転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



娘は今朝、体温35度4分(娘は本来は低体温ではない。下がり過ぎ)、
頭痛も消えて、本人いわく「復活した」とのことで学校へ行った。
きょうも引き続き、試験も行事もない普通の日だし、
明日は娘の通うA中高の創立記念日ということで休校日だから、
体を休めながら日常生活に復帰するには、ちょうど良いだろう。
これで元気になりますように。

娘は不本意ながら学校を二日連続で休んでしまい、
「あなどっていた。誤算であった」
と悔しがっていた。
別に皆勤賞の表彰などは無いが、娘は原則、学校は休まないヒトなのだ。
家で寝ていて、彼女のしていたことといえば、
ひたすら西川貴教のCDを聴き、本を読み、惰眠を貪り、
合間に携帯でお友達とメールで連絡しあっていただけだった。
長い二日間だった。

昨夜遅くなってから、主人と娘が、
「明日(30日)は、いよいよガラスの仮面の発売日だ」
「テルマエ・ロマエの第二巻が出たらしい」
などと、大きな声で喋っていて、あまりウルサいので眠れないと注意したら、
「親子の触れ合いをしとったのに~」
と主人は不満そうだった。
もちょっとマシな触れ合いを、まともな時間に、やって下さい(--#)。

****************

先日来、某掲示板で、朝のゴミ出しを夫がするか妻がするか、
みたいな話題が少し続いていたのだが、
我が家ではゴミ出しは、ほぼ全部、私がやっている
(資源ゴミや粗大ゴミなど大きなもの重いものは主人も一緒にやる)。

私は専業主婦だから、家のことは全部私が、自分の思い通りにやっている、
というのが大きな理由ではあるが、それ以外にも、
私の感覚では、家庭ゴミはプライベートな要素のかたまりなので、
捨てに出るなら、仕事着や制服を着た人にはあまりやって欲しくない、
というコダワリが正直なところある。
出勤時の主人にゴミ出しを頼むのは、私のほうに抵抗があるのだ。
私本人にしても、きちんとスーツを着たときにゴミなどぶら下げたくない。

そういえば、舅宅に皆で住んでいた頃は、
袋の口の貼り方にまで厳格な「ゴミ出しルール」を持っていた舅本人が、
体調の許す限り、必ず自分でゴミをまとめて、出しに行っていた。
ヨメや息子などという、杜撰で不器用な人間に任せておけるかいや!
とばかり、舅の後ろ姿からは覇気と怒気が発散されていた。
もちろん、パジャマ上下に、くわえ煙草、というスタイルで、だった。

体が弱って、ヘルパーさんにゴミ出しを頼むようになったときには、
舅はとても残念そうだった。
人に命じて、自分の思い通りにさせる(して貰う)、
というのは、結構な御身分のようだが、実はとてもストレスのたまることだ。
相手は相手の感覚の範囲でしかやれないから、自分本人に勝るものは無い。
自分の手で気の済むようにやれることが、本当は一番幸せなのだと、
舅も知っていたと思う。

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・娘はきょうも37度台の熱で推移していて、学校を欠席した。
日頃が元気なだけに、本人は既に病欠という状態に飽きていて、
いい加減なおってもいい頃なのに!とぶつぶつ言っている。
お腹は落ち着いてきたし、食欲も相変わらず素晴らしくあるのだが(苦笑)、
まだ下腹部が重苦しく、頭痛もあり、スッキリはしていないと感じるそうだ。
幸い、行事も試験も何もない時期なので、とにかく充分に休息することだが、
明日も体調が悪いようなら、病院に行ってみるべきかもしれない。

・ 寝て漫画読んでるだけだから大丈夫、何もない、
と娘が言うので、きょうの午前中は漢詩の会に行ってきた。
孔子や荘子などを読むと、中国の知恵は深いなあと思うことしきりだ。
今週から「まいにち中国語」のラジオ講座もとても楽しく聴いている。
中国語の音の美しさ、語彙に込められた優しさなど
どの言語にも、その民族の美点が様々に反映されていることを感じる。
昨今の外交問題では、日本人として穏やかでない気持ちになることが多いが、
それとこれとは別で、私は中国の文化にはやはりとても心惹かれている。

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広島南部、本日の予想最高気温は摂氏30度。暑い。
相変わらず半袖Tシャツとハーフパンツで過ごしている私だ。
夕べも湿度が高く蒸し暑くて、寝苦しかった。
やはりまだ秋は来ない。
週間予報を見ても、このあとずっと最高気温29度が並んでいる。
彼岸まで、には今年の暑さは終わらなかったらしい。
あと数日で「衣替え」なので、通勤通学その他、公式の場は冬服になるのだが、
30度の中、長袖とかウールとか袷(あわせ)とか、有り得んだろ(^_^;)。

娘は昨日から下痢して、学校から帰ってきた時点で発熱38度だったので、
きょうは学校を休んだ。5月初めの風邪以来、本年度二度目の欠席だ。
ちょうど十日前の私の症状によく似ているようなのだが、
私のがウツってからずっと潜伏期間だったとも思えないので、
胃腸風邪だとすれば、ヨソで貰ってきたということなのだろう。
まあ、思い返せば娘は猛暑をものともせず、ずっと元気いっぱいで、
仕上げに(^_^;)先日のイナズマで完全燃焼したので、
いろいろ終わって、ついに疲れが出たということかもしれない。

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ポゴレリチを初めとする、趣味に関する事柄においては、
私はある種の、異常な収集癖を発揮しているが、
その他のことについては、あまり「集める」趣味はない。
特に苦手なのは、買い物して会員カードにポイントを貯めるたぐいだ。
かつて言われるままにカードを貰っていたら、
財布がブタさんになり、しまいに爆発したので、
最近は原則的に、カードなどは貰わないことにしている。
どうせ貰っても、私はカードの存在をそう長くは覚えていられないのだ。

だのに、この夏、うっかりと某店で応募券なるものを貯めてしまった。
その店には、たまたま夏休み中に幾度か行くことが重なり、
ちょうどなんだかキャンペーン中で、
支払300円ごとに一枚という応募券を、何度か貰った。
それを期間内に5枚集めると一口になり、交換でお皿が貰えると、
その応募券表面にも、店頭のポスターにも書いてあった。

それで私は、先月半ばに5枚目を貰ったとき、店頭で、
「これでお皿と交換できるんですよね?今、出していいですか?」
と訊ねた。すると店員さんはとても申し訳なさそうに、
「そうなのですが、今、ちょっと景品を切らしていまして。
お手数ですが次回ご来店の際に、もう一度仰ってみて下さい。すみません」
と言った。

私は、そもそもは皿になど執着はないつもりだったのだが、
交換しなかったために、券がそのまま財布の中に残ったので、
ここまで来たのだから捨てるよりは有効に処理したい、
と、財布を取り出すたびに、ついつい考えるようになった。

それで、今月の初め、同じ店に行ったとき、
前回のことを思い出して再度、申し出てみた。
「あのー、これ5枚で景品と交換できるんでしたよね?」
すると、なんと呆れたことに、皿はまだ入荷していなかった。
店員さんはそこで、私の名前と電話番号を書き留め、
景品引換証をくれて、「入荷したら御連絡します」と言った。

たかが皿一枚をタダで手に入れようとしたばかりに、
えらく大仰なことになってしまった。
9月もそろそろ終わりだが、あれから、電話は来ない。
できない交換なら、最初からできると言わなきゃいいのに(--#)、
と私はややフンガイしている。

転妻「どうなったんやろ。こっちから電話したろか」
転夫「『一回二回と断りゃ、もう忘れた頃かと思うたのに、
 まだ言いよるんかねこの人』、って店屋は思うで」

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・主人は仕事があり、娘はお友達と待ち合わせということで、
それぞれ昼前から出かけ、私はきょう、自由な半日を手に入れた。
なんの予定もなく、何もしない・しなくていい休息の日、
というのが私は実はかなり好きだ。
それで私も昼に、11月25日の広島交響楽団の券を買うために、
近くのプレイガイドまで散歩がてら行った。
エル=バシャがソリストでベートーヴェンの4番。楽しみだ。

・出先で、コンサートのチラシを何枚か取ってきた。
行くかどうか決めていないが、気になる演奏会がいくつかあった。
そのうちのひとつが、10月29日(金)高田匡隆ピアノリサイタル
@フェニックスホール、プログラムはショパン、リストなど。
実は昨年12月にこの人の演奏会に行って、私は体の具合が悪くなった(爆)。
ラヴェル『ラ・ヴァルス』のとき、見事な演奏なのは間違いなかったのに、
異常なほど重く長く感じられ、聴いている最中からシンドくなってきて、
翌日、頭位めまい再発と頭痛で寝込んだ。
問題というか才能というか、何と定義して良いか全然わからないが、
この人には『何かある』と私は思っている。
また聴く勇気が出るかどうか(^_^;)。なんだか怖いもの見たさ(逃)。
ポゴレリチを二日連続聴いても平気だった人間に言われたくないってか。

・もうひとつは横山幸雄ショパン全166曲2日連続リサイタル。
12月25日(土)と26日(日)、エリザベト音大セシリアホール、
一日が二部構成で、全体で四部という大規模な企画だ。
5月の初めに横山氏は東京でショパン全曲演奏会を成功させており、
今回はその広島版企画、もちろん協奏曲も1番2番ともに演奏される。
私は日頃、あまり積極的にショパンを聴きたいとは思わないのだが、
ここまで思い切った企画だと、一部くらい聴いてみたい気がする。

・来月、地元の某楽器店でグランドピアノ試弾会があり、
今回はヤマハCF4が初めて広島に来るというので、申し込んだ。
販売価格11,445,000円、『新しいコンサートグランドの音を奏でます』。
こいつでシューマン『楽しき農夫』を弾いたらどうなるか(笑)。
しかし真面目な話、C3あたりで私には充分だからグランドが欲しい。
十億円、いや大幅ディスカウントで200万、ころころと入らんかな。

・最近読んだ本
北杜夫『楡家の人びと』(上)(下)新潮文庫
奥田昭則『五嶋節物語 母と神童』小学館(再読)
中川右介『松田聖子と中森明菜』幻冬舎新書
曾野綾子『狂王ヘロデ』集英社文庫
佐藤愛子『結構なファミリー』集英社文庫
佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』集英社文庫
萩原葉子『誰が悪いのでもない 明子は何処へ』(海竜社)
このところテーマや脈絡は特になく、古い本新しい本関係なく、
出会ったものをその都度読んでいる、という感じだ。

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「暑さ寒さも彼岸まで」が正しいかどうか、
猛暑の今年こそ見届けてやろう、と楽しみにしていたのだが、
確かに一応「彼岸まで」は正しかった、と言えそうだ。
一昨日あたりから、朝夕の気温は急に下がった。
日暮れ以降早朝までの時間帯は、
長袖を着ないと外では冷えるようになった。

しかし家の中は、依然として、時間帯によっては冷房が要る。
晴天の昼間から夕方は、窓を開けても特に涼しいというほどではない。
35度の頃とは比較にならないほど人道的な気温にはなったけれども。

市街地は空気が悪いために、この界隈はまだ暑いということなのか、
我が家が特別に換気の悪い構造になっているのか?
半袖Tシャツ一枚だが私は今、決して涼しいわけではない。
掃除でもして動き回れば、すぐに汗だくになるだろう。

おかしい。
私は冷え性だったはずだ。
どうしてスっと涼しくならないのだろう。
更年期のホットフラッシュか、とも思ってみたのだが、
娘も暑いというし、主人もまだ床の上で寝ているので(爆)
とりあえず我が家が暑いというのは間違いないようだ。


追記:考えてみたら、9月25日頃の広島はこんなものかもしれない。
舅が亡くなったのが2005年9月25日だったが、あのときもまだ結構暑かった。
9月の半ばを過ぎて、部屋から出ることもなくなっていたじーちゃんは、
毎日、個室を冷房23度設定でキンキンにしていたものだ。
付き添っていた私は、冷えで腕に神経痛が起きそうだったが、
娘の小学校の運動会に行ったら、これはこれで炎天が耐え難かった。
でも、じーちゃんが亡くなって、一緒に自宅に戻ってから、
通夜や葬儀に至る時期については、気温の記憶が全くない。
あのあと、いつ頃、涼しくなったのかも、覚えていない。

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後期はフランス語は継続するが、スペイン語のほうは一旦お休みにして、
とりあえずこれから半年間、中国語をやってみることにした。
漢詩趣味の延長で、最近は中国語の「音」に興味が募ってきて、
かじる程度でも一度勉強してみようと思うようになったのだ。

折しも昨今は中国の好景気とあいまって一種の中国ブームで、
さらに、先日来の尖閣諸島その他での問題もあって、
日本人の中国への感情はより複雑なものになって来ていると思うのだが、
私がこのタイミングで中国語を始めようと考えたのは、
そのような状況とはなんら関係のないことだ。
私も家族も誰も、中国を相手にした仕事をする立場ではないし、
東アジア情勢や中国文学に造詣が深いとは、もともと到底言えないし、
とっかかりになっている事柄といったら、
漢文とフー・ツォン、たまにラン・ラン、梅蘭芳、くらいかなと。

********************

気の向くままに外国語をかじることはとても好きで、
学生時代から、いろいろな言語に首を突っ込むことだけは続けてきたのだが、
未だに、私は外国のことなど、ろくにわかっていない。
むしろ、外国語をやっていて思うのは、
自分はまさに日本だけで育って日本語で生活する人間だ、ということだ。

英語が若干使えるようになり始めた、大学生くらいの頃、
私は知れば知るほどアメリカ人が嫌いになり
(習っていたのがアメリカ英語だったのでイギリス人のことは眼中になく)、
ロジック優先の、「アナタはこう・でも私はこう」「なぜ・なぜなら」
ばかりを連発するキツい論法が、耐え難く思われた時期があった。
英語が上達し始めた途端、私は自分でも意外なほど国粋主義的になったのだ。

その段階を超えて、もう少し客観的にものごとを見られるようになってから、
ようやく私は、日本語を基準にした発想を切り離して、
英語を英語として(「完全」には程遠いが)使えるようになったと思っている。
自分の中の日本語がいかに根強いものであるかを理解するようになり、
無意識に日本語だけを正しい基準として考える自分を、押しとどめて、
英語という別基準を、自分の中に自分で組み立てることができるようになって、
初めて私は私なりに、英語の使い方を考えられるようになったと思うのだ。

だから私は、いかなる外国語を学ぶにしても、
ニコヤカなガイジンさんと、ゲームや歌を楽しんでいるうちに、
いつのまにかペラペラになる、
などという学習法は、まったく信用していない(笑)。

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今回のTMのライブで私にわかったそのほかの曲は
LOVE SAVER』『WHITE BREATH』くらいで、
途中には知らない曲がいくつもあった。
なにしろ、清志郎を聴くほどの熱意で西川氏を聴いたことはまだないので、
私の中では根付いていない曲も多いのだ。すみません(^_^;)。

アンコールはMICROさんが誕生日ケーキを持って出てきて、大歓声。
西川氏は大笑いのあと、しばらくうつむいて顔をあげなくなってしまい、
見たら、泣いているのだった(^_^;)。
会場の皆で西川氏の誕生日を祝って、Happy Birthdayを歌う、
という当然な企画があったのだが、一度ではうまく揃わず、
西川氏も笑いながらも不満を表明、MICRO指揮で歌い直しとなった。

しかし、あの合唱は、せめてギターでイントロだけでも弾いて貰えたら、
会場の全員が思いっきり声が出せて、もっと揃ったと思う。
こちとらは絶対音感などないし相対音感もアヤしい集団なのだから、
めいめい勝手な高さで歌い始めてしまい、キーがばらばらだった。
だから「Dear Takanori~~~!!」と盛り上げたくても、
音程がわからなかった人が多数だったのだ。
次の機会には、このあたりにご配慮下さいましたら嬉しいです(逃)。

ステージには、ゆるキャラたちも大集合、
私は全部の名前はとてもじゃないが知らなかったが、
西川氏にイジられながら一匹ずつ紹介されたので、だいぶ覚えられた。
最後にはおめかししたタボ君もひかえていた。
彼は、西川氏が忙しいときに観光大使として活躍中なのだそうだ。

ラストが全員でタオルを振って応える『CHASE/THE THRILL』。
私は実は、この曲はほとんど馴染みがなかった。
何かの録画で聴いたことはあり、曲名はあとで娘に確認して知った。
アンコールとなると選り抜きの一曲が出て来ると期待したのだが、
これは熱狂的なファンの間では最重要な曲のひとつなのだろうか?
ここまで結構ガンガン乗って来たのに、最後は肩すかしの感じで、
一緒に歌えず、やや部外者感を味わった私だった(^_^;)。

ともあれイナズマ・ロックフェスは、県知事さん市長さんの賛同も大きく、
是非、来年も続けたいという意向だそうだ。
今回は、私が体力消耗している事情もあり、
退場規制がかかる前に出ようということで、
娘が早めにブロックを出て最後尾まで来てくれたので、
私たちは完全に終わらないうちにライブ・エリアを出た。
終了時にあがる盛大な花火は、会場の外から楽しんだ。
広い芝生では虫の声が聞こえて、適度に涼しく、すっかり秋の気配だった。

ああ、来られて良かった(^_^;)。
生・西川を堪能した娘は夢心地だったし、
私もライブを満喫できて嬉しかった。
カクランして大騒動したが、結果オーライ、ということで。

*********************

帰ってきてから、「イナズマ行って来た」という話をしたら、
娘の学校のママ仲間のひとりが言うのに、
「西川貴教って、あの、小柄で目のクリっとした、
下から風パーパー当たりながら歌ってる人でしょ?」。

そうだよ、そのヒトだよ(^_^;)。
世の中の多くの人の西川氏のイメージは、コレだろう。
High Pressure(YouTube)
この曲が出たのが97年頃だったと思うので、既に十年以上前だ。
現在の西川氏は既にこの路線ではないが、
こうした時代があったからこそ、今の動員力があるのは事実だし、
ファンはこの曲やHot Limitなどを、やはり変わらずに愛していると私は思う。

ちなみに、私が西川氏の歌唱力をもっとも強く感じるのは、
彼が『Thunderbird』をライブで歌うときだ。
以下の動画は特に、菅野よう子さんのピアノ・ソロも素晴らしく、絶品だ。
日頃、こういうジャンルの音楽をお聴きにならない方にも、是非。

T.M.Revolution THUNDERBIRD Live (YouTube)

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ひと区切りついてMCになったので、私は座った。
何しろ体力が無くてシンドかったのだ(苦笑)。
このあとは、もしよく知らない曲が続くようなら座っていよう、
・・・とサボることを考えながら、西川氏の話を聞いていたら、
なんだか、ゲストがいる模様。
去年は明石家さんまが登場したよなーなどと思い出したとき、
な、な、なんと!今年は!!
「紹介しましょう・・・浅倉大介ーーーーーー!!」

え。
え、えええええ~~!!!!

思わずシートを蹴って立ち上がってしまった。
見れば、スクリーンには、まばゆいライトに照らされて
白髪みたいに輝く金髪の、大ちゃんが!!

もともと西川貴教というのは、90年代半ばに浅倉大介が見出し、
Takanori Makes Revolutionというプロジェクト名を与え、
全面的にプロデュースして売り出したシンガーだった。
当時の日本の音楽シーンを記憶している世代なら、
accessで活躍した浅倉大介本人のことも知っているだろうと思う。

私が思うのに、浅倉大介は、西川貴教という素材を最大限に開花させ、
本人さえ知らなかった魅力を引きだして見せた人であり、
ファンが最初に支持したのは、大ちゃんによって造型された西川だった。
打ち込み系のポップな歌を強烈な声で聴かせる歌唱力と、
華やかなカリスマ性と舞台アピールとで、西川貴教は今日の地位を築いた。

しかし途中からT.M.Revolutionは大ちゃんの手を離れ、
西川貴教自らがプロデュースするプロジェクトになり、
同じ頃から、ふたりの不仲説も取り沙汰されるようになっていた。
アーティストは「やりたいこと」と「やるべきこと」の間で悩むものだが、
西川氏本来の志向と、大ちゃんの提示するものとの間に、
いつの頃からか、齟齬が生じてきたのではないかと思う。
プロデューサーを降りてからの浅倉大介は、
T.M.Revolutionに曲を提供するだけの存在になったように見えた。

だから、熱烈なファンなら勿論のこと、少しでも西川を知る者なら、
ここで浅倉大介とのコラボが再び見られるというのは、
思いがけない、奇跡のように素晴らしい巡り合わせだったのだ。
西川氏が自分の原点を今なお全面的に肯定しているということが、
カタチとして確認できた瞬間だったからだ。

ふたりの大笑いのMCのあと、西川氏が
「せっかくなのでもういっちょイッちゃいますか!」
と言い(清志郎なら「ももももう一発イくかい?」と言ったところだ)、
大ちゃんも加わって新曲『SWORD SUMMIT』。
SWORD SUMMIT(YouTube)
肩掛けのキーボードを弾く大ちゃん、歌う西川、
10年前ならテレビでよく見かけた光景だったが、
まさかそれが今ここで再現されようとは!

西川貴教、故郷・滋賀で2度目の野外フェス開催
“恩人”浅倉大介と10年ぶり共演
(ORICON STYLE)

曲が終わって、がっつり抱擁し合った二人に、
15000人の拍手と大歓声が。
凄い、凄いぞ、なんという誕生会(笑)なんだ!!

・・・そして、ああ、私は、またしても、休み損なったのだった(殴)。


(続)

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京都駅で某嬢と待ち合わせ、感謝感謝で娘を引き取った私は、
さすがにヨレヨレしていたので、ともあれホテルに直行した。
時間は早かったが運良く入れてくれたので、
とにもかくにも部屋に上がり、まずはベッドで寝た。
ここで英気を養っておかないと、夜までモたないと思ったからだ。
ちなみに、滋賀県のイベントに行くのに、なにゆえ京都に泊まったか?
それは、このイナズマのために、草津その他最寄りの宿泊は
すべて半年前に、予約で満室になっていたからだ。

イナズマ・ロックフェスそのものは、両日とも午前10時から始まり、
滋賀の地元PRイベントやラジオの公開録音などがあり、
ライブエリアのほうも午後2時からステージが次々と行われるので、
余裕さえあれば、一日中楽しむことも可能だったのだが、
今回は最初から体力的限界だったので、西川貴教だけに絞った。

イナズマロックフェス2010公式サイト

夕方4時半、娘と私は京都の宿を出て、琵琶湖線で草津に向かった。
JR草津駅で降りたら、このイベント専用のバス乗り場まで徒歩15分程度、
シャトルバスは往復で1000円、会場までピストン輸送で運行されていた。
私達が到着したのは6時前で、ちょうど郷ひろみのライブをやっていた。
『エキゾチック・ジャパ~~ン♪』は娘でもよく知っており、
巧い、声がいい、格好いい、と初めての生・郷に感動していた(笑)。

この日はほとんどタイムテーブル通りに進行しており、
郷ひろみのあとは、ガリガリガリクソンのトークというかコント、
これを聴いている間に、娘は自分のチケットに書いてあるブロックに行き、
体力の足りない私は一番後ろの芝生にレジャーシートを敷いて座った。
最後尾付近は、さすがに皆、シートに座っていてのどかだ、
・・・と思ったのは、このときだけだった。
やがて、Turboコールの中、ライティングが変わり、
T.M.Revolutionのライブのイントロが流れ始めた途端、
最後尾に至るまで一瞬で、ぐわーっと、凄い歓声を上げて客が立った!

私の記憶が正しければ、一曲目は『Naked Arms』。
Naked Arms(YouTube)
私も立った、こんなもん座ってられるか!!
くは~~、西川、やっぱ凄いぞ!!コレだ、この声だっっ!!
周囲は気の狂ったような手振り(笑)、勿論私もやった(爆)。
我にかえると両腕がダルいのだが、ここでやめては勿体ない(イミフ)。
立ち上がったら前方スクリーンがよく見えて、
西川氏は黒ずくめ、独眼竜みたいな眼帯、脚は網タイツ(爆)。

蒼い霹靂』『魔弾』と、お馴染みのナンバーが続いたので、
根深いファンとは言い難い私も、このへんはバッチリついて行けた。
アーティスト本人がどう思うかは知らないが、ファンはえてして、
こういう、ある程度初期から愛された定番曲が聴きたいものだ。
幕開けにこのテのナンバーを持ってくる西川氏のセンスは、さすがだった。
私の周囲もトランス状態の熱狂ぶりだった。

魔弾(PV)(YouTube)←結構笑えます。


(続)

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