=火事だ!)のように、一単語でも「文」になり得るが、
上記の記事の定義では、こうした一語文も「文章」なんだろうか。

それはともかくとして、ピリオドの後スペース2つ分は誤り・1つが正しい、
というのは私のような英文タイプライター世代には違和感があり過ぎて
到底、耐えがたいことだ。
単語の間と、コンマの後はスペース1つ、ピリオドのあとは2つ、
これこそが、私が30年以上前に叩き込まれた英文タイプの原則だった。
手が、ピリオドのあとはスペースキーを反射的に二度打つようになっているので
55歳にもなった今更、それを改めることはおそらく不可能だ(汗)。
私が最新版のワードで英文を打ったら、青い波線の連発ですな(大汗)。
私は実際の入力には一太郎を使うので、ワードは馴染みではないけども。

それと、記事の最後に『ダブルスペースから離れられない場合は』とあるが、
これも、英文タイプ世代にとっては、「???」な言い回しだ。
『double space』とは我々にとって「行間に空行を挿入する」という意味であって、
スペース2つ分の『two spaces』のことではない。
つまり、「ダブルスペースで」と指定されたら、昔のタイピストなら
1行打ったあと1行あけて次の行を開始する。

ワープロソフトがビジネスの現場で当たり前の存在になって久しく、
もはやタイプライターの扱い方を知っている者のほうが少数派だ。
用語も感覚も何もかも変わり、時代の流れなのだなとは思うが、
若いときの刷り込みはなかなか消せないので、
やはり私のような老人には、書類作成はかなり無理があるってことですねぇ(^_^;。

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自分で自分の時間を使えるようになったので、
先月後半からラジオのフランス語・スペイン語を復活させ、
今月後半は会社勤めもなくなったので毎日聴くことができた。
午前11時頃から聴ける日は前週の復習の再放送を聴き、
正午にラジオ体操をやって、その後は1時頃まで各種英語講座が続くので
編み物などをしながら適当に聴き、遅めの昼食をとって片付けたあと、
午後2時半から改めてラジオを点けて、今週分のフランス語・スペイン語、
そして3時からは二度目のラジオ体操、……というのが普段の流れだ。
私は長い長い間、こういうふうに過ごしたいと思い続けてきたのだ、
……と、この半月は毎日が幸せだ。

最近は夜も、自分にしては早めの、10時半頃に就寝している。
なぜなら、夜を早く切り上げても、明日もまた自分の時間が持てる、
とわかっているからだ。
どんなに時間を贅沢に使っても大丈夫!
以前は、夜のひとときしか自由になる時間がなかったので、
終わらせるのが勿体なさ過ぎて、体力を削っても夜更かししていた。
そうしないと気持ちが救われなかった。
まあ、ああいう過ごし方を3年続けて、自分なりに本当にイヤだったからこそ、
今の自粛の毎日の有り難みが骨身に染みる、というのは、あるか……。

*************

語学学習ができるようになったので、資格試験にもいずれ挑戦しようか、
と思って調べてみたら、今年度はCOVID-19の流行を受けて、
6月までの試験のあれこれに支障の出ていることがわかった。
私としても、この夏前にすぐに試験を受けるつもりでは毛頭なかったが、
改めて、各方面にコロナの影響が出ていることを確認した思いだった。
仏語検定とスペイン語検定の春季試験と、国連英検の第1回試験は中止、
TOEICのListening&Readingについても、
3・4・5月の公開試験は行われない由、公式サイトで告知されていた。
実用英検は、サイトによると第1回1次試験を6月最終の日曜に変更しているが、
「状況によりましては、さらなる変更も予想されます」とのことだった。

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昨日午後に勤務先の会社のマネジャーから電話があり、
5月末まで通常業務は再開されないことになったと言われた。
正社員の人たちは今月最終週からテレワークが始まっているのだが、
パートの私がやる仕事は、現時点で何も予定されていないという。
ミーティングも全くないとのことだった。

Come oooonnn!!と内心でガッツポーズをしていたら、
「……ということで、何もなしで、大丈夫ですか?」
とマネジャーに尋ねられ、咄嗟には意味がわからなかった(殴)。
何もない、ということは引き続き来月も私は無収入になる訳で、
その待遇で良いかとマネジャーは訊いたのだった。
Yessssss!!!!
金払っても時間を手に入れたいと切望する日々を3年連続やりましたので、
無料でむこう1ヶ月の自由時間が戴けるんでしたら、何の不満もございません!!
いずれ切られるかもしれないが、私のほうでも6月以降、辞めるかもしれないし。

2016年の夏以降、今年の2月までずっと、「まとまった自由時間」は、
私がどれほど望んでも決して得ることを許されなかった宝物だった。
この国難のさなか、それが、願っていた以上のかたちで手に入ろうとはね(滂沱)。
しかも、私がゴリ押しして四方八方に迷惑をかけてかき集めた時間なのではなく、
この状況はすべて、外側から、向こう側から勝手に転がり込んできたのだ。
Smashing, thanks!!

私はこれから、可能な限り予定を入れずに、残り一か月余を過ごそう。
引き続き、「患者にならない」努力を第一に。
引きこもり体質全開で私はこれからの24時間×35日間を満喫する。
私は変人で自己中であることを隠さなくなっただけなのだが、
これがまた、社会的にはStay Homeの満点の手本なのだから、天下無敵。
私は、限りなく独りきりの、無音の日々を、味わい尽くす。
オンライン飲み会その他の集いは私には、NO THANK YOU!!
どなたとも、一切、お目にかかりませんし、ビデオチャット等も致しません。
バトンの類もすべて、辞退を申し上げます。

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昨日の午後、母が、
「電話のかけ方が、わからへんねん」
と電話してきた(爆)。
実際にこうしてかけて来たんだから、電話は使えているじゃないか、
と思ったのだが、母が納得しないので、
パソコンでDocomoのガラケーのページを開けて、
母の持っている携帯の画像を見ながら、
「電卓みたいに数字が並んどぉとこがあろう?
そこで相手の電話番号を押してから、
『決定』の左側の、緑色の受話器マークを押す」
と指導した。母は、
「緑色の”矢印”があって『文字』いうて書いてあるところ?」
と訊くので、Docomoの画面を見たら確かに電話マークの上に『文字』とあり、
「そうそう、そいでええねん」
と返答した。

続けて母は、
「電話終わって、切るときは、こんどどないするん」
と言うので、
「『決定』の右側の、赤い受話器マーク、…”矢印”か、を押したら、切れるねん」
と教えてあげた。
「ここ『電源』て書いてあるけど」
「そいでええねん。『電源』いうとこ、一回だけ押すんやで。
二度も三度もギュウギュウ押したら、ほんまに『電源』が切れてまう」
「わかった。やってみるわ。もう電話なんか、しばらく使うたことあらへんから、
さて使おうと思たら、どないしてかけるんやったか、忘れてしもて」
と母は言っていたが、その前の晩も母は自分から電話して来たし、
着歴を見て私がかけ直したときも、すぐに出てきた。

母のために解説するなら、母は多分、携帯電話を手にすれば、
どこをどうするかは体が覚えているので、操作は不可能ではないのだ。
ただそれを、頭の中で、言葉で再現しようと思ったらできなかった、
ということなのだろうと思う。
だから私に電話をかけて、質問をし、確認をしたのだ。
通話のとき、メモを取っている様子はなかったので、
しばらくしたら(しばらくしなくても)また同じ用件で電話があるかもしれない。

「あんたならこそ、おせて(教えて)くれる。ありがとね」
と母は最後には良い台詞を言っていた。
挨拶がちゃんとしているということは、
本人比では、頭は冴えているようだった(^_^;。

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広島地元の百貨店「福屋」は緊急事態宣言を受けて
4月22日(水)~5月6日(水)は八丁堀・広島駅前ともに
全館閉店しているのだが、今、その壁面いっぱいに
広島東洋カープによる、二連結の懸垂幕が下がっている。

「広島は屈しない 決して屈しない! 広島東洋カープ」

八丁堀店が赤地に白文字の「ビジター」仕様、
広島駅前店が白地に赤文字の「ホーム」仕様の配色になっている。

  

「今年は野球が観れんのんが、さえんよのぅ」
と先日も村の総代さんたちが言っていた。
カープは皆の元気の源!
早くまた、マツダスタジアムで熱いスクワットができるようになりますように。

……よく皆さん、「カープは鯉のぼりまで」と毎年仰っていますが、
今年は、何も始めてもいないのに、そろそろ終わり(逃)。

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今年の「連休の花」はオレンジ薔薇にした。
このところ外出自粛と会社の臨時休業とで、
既にかなり前から実質的に私は大型連休継続中なのだが、
今年のゴールデンウイークはStay Home週間でもあるし、
ここは祝おう(謎)、と思って、花を新しくした。
いやもう、何でも良いのですよ、微々たることでも
何か経済活動に貢献できることが私にもあるならば。

切り花と、本を買うことだけは、今、自分に制限をつけていない。
過去3年間、週休2日どころか月休3日を原則にして働いてきたのだから、
それくらいの小遣いは、私にも、まだ残っている。
それに加えて、チケット代・交通費・宿泊費がゼロのまま足かけ3ヶ月。
もはや娘も独立しているし、50代後半夫婦ふたりの生活など、
外出自粛していれば尚更、そんなまとまった出費など普段はないのだ。
更にこれから、例の10万円の給付金も入ると言うではないか。

このあと、母の日の花も自分で自分に贈ろう。
ささやかではあるが、自分的に買いたいだけ、切り花を買うのだ(^^)。

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写真は、昨日の八丁堀電停。
午後1時半頃だったが、車も通らず、電停にも誰もおらず。
福屋八丁堀店もずっと閉まったままで、
向かいの東急ハンズもサロンシネマも開いていないし、
晴れた週末の午後なのに、マスクをした人たちがちらほら通るだけ。
本通り商店街はドラッグストア等があるためか、ニュースによると
もう少し人通りがあったようだが、私の見た金座街はほぼ無人だった。
皆、Stay Homeを実践して頑張っている。

しかし実際いつまで自粛を続けることが現実的に可能だろうか。
こういう外出自粛は、期間限定であることが前提だから実行できているのだ。
もしも、……これは全く、仮定としての話ではあるのだが、
50歳以上に限り、ロックダウン方式で外出禁止とすることが法的に可能ならば、
――すなわち、今のヨーロッパのように、通院や散歩、生活必需品の買い物など
日常生活や健康の維持に必要な項目を定めて許可制とし、
無許可の外出をした50歳以上の高齢者には、罰金ではなく、
COVID-19に罹患した場合に治療順が40代以下の患者より後回しになる、
というペナルティを設定できるものであれば、
現在の外出自粛は、理論的には近いうちに完全解除することが可能になると思う。
医療が、重症化率・致死率の低い40代以下の治療に注力できるなら、
若い世代には一切制限は必要なくなり、経済活動が再開できる。

良い話とは全く言えまいが、ここまで来たら仕方がないではないか。
長々とICUや人工呼吸器を占領するのは、統計的に、50代以上の者が中心なのだ。
これはどう頑張っても変えようのない、数字的に明らかなことだ。
この世代が患者にならないように最大限の努力をするならば、社会は蘇る。
或いは、高齢者が「罹るとは限らない」と考えて好きに外出するのもアリだ、
そのあとの治療優先順位を、若い世代に譲るという誓約さえするのならば。
医療資源に余裕のあるタイミングで罹患した場合には、
50歳以上の者にも治療の順番が回ってくるかもしれないから、
運を天に任せて外出すると言うなら、それは各自の決断次第だろう。
一方で、何が何でも死にたくないと考える50歳以上は、
有効なワクチンか治療薬が開発されるまでは、
引き続きテレワークに撤するか、隠居して家から出ないようにするだけだ。

すべての年齢層が不自由な生活をした挙げ句に全員で破綻するくらいなら、
先輩世代が率先して被るほうが、社会全体としてどれだけマシか。
若い者ほど、これから先、生きて行かねばならない年月が長いのだ。
功成り名遂げた者も、そうでない者も、次世代を最優先する行動をとるべきだ。
もうひとつ言うなら、年金生活者の収入は将来に渡り無傷だ。
新卒世代はしばしば、内定取り消しの憂き目をみているし、
現役世代も現在の自粛生活の先に、倒産や失業が見えているというのに。

私は勿論、理屈だけで、ひどく大ざっぱな、かつ、非人道的な話をしている。
高齢というだけで死んでも構わないと言うのか、とか、
職種によっては50歳代から上こそがその業界の中心である、とか、
50代が大黒柱だからそんな制限では家族全員を死なせることになってしまう、とか、
個々に様々なケースについて言い始めると際限が無いので、
一刀両断に年齢で区切れないことは、よくよく承知している。
しかしこのような状態をもし長期に続けざるを得ないとなれば、
そう遠くないうちに、自治体として国家として、経済死を免れられなくなる。
5月からの学校再開は事実上不可能だから、教育も既に崩壊しかかっている。
米国では先週から、ロックダウンに反対するデモが各地で行われており、
日本でも、そうした動きが今後、出て来ないとは言えないのではないか。
解決策の方向として、「年齢制限」は大きなポイントになると私は感じている。

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神社で「新型コロナウイルス感染症鎮静祈願祭」があったので
午前中から出かけた。
私個人としては「そういうのがあるのか…」と不届きなことをチラと思ったが、
神社としては不要不急だったので、おとなしく従った。
本日はマスクを外す予定がなかったので、
眉毛を描いただけで、あとは全く化粧せず(^^ゞ。

終わって、実家に行ったら、中庭に続く木戸が全開になっており、
留守間に誰!?と思って調べてみたところ、古くなったかんぬきが壊れていた。
先日来、春の嵐のような天気の日があったせいだろうか、
風が当たり続けて、経年劣化していた金属が外れたようで、
とりあえず、不法侵入された形跡は無さそうに思われた。
それで馴染みの、地元の○○建設の会長さんに電話をして、修理を依頼した。
実家が留守宅に近い状態であることは、よく知っていて下さる方なので、
いずれ御手すきのときに直してください・見積もりや請求書は私宛てに、
とお願いしたら、快く引き受けてくださった。
とりあえず、庭石の小さめのを引っ張ってきて
木戸が動かないようにおさえて、仮に閉めておいた。

実家のあたりは、見渡す限り誰も居ない場所なので、
こんな流行疫病(はやりえやみ)の騒動の真っ最中とはいえ、
自分の家の土地内を歩いているだけなら、
人にウツす心配もウツされる心配も皆無であり、やはりそれは気が楽だった。
木戸を開けて入ったついでに、久しぶりに中庭から裏庭まで歩いてみたが、
――というと大邸宅みたいで良さげかもしれないが、
築100年超の平屋だから、面積だけはやたらと広いオバケ屋敷だ――、
一角で牡丹か芍薬かわからないが大きな花が咲いていた。
手入れしているなどとは毛頭言えない状況なのに、綺麗なものだった。
私は切り花は好きだが庭いじりの趣味は全くない。
こういう低木は両親どちらの考えで植えたものだったのか、
今となって不明だった。

それから、中区方面まで帰って、コンビニで支払い数件を済ませてから、
週末も空いている基町の市役所サービス・コーナーに寄った。
近々、父の私有地を神社に売却するので、印鑑証明が必要だったのだ。
行ってみたら、カウンター業務の方々以外には、私ひとりしかいなくて、
印鑑証明の発行もほとんど一瞬でできた。

市街地はどこも、人通りが少なかった。
さすがに皆、Stay Homeを実践中であるらしかった。
立町まで来ると、とんかつの「喜とん(きいとん)」が
各種お弁当をつくって店頭で販売していたので、
できたてのヒレカツ弁当を自分の昼食用にひとつ買った。
前々から一度行ってみたいと思っていたお店だったのだが、
テイクアウトが始まって、私にとっては一気に敷居が低くなった。
実に美味であった。また買いたい。

帰宅して、さすがに出歩いて疲れたので昼寝した。
ヒレカツ弁当以外は(爆)不要不急の用事で出かけた訳だが、
どこに行っても静かで心地よく、すべて順序よく捗り、良い日だった。
明日からは連休最終日までずっと、引き籠もりの毎日を過ごす予定だ。

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引き続き、私は家での自称・自粛生活を満喫している。
どこにも出かけない・人と会わない暮らし方は、
私は全く何ともないどころか、このうえなく快適で、
今、かなり真面目に、6月以降どうするかについて考えている。
もう、COVID-19以前の暮らし方に戻りたいとは全く思わなくなった。
今のほうが、比べものにならないほど、私にとっては良い。

似たようなことは、世の中の相当数の人の身の上にも、
大なり小なり起こっているのではないかと、この頃は想像している。
「自粛疲れ」などという用語があるが、
誰も彼もが、Stay Homeにうんざりしているかというとそうでもなくて、
特に働き方に関しては、「もう元には戻れないな~」と思われている方々も
案外、いらっしゃるのではないだろうか。

例えば、部分的にでもテレワークが成り立った人たちは、
毎朝の満員電車にぎゅうぎゅう揺られて通勤するなんてことは、
もはや再開したいとは思わなくなったのではないだろうか。
最初は不慣れだった在宅ワークも、それはそれで、
日々、仕事の相当量がこなせるようになったりして、
毎日全員で会社に集まる必要まではない、とわかってしまったのでは。
また、会議室だと上座で威圧感を放っていた年配の上司も、
Web会議の画面越しだと、さほど大したことないヒトになっていたりして、
そのぶん若い人が臆せず発言できるようになり、
業務によっては活性化した面もあるのではないだろうか。
違いますか(^^ゞ。

こんな騒動でもなかったら、
「毎日、会社に通勤するものである」という固定観念から、
誰も彼もが一斉に解放されることは難しかっただろうと思うのだが、
今回やむを得ずとは言え、様々な職場でテレワークに着手してみたら、
案外、やれないこともなくて、今後この形態を推し進めて行くならば、
必ずしも皆が通勤圏に住まなくても良い、ということになるかもしれない。
通勤がなければ、もしくはその頻度が高くなければ、
郊外の家に住んで都心の会社に勤めることも負担なくできる。
テレワークがよくある普通のこととして世間に浸透すれば、
毎日、現場に通勤する職種の人にとっても、
通勤電車の混雑が確実に緩和され、心身の疲労が軽くなるだろう。

それぞれの立場で、皆が工夫して社会参加のやり方を
どんどん変えてきていることが、日々、私には感じられる。
これはまさに、コロナ禍の恩恵だ。
私自身もまた、期せずして、自分に何が一番合っていたか、
どうすることが最も必要だったかを、確認することができた。
つくづく、人生、何があるかわからないな、
と、主観的には大変満足している昨今である。

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時間に追われることがないので、あちこちのサイトを
気の向くまま、ゆったりと巡って遊んでいたら、
YOSHIKI、『紅白』でのKISSとの共演を振り返る。
というリンクがあり写真が出ていた。
そうだった。昨年末はKISSが来日して、YOSHIKIがゲストとして
ライブのアンコールに登場した。私も大阪で観たのだ。
大晦日のNHK紅白歌合戦では、KISSとYOSHIKIが一緒に
華やかにRock and Roll All Niteを演っていたのを、
私は神社の社務所で、総代さんや巫女さんたちと一緒に
忙しくお正月準備をしながら、立ったまま、垣間見た。
確か、社殿に補充する奉書を持って渡り廊下に出ようとしたとき、
社務所で点いていたテレビがちょうどKISSの出演場面になって、
なんとも巧いタイミングで一番観たかったところが観られたので、
嬉しくて、わぉ♪と小さく感嘆の声をあげたら、自分の息が、白かった。

遠い遠い昔のように思えるのに、あれからまだ4ヶ月経っていない。
あのあと、世界は一変してしまった。
これから、私たちはどうなるのだろう。
あのような日々をいつか取り戻せるだろうか、
……と一瞬、遠い目になりかけたが、私は即座に現実に返った。
今、この瞬間の私は、間違いなく、あの晩より百万倍幸福だ。断言できる。
もう二度と、極寒の社務所で夜通しの労働など、したくない(爆)。
大晦日から昼も夜もなく、来る日も来る日も、
ご飯は5分トイレは3分の11連勤とか、勘弁して貰いたい。
私は年末年始の休暇を取りたいし、温かい室内で過ごしたいのだ。
大晦日は、紅白とガキ使を、最低でも座って、観たいし、
元旦には、ゆっくりと寝足りたあと起き出して、
地元の氏神さまに歩いて初詣に行き、静かな気持ちで祈願したい。

次のお正月は、新型コロナウイルスの御蔭で、
徹夜労働は8割削減とか、初詣対応はイニシャル順に交替制とか、
ちとは何か改善するかね(殴)!?

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