転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今年もやって参りました、
「多忙過ぎて怒り爆発、スマホを叩き割りたい」季節が。
秋祭から節分が終わるまでの間、神社仕事は怒濤の勢いだ。

去年も書いた通り、私はほぼ常時、怒っている。
一般的に人間はストレスが限界に達すると、
「涙が止まらない」とか
「死んだ方がラクになる」等と思うようになるそうだが、
私は、そういう状態にはほど遠く、その点ではまだまだ余裕がある。
深く「落ちた」心理状態には、これっぽっちもなっていない。
むしろ日々、烈火の如き気分で暮らしている。

とにかく、忙しい私の邪魔になる人・モノ、あれこれに腹が立つ(^_^;。
処理能力を上回る量の仕事を、毎年、秋~冬に割り当てられるので、
複数種類の用件が同時進行している最中に電話が鳴ったりすると、
「やかましいわ!」と床に叩きつけたくなる。
(もちろん3コール以内に取って、笑顔で応対しておりますよ(爆))

2022年3月初旬から、私は心療内科に年に数回、行くようにしており、
安定剤ソラナックス0.4を貰っては、頓服的に使っている。
1回の受診で最大30錠まで処方可能なので、これを3~5か月かけて使う。
週に0~数回、飲むペースだが、服用頻度は忙しさによってかなり幅がある(^_^;。
キンキンに張り続けた1日が終わり、尖った気分がおさまらないときに
この薬を半錠、ときに1錠、服用するのである。
飲むと30分ほどで、苛々の棘がマイルドになり、うっとりと眠くなる。
酒を飲む人の気分とは、このようなものではないかと想像している。

ベンゾジアゼピン系は依存症が出やすい、
という知識は勿論あり、ひととおりの注意をしてはいるが、
成長期でも妊婦でもなくなり、あとは人生終わるだけの年齢だから、
もはや遠い将来など考慮せずとも良く、薬の選択に関しては気が楽だ。
仮に今後、ソラナックスを毎晩飲まないと寝られなくなったとしても、
妊娠や授乳のため断薬せねばならない等の事態には、私はもうならない。
併用禁忌の薬も、そうは無さそうだし。
母など中年以降、ユーロジンを40年以上、飲んでいたものだ(^_^;。

幸い、娘は完全に独立していて、常日頃全くと言っていいほど交渉がないし、
転夫ころもん氏も、ひとりで思い通りにするのが好きな人で、
かつ、私が家庭を全く顧みていないことを受け入れてくれているので、
なんとか現状、生活が維持できている。
我が家は「一人っ子」が3人、の家族構成であり、基本的に互いに干渉しない。

しかし、こんなことをいつまでもやっていては、いけないだろう。
主人も私も、年々トシを取るのだ。
そろそろ晩年、老年期、というものが欲しい。
ころもん氏は、リタイアに向けて着々と動いている。
私も、神社仕事を、早く人に譲って終わりにしなければ。
これさえクリアできれば、かつて掲げた『53歳の宿題』、完遂である。
晩年に天将星を持ち、かつ総画39の女だからと半ば諦めてやって来たが、
「今年、心から幸せだったのはコロナに罹ったとき。10日も休めたから」
というのは、我ながらアカン1年だったのではないか(大汗)。


(余談だが、算命学&姓名判断的には、転夫ころもん氏も私と完全に同じで、
晩年に天将星があり、かつ総画39である。そういう意味ではバランスが良い。
だからお互い、家庭も壊さず、今のところ寡夫・寡婦にもなっていないのだろう。
知らんけど(笑)。
しかし老人としてはこのままでは、実に傍迷惑な存在になる可能性大である。
老化しているくせに意気軒昂で、いつまでもエラソーという(大汗))

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昨日は、マエストロ・ポゴレリチの御誕生日、
ポゴ氏はバースデー・ライブをマカオで行った筈だ。
そして今日は、我が父の命日、あれからちょうど一年。
去年のこのあと、葬儀関係と村の祭とで、
どんだけ忙しく大変だったか、思い出すだけで今でもウンザリできる(^_^;。

きょうは、やっとやっと巡って来た休日だ。10月10日以来か。
運良く?転夫ころもん氏が1泊2日の東京出張で昨日から留守だったので、
昨夜は21時半に就寝し、目覚ましをかけず、今朝7時半まで寝た。
夢も何も見ない爆睡であった。
お休みって、ホントに素晴らしい、極楽である(涙)。

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石破茂新総裁、きょう午後「衆院解散」表明へ
…選挙日程は10月15日公示・27日投開票
(読売新聞)

昨日からさかんに「衆院解散表明へ」という報道がなされているのだが、
理屈だけを言うなら、衆院の解散権を持っているのは内閣総理大臣だ。
その昔、中学校の社会科「公民的分野」で習ったではないか。
そして、現状、日本の内閣総理大臣は誰かというと、岸田文雄だ。
石破茂は、自民党総裁選で当選が決まって3日目のヒト、でしかない。
まだ臨時国会も開いていないし総理指名も受けていないのだから。

岸田総理は、総理を辞めない選択が、明日までは、まだできる。
そうなった場合、総理になっていない、自民党石破総裁にできるのは、
内閣不信任案を提出することだけだ。
つまり岸田内閣が総辞職をせず、
岸田総理主導で衆院解散して総選挙に持っていくことは、
きょう現在の状況からは、依然として可能なのだ。
岸田内閣の信を問う総選挙。
結果によっては、総裁・総理の分離もあり得るのでは(^_^;?

……やったらオモロいのに(逃)。知らんけど(殴)。

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叔父の家族葬は、列席者5名であった。
まさに文字通りの家族葬。
叔父の兄姉たちは既に故人で、配偶者の叔母も先月亡くなったので、
叔父の子供たち2人のほかは、甥と姪(私)、叔父の従弟、
という顔ぶれであった。
形式的に来た人は皆無だったのだから、
本来的な、心のこもったお弔いであったとは思うのだが、
少子化の今後は、そもそも葬儀自体が消えて行くのかもしれない、
ということも感じた。

そもそも「お葬式」は、弔いであるとともに、世間への挨拶であった。
人ひとりがこの世から消えるにあたり、
気付いたら行方不明になっていた等の居なくなり方ではなく、
「某月某日、これこれの事情で故人となったことを確認し、遺体はここにあり、
このように関係者で手続を踏んで埋葬することになりました」、
と、世の中に対して明白に公表するのが葬儀だった、筈だ、
と私は思っている。
そのために、職場関係や御近所などにも連絡が回ったし、
遺族が把握しきれていない交友関係もあったことを考慮し、
新聞広告まで出して広く通知することを心がけたりした。

しかし「家族葬」が一般的になってからは、
世の中への公表の意味合いが薄らいで来た。
葬儀日程を即座に広く知らせることをしなくなったし、
世間の側も、自他ともに「親しい」と認める場合以外は、
家族中心の場に、わざわざ立ち入ることをしなくなった。
家族葬では、香典や花などを辞退することが多いので、
あとになって訃報を聞いた人たちも、
香典持参であらためて挨拶に出向くことはしないし、
御焼香を…と言いたくても仏壇のない家が既に普通になった。
更に、年賀状が廃れつつある昨今、喪中葉書を見る機会も減った。

そのうえ時代とともに非婚率が上がり、少子化が進んでいる。
我々の親世代は4人きょうだい以上の家族構成もまだあったが、
我々の年代だと2人きょうだいくらいが多く、
その下の世代では子供を持たない選択をする人も増えた。
近い将来、「家族葬」は故人とその子供(たち)だけ、
という形態が珍しくなくなり、それならきちんと火葬しさえすれば、
別に「葬儀」などの形式も要らないではないか、となるのではないか。
そうでなくても日本人は実質的には無宗教が多い。
遺体や遺骨がなくなったら天国に逝けない等と思っていないし、
「墓じまい」も増加しているから、
焼いた後は樹木葬や散骨などで終了、でもいい。

きょうだいが一人あるかないかの環境で育ち、
独身で子供も無かった人が、一定年齢以上で亡くなった場合、
関係者も既にこの世にないとなると、家族葬も成立せず、
自治体が火葬だけして終わらせるケースも増えそうだ。
通夜も告別式もなし、墓は生前の指定がなければ合葬墓など。
著名人でもなければ、世間に大々的に通知する機会も必要もないから、
何かの拍子に友人知人らの間で「死んじゃったんだ…」と知られたり、
あるいはそれすらなく、いつの間にか見かけなくなって、忘れられる。

それが悪い、という問題提起ではなく、
そういう流れは避けられないのだろうなと私は思っている。
報道されるような事件で死亡した場合は別だが、
一般的な経過で亡くなった人は、特段の挨拶や公表などなく、
いつの間にか、人知れず、消えて行く。
遺言があり、成年後見人の指名が為されていれば
天涯孤独でも、私的な意味での死後の始末はつけられる。
日本に関しては、いわゆる「葬式」なるものは
今後、一部の人達だけのものになって行くのだろうと、
5人きりの葬儀に参列していて、強く思った。

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南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」対象地域は(NHK 2024年8月9日 19時11分)
『8日、宮崎県で震度6弱の揺れを観測したマグニチュード7.1の地震で、気象庁は南海トラフ地震の想定震源域では大規模地震が発生する可能性がふだんと比べて高まっているとして臨時情報を出し、引き続き巨大地震への注意を呼びかけています。』『これまでのところ、ひずみの変化はふだん見られるもの以外に特段観測されていないということで、引き続き監視を続けています。』

今回の『巨大地震注意』は、特段の変化がなければ明日15日で終わるが、
別に、明日以降が安全になる訳ではないし、あまり意味がない。
危険という意味では、既に以前からずっと危険なのであり、
今後、年月が経つほど危険度は上がって行く、と考えるべきだ。
南海トラフ地震は、今後30年以内に70~80%の確率で発生する、
という試算があり、厳密な数字はともかくとしても、
計算上、時間の経過に従って発生確率は高まることになるだろう。
南海トラフの「ひずみ」は、たまっていく一方なのだから。

会社の元同僚の外国人が、前に、
「日本に来るまで、日本がこんなに危険なところだなんて、
誰も教えてくれなかったよ(^_^;!」
と、笑いながらではあるが、言っていたことがあった。
日本じゅう活断層だらけで、日々、高確率で地震が起こるし、
あちこちで火山が噴火していて、四方が海だから津波の危険性が常にあり、
川や山の迫った地形が多く大洪水や土砂災害が毎年発生しており、
しかも、地理的・政治的にはロシアと中国と北朝鮮が隣国だしで、
よくもまあ、こんな危うい場所に平気でいられるね(^_^;!?
というのが、彼の見解であった。

彼はヨソの人だから、いずれ安定的な大陸地塊の国に帰るだろうが、
私は日本で生まれ育ったのだから、仕方ないのだ。
各国それぞれの事情があり、どこの国にも100%の安全は無いとなれば、
母国なりの危なさを、私は受け入れる以外にない(^_^;。
他国より地震災害が多いとしてもなお、
私にとって自分の今の居場所の変わりになるところは、ほかに無い。
自然災害は、備えたつもりでも運次第で助からない場合が大いにあるが、
同じ目に遭うなら、わざわざ外国に行ってそうなるより、
母国に居た結果として、…というほうが、私はまだしも諦めがつく(^_^;。

その点で、これから新たに移民として日本に来ようとする人は、
ちょっと考えたほうが良いだろう。
日本の治安の良さや永住権の得やすさ、福祉の手厚さ等に惹かれ、
住み着いてなんとか生活しようと考える、一部の若い外国人らが居るが、
キミら、これからは、大地震に遭うために来るようなものだよ(^_^;。
ほぼ、確実に、巨大地震は来るよ?
現に、阪神淡路大震災があったし、東日本大震災では物凄い津波が来たし、
この正月には能登半島地震を見たばかりだ。
あのテのことはまたすぐにあるってば(^_^;。

私ら日本人は、生まれたときからそういう場所で暮らしていて、
地震の備えや発生時の行動について、学校で習っているし、
国内の災害に関する報道もリアルタイムで見聞きして生きて来た。
我々の努力で地震が起きないようにすることは不可能なのだから、
「起きる」ことを前提に、各自可能な範囲で備蓄や対策をし、
住居の耐震・制震・免震構造などに注意を払ったうえで、
表面上、ごく普通に暮らしている、というのが現状だ。
自然はコントロールできない・完璧な備えなどないのは当たり前だが、
だからと言って、何も考えず無策で過ごしている訳ではないのだ。

一方、外国人はそれほど地震の知識を持っていないことが多い。
「マグニチュード」は知っていても、彼らは「震度」の概念はわからない。
出身国によっては、体に感じる地震に遭ったことのない人も結構いる。
基本的な経済力もなく、日本語もろくに出来ず、
震度3でパニックになるような外国人一家だったら、
南海トラフ巨大地震では、まず、生き残れないのではないか(^_^;。
津波が来るときは瞬時の判断が問われるし、大きな余震も再現なく起こる。
震源となり得る地域は、東海から沖縄までと範囲が広いから、
「ここなら安心」な場所など無いし、
もし東海寄りで起こったら全国の物流もアウトだ。
まあ、日本語すら不自由な、安易な移民計画だったら、
考え直したほうがいいだろうね。

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自宅マンションの玄関ドアを開けたところに、
アブラゼミが腹を出して引っ繰り返っていた。
掃除しようかと思ったが、見たらいわゆるセミファイナル状態で、
まだ死んでいないと思われたので、とりあえず、そっとしておいた。

「玄関ドアの前に、セミが倒れとるけぇね。
まだ生きとるけぇ、あのままにしといたほうがええと思うよ」
と、ころもん氏に一応注意しておいた。
彼は昆虫が怖いので、自分から触ったりするようなヒトではないが、
あのセミの存在には既に気付いてはいて、
「えっ!!あれ、死んどらんのん!!」
と驚いていた。

うん、死んではないと思うなぁ(^_^;。
だって、あのセミは脚が開いた状態だから。
死んだら、…これはGなんかも同じなのだが、
脚が全部縮こまった格好になる。
倒れていても、両手両足を広げて投げ出しているときは、
どのみち意識朦朧なんだろうとは思うが、
突けばジジっ!と鳴いたり、場合によっては飛び上がってきたりする。
静観したほうが良い。

「知らんかった~~」
と、ころもん氏は感心していた。
百万回言った話だが、私は素手でアブラゼミを捕って暮らしていたので。
生きたセミと死んだセミの見分け方は、
街っ子ころもん氏などより詳しくて当然だ。
どこを見ればオスとメスの違いがわかるかとか、
若いセミと年寄りのセミの区別のポイントだってある。
小学生当時ですら、これらは、ほぼ無用の知識だったので、
ころもん氏は全く覚える必要はないが(^_^;。


追記:なお、転夫ころもん氏の、とても可哀想なセミの思い出は、こちら
勿論、ここで『可哀想』なのは、セミではない。

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娘が、主人の誕生日プレゼントにと、
今年も、果物かごを贈ってくれた。
とても豪華な気分になれて、ころもん氏も大変気に入っている。
みーちゃん、毎年ありがとう(^^)。

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・14日は大阪松竹座に行った。
『関西・歌舞伎を愛する会 結成四十五周年記念 七月大歌舞伎』夜の部、
仁左衛門の権太と、萬壽・時蔵の襲名披露を観るのが目的であった。
仁左衛門の若さに感嘆した。
ビジュアル的に美しいだけでなく、声が冴え、身のこなしがシャープで、
実年齢が、全く、全く、信じられなかった。
上方の演じ方に仁左衛門の工夫を合わせた『いがみの権太』は、
私がかつて観たいかなる権太よりも印象的であった。
詳しい話は、多分またのちほど。

・例の、天井材が更に剥がれているだろうかと、実家の母の寝室を覗いたら、
昨日は、割れ目から1匹のGが出入りしていた(大汗)。
上のヒトと目が合う以前の話ではないか!!と私は嫌悪感に震えつつ、
屋外用のピレスロイドを持って来て噴射した。
……次回行ったら、相当数のGの変死体が室内で発見されるかもしれぬ。

・母は6月に体重が3キロ増えたと、ケアマネさんから報告があった。
体重減となれば衰弱の証であることは間違いないが、
体重増なら良いかというと、それも違うだろう。
体重が短期間にそのように増えるのは安心材料とは言えまい。
母は、10年以上前からクレアチニンの値が高めなので、
いよいよ腎機能が落ちて、むくみが出てきた可能性がある。
95歳だし、健康状態が完璧であることなど元より家族として望んでいないが、
腎不全、尿毒症の場合の身体的苦痛を思うと、どうしたものかなと悩ましい。
人工透析が究極の解決方法なのだろうが、これほど高齢となると……。
透析治療を導入しない場合、緩和ケアとして何が可能だろうか。
穏やかに安らかに過ごせれば、数値などどうでも良いので、
自覚症状のコントロールに的を絞り、主治医に対処をお願いしたいと思っている。

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本日、誕生日で、めでたく還暦を迎えることができた。
有り難いことだ。満60歳ですよアナタ。凄いじゃないですか。
このトシまでこうして無事にやって来られたなんて。

かつて掲げた『53歳の宿題』を還暦までに仕上げる、
のがとりあえずの目標だった訳だが、進捗状況はどうかというと、
上から二項目は完遂、三項目めには今年おそらく目処がつき、
四項目めも進行中で、若干遅れつつも概ね、順調に進んできている。
舅宅の始末も終わりそうだし、早いところあれこれを終わらせて
「余生」に入りたいものだと、願っている。
65歳で前期高齢者となるまでには、完全隠居したいものよ(^_^;。

ということで、自分への誕生日プレゼントに何か買おうと思い、
楽天市場が『お買い物マラソン』をやっている最中ということもあって、
まずは、赤いチャンチャンコのかわりにワインレッドのTシャツを1枚ポチり、
それから、「目の保養」雑誌『BonChic』のバックナンバーをまとめて注文した。
これまで書店で購入したことはあって、何冊かは家に持っていたのだが、
主婦の友社のサイトを見たら、既刊すべてでも21号までしかないとわかり、
それならこの際、まだ持っていないものを中古で揃えようと思った。

BonChic(主婦の友社)

ちなみに私は、「読み流して終了」のものは電子書籍で十分だが、
大切だと思う本は、必ず紙で買うことにしている。
目の問題のせいもあるかもしれないが、オンラインでの読書は、
画面の明るさが煩わしく、一応の情報は入っても記憶に染みこまない感じで、
何時間も集中したり、隅々まで味わったりするような、
本来の読書としての、きちんとした読み方ができない。
先々も長く手許に置いておくことになるだろうと思う本や、
その美しさを余すところなく愛でたい写真本などは、「紙」一択だ。

ほかに、『まいにちスペイン語』テキストのInformationページで紹介されていた、
マルガリータ王女の肖像』(柳澤一博、文芸社)と
私の、夏定番娯楽『怪談狩り』(中山市朗、角川文庫)最新刊も注文したので、
これから続く暑い季節の、お籠もり用アイテムの準備が整った。
自由時間と、楽しみな本さえあれば、私はいくらでも幸せに過ごせる。
若くないんで(笑)、きちんと冷房して、7月8月を乗り切ろうと思っている。

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3月後半は、忙しかった。
神社関係の用事もあったし、相続手続も進行中だったし、
24日(日)~28日(木)は娘が久しぶりに帰省したので、
これまた普段の日常と違うことがいろいろあった。

もちろん娘が帰ってくるのは大歓迎で、いろいろと話も聞けたし、
家族3人で食卓を囲むのは久しぶりで、大変楽しかったのではあるが、
毎度思う通り、まさに「来て良し、帰って良し」であった(笑)。
娘が18歳で独立して早10年以上、お互いに普段の生活においては、
それぞれの暮らし方が出来上がっているので、
こうやって時々会う程度のペースが、いちばん良いのである。

娘が帰って来る目的は、こちらの友人たちと会うことでもあり、
夕食+飲み会の日もあれば、福岡在住の友人に会いに博多まで行った日もあり、
一人暮らしの友人宅に行って、日付が変わる頃まで飲んできた日もあった。
中高の同級生だった仲良しの人達も皆、社会人となって、
その後いろいろなことがあり、積もる話もたくさんあったことだろう。

東京の娘宅の黒柴ちゃんは相変わらず、良い子、
……ではないがとてもとても可愛いそうだ(^^)。
今回もまた、黒柴ちゃんは娘の彼氏と一緒に過ごしていたので、
留守中、何の心配もなかった。
機会を見て、私も黒柴ちゃんに会いに行きたいものだが、
私が東京に行くときにはいつも、歌舞伎座で昼夜観なければならず、
ほかのことをする時間が皆無で、娘宅には全然行ったことがない(汗)。
娘が社会人になった直後、板橋区に住んでいた頃に2回くらい行った筈だが、
その後、転勤等もあり娘は二度引っ越しているので、
私は現在の彼女の住居がどのようなところなのか、わかっていない(^_^;。

まあ、娘はとっくに完全に独立しているので、
元気でやっていてくれれば、私としては、特に言うことはない。
これからも、頑張ってね(^_^;。

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